チルドレンのためのエヴァンゲリオン 〜いつか、心、開いて〜
第二話 暖かい、天井
<第三新東京市 ネルフ本部直上 天井都市>
「エヴァンゲリオン初号機、発進!」
加持ミサト一尉の号令の下、エヴァンゲリオン初号機が使徒サキエルの後方に射出される。
使徒は前面に展開された戦略自衛隊の大型ロボット兵器、『トライデント』に引きつけられている
。
トライデントとは、ネルフのエヴァンゲリオンに対抗するため戦略自衛隊が秘密裏に製造していた兵器である。
「ミサイルランチャー、準備できました!」
「攻撃準備よし、行け!」
トライデントから多くのミサイルが発射されたが、使徒のATフィールドに阻まれてしまった。
しかし使徒の注意を引きつけるだけの衝撃はあったのか、使徒はビーム攻撃を仕掛ける。
「左腕損傷、損傷度は35%です! まだ耐えられます!」
戦略自衛隊のオペレーターと戦闘指揮官がそう報告した。
さすが戦自の誇る兵器。
装甲は厚く耐久力は高い。
「N2兵器以外にもあんな兵器を持っていたとは意外ね。ミサト、知っていてあんなことを言ったの?」
「……まあ、ちょっちとある筋から情報を仕入れていてね。これでシンジくんはずいぶん戦いやすくなったわ」
ミサトは戦略自衛隊の旧友たちに感謝していた。
彼らの協力でN2兵器より大分マシな兵器を引き出せた。
「シンジ君、操作方法は説明した通りよ、まずは走って使徒の背中に接近することを考えて。そうして使徒を後ろから叩きのめすイメージで動かせばいいの」
「はい、わかりました!」
トライデントの活躍もあってか、シンジは少し安心して、操縦に集中できているようだった。
「エヴァンゲリオン初号機、リフト・オフ!」
ミサト一尉の号令により、エヴァンゲリオン初号機の固定が解かれる。
シンジは操縦かんを握り歩くようにイメージすると、エヴァンゲリオン初号機はゆっくりと歩き出した。
その姿がスクリーンに映し出され、ネルフの第一発令所は歓声に包まれた。
そしてエヴァ初号機は走り出したが、破壊されたビルのがれきにつまづいて転んでしまった。
運が悪いことに、転んだエヴァ初号機の蹴飛ばしたがれきのひとかけらが使徒の後頭部にクリーンヒット!
使徒が初号機の存在に気づいてしまった。
使徒はエヴァ初号機の腕をつかみ上げると手首を思いっきり握りしめる。
折れるエヴァ初号機の左手首。
左手はダランと垂れ下っている。
「うわあああ!」
シンジは叫び声をあげた。発令所にその声が響き渡る。
「シンジ君、落ち着いて。折られたのはシンジ君の腕じゃないわ!」
リツコがそう言ってもシンジの泣き叫ぶ声は止まらない。完全に自分を見失っているようだ。
「リツコ、シンジ君を落ち着かせるために一時撤退よ!」
使徒は初号機をつかみ上げたまま、今度は初号機の頭部に向かって左目からビーム光線を連射する。
リツコは初めての実戦にとまどっているのか、ミサトの言葉が届いていない様子だった。
「んもうリツコ、しっかりしてよ! ……戦略自衛隊のみなさん、総攻撃をお願いします。使徒の注意をなんとかエヴァから引き離してください」
エヴァ初号機に当たらないように気を付けながらもミサイル、砲弾、レーザーの嵐が使徒に直撃する。しかし、使徒のエヴァに対する攻撃はやまなかった。
「頭部損傷、ダメージ不明」
「パイロットの反応がありません!」
オペレーターたちの報告にミサトは最悪の事態を想像した。
「シンジ君……!」
ミサトが動かなくなった初号機を見て真っ青になった。
しかし次の瞬間、動かなくなった初号機が突然動き出し使徒を攻撃し始めた!
四足歩行で移動する初号機の姿は、今までのシンジの操縦とはまるで違うものだった。
「まさか、暴走!?」
「何よリツコ、暴走って!」
ミサトはリツコにつかみかかって尋ねると、リツコはポツリとつぶやく。
「覚醒したのよ、エヴァが」
<ネルフ本部病棟>
「ここは……どこだ……」
シンジが目を覚ましたのは病院の一室のベッドの上だった。
「気がついたのね、シンジ君……」
ミサトは包み込むようにシンジの手を取ると、目に浮かべた涙をぬぐうようにそっとほっぺたに寄せた。
「ミサトさん……まさか、ずっと側についていてくれたんですか?」
「あなたを危険な場所に送り出してしまったんだもの……作戦部長の役目じゃない言われたんだけどね」
ミサトはそう言って穏やかな笑顔をシンジに向けた。
「診察の結果、目だった外傷は無いってことだけど……大丈夫?」
「やられた時のことはよく覚えてませんけど、大丈夫です」
「記憶が多少混乱しているのね、あんな怖い思いをしたから……」
ミサトはそう言ってシンジを抱き寄せた。
タンクトップにショートパンツというミサトの姿は刺激が強すぎたのかもしれない。
シンジは使徒戦とは違う意味で混乱を起こしそうになっていた。
しかしシンジはミサトの胸に抱きしめられているうちに、気持ちが落ち着いて行くのだった。
シンジとミサトが病室を出て外に向かう途中、エレベーターから降りて来るゲンドウに遭遇した。
ゲンドウはサングラス越しにシンジを見下ろしたまま何も言わない。
シンジも視線をそらして悲しそうな顔でうつむいたまま黙っていた。そんな様子を見たミサトはゲンドウに進言する。
「あのー、碇司令。息子さんは頑張ったと思うんですが、お誉めの言葉をひとつくらいかけてあげたらいかがですか?」
「……問題無い」
ゲンドウはそう答えて立ち去って行った。
「……まったく司令ったら、「問題無い」と「冬月先生、後はお任せしました」しか言えないのかしら」
ゲンドウを見送った後、ミサトはゲンドウのモノマネをした。
シンジが受けたショックを陽気に振る舞うことでやわらげてあげようとした。
「プッ」
「あら、今シンちゃん、笑わなかった? 可愛い顔して笑うのね」
「……余計なお世話ですよ」
そう答えても赤くなる顔をシンジは隠すことができなかった。
<ネルフ司令室>
「一人で住む……? 本当にそれでいいの、シンジ君」
「いいんです、どこに居ても一人ですから」
退院したシンジはミサトに付き添われて司令室でネルフ職員から住居の説明を受けていた。
ミサトはせっかく近くに居るのだから父親とシンジを住ませてあげたかった。
しかし説得してもシンジの方も父親を嫌っている様子で拒否していた。
彼に家族のぬくもりを教えてあげたい。
一人で寂しさを抱えたまま落ち込んで欲しくない。
そう考えたミサトは行動に出た。
「なんですって?」
「だから、シンジ君は私の息子にしたから」
司令室からでたミサトはすぐに方々に向かって電話をかけていた。
そのうちの一人であるリツコが話の内容を聞いて驚きの声をあげる。
「司令の許可もとったし。大丈夫よ、別に本当に戸籍を入れて養子にするってわけじゃないから、ヨシアキもエツコもいい子だし問題ないわ」
「まったくあなたは後先考えずに決めちゃって。いい? そう言うことはまず手順を踏んで……」
リツコの騒がしい声に耐えきれなくなったのか、ミサトは受話器を耳から遠ざける。
「相変わらずリツコは融通が効かないわね」
<第三新東京市 幹線道路>
シンジはミサトの運転する青いルノーに同乗していた。
「さあ、今日はパーっとやらないとね!」
「何をですか?」
「もちろん、新しい家族の誕生の歓迎会よ」
ミサトとシンジは夕食の食材を買いにスーパーへ到着した。
「ミサトさん、料理できるんですか?」
「はは、できなそうに見える? まあ、以前は料理とか家事とか苦手だったんだけどね〜。……そうとう修行したわよ」
ミサトが14歳の時に初めて加持リョウジに振る舞った料理は一口食べただけでぶっ倒れるほど強烈だった。
……もちろんその事実はリョウジとリツコしか知らない。
「しゅ、修行ですか、大げさですね」
壮絶な修行の結果、人並みまで腕は上がったが、まだ料理に関しては暴走気味なところもある。
生きたタコ一匹を丸ごと買った時はシンジは目を丸くして驚いた。
再びルノーに乗り込んだシンジに、ミサトはこう声をかけた。
「すまないけど、ちょっち寄り道するわよ」
「どこですか?」
「い・い・と・こ・ろ」
ミサトはニヤけた顔をしながら、それ以上シンジの問いには答えなかった。
<第三新東京市 第壱中学校>
「よかったー、まだ結構生徒が残っているわね」
ミサトは駐車場にルノーを止めて、部活でにぎわう校内を眺めながら言った。
「ここは?」
「第壱中学校、明日からあなたが通う学校よ。ちょっと教室まで行ってみようかしら」
ミサトが2−Aの扉を開くと、中に居た数人の生徒が気づいて近づいて来た。
「ミサト先生!」
「どうしたんですか?」
「突然辞めるなんて心配したんですよ!」
教室に来たのはネルフの実験でエヴァンゲリオンが本格的に起動し、ミサトが指揮官の仕事が多忙になるため、教師としての辞表を提出した日以来だった。
第壱中学校の2−Aは特殊な事情を持つ生徒ばかりが集まられており、裏ではネルフが管理していた。
管理者兼見張り役としてミサトが抜擢されていた。
ミサトには裏の事情のすべては知らされては居ない。
ただ保護する必要があるということで、多少の疑問は持ちながらも指揮官と教師の兼務をこなしていた。
「あーみんな落ち着いてね、この子は碇シンジ君、あの怪獣と戦ったロボットのパイロットよ。明日から転校してくるからよろしくね」
ミサトが後ろに隠れているシンジを強引に前へ引っ張り出した。
「お前が俺たちを守ってくれたのか」
「すげー、必殺技とかある!?」
「すっごーい!」
シンジは目を丸くして、そして浴びせられる質問にうろたえるしかなかった。
「はいはい、詳しい質問は明日ね。んじゃ今日はシンジ君の引っ越しがあるからまたねー」
「さようなら、ミサト先生。碇君もバイバイ」
「バ、バイバイ……」
シンジは流されるまま女子生徒達に手を振り返してしまった。
「ここが私達の街よ、そしてあなたが守った街。いま会った子たちも、あなたが守ったのよ」
「僕がみんなを……街を……住んでいる人たちを……守った」
ミサトはシンジ自身に自信を持ってほしかった。
守るべきものを持った人間は強いことは身をもって知っている。
ミサト自身守りたいもの、支えてくれるものがあるからここまでやって来れた。
言葉でシンジを誉めるのは簡単だ。
しかしそれでは伝えきれないかもしれない。
そこでシンジには自分が守った命、人々の生活をじかに見せてあげたかった。
単なる「街」というビル群の建物ではなく。
<第三新東京市郊外 加持邸>
第三新東京市の郊外に木造の大きな庭付き一戸建ての家がある。
壁は木肌がそのままむき出しになっていて、ログハウスに見えるその家は、温かみを感じさせていた。
この家は結婚したミサトとリョウジが森を切り開いて作った家である。
「広いお庭ですね。……あ、魚が泳いでいる池や、スイカ畑まである」
「旦那の趣味でね。人間は地に足を付けて生活するのが当然って言って、この家を建てたのよ。子供の情操教育にも良いしね」
「……えんとつから煙が上がってる」
「うちの子たちが料理の準備をしてくれているようね」
「え、ミサトさんって子供がいるんですか? ……とてもそうは見えませんでした」
「お世辞でも、そう言ってくれると嬉しいわ♪ さ、中に入って」
ミサトはそういって玄関の扉を開けてシンジを招き入れた。
「おじゃまします」
「違うでしょ、ここはあなたの家なんだから。はいやり直し」
シンジは外に出て、ドアを開けて入りなおす。
「……た、ただいま」
「……おかえりなさい」
家の奥の方から人の足音が聞こえる。玄関に近づいてきているようだ。
「お帰りー、お母さん」
「お帰りなさい、母さん」
出て来た自分と同じ年ぐらいの少年と少女にシンジは面喰ってしまった。
ミサトはシンジに向かって微笑みながら二人を紹介する。
「こっちの女の子は、加持エツコ、十三歳。私と旦那……リョウジが十五の時に産んだ子なの」
「よろしくね♪」
黒髪のポニーテール、Tシャツにショートパンツといったラフなスタイルの元気な少女が挨拶する。
「こっちの男の子は、加持ヨシアキ、十四歳。旦那が二年前、ドイツの戦場から拾ってきた孤児」
「よろしくお願いします」
黒髪の長髪、琥珀色の瞳が印象的な、落ち着いた静かな感じの少年が頭を軽く頭を下げる。
シンジは今日最大の衝撃を受けた……ミサトさん、凄い人生を歩んでいるんだな……。
「さ、今度はあんたの番よ!」
エツコが笑顔でシンジの腕を手に取る。
「何が?」
「名前よ、名前。あたしたちだけ知らないって言うのは不公平でしょう?」
「碇シンジ……」
「シンジか……。じゃあこれからあたしたちは家族なんだから、お互い呼び捨てにすること。いいでしょう?」
「でも、僕たち会ったばっかりだよ?」
シンジがそう言ってとまどっていると、エツコは強い力でシンジの手をねじ伏せた。
「い・い・で・しょ・う?」
「痛たたた……何て馬鹿力……」
「この家では女性が強いんだ。逆らわない方がいいよ」
穏やかに微笑んでそう言うヨシアキにシンジはため息交じりに頷いた。
やっとエツコに手を離してもらったシンジは、ミサト共に買ってきた食材を持って奥のリビングに向かう。
そこは8人は軽く入れる、小さなパーティが開けそうなゆったりとした広間だった。
「二階の空き部屋はきちんと片づけておいてあるわよね」
「やーね、お母さん。当然よ」
「君は散らかすのが専門だろ。片づけたのは僕じゃないか」
「なんですってー!」
シンジは仲の良い二人をぼーっと眺めていた。リビングはとりあえずきれいに片付いている。
「あ、野菜やお肉とかを冷蔵庫に入れておいてくれる?」
「はい」
冷蔵庫は3台あった。
シンジが一番手前の冷蔵庫を開けるとそこには食材と調味料が入っていた。
そこにスーパーで買ってきたものを入れた。
シンジは気になったので他の冷蔵庫も少しのぞいてみた。
真ん中の冷蔵庫には大量のコーヒー。
奥の大きな冷蔵庫はからっぽだった。
「もしかして、ミサトさんはお酒を飲まないのかな?」
ミサトが大酒飲みとイメージしていたシンジは意表を突かれた感じだった。
「さーて、今日は私の腕をはりきってふるいますか!」
エプロンを着たミサトが台所に立つ。
エプロン姿のミサトにシンジが赤くなりながら見ていると、向かい側に座った加持家の子供二人は浮かない顔をしている。
「……今日はミサトスペシャルの日なのね」
「そうみたいだね」
「何? ミサトスペシャルって?」
シンジの質問にエツコとヨシアキはさらに声を小さくして答えた。
「お母さんの実験的料理よ。お父さんに食べてもらうために定期的に作るのよ」
「おいしい時とマズイ時があるんだよ……」
シンジから見て、台所に立つミサトは料理が上手く見えた。ただ手に持ってるのが包丁ではなく、アーミーナイフだったのには驚いたが。
「はい、できたわよ〜ミサトスペシャル12!」
見た目は普通のカレーだった。
たこ焼きやタコの足が入っている以外は。
「「「「いただきまーす」」」」
「んぐんぐ、プハーッ! やっぱり人生、この時のために生きているようなものよね〜!」
ミサトはコーヒーを飲みほした後、食事に手を付けないシンジに頭をちょっとかしげながら話しかける。
「食べないの? あの二人が食べてるんだし、失敗作じゃないと思うんだけど?」
「あ、あのこういう食事慣れてないから……」
「ダメよ、好き嫌いしちゃ!」
ミサトはコーヒーをテーブルに叩きつけて、シンジに向かって身を乗り出す。これでも二児の母なのだろうか。行儀が悪い。
「あの……いえ……その……違うんです」
「……楽しいでしょう、こうしてみんなと顔を合わせて食事をするのは」
ミサトの笑顔にシンジは少し照れながら答えた。
「……はい」
この後、シンジが加わり四人家族となった加持家では、忙しいミサトとシンジの事情を配慮して家事当番が決められた。
『シンちゃんのお部屋』(と部屋のドアにミサト直筆の紙が貼られている)
シンジは二階の四部屋のうち、北東の部屋を自分の部屋としてもらった。
残りの二部屋はヨシアキとエツコの部屋で、シンジの向かいの部屋は空室になっている。
「木の天井って、何か暖かい感じがする……住んでいる人たちも暖かいから、かな……」
ベッドに横たわるシンジはSDATから流れる音楽を聴きながらそう呟いた。
「シンジ君……よく聞いて。今日あなたは人にほめられるようなことをしたのよ。何よりも自分で自分をほめてあげて。自信をもってね」
寝る前にミサトは部屋にいるシンジに聞こえるようにそう声をかける。
その言葉を聞いたシンジは心地よく眠れた気がした……。