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NHK ロンドン 2012 オリンピック

ロンドン五輪 現地リポート

卓球 3人でつかんだ初メダル

8月8日 11時50分

吉本有里記者

卓球の女子団体で、日本が銀メダルを獲得しました。
1988年のソウル大会で卓球がオリンピックの競技に採用されてから24年。
日本が初めてつかんだメダルです。
日本卓球界初の快挙は、3人の選手がそれぞれの苦難を乗り越えてつかんだものでした。
オリンピック取材班の吉本有里記者が解説します。

20年で悲願達成 〜福原愛選手〜

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「頑張ってきてよかった・・」。
表彰式のあと涙を流しながらこう話した福原愛選手。
3歳で卓球を始め、“天才卓球少女”として人気を集めた福原選手は、ことしで卓球人生20周年の節目を迎えました。
オリンピック直前の取材では「この20年間に対して恥ずかしくない試合をしたい」と強い決意を話してくれました。
団体の3位決定戦で韓国に敗れ、あと1歩のところでメダルに届かなかった前回の北京大会から4年。
福原選手は「大変なことが多かった。それを乗り越えて精神的に強くなれた」と振り返りました。
北京大会の翌年、横浜で行われた世界選手権。
福原選手は、地元開催での大会で活躍を期待されながら、女子シングルス2回戦で敗退。
この敗戦をきっかけに、オリンピックでメダルを獲得するために何かを変えなければいけないと自分を見つめ直しました。

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福原選手は、長年、指摘されてきたフォアハンドの強化に本格的に取り組み始めます。
威力のあるフォアハンドを打つため、専属のフィジカルトレーナーのもとでトレーニングを積んできました。
特に重点的に強化したのが下半身です。
体全体を支える下半身の筋力を強化し、その力をボールに伝えることで威力を高めようと考えました。
海外遠征が続いたときにはホテルの部屋でひとり、トレーナーから与えられた練習メニューをこなした福原選手。
トレーニングの成果は今回のオリンピックでも、随所に現れました。
メダルを決めたシンガポールとの準決勝。
シングルスの銅メダリストを相手に、勝負どころで威力のあるフォアハンドを決め、勝利に大きく貢献しました。
卓球人生20年、3回目のオリンピックで、悲願のメダルをつかみました。

取り戻した“攻める気持ち”〜石川佳純選手〜

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チーム最年少、19歳で初めてのオリンピックに臨んだ石川選手。
最大の持ち味は、サーブで相手を崩して速攻を決める「攻め」の卓球です。
去年1月の全日本選手権の女子シングルスで初優勝、その直後の世界ランキングで福原選手を抜いて日本女子のトップに立ちました。
順風満帆に見えた石川選手でしたが、初めてのオリンピックを前に試練が訪れます。
世界ランキングが上がったことで海外の選手から厳しくマークされるようになり、思うような結果が残せなくなったのです。
当時の石川選手について母親でコーチの久美さんに聞いたところ、「勝たなきゃいけないという気持ちが強くなり、持ち味の思い切りのいいプレーが影を潜めていた」と話してくれました。
本来の自分を取り戻すにはどうしたらいいのか。
石川選手は試合のあと、ノートをつけるようになりました。
反省点を思いつくままに書きとめることで何が足りないのか、何が必要なのかを見つけ出し、挑戦者として相手に向かっていた昔の自分を必死に思い出そうとしていました。
私が石川選手の変化に気づいたのが、ロンドンオリンピック開幕直前の先月26日に行われた記者会見です。
「受けて立って勝てる相手はいないので、自分が向かっていくつもりで戦いたい」と話した石川選手に昔の躍動感が戻っているのを感じました。
そのことばどおり今大会、石川選手は向かっていく姿勢を全面に出して団体の準決勝でも、相手を全く寄せ付けずストレート勝ち。
精神面の弱さを克服し、見事、メダルを獲得しました。

団体戦にすべてを 〜平野早矢香選手〜

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団体のみの出場だった平野選手。
去年5月時点の世界ランキングで石川選手、福原選手に次ぐ日本人3位だった平野選手は、目標だったシングルスでの出場を逃しました。
「4年間かけた自分の大きな目標がなくなったので、残念だった」と当時の気持ちを話してくれました。
しかし「シングルスにも団体にも届かなかった選手の方が悔しい。私にはもうひとつの目標が残っている」と気持ちを切り替え、団体でのメダル獲得にすべてをかけました。
しかしことし4月、原因不明のせきに悩まされ、体調を崩します。
ごまかしながら試合に出続けましたがオリンピック直前の6月、ついに大会を欠場するほどにまで悪化しました。
2週間ほど休んで練習を再開しましたが実戦を積めないままロンドンに入りました。
平野選手は、「試合勘が薄れていて、正直1試合やらないと分からない状態だった」という団体の1回戦でストレート勝ちし、自らのプレーで不安を払拭(ふっしょく)しました。
「積み重ねてきたものが大きい」とこの4年間の努力を実感した平野選手はメダルを決めた準決勝では石川選手とペアを組み見事、勝利を収めました。

笑顔の表彰台

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「ずっとつけていたい」とメダルを大切そうに触りながら話してくれた福原選手。
「オリンピックの表彰台はこんなに輝いているんだと思った」とうれしそうに話してくれた石川選手。
そして平野選手は、「これでやっと日本の選手が本気でオリンピックのメダルに向かって頑張れると思う」とメダルが持つ意味を話してくれました。
それぞれの苦難を乗り越えて日本卓球界に新たな歴史を刻んだ3人の選手たち。
表彰台での笑顔はメダル以上に輝いていました。