チルドレンのためのエヴァンゲリオン 〜いつか、心、開いて〜
第十三話 使徒、浸食


<ネルフ 第一発令所>

「さすがマヤ、速いじゃない」

今日はMAGIの定期メンテナンスが行われる日。
オペレータ席ではマヤが素早い指さばきでキーボードを叩いていた。
その姿を感慨深げに見つめるリツコ。
リツコが母親のナオコの姉弟子としてマヤを指導し続けて数年。
母親の元に、

「ナオコ博士みたいな立派な科学者になりたいんですぅ」

と目を輝かせて押し掛けて来たマヤは当時、理数系の大学生だった。
そしてマヤは、ネルフのオペレータとして立派に育ってくれた。

「待ってそこ、A−8の方が速いわ」

リツコが身を乗り出してキーボードを叩く。
マヤのそれより数倍も速い。

「ああん、先輩。さすが速いです(ハート)」

マヤはそう言ってリツコの腕に絡み付いて来る。
リツコは強い力でマヤを振り払った。
ちょっと目を掛けすぎてしまったのかとその点ではリツコは後悔していた。
二人きりでいるのが気まずいと感じたリツコが、リフトで上がって来たミサトの姿を見て顔をほころばせる。
反対にマヤは不機嫌そうに顔をしかめた。
マヤはミサトの事を上司としては尊敬しているが、リツコを巡っては対立(ミサトはそう思ってない)しているのだ。

「リツコ、今日のテストに備えてMAGIのメンテナンスはパーペキにしといてね」
「ええ、もう少しで終わるわ」
「そーか、そーか。じゃあ頑張った二人にはコーヒーをご馳走しちゃおうかな」

ミサトは懐からコーヒー豆が入った袋を取り出す。
リツコとマヤの二人はたちまち目を輝かせた。

「加持さんのコーヒーはいつも楽しみにしてます。……はっ、だからと言って赤木博士は渡しませんからね!」
「まーたマヤっちは妄想しているの? 相変わらずね、この子は」
「ええ……」

MAGIのメンテナンス終了の合図がネルフ内に響き渡ると同時にマヤとリツコはミサトのコーヒーを堪能した。

「じゃあ、あたしは他のスタッフにもご馳走してくるから、また後でね」

恋の相談から仕事後のコーヒー、食事会などミサトに餌付けされているネルフ職員はかなり居るだろう。
ただ、ネルフの忘年会が中止されたのはミサトが原因だと言う噂がまことしやかにささやかれていた。

「異常無しか……母さんは今日も元気なのに私は年を取るだけなのかしら」

女子トイレの洗面所で顔を洗いながらそう呟くリツコ。
トイレの中と言うのは意外に音が響く。
先客にその呟きが聞こえてしまったようだ。
個室の扉が開け放たれ、ヒールの音を響かせてこちらにやって来た。

「みんなと一緒に年を取れるっていうのは、幸せなものなのよ」
「ミサト、聞いていたの? ……ごめんなさいね」
「いえ、嫌味を言ったのはあたしの方。ほら見て、肌だってまだ10代のよう。まるで化け物ね!」
「それ以上、自分を責めるのはお止めなさい」

リツコはキッとミサトを叱りつけた。

「ご、ごめんなさい、リツコ」

ミサトは恥ずかしそうに顔を赤くしてトイレを出ていった。

 

<ネルフ プリズナーボックス実験室>

「えー、裸になるの!?」

アスカの不満そうな言葉が響き渡った。
リツコが通信でそれに答える。

「そうよ、監視カメラは切ってあるから、プライバシーの保護は万全よ」
「違う、シンジの裸をレイに見せるなんて、嫌よ! 見て良いのは過去も未来もアタシだけ!」
「二号さん、独占はいけないわ」
「僕の裸って、小さいころだけじゃないか」
「だいたい、なんで裸で実験しないといけないのよ!」
「このテストはプラグスーツの補助無しに、直接肉体からハーモニクスを行う趣旨なのよ」

抗議を聞き入れないリツコにシンジたちはしぶしぶ裸のままエントリープラグに入った。
それをモニターから見守るミサトは手にした書類を読みながら訪ねる。

「この実験の元になった計画ってやつは、パイロットの肉体にダメージを与えたって言うけど、大丈夫なんでしょうね?」
「ミサト、何度も説明したように、過去の計画とは違うわ。この実験が成功すればエヴァの反応速度は格段に上昇するわ」

実験テストはほとんどMAGIが行っている。
オペレータ三人衆もマヤ以外の二人は参加して居なかった。

「確認はしているんだな?」
「ええ、一応」
「まったく、赤木君の癖にも困ったものだ」

モニターに第87タンパク壁が映し出される。
そこには黒い猫がペイントされていた。
モニターをのぞき込むコウゾウと操作をしているシゲルは同時に大きなため息をついた。

「塗られた部分が微妙に発熱しています。なぜなんでしょうね?」
「どうせ赤木博士が変な材料でも使ったんだろう?」

別のオペレータ席に座っているマコトがうんざりとした顔で言う。

「レイ、どうしたの?」

モニターを眺めていたミサトが、レイの表情が固いのを見て心配して声を掛けた。

「何でも……ありません」
「レイ、もしかして、体が痛むの? ……リツコ、実験をすぐに中止して!」
「まさか、そんなはずは……事前に汚染が起こらないように確認したのに」

リツコは舌打ちしてケースを叩き割り、非常停止ボタンを押す。
直後にネルフ内に警報が鳴り響く。
実験テストとは違うモニターを監視していたシゲルが声をあげる。

「第87タンパク壁が凄いスピードで変質していきます!」
「汚染領域が拡大!」
「レーザー照射を早く!」

レーザービームが汚染された第8パイプに向かって照射されたが、赤い三角形のフィールドに跳ね返された。

「まさか、使徒?」
「間違いありません、パターン青、使徒です!」
「この区域は破棄! 全員、退避急いで!」

ミサトの号令の元、ネルフのスタッフたちは慌てて部屋から駆けだして行く。
リツコだけが信じられないと言った顔で立ち尽くしていたが、ミサトはリツコをひっつかんで担いで部屋から脱出した。
その直後、部屋のガラスが割れ完全に浸水した。

「リツコ、しっかりしなさい!」
「助かったわ、ミサト」

発令所ではゲンドウがエヴァ全機を射出するように命令を下していた。
シンジたちのテスト用エントリープラグはジオフロントの湖に射出されてプカプカと浮かんでいた。

「ねえ、シンジ、寒いからもっとギュッと抱きついて温めてよ」
「……碇君。私も寒いの」
「興奮しちゃダメだ興奮しちゃダメだ」

シンジは裸のアスカとレイに抱きつかれて必死に抑えていた。
ミサトのだらしなさのおかげで女性の裸に近いかっこうを見るのには慣れていたが、裸の女の子に抱き付かれる事は無かった。
使徒とは別にこっちはこっちで大ピンチだった。
ネルフ内に鳴り響いていた警報が突然止まった。
誰も警報を止めるような操作はしていない。
疑問に思ったオペレータたちが原因を探ると、コンピュータの一部がハッキングを受けている事に気づく。
シゲルはハッキング元を探るべく必死にキーボードを叩く。

「ハッキング元はプリズナーボックスの使徒です!」
「まさか!」

モニターに映し出された使徒が幾何学模様に変化していく。
使徒イロウルはドンドンと進化・増殖を拡大していった。

「碇司令、MAGIのデータ消去をさせてください」
「何を言っているのミサト、MAGIの喪失は本部の喪失と同じなのよ!」
「組織とは人が集まって出来るものよ、MAGIだってまた作りなおせばいいじゃない!」
「いいえ、技術部で解決できる問題です」
「反対するって言うなら、あたしがぶっ壊してやるわ!」
「待ちたまえ、加持三佐」

MAGIに照準を合わせて銃の引き金を引いたミサトをゲンドウが押し止めた。

「赤木君、もし君がこの問題を解決できないようなら、加持三佐の言う通りMAGIを破壊する。いいな」
「碇、何を言っている、MAGIを破壊するなどと!」
「はい、お任せください」

リツコ、ミサト、マヤの三人は連れ立ってMAGIの機心ルームに来ていた。
普段は開けられることのない扉が開けられると、脳みそが水槽に浮かんでいた。
ミサトはぎょっとした表情を浮かべ、マヤは口元を抑える。

「リツコ、これって……!」
「これがMAGIの正体。ブレインコピーって知っている? ミサトなら戦時中に聞いたことあるでしょう」
「ええ、人道的に開発が禁じられている人格データをパソコンに移すプログラムね」
「MAGIには母さんの脳が使われているの。いわば母さんそのものなのよ」
「そんな、リツコのお母さんは病気で亡くなったって……!」
「母さんは自分が直らないことを知って、自分の脳を移植することに決めたのよ」

それはリツコ直属の部下であるマヤも知らない事だった。
マヤはさらにショックを受けたのか涙を流し始める。
ミサトが優しく抱きとめた。

「とにかく、今は時間が無いのよ、落ち込むなら後にして」
「リツコ、マヤっちにそんなこと言わなくても」
「いいえ、私がしっかりしないとダメなんです」

マヤは顔をあげて涙をぬぐうとミサトから離れて立ち上がった。

「でも、なんであたしを連れて来たの? そりゃあ多少パソコンとか使えるけどさ、リツコやマヤっちには遠く及ばないわよ」
「ミサトの体の中に存在するアダムの遺伝子情報が必要なのよ。そしてね……」

リツコから聞かされた使徒イロウルの撃退作戦は驚くべき内容だった。
なんと、ミサトの身体を直接MAGIに接続して、ワクチンにしようと言うのだ。
ブレインコピーをする時間が残されていないからだった。
ミサトの身を犠牲にしてMAGIを守るような作戦にマヤは反対をしたが、リツコにとってMAGIは母親そのものであり、心の支えでもあるのだ。
ミサトは引き受けることにした。

「ありがとう。じゃあマヤ、作業を始めるわよ」
「は、はい」

マヤは戸惑ったが、今すぐに行わないとミサトの決意も無駄になってしまう。
ミサトはベッドに横になる。
マヤはミサトの体にプラグを接続していく。

「人工知能メルキオールから自律自爆が提起されました……否決、否決」

機械音声がネルフに響いた。
作業中にも使徒によるMAGIのハッキングは続いていた。
メルキオールは他の二体、バルタザールとカスパーにハッキングを仕掛ける。

「先輩!」
「大丈夫、まだ時間はあるわ」

ミサトの電子化の作業は終わったようだ。
アダムの遺伝子データを使って、使徒イロウルを服従させると言うのが今回の作戦である。
ミサトの接続先は浸食の少ないバルタザールに決まった。
接続に向けての調整に入った時、また機械音声がネルフに響く。

「人工知能により自律自爆が決議されました。三者一致の後、四秒後に行われます」

カスパーの浸食が予想以上に速かったようだ。
二体は残る一体、バルタザールに攻勢を仕掛ける。
リツコのひたいには滝のように汗が流れる。

「母さん、持ちこたえて!」

リツコはいつの間にか大声で叫んでいた。
その叫び声に応じるかのように浸食のスピードが半減した。

「先輩、準備できました!」
「接続開始!」
「くうううううう!」

苦しみの声をあげて苦痛にもだえるミサト。

「あたしは子供たちのためにも、負けられないのよ!」

ミサトがそう叫ぶと同時に全身が光り出した。
そしてその光が治まった時……MAGIの浸食、ネルフの施設の汚染は完全に止んでいた。
使徒は完全に制圧されたようだ。

「ミサト、あなたのおかげで助かったわ……さすが母親の力ね」
「ナオコさんも、母親としてリツコの呼びかけに応えてくれたじゃない」
「私は科学者としての母さんは尊敬してたけど、母親や女としては嫌いだったわ」
「先輩、加持三佐の電子化解除の作業を始めますね」

ミサトの物質化作業が終了し、MAGIの機心ルームを出ていくミサトとマヤ。
最後に出ていったリツコは部屋を出る直前、水槽を優しくなでた。

「ありがとう、母さん」

 

<ネルフ ジオフロント>

「あんたたち、何を裸で抱き合ってるのかしら、子供を作るのはまだ早いわよ」
「ミサトだってアタシの年ぐらいで出産してんじゃないのよ!」

シンジたちは先ほどの状態のままシンジ用のエントリープラグに三人でいる所を救助された。

「それは、ちょっと特別な事情があってね」
「……これ以上ミサトのやつに追及しないでくれ」

ミサトが普段見せない影のある表情とリョウジの説得によりアスカはそれ以上言うのを止めたようだ。

「さあ、三人とも服を着て、今日は家に帰ってゆっくりとお風呂であったまりなさい。風邪引くわよ」

シンジたちの姿が見えなくなると、ミサトはリョウジにしなだれかかった。

「ねえ、あの子には使徒の細胞は移ってないわよね」
「ああ、何度も検査しているから大丈夫さ」
「あたし、もう一人ぐらいあなたの子を産みたかった」
「おいおい、二年前に俺が戦場で巡り合ったあの子が居るじゃないか。そして新しい三人の子供たちも、な」
「そうね、でもあたしは……」

そのうち完全に人ではなくなるかもしれない。
と言う言葉をミサトは必死に飲み込んだ。
鈍い痛みが広がる自分の下腹部を押さえながら。



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