※ 今生には不詳の災難を払ひて長生の術を得、人法共に不老不死の理顕はれん時を各々御らんぜよ、現世安穏の証文疑ひあるべからざる者なり(如説修行抄)。
上掲の御文は、未来世ではなく今世において安穏なる境涯を得られると、いわゆる現世利益を確約する大聖人のお言葉になっています。
では、何をすればそのように安穏な人生が訪れるのかと言えば、「権教を信じる者たちを一人残らず破折して法華経を信持させること」、すなわち広宣流布だと仰せなのであります。
広宣流布が成れば、木の枝が風で音を立てることさえなくなると仰せで、大地震や大不況など夢にさえ出てこないことになります。
裏を返せば、個人がどんなに大功徳を得て安穏な境涯を得たかに見えても、世の中に謗法が蔓延して災厄が絶え間なく起き、人々が悩み苦しんでいる状況では、きっと自分の大切な家族や友人が不幸にあえぐ姿が目に入ってこないことはないでしょう。
それを幸福と言えるかと言えば、そうではない筈です。
だから、広宣流布を急がねばならないのです。
こう考えてくると、広宣流布にいたるためには、全ての人に南無妙法蓮華経を唱えさせる努力が不可欠で、どうせ明日あさってに広宣流布が成就するなど望むべくもないですから、それが一日でも早まるようにと強く願いながら折伏行に励む、ということしかないということになるわけです。
言い換えれば、今はできなくても(信の不足、学の不足、能力の不足)、より高みに向かおうとする志が肝要になると思います。
自行(勤行・唱題行)をベースに、折伏行に励まなければ、幸福にはなれないのです。
折伏の勇気さえ湧かないと悩む方も多いようですが、諦めてしまえばそれは自分で退行することを決めた状態になるので、謗法となります。
諦めることなく、勇気を下さいと祈り続けることが志となります。
その祈りが叶わない仏法ではありません。
それを必ず叶えてくださるのが仏様です。
また、そもそも折伏の相手(話を聞いてくれる人、お寺へ来てくれそうな人)がいない、見つからないという悩みはなお多くあります。
友人、家族には全て声をかけたのでもう相手がいないというケースもあります。
そこでお勧めしたいのが、チラシまきです。
妙相寺では、街頭演説(辻説法)、無差別声がけ、学会員宅抜き打ち訪問(ピンポン折伏)などを励行している方も大勢いますが、誰でもできることではないでしょう。
しかし、チラシは人に会う必要もなく、誰でもできます。
時間も自由ですし、家のあるところなら全国どこでもできます。
チラシまきをせっせとやっていると、どこからともなく順縁の人がやってきます。
もちろん、チラシには連絡先の電話番号やホームページアドレスが必要になります。
少なくとも電話番号は最低限必要です。
また不思議なことに、チラシを撒くと、撒いた場所とは無関係の人が連絡してきたりもします。
これは、ホームページを開設しておくと、そちらにアクセスがあるわけです。
チラシともホームページとも無関係の人と縁できるケースもあります。
このように、志を持って心をこめてする化他行には、不思議なるお導きと功徳があります。
これを続けることにより、仕事、お金、人間関係、精神の問題など、間違いなく良い方向に向かっていくのが実感できます。
2012年8月7日
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日蓮正宗日記
法華講員が実感、実証 ”チラシまき”の大功徳
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