チルドレンのためのエヴァンゲリオン 〜いつか、心、開いて〜
第十五話 嘘と本心
<戦闘用ヘリ>
羽のブレード音が響く狭いヘリコプターの室内でゲンドウとコウゾウは第三新東京市を見下ろしながら会話を交わしていた。
「昨日、キール議長から俺の所へ直に計画が遅れていると文句が来たぞ。そうとう腹にすえかねている様子で、お前の解任まで示唆していたぞ」
「そんなことはない、人類補完計画は他の計画と繋がっている。ダミープラグの開発も始まった、何が不満なのだ」
「まあ今はその点は構わん、問題なのは加持三佐の方だ。夫婦で妙な動きをしているそうじゃないか」
「好きにさせておくさ。マルドゥック機関と同じだ」
「好き放題にさせていたのがこの結果だ、わかっているのか、碇!」
コウゾウはゲンドウを怒鳴りつけたが、ゲンドウは返事をしなかった。
<府中 戦略自衛隊本部>
戦略自衛隊のとある士官の部屋。
そこで親しく言葉をかわす士官たちと加持リョウジの姿があった。
「さて、そろそろ本題に入ろうか」
「ここには目も耳も無い。安心してくれ」
「マルドゥック機関について詳しい事はわかったかい?」
「ああ、日本各地に居る隊の同志に調べさせたが、108ある企業のうち107個全てダミーだった」
「マルドゥック機関。エヴァンゲリオン操縦者選定のために設けられた人類補完委員会直属の機関か」
「取締役欄の名前は、ほとんどお前さんの組織の幹部たちの名前だった」
「そうか……すると……すまないな、危ない橋を渡らしてしまって」
「それは情報を漏えいしているそちらも同じでしょう。あなたたち夫妻にはお世話になりました。奥さんにもよろしくお伝えください」
<第三新東京市 第壱中学校2−A教室>
「えーっ! せっかくの日曜日なのにデートに行けないの?」
「う、うん。行かなくちゃいけない所があるから」
アスカの大声はクラスの注目を浴びてしまったようだ。
アスカにレイといつも両手に花状態であるのにデートに誘われて断るとはなんとけしからんやつだと思われていた。
「碇君。アスカと一緒にその場所に行く事はできないの?」
ヒカリがなんとか親友の願いをかなえようと助け船を出す。
レイが用事で今週の日曜に出かけると聞いてから、アスカはシンジと二人っきりでデートをするために最近毎日のようにシンジを誘っているのだ。
「ダメだよ、アスカを連れて行くなんて絶対無理」
シンジは取り付く島が無いほど頑なに拒否していた。
アスカは強い拒絶についに泣きそうになってシンジの側を離れてしまった。
慌ててついて行くヒカリ。
しばらくして気持ちが落ち着いたのか、着いて来たヒカリに話しかける。
「ねえ、ヒカリ。確かお姉さんがデートの仲介をしているって言っていたわよね」
「えっ? そうだけど……」
「じゃあ今週の日曜日さ、誰か紹介してよ」
「だって、アスカには碇君がいるんじゃないの?」
「シンジのやつなんて、大っ嫌いよ!」
あまりに大きい声で言ったので、そのアスカの声はシンジの耳にも届いていた。
「アスカ、あんまりワガママ言わないでよ」
「ふんだ、嫌い嫌い嫌い、大っ嫌い!」
のっしのっしと鼻息を荒くして立ち去るアスカとは対照的に、シンジは真っ青な顔をして立ちつくしてしまっていた。
「セ、センセ大丈夫か?」
「ケンカなんて、初めて見たな……」
「僕はアスカに嫌われちゃったんだ……」
その後トウジやケンスケがいくらシンジを励ましても、顔が晴れる事が無かった。
<ネルフ エヴァ実験棟>
「アスカのシンクロ率低下は相変わらずひどいわね。シンジ君も調子が悪いみたい」
「なんか、クラスの子からケンカしたみたいだって聞いたけど」
ミサトとリツコはシンジたちのエヴァの起動実験を眺めながら、雑談に花を咲かせていた。
「パイロットたちの監視もあなたの仕事じゃない」
「あたしは家族してアスカとシンちゃんを見ているの。監督日誌なんて支給されたその日に破り捨てたわ」
「シンクロ率の起動指数は越えてるから問題ないとして……それにしてもミサトは結婚式の仲人の仕事が多いわね」
「リツコの時は最優先でしてあげるわよ」
「……当分無理ね」
「ま、まあ頑張ってね、としか言えないわ……」
「シンジ君、大丈夫なのかしら。明日でしょう?」
「そうね、明日ね。アスカの事引きずらなければいいんだけど……」
テストを終えたシンジはレイと同じエレベーターに乗り合わせていた。
アスカは徹底的にシンジを避けているようだ。
「綾波。明日父さんと会うんだけど、何を話したらいいのかな?」
「……なぜ、私にそんな事を聞くの?」
「零号機に乗った時、僕の知らない父さんの色々なイメージが流れ込んで来たんだ」
さすがに裸のレイに迫られて拒絶した事までは言えなかった。
「多分、何を話しても碇司令は喜ぶと思うわ」
「そ、そうかな……うん、ありがとう」
「役に立てて良かったわ」
「綾波に相談すると心が落ち着くんだ。……お姉さんみたいだ」
「私が碇君のお姉さん……」
レイはほおを赤くした。
「碇君って突然とんでもない事を言うのね……」
<第三新東京市郊外 加持邸>
「「ただいま」」
「おかえり」
シンジとアスカがケンカをしているため緊迫した空気が加持邸全体に広がっているみたいで、ミサトとリョウジがそろって帰宅した時にリビングに居たのはアスカだけだった。
ミサトとリョウジは顔を見合わせてため息をつきながらリビングの椅子に腰かける。
「ねえねえ、明日のデートにつけていくから、ラベンダーの香水貸してよ!」
アスカはやけにハイテンションな大声でミサトに絡んでくる。
おそらく部屋に閉じこもっているシンジに聞こえるように当てつけて話しているのだろう。
ミサトにはシンジに構って欲しいアスカの本心がわかっていた。
だが明日のシンジの会談をぶち壊しにされるわけにはいかない。
それまでは嘘で塗り固めておかなければならなかった。
「アスカにはまだ早いわよ」
「そうだ。そういうのは大人になってからするもんだぞ」
「ミサトもリョウジさんもケチーっ、明日のデートには大人っぽい服装で行こうと思ったのにー!」
その後も夜遅くまでアスカのわざとらしい大声が加持邸に響き渡った。
「「「「それじゃあ、行ってきます」」」」
ミサトとリョウジは結婚式に出席するため礼服、シンジは休日なのに学生服で、アスカは緑色の落ち着いた服装だった。
お気に入りのレモン色のワンピースを着ていないところからわかりそうなものなのだが、シンジはアスカが本気でデートをするものだと思い込んでいた。
<第三新東京市 東京プリンセスホテル 結婚式会場>
大きくそびえるウエディングケーキ。
新郎新婦によるケーキ入刀。
友人たちによる隠し芸の披露。
「それでは、司会兼仲人のこの加持ミサトが! 僭越ながらスピーチを行わせていただきます。皆の衆、拍手をお願いします!」
大きな歓声と拍手が巻き起こる。
「えー、人と人間の違いはですねー、人は人の間にある限り無力な存在ではないと言うことで……」
お祝い事大好き人間のミサトは仲人だけでなく司会の地位まで強引に奪い取って場を盛り上げていく。
アルコールがほとんど入っていないのにこのテンションの高さだ。
まるで自分の事のように喜んでいる。
元司会者は苦笑いを浮かべながらひっそりと料理を口に運んでいる。
まあ何もしないで給料がもらえるのだからもうけものだ。
ミサトとリツコの共通の知人だと言うことで、リツコも結婚式に出席している。
ミサトはせわしなく動いているので、リョウジは主にリツコと食事と会話をしながら時を過ごした。
「あー、今日の結婚式は楽しかったわね」
大任を終えたミサトたちはネルフ内のバーで飲み直していた。
街で飲むのはミサトがリョウジにたしなめられて自重している。
ネルフ施設内なら多少暴れても問題は……無い。と思う。
「リョウジ。あたしたちも結婚式やりたかったわね」
リョウジはミサトが少し早いペースで飲んでいる事に気付いた。
リツコを避難させることにした。
リョウジの合図を受けたリツコは席を立ちあがった。
「まだ仕事が残っているから私は行くわね」
「そりゃ仕方無いな」
「付き合い悪いわねー」
リツコがそそくさと出て行った後、リョウジはバーの従業員たちにも目配せをし、店内はミサトとリョウジの二人きりになった。
リョウジは覚悟を決めて空いたミサトのグラスに酒を注いでいく。
「使徒戦が終わってさ。ネルフやゼーレから何もかもから解放されて自由になったら、ゆっくりすればいいじゃないか」
「自由か……。自由って、いいわよね」
「あたし、やっぱり父さんの敵討ちをするために使徒と戦っているのかもしれない」
「ミサト。その事を考えるのは止めるんだ」
「自分のためにシンジ君たちを利用している最低の女なのよ、あたしは!」
「やめろ!」
リョウジは暴れるミサトを抱きしめて、唇でミサトの言葉を遮った。
<ネルフ ジオフロント 集団共同墓地>
IKARI YUIと刻まれた墓標の前でゲンドウとシンジの二人は立っていた。
シンジはもっていた花束を墓に供えると、ゲンドウの方に振り向いた。
「父さん。二人っきりで僕と話したいってどういうこと?」
シンジは突然、ゲンドウからの電話で母親碇ユイの命日に墓前で話したい事があると連絡を受けていた。
アスカやレイ、コウゾウなどが居ない場所で二人きりでと言う事だったのでシンジはアスカを連れていくことをかたくなに拒否したのだ。
「シンジ、私の方を見るのはもうやめろ」
ゲンドウは無愛想になるべく冷たい声で聞こえるようにそういった。
「私が側に居るとお前を傷つけるだけだ」
突然の拒絶の言葉に何も告げられないシンジにゲンドウはさらに言い放った。
「でも、僕は父さんと話せるようになれたかなと思って……」
「シンジ。私のようにはなるな」
「どういう意味?」
「私は赤木君の気持ちには応えてあげることはできないのだ」
「なんで、リツコさんが?」
わけがわからずに固まっているシンジにゲンドウは言葉を吐き捨てて背を向けて立ち去った。
「過去の不幸に引きずられて、今目の前にある幸せを逃すな」
ゲンドウは大声でシンジにそう言い放つと、離れた場所に待機していた大型輸送ヘリに乗り込む。
客席には先にレイが座っていた。
これから行われるダミープラグの実験のために来ていたのだ。
「司令。碇君に大事な話はできたのですか?」
レイにはゲンドウが必死に悲しみをこらえているように見えた。
心配になったレイは返事をしないゲンドウに何度も呼びかけた。
「お前には、関係の無い事だ」
やっと聞こえた返事は、とても冷たい言葉だった。
しかしそれとは裏腹に、ゲンドウの瞳は悲しみにあふれているようにレイには見えた。
その後ネルフ本部に到着し、セントラルドグマに設置されたダミープラグ実験槽にレイが押し込まれる時になっても、ゲンドウは押し黙っていた。
<第三新東京市郊外 加持邸>
意気消沈したシンジが帰宅した時、誰も家には居なかった。
シンジは自分の部屋に駆けこむと枕を抱えて声を殺して泣きはじめる。
「う、ううう……父さん、何で僕を拒絶するの?」
シンジが帰宅してそう長く経たないころにアスカが帰宅した。
乱暴にシンジの靴が脱ぎ散らかされているのを見て、アスカは妙な胸騒ぎがした。
アスカは慌ててシンジの部屋に向かった。
シンジの部屋のドアは閉じられていて、中にシンジが居る気配がする。
焦ったアスカはノックもせずにドアを開けた。
「シンジ、どうしたの?」
シンジは枕に顔を突っ伏したまま返事をしない。
「もしかして、泣いているの?」
アスカはシンジに近づくと、その頭を自分の胸に抱き寄せた。
シンジは違和感を感じて顔をあげた。
するとアスカが優しく微笑んでいる。
「何も言わなくて良いわよ、シンジの涙は全部受け止めてあげるから」