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禁断の遊郭「飛田新地」が“外”に開かれた日 (2/3)

[産経新聞]
産経新聞
yd_tobita2.jpg 料亭が並ぶ通りを行く神輿。このあたりは飛田新地の中心地で、夜は女のコを品定めする客らが行き交う(一部画像処理しています)

 夜になると活気を帯びる色街を、黄色い声の子供神輿がにぎやかに進んでいく光景は、かなり「シュール」だ。取材に訪れた7月25日は、“外”から写真を撮りにきている人はそれほど見かけなかった。

 この祭りは、町内会の飛田連合振興町会が行っている。出店があるわけでもなく、ちっぽけなものだが、参加した子供たちは楽しそうだ。「こういう地域だけど、子供たちもいてるからなあ……」。町会の人らによると、この地域では祭りらしいものが何もなかったため、子供たちのために数十年前から始めたという。

 飛田新地とはどういうところか。臆面もなく言ってしまうと、金を払って女性と“やる”ところだ。なぜ営業できるのかとか、取り締まりはどうなっているのかとか、細かいところはいろいろあるが、ここでは省く。

 車がやっとすれ違える狭い通りの両側にずらりと並んだ料亭。その開け放たれた玄関の上がりがまちには「曳っ子」と呼ばれるおばさん(「やり手ばばあ」ともいう)が座り、通りを行く客に声をかける。その横で、客の相手をする女のコがニコッとほほ笑む。客は店をのぞき、どのコにしようかと品定めしながら通りを歩く。これが今も昔も変わらぬ飛田新地の風景だ。

 今は約7万平方メートルのエリアに約150軒の料亭があり、約400人の女性が働いているといわれる。特に桜木通り(通称・青春通り)とメーン通りは、アイドルも顔負けの若い美人がいると評判だ。そんなコを、玄関口でじかに顔を見て選べるところに飛田の人気があり、客も20〜30代の若い層が多いようだ。

 飛田新地は、東京の吉原のように江戸から続いた遊郭ではない。誕生したのは大正7(1918)年。花街の難波新地が明治末に大火で焼失したため、その業者の移転先として新たにつくられたとされる。

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