チルドレンのためのエヴァンゲリオン 〜いつか、心、開いて〜
第十話 スキューバダイバー


<2000年 南極 葛城調査隊>

「葛城博士、本当に娘さんを乗せるつもりですか?」

葛城博士は黙ってうなづいた。S2機関をもった眠れる巨人アダム。
調査隊の執念はついに埋もれていた『彼』を発見した。
眠れる彼の魂を呼び起こすには彼の娘が必要だったのだ。
葛城博士がスーパーソルノイド理論を学会に提唱したのは四年前。
無限のエネルギーを生み出すなどと言う理論は笑い物にされた。
秘密裏に博士を支援するゼーレによって実験モデルが製作されたが、失敗に終わった。
ゼーレからの圧力もあってあせった葛城博士は調査隊を本格的に結成した。
そしてアダムに関する研究を続け、ついに起動実験の今日に至る。
葛城博士は著名だったため、ミサトの家族を含めてバッシングを受けていた。
ミサトの母親は最期まで博士の研究は正しいと信じていた。
ミサトも死んだ母親と同じく世間を敵に回しても、父親のことを信頼していた。
今回の実験の協力も進んで引き受けた。
プラグスーツを着て、使徒アダムを起動させるためのエントリープラグにミサトは入る。
形状は現在のエヴァンゲリオンの物と似ている。
エントリープラグが閉じられ、いよいよミサトとアダムのシンクロが始まる。

「絶対境界線、突破!」

次の瞬間、使徒アダムの腕が拘束具を引きちぎり、ミサトの乗るエントリープラグをわしづかみにした。
ひしゃげて握りつぶされるエントリープラグ。

「ミサト!」

葛城博士は悲痛な叫び声をあげる。
握りつぶされたエントリープラグを中心に爆風と閃光が広がって行き……南極大陸は融解した。
ミサトは皮肉にもゼーレの隠しアジトがある南米大陸最南端の街、ウスアイアの近くに漂着していた。
そしてゼーレの諜報員によって保護、いや拉致されてしまったのである。
ミサトはこのごろあの時に起きた出来事を夢に見るようになった。
汗びっしょりになって目が覚めると、隣に居るリョウジが優しく抱きしめてくれる。
そうすると彼女は再び安心して眠ることができたのだ。
もっとも、ミサトとリョウジがベッドを共にする理由はそれだけではないけれど。

 

<第三新東京市 繁華街>

「二人とも手を離してよ。恥ずかしいな」

シンジは右手をアスカ、左手をレイと繋ぎながら歩いていた。
両手に花状態である。
周囲の突き刺すような視線と冷やかすような眼差しが痛い。
使徒イスラフェルを撃退したシンジたちは報酬として休暇をもらっていた。
アスカとレイはチャンスとばかりにシンジをデートに誘うことにしたが、抜け駆け禁止協定を破って邪魔されると面倒なので、仕方無く三人でのデートとなった。
器の広さを見せようと言う見栄もあったかもしれない。

「……まずは、水族館ね」
「まあ、レイにしては上出来よね。綺麗な魚も見えるし、デートスポットの定番じゃない」

シンジの抗議などこれっぽっちも聞き入れず、三人は水族館へと足を踏み入れた。
三人はいろいろな水槽を見て回る。

「熱帯魚ってきれいねー」
「うん、いろいろな模様があって見ていて飽きないね」
「……おいしそう」

「うわあ、大っきい魚ね」
「こんな魚が居るなんて驚いちゃうよね」
「……お腹一杯になりそう」

「うわあ気持ち悪い。何、この魚」
「深海魚だね。光の届かない所で暮らしているからこんな姿になるんだ」
「こっちの深海魚は模型なのね。深海6,000m……凄い所に住んでいるのね」
「深海魚は浅い所に上がると『減圧』によってほとんどが死んでしまいます。だって」
「……これはおいしくなさそう」

レイにとって魚は全て食べ物に見えるらしい。
水族館のチケットを用意したのはレイ。

「碇君は、どの魚が一番美味しそうだった?」
「え、えっとそうだね。フグとかかな……」

イルカのショーまで鑑賞して感想がこれでは水族館の飼育係に同情する。
アスカはレイを見直したのに失望していた。

 

さて、次はアスカが持ってきた映画のチケットだ。
題名は『とある豪華客船の沈没』。
客席が暗くなり、開演のブザーが鳴り響き、いよいよ上映が始まる。
レイはアスカから音が出ない食べ物と言うことでポップコーンを大量に買い与えられて居た。
映画の主人公は若い医師。
患者だった若い女性と結婚し、新婚旅行で豪華客船に乗っているという設定だ。
しかし、嵐による大波で船は転覆し、船内に水が浸水していく。
船客のほとんどが転覆時の衝撃で壁にたたきつけられたり、天井に落下したりして死んでいたりひどい有様だ。
わずかに生き残った人々を仲間にして、主人公の若い医師は船内を進んで行き、ついに離れ離れになった妻との再会を果たす。
そして脱出に向けて動き出し、途中足場が途切れている場所を若い医師と仲間達は飛び越えて進んで行く。

「さあ、君の番だ!」

医師の言葉に妻はうなずいて、彼の待つ向こう側の足場に飛び移ろうと跳躍した。
しかし、その時ボイラー室の中で爆発が起こり、船が大きく傾いた! ジャンプの距離が足りずに穴の底に落下していく妻。
その妻の腕を間一髪でつかむ医師。
だが、彼自身も体勢が不安定でこのままでは穴の中に引きずり落ちそうだ。

「あなた、手を離して! このままだと二人とも死んでしまうわ!」
「嫌だ! 決してこの手を離したりしない!」

妻の方から主人公の若い医師の手を振り払おうとしたが、そのとき医師は仲間たちに引っ張られて妻と共に救出された。
そして、船の上に脱出することに成功した主人公とその仲間たちはその後軍の船に救助された所で映画は終了した。

「ぐす……いい映画だったわね。シンジも船に乗ってアタシが事故にあったら、助けに来てくれる?」
「うん……でも、僕は泳げないから、船に乗るのは嫌だな」
「大丈夫。二号さんも私が助けてあげるから。泳ぎ、得意だもの」

こうして、シンジたちがデートを楽しんでいるころ。
ネルフに深海探査艇から怪しい巨大生物を発見したとの報告が入った。
送られたデータを分析した結果、羽化前の使徒であることが判明し、この事実にネルフとその上部組織であるゼーレは色めき立った。

 

<ネルフ リツコの研究室>

「ふう、気が重いわ」
「落ち込んでいるミサトなんて、気味が悪いわね」
「いつまで、隠し続けていられるか、不安なのよ。特にアスカは頭が良いし……」

ミサトはここ最近リツコの研究室に立ち寄り、弱音を吐くようになった。
彼女が包み隠さず本音を吐けるような相手は夫のリョウジを除くとリツコしか居ない。
もちろん、リョウジと話す事もあるのだが顔を合わせる機会はリツコの方が圧倒的に多い。

「次の作戦、A−17が発令されるそうね」
「ええ、上層部の意見に私は反対したんだけど、通らなかったわ」

 

<ネルフ 司令室>

照明の落とされた司令室では日本の責任者である碇ゲンドウ、ドイツのキール・ローレンツ、
アメリカ、フランス、イギリス、ロシアの責任者が出席したゼーレのモニター会議が行われていた。
議題は日本海溝の奥深くで発見された使徒サンダルフォンの幼生についてである。

「使徒の捕獲とは、リスクが高すぎます」
「生きた使徒のサンプルの重要性は理解しておろう、碇」
「十五年前の悲劇をお忘れですか?」
「これはチャンスなのだ。使徒の検体はあるだけあった方が良い。二体だけではまだまだ足りん」
「いいな、失敗は許さんぞ」

キールがそう言って場を締めると、ゲンドウ以外の五人のメンバーは姿を消し、
司令室にはゲンドウとコウゾウだけが残った。

「……碇、お前が反対に回るとは意外だったぞ。例の計画を進める好機ではないか」
「先生。失敗したら人類は滅亡します。そんなリスクは負うわけにはいきません」

コウゾウは表情が全く変わらないように見えるゲンドウの顔をしげしげと眺めながら話を続けた。

「もしかして、シンジ君たちに情が移り始めたのではあるまいな。あれほどユイ君に狂っていたお前が」
「狂っているのは先生も同じでしょう。計画を立案したのは同じ分野の研究者である先生だ」
「ここまで来てしまったからには、引き返えす事は出来んぞ、分かってるな、碇」
「先生、ここでは私はあなたの上司です。口のきき方には気を付けてください」

コウゾウはこの言葉に浮かび上がった疑念が確信に変わった。ゲンドウは周りに認められ自信を付け始めている。
ゲンドウの気弱な一面、ユイを失った孤独な心を利用して計画の仲間に引き入れたのだが、コウゾウは不安を覚えた。

 

<第三新東京市 加持邸>

「えー!修学旅行に行けない?」
「そう。使徒が現れたから、ごめんね、仕方が無いの」

ここは加持家のリビングルーム。
修学旅行に行けなくなった事をミサトに告知されたチルドレン三人の反応は、それぞれ違った。
アスカは怒り、シンジとレイは諦めた顔でお茶をすすっている。
レイの前には空の皿とまんじゅうが山になっている。
レイはユニゾンダンス特訓の日以来、アスカが抜け駆けしないようにアスカと相部屋にしている。

「せっかく修学旅行のスキューバダイビングを楽しみにしていたのに!」
「そんなに海に潜りたいのなら、潜らせてあげるわ」
「それってどういう意味?」

ミサトはアスカの疑問には答えずに、顔をそらして深いため息をついた。

「ま、使徒戦の事もあるけど、クラスのみんなが修学旅行に行っている間に、三人ともこれをいい機会だと思って勉強するのよ」

そういってミサトは三人の名前が書かれたフロッピーを差し出す。

「私の担当科目の英語だけやっていればいいってわけじゃないのよ?」

アスカの成績は国語が最悪。
シンジは数学と理科、レイは美術以外がひどい有様だった。

「旧態依然とした減点式のテストに何の価値があるのよ!」
「数字を見ると眠くなってしまうんです」
「……私には必要の無い絆だもの」

それぞれに言い分があるようだが、弐号機用のD型装備の準備が整うまでの間、三人は教師のミサトの下で夏期講習をおこなうことになった。

 

<太平洋 日本海溝海上 OTR旗艦>

「艦長、この度は危険な作戦に巻き込んでしまい、本当に申し訳ございません」
「いやいや、立候補にした艦隊の中で、オーバー・ザ・レインボウを選んでくれたことは光栄に思うよ。また力になることができたからな」

太平洋上へのエヴァの輸送任務。
もし作戦が失敗したときはN2爆雷で使徒ごと焼き殺される。
そんな危険な任務に名乗りを上げる艦隊は十を超えた。
戦略自衛隊のトライデントも協力を申し出たのだが、今回は付き合いの古いOTR艦隊にお願いをした。

「今回の作戦は、使徒の捕獲が目的だけど、それが無理だと判断したら、直ちにせん滅作戦に切り替えるわ。いいわね」
「OK。ミサト、こんなの楽勝よ!シンジとレイが着いてくること無かったのに」

特殊装備ができない零号機と初号機は甲板で待機することを命じられていた。
もちろん、前回のように船舶同士は連環の計で結んであるので広い足場が確保できた。

「アタシの弐号機。格好が悪いけど、我慢してね」

D型装備に身を包んだ弐号機がワイヤーでつり下げられて、海溝の中を沈下していく。
シンジは戦略自衛隊の戦闘機が空中を旋回しているのが見えた。

「あの飛行機はなんですか?」
「戦略自衛隊の爆撃部隊が戦闘待機しているの」

リツコがシンジの質問に無機質な声で答えた。

「アタシたちの援護をしてくれるの?」
「いえ、作戦が失敗したときに私たちごと使徒を焼き払う爆弾を積んでいるのよ」

ミサトの言葉にアスカが黙って息を飲み込んだ。
そうこうしている間に弐号機の深度が1,000mを越えたようだ。

「ついに真っ暗になって、何も見えなくなってしまったわ」
「アスカ、CTモニターに切り替えて」
「了解」
「……使徒はやっぱり底の方に居るのかしら。そうすると目標は深度約8,000km。まだまだ長いわね」

深度4,000km。ここで弐号機はプログナイフを喪失してしまった。

「アスカ、ナイフが落ちたわ!」

ミサトが叫ぶと、アスカは余裕で答える。

「大丈夫よ、ミサト。いざとなったらアタシの空手の技を叩きこんでやるから」

アスカの一言で降下は続行された。そして深度7,000km。もう少しで使徒と遭遇と言うところで……。

「第一ワイヤーが断絶されました!」
「リツコ、すぐに弐号機を引き揚げて!」

マコトの報告を聞いたミサトはアスカの安全を考え直ちに作戦を中止しようと進言した。
しかし、リツコはミサトの要請を拒否して首を横に振り、作戦続行を宣言する。

「大丈夫よミサト、ワイヤーは後三本あるわ」
「……居たわ」

アスカの目の前に転がる巨大な卵のような黒い影。
どうやらこれが使徒サンダルフォンの幼生のようだ。
アスカは両手に持った電磁柵発生装置を構えた。

「弐号機、電磁柵を展開、目標の捕獲に成功しました!」

マヤが歓声の入り混じった声で報告をした。

「よく頑張ったわね、アスカ」
「案ずるより産むが易しって言うし。こんなの楽勝よ」

OTR全体に安堵した空気が流れた。
弐号機を吊るしたワイヤーがゆっくりと引き上げられていく。

「でも、こんなスキューバダイビングは楽しくないなあ。もっときれいな魚とか見たい」
「使徒との戦いが終わったら、いくらでも連れてってあげるわよ」

アスカにミサトはそう答えた。
その様子を見たリツコが安心してつぶやく。

「緊張がいっぺんに解けたみたいね」

室内に警報ブザーの音が鳴り響いた。
電磁柵に囲われた使徒がもぞもぞと動き出した。

「どうしたのよ、これ!?」
「使徒が羽化を始めたの!? ……計算より早すぎるわ!」

リツコは信じられない様子で叫び声を上げた。

「アスカ、電磁柵は?」
「今にも破られそう!」
「捕獲作戦を中止、ただちに使徒せん滅作戦に切り替えます、アスカ、やっちゃって!」

弐号機は使徒に手刀を叩き込むが、固い装甲に阻まれてダメージは無い。
そうしている間にも、使徒は触手を伸ばして弐号機に絡みついた。

「うわっ、何よコレ!」
「アスカっ!」

ミサトは使徒を倒す方法を思い付かずに焦った。
すると弐号機のアスカから通信が入った。

「ミサト、この前水族館で深海魚を見てね、『減圧』って言うのを知ったんだけど……」
「ナイス、アスカ! そうよ、『減圧』よ! 思いっきり速いスピードで弐号機のワイヤーを巻き戻して!」

沈下した時の何十倍ものスピードでワイヤーが巻き戻される。
使徒は目に見えてぐんぐんと弱っていき、水面に出るころには命が尽き、ぼろぼろに崩れ去ってしまっていた。
室内のスタッフ達から歓声が上がる。
しかし、次の瞬間それはピッタリと止んでしまう。
巻きあげた勢いで弐号機を吊っていたワイヤーが全て切れてしまったのだ。
弐号機は空中に飛ばされたが、再び着水し、海の底に向かって沈んで行く。

「そんな、これからだって言うのに、もう終わりなの?」

その時、アスカは弐号機が何かに手をつかまれて引き上げられる感覚がした。
アスカはこの前見た映画の内容を思い出し、助けてくれた白馬の王子様に向かってお礼を言う。

「ありがとう、シンジ。無理しちゃって……」
「……碇君じゃなくて、私よ」

弐号機をつかみ上げたのは、初号機では無くて零号機だった。

「ほへっ? あ、ありがとうレイ」
「助けるって約束したもの」

助かったのは嬉しいが、やはりシンジが助けに来てくれなくて残念に思うアスカだった。

「なんでシンジは助けに来なかったのよ!」
「だ、だって僕、泳げないから」
「情けない男、行きましょう。レイ」
「うん。ニンニクラーメン、チャーシュー大盛りが食べたいわ」

二人に置いてきぼりにされたシンジはミサトに頼んでせめて少しは泳げるようになろうと決意するのだった。



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