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2012年8月7日03時00分

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〈ニュース圏外〉鉄棒オヤジ日比谷に集結

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思い思いにメニューを消化する日比谷クラブのメンバー=東京都千代田区の日比谷公園

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日比谷クラブのメンバー=東京都千代田区の日比谷公園

 東京・日比谷公園の遊具が並ぶ一角。五輪選手に負けじと汗を流す謎の集団がいる。

 7月の晴れた早朝。体つきのいい男性6、7人が、大人の背丈を優に超える高さの鉄棒やつり輪を使い、思い思いに体を動かしていた。半世紀近く続くという「日比谷クラブ」のメンバーだ。

 上半身裸で、黒いスラックスをひざまでまくし上げた井上義文さん(61)は革靴のまま両足を鉄棒にかけ、振り子のように半回転を繰り返した。鉄棒が苦手な記者には、曲芸にしか見えなかった。

 鉄棒歴20年。見事に割れた腹筋が積み重ねた年月を物語るが、元々、運動は不得意で、最初は懸垂3回がやっと。何日か続けるうち3回と半分までできるようになると、周囲から「おっ、今日はすごい」とほめられ、のめりこんだ。

 昼休みのチャイムを合図にすぐ近くの勤務先から公園に飛び出しては、残り10分で汗をふきふき、昼飯をかきこむのがそのころの習慣だったという。

 「おはようございます」

 少し遅れてやって来たのは、東大法学部卒の会社員田中伸さん(45)。クラブ最年少だ。肩や胸に無駄のない筋肉がつき、フルマラソンを4時間台で完走したこともある田中さんだが、中学時代のスポーツテストでは懸垂ができず、女子に笑われた経験がある。

 就職後、残業続きで運動不足が気になり、朝早く出社して階段の踊り場でラジオ体操をしていたら、守衛さんに怒られた。渋々、近くの日比谷公園に向かったのが、クラブに出会うきっかけになった。

 最初は「変な人たちだな」と思ったが、すぐに輪にとけ込めた。今や「身近に見本がいる道場のよう」と例える田中さん。30分ほど懸垂などをこなし、さっそうと出勤していった。

 クラブは戦後間もなく発足したといい、早朝や昼休みが活動時間。かつては40人以上を数え、外国人や女性もいたこともあるが、今は十数人ほどで、毎朝顔を出すのは5、6人だ。

 官庁や企業に囲まれた場所柄、メンバーは多彩。この日も40〜80代の銀行マンに元証券マン、合気道範士に和菓子職人といった人たちが汗を流した。春までは裁判官もいた。かつては大車輪を披露することもあったが、今では年齢と技術に応じて自らにノルマを課し鉄棒と向き合う日々だ。

 ルールがないのがルールというクラブを緩やかに束ねているのが、最古参の海老原格(とおる)さん(69)。五輪の体操競技はもちろんテレビの前で観戦した。「僕たちとはレベルが百倍以上ちがうけど、毎日こつこつ努力することの大切さを改めて教えてもらった。ここまでできるのかと、人間の可能性の大きさを感じた」

 厚生労働省OBで、現在は薬局経営会社の社長を務める。今の職場になってからは、埼玉県春日部市の自宅から霞が関で途中下車する筋金入りで通算44年目。「今では鉄棒は食事のようなもの。毎日来られることを感謝している」。出勤の時間が迫ると、鉄棒に一礼してから社に向かった。

 クラブの魅力を問うと、こう返ってきた。

 「やればやるほど、できるようになる小さな達成感がモチベーション。でもね、仕事を離れて、色んな話ができる仲間がいるのが一番」。そう言って笑う先に、冗談話に興じるおじさんたちの輪があった。(山本亮介)

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