皆さんは勉強をしようと思うと、まずテキストが欲しいと思うでしょう。 私も、「仏教を勉強するためのいいテキストがほしいのですが・・・」 というような質問をされることがよくあります。 このテキストについて考えてみましょう。 コンピュータや最近の携帯電話などを買うと、 すごくたくさんマニュアルがついてきます。 あれはコンピュータのテキストなのですが、 量も多いし、すごく読みづらいのです。 便利だからといってコンピュータを買ったのに、テキストを読む苦労だけでもう 便利ではなくなってしまうのです。 私もパソコンが好きで色々といじってはいるのですが、 私の場合は間違えてもかまわないからと思って、とにかく実際にいじって、 いじってコンピュータの使い方を覚えたのであって、 マニュアルにはほとんど頼っていません。 たまにどうしてもわからなくなってマニュアルを開けても、あくびは出るわ、 眠くなるわ、書いてあることはさっぱりわからないわで、あきらめてしまうのです。 ですから、やはり実際にいじってなんとかするほうが マシだと思って、また機械をいじることに戻ってしまいます。 勉強する時のテキストも同じです。 テキストを読んで理解しようと思っても、もし簡単に理解できなければ、 イヤになって眠くなってしまいます。 どうしてもわからなければ諦めてしまいます。 勉強というのは知らない世界を知っていくことなのですから、 本来楽しく、ワクワクするはずなのですが、 学生たちが「勉強は嫌いだ」と言うのは、 テキスト中心の勉強ばかりしているからです。 難しくて、眠くて眠くて仕方がなくなってしまうのです。 でも、いくらイヤだと言っても、どうしてもテキストで勉強しなければ ならない分野も多いですね。 コンピュータならいじっていればなんとかなりますが、 数学や哲学や経済学など、 テキストで勉強しなければどうしようもないのです。 ですから、どうすれば難しくてイヤなテキストを勉強することが できるかということについて考えてみましょう。 概念を自分の経験として理解すれば、とてもわかりやすくて、 その上に簡単に覚えてしまうことを先ほどお話しました。 ではテキストを経験的に読めばいいという話になりますが、 そのためにはどうすればいいのでしょうか。 テキストに書いてあるのは、当然言葉です。 ということは、テキストもやはり何かの経験によって 作られた言葉の集合体であることには違いありません。 つまり、誰かが経験によって学んだこと、理解したことを言葉にして テキストにしているのです。 ですから私たちは、そこにある経験は何かということを感じ取ればいいのです。 テキストを読むときも、言葉の裏には経験があるのだと 覚えておいてください。 段落ごとに、いったい何を言おうとしているのかという経験を読み取る。 たとえ一行でもわからなかったら、 テキストの作者はここで何を言おうとしているのかと、 経験を得ようとしなければなりません。 ただ文字を読むだけで満足することは、まったく意味がないことです。 きちんとゆっくり味わって体験しながら読んでみてください。 よく一生懸命に難しい本を読んでいるのに、内容を質問すると まったくわかっていない人がいます。 意味もつかめていなし、何を覚えているのかと聞きただしてみても 何も覚えていません。 せっかく難しい本を苦労して読んでも、これではまったく意味がありません。 こういう人は本の読み方が間違っているのです。 本を読むときも、なるべく自分の経験になるように読むコツがあります。 どうするかというと、 自分で書いた本を読んでいるつもりで読むのです。 「まず主観的に読んでください」とよく言いました。 歴史の本を読むときでも、その時代に入ってしまって、イマジネーションを 働かせながら読むのです。 おもしろい小説を読むときは、皆さんも自然にそうなっているでしょう。 本のなかに入り込んでしまって、 自分が主人公になって、一気に読んでしまいます。 夜を徹して読んでも全然疲れないし、 それどころかかえって楽しいんです。 その上に内容もすごくよく覚えています。 数学の本を読むときでも、哲学の本を読むときでも、 そのような心の働きで読んでみてください。 それが主観的にテキストを読むことです。 「頭が突然するどくなる瞑想法」P30〜P33 A・スマナサーラ長老 |
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内 容 | ニックネーム/日時 |
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(続き15) 友人の彼が推薦を蹴って、しかし、一般入試で合格した大学は、私も合格したのですが、筆記試験の後、一般入試においても、面接試験がありました。 |
ヴィーナス 2011/01/30 06:49 |
(続き16) |
ヴィーナス 2011/01/30 07:03 |
私の小説を読むように、読めば良いというのは、 |
才木広之 2011/01/30 09:34 |
おはようございます。 |
新 2011/01/30 09:37 |
映画があるでしょう |
才木広之 2011/01/30 10:27 |
今日の宣伝の本は、 |
才木広之 2011/01/30 10:34 |
たとえばです、最後の最後に、なって、この本の内容は全部間違いですので、真似しないでください、と書いてあったらどうしますか。 |
才木広之 2011/01/30 10:41 |
とにかく一冊読んでください、そこにはこの本を読むにあたっての注意書き、なども書いて有ったりしますから |
才木広之 2011/01/30 10:44 |
私が幸せでありますように。 |
慈悲と知慧 2011/01/30 11:08 |
一部引用は危険なので、本の名前と該当頁は示しておく必要があると思います。 |
ヴィーナス 2011/01/30 11:09 |
あんさんのさんが抜けてました。 |
慈悲と知慧 2011/01/30 11:19 |
私も主観的な表現で書きすぎましたが |
才木広之 2011/01/30 11:33 |
あんさんのブログや事務局長のツイッターに甘えないで、可能な限り、生で聞いたり、実践した人が勝ちといったら表現がおかしいですけど、そんな感じです。 |
慈悲と知慧 2011/01/30 11:41 |
このブログの引用でスマナサーラ長老の誤解を生むことより、このコメント欄のコメント(ヴィーナスさんのことではありません)見て、協会の人達やスマナサーラ長老の読者にはへんな人達が多いのではと思われないかの方が私のまったくの主観では心配です(笑)。 |
慈悲と知慧 2011/01/30 11:54 |
ここに最強のへんてこなものでも、受け止めてくれている、マーヤ―デーヴィー精舎の方々がおられるのですから |
才木広之 2011/01/30 12:03 |
ブログ再開いたしましたので、どうぞお立ち寄りください |
才木広之 2011/01/30 16:11 |
念のために書いておきますが、私は著作物の全部引用を奨励しているわけではありません。 |
ヴィーナス 2011/01/30 17:28 |
隠し事はあまり好きではないから、あのまま残しておきます |
才木広之 2011/01/30 19:39 |
結局 |
あん 2011/01/30 19:42 |
それは違いますよ、 |
才木広之 2011/01/30 20:50 |
スマナサーラ長老が、説法で、そんなこと言いましたか。 |
才木広之 2011/01/30 20:50 |
もうそろそろ時間ですので |
才木広之 2011/01/30 20:57 |
あんさん |
慈悲と智慧 2011/01/30 21:08 |
才木様 |
あん 2011/01/30 21:50 |
冥想中でしたが、ブログを消すという、ことが頭に浮かび、気になるのでこうして、報告をと思い、お尋ねしましたが、あんさんのコメントが、ありましたので、返事を書きます。 |
才木広之 2011/01/30 22:16 |
才木さんの「成りすまし」が登場してるってことでしょうか? |
358 2011/01/31 11:48 |
358さん |
慈悲と知慧 2011/01/31 12:42 |
慈悲と智慧さん、ありがとうございます。 |
358 2011/01/31 13:34 |
358さん |
慈悲と智慧 2011/01/31 16:00 |
私の中学校3年生の時の担任の先生は、当時、若くてかっこいい先生で、スポーツマンでした。 |
ヴィーナス 2011/01/31 20:45 |
ちなみに、私の通っていた中学校は、単なる公立中学(市立中学)です。 |
ヴィーナス 2011/01/31 22:19 |
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