エヴァンゲリオン弐号機パイロット・惣流アスカの更迭
第二話 ユイ、心の向こうに


 「さあ、着いたよ。ここがパパとママが出会った国、日本だよ」
シンジは4歳になる息子のライトの手を引いて旅客機から降りた。
そしてシンジの妻であるアスカも5歳になる娘のユキの手を引いて後から続いた。
数年振りに日本に帰って来たシンジとアスカだが、湿気の多い日本の夏の空気に思わず嫌な顔になった。
初めて日本の夏の空気を体験するユキとライトも同様に不快感を覚えた様子だ。
「あつーい」
「これがパパが居た頃の日本の空気なんだよ」
シンジはサードインパクトで気候が戻る前の常夏の時の事を思い出したのか、懐かしそうな顔でライトに話しかけた。
しかし、シンジ達が降り立った大阪にある関西国際空港の周辺の風景はドイツのミュンヘン国際空港とそんなに変わりは無かった。
効率化を求めた高層ビルディングが立ち並ぶ光景は、第三新東京市を思い出させるが、シンジとアスカが思っている日本の心とは離れた情景に見えた。
観光客向けに”メイド舞妓”が空港で出迎えをして、ユキとライトを驚かせたが、そのメイド舞妓の立ち振る舞いはやはりコンパニオンに近いもので、シンジとアスカはガッカリした。
「お土産は、帰る時に見るから今は我慢してね」
土産物屋に目を輝かせるユキとライトをなだめながら、シンジとアスカはタクシーへと乗り込んだ。
目的はゲンドウとユイの住む、京都の家だった。
シンジとアスカがお盆休みにドイツの店を休んで日本へと帰って来たのは、数年振りにゲンドウとユイに会うためだった。
ユイはエヴァ初号機からサルベージされた後も、永遠の命を得る研究に没頭してシンジを怒らせていた。
しかし現在は、ユイは研究所を閉鎖してゲンドウと共に京都で暮らし始めた。
そしてゲンドウを通してユイはシンジと仲直りをしたいと伝えて来たのだ。
初めはユイの事を拒否し続けたシンジだったが、アスカはシンジを粘り強く説得する。
「アタシもママになったから気持ちが分かるけど、やっぱり子供と母親の仲が悪いって言うのは辛いものがあるわ」
アスカはそう言って息子のライトを悲しそうな顔で見つめた。
シンジもアスカの言葉に心を動かされ、店を臨時休業させてまで日本にやって来たのだった。
家族を乗せたタクシーはお盆休みの渋滞に巻き込まれながらも、京都市内へと入った。
シンジとアスカは時間が掛かってもすし詰め状態の電車やバスなどに幼い子供達を乗せたくはなかった。
京都は盆地であり、セカンドインパクト発生後からサードインパクトによって日本に秋や冬と言った季節が戻るまでとても暑い場所だった。
人々は涼しい地を求めて京都から流出していったので、奇跡的に旧世紀の市街の街並みがそのまま残っていた。
小さい頃に京都の伯父の家に預けられていたシンジにとっては嬉しいものだった。
アスカもユキにこれが日本の伝統的な風景だと堂々と紹介した。
タクシーは混んだ京都市街を走り、大きな日本家屋の家へと到着した。
この家はネルフの司令を退役したゲンドウが買い取って住んだ家である。
シンジ達が訪問するのももちろん初めてだった。
「碇君、久しぶりね」
「綾波!」
家の玄関の前には赤ん坊を抱いたレイと夫らしい人物が立ってシンジ達を出迎えた。
レイの夫は「どうも」と小さくつぶやいてシンジ達に向かって頭を下げた。
「あら、かわいい子じゃないの」
「女の子、今年で1歳になるわ」
アスカに答えたレイの穏やかな微笑みは、すっかり母親の物となっていた。
レイの夫も眼鏡を掛けた真面目で優しそうな男性だったので、シンジはレイが幸せな結婚生活を送っているのだと安心した。
そしてシンジ達はレイ達によって母屋への廊下ではなく庭の方へ案内された。
ゲンドウの家の庭には樹齢900年の楠の大木がそびえ立っていた。
その存在感に圧倒されたシンジ達はしばらく楠の大木を見つめて立ちつくしていた。
「すごい大きい木だね」
「そうだね」
シンジはライトのつぶやきに穏やかな口調でそう答えた。
そしてゲンドウとユイが母屋の方からゆっくりと歩いて来る。
ユイの姿を見たシンジの表情が険しくなった。
しかし、ユイの方は悲しみを瞳一杯に溜めているように見えた。
「シンジ、本当にごめんなさい」
シンジが何かを言う前に、先手を打って謝って来たのはユイだった。
目の前で頭をユイに下げられたシンジは驚いてすっかり毒気を抜かれてしまった。
シンジは下げたまま頭を上げようとしないユイに優しく声を掛ける。
「母さん、顔を上げてよ」
「ああシンジ、本当にごめんなさい。私はすっかり愚かな考えにとりつかれていたのよ」
ユイは悲しそうな顔でそう言って、楠の大木へと視線を向けた。
シンジ達も釣られるように楠の大木を見つめた。
「何かを成し遂げるには人の一生は短い。そこで我々はこの樹のように何百年も生きられないか考えた」
「それが私の提唱した人類補完計画、そしてその答えがエヴァだったのよ」
ゲンドウとユイは過去を悔いるような暗い口調で告白をした。
「そんな考えのためにアタシのママは犠牲にされたのね」
アスカが母親の事を思い出して苦しそうな顔になった。
弐号機に精神だけ取り込まれたアスカの母親は、生きた人間としてサルベージする事は不可能だったのだ。
受け皿となるべきレイのスペアの体は全て破壊された後だった。
「キョウコさんの事は私がいくらあなたに謝っても謝りきれないわ」
「いや、ユイが居なくなった後も計画を続行させた私が悪いんだ」
庭に土下座をして謝り始めたユイとゲンドウを見て、アスカとシンジは顔を見合わせてため息をついた。
ユキとライトは不思議そうにそんなユイとゲンドウを見ている。
「お父さん、お母さん、碇君達は絶対に許さないと言っているわけじゃないわ。それならここに来ないはずでしょう?」
「そ、そうか」
レイに言われて、ゲンドウとユイは恥ずかしそうに立ちあがった。
そんな2人にアスカがため息交じりに声を掛ける。
「きっとあの時はネルフやゼーレ全体が狂気に包まれていたから、仕方無かったのよ」
「でも、私は償いをしなければいけないと思うのよ」
「じゃあ、アタシはユイさんと司令に自分から不幸になろうとする事を禁止するように命令するわ」
「ありがとう、アスカさん……」

アスカがユイに向かってそう言うと、ユイは嬉し涙を流してうなずいた。
自分より早くアスカがユイを許してしまったので、シンジは困った顔でゲンドウと目を合わせてから苦笑した。
「ドイツの店の調子はどうだ?」
「うん、常連のお客さんもたくさんできたし、仕入れルートも安定して軌道に乗ってるよ」
「ええ、特に海鮮料理の材料は日本の北島さんにお世話になっているのよ」
ゲンドウに聞かれたシンジとアスカは笑顔でそう答えた。
まさか北島サブが本名だとはシンジ達は思ってもみなかった。
彼の父親が演歌が好きだったのだが、役所で母親が止めて話し合いの結果その名前になったらしい。
「そうか、その北島さんは日本とドイツを往復しているのか?」
「遠洋漁業をしているみたいだよ」
ゲンドウが尋ねると、シンジはそう答えた。
「今度はお義父様とお義母様とでお店にいらして下さい」
「私も碇君とアスカさんのお店に行ってみたいな」
「もちろん、レイ達も歓迎するわよ」
「今度は私がおごると言う事は無いのだな?」
「大丈夫だよ、あの時は父さんを少し懲らしめようと思っただけだから」
「そ、そうか、わははは!」
ゲンドウ達は大声を上げて笑った。
しかし、ゲンドウはあの時の事を思い出して背中に冷汗をかいていた。
「ほらユキ、ライト、お祖父ちゃんとお祖母ちゃんにこんにちは、って」
シンジが立っていたユキとライトの背中に手を当てて促すと、2人は少し恥ずかしそうに頭を下げた。
「名前は碇君が付けたの?」
「アスカと話しあって決めたんだ。ユキは希望が有るようにって。ライトは未来を照らす光りになるようにってね」
レイの質問にシンジは笑顔でそう答えた。
「その子の名前は何て言うの?」
「ミサキよ」
アスカがレイの抱えている赤ん坊の名前を尋ねると、レイはそう答えた。
「もしかして、ミサトさんと関係があるの?」
「ううん、そう言うわけじゃないけど、美しく咲く花のように可愛い子になって欲しいって付けたの」
シンジの質問にレイは首を横に振った。
「私も、ユキとライトに近づいて構わないだろうか」
「もちろん、構わないよ父さん」
遠慮がちにゲンドウが尋ねると、シンジは笑顔でうなずいた。
しかし、そのゲンドウの動きをユイが手で止める。
「あなた、ちょっと待って下さい」
「どうした、ユイ?」
シンジ達もユイの行動の意味が分からず、不思議そうにユイに視線を集中させた。
「その前に、私とシンジの絆を取り戻させて」
ユイはそう言って、シンジを抱き締めた。
シンジも嬉しそうにユイの抱擁を受け入れる。
「やっと、僕の事を”見て”くれたんだね、母さん……」
シンジのつぶやきを聞いたアスカの目から涙があふれ出した。
自分は望んでも、もう叶わない母親の抱擁。
アスカは悲しみをこらえながらもシンジを祝福する。
「シンジ、おめでとう」
「ありがとう」
シンジはユイから体を離してアスカにお礼を言った。
ユイは目に涙を浮かべているアスカに優しく声を掛ける。
「私ではキョウコさんの代わりにはなれないかもしれないけど」
「ママっ!」
アスカはそう言って開かれたユイの胸元に飛び込んだ。
「アスカちゃん……」
ユイはアスカの耳元で優しくつぶやいて抱き締めた。
「ねえパパ、ママは何で泣いているの?」
「ママはね、とっても嬉しくて泣いているんだよ」
「嬉しくても泣くんだね」
シンジの説明に、ユキは納得したようにうなずいた。
落ち着いたシンジ達はゲンドウ達の近況を尋ねた。
「お義父さんには、僕が経営する医療機器メーカーの会長さんになって頂いているのですよ」
シンジの質問に、レイの夫がそう答えた。
レイの夫は京都に本社を構える医療機器メーカーの社長だった。
ネルフと研究所を去ったゲンドウとユイはのんびりと過ごしながらレイの夫の会社に協力をしているのだった。
「医療行為と言うのは、人間の寿命を延命する手段でしかありません、ですから……」
「分かってます、僕は”永遠の命”なんてものを求める事に怒っていただけです」
ゲンドウを擁護しようとするレイの夫にシンジは優しく答えた。
「ゲンドウさんが必死に説得してくれても覆らなかった私の考えを変えてくれたのは、ミサキちゃんなのよ」
ユイは目を細めてしんみりとそうつぶやいた。
「レイが私の研究室にやって来た時、抱かれているミサキちゃんを見て、私の体に衝撃が走ったわ。だってとっても可愛いんですもの」
「可愛いは正義」
ユイに強くうなずいたレイの言葉に、誰もツッコミを入れずにスルーした。
「そしてミサキちゃんと触れて行くうちにね、人が永遠に生きる事よりも大切な事があるように思えたのよ」
「親から子へ人の想いは受け継がれる。進む道が違ってもな」
ゲンドウは強くそう言い放った。
「一番大切なのは、みんなが健康に過ごせる事じゃないのかなと思ったのよ」
「だから私達は医療に関係する仕事に携わる事にしたのだ」
「本当にその通りだね」
ユイとゲンドウの言葉にシンジはうなずいた。
その後、シンジとアスカはユキとライトをゲンドウとユイに預け、京都市内の神社に家族の健康を祈りに行った。
「僕達、ユキとライトのためにもいつまでも元気で居なくちゃいけないよね」
「それなら、とっても元気の出るおまじないがあるわよ!」
アスカはそう言うと、シンジに飛びついて唇を重ねた。
「なるほど、これはとっても元気がでそうだね」
「でしょ?」
シンジとアスカは顔を合わせて微笑み合った。
「それじゃあ、もう一回!」
「おいっ!」と神社に居た人々の誰もがシンジとアスカのバカップルに心の中でツッコミを入れたのだった。

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