俺のコトなんやけど。
前 ニコタで チラっと言ったんやけど
実は、 俺は、 末期癌 持っとるんよ。
発症したんは 20くらいの時。
それまでは バンドやっとってんけど、 ある日 体調が急変して
ライヴ会場で ぶっ倒れてしもて。
その場で 会場は大騒ぎ。 メンバーも 来てくれたコ達も 俺も。
何が起こったんか わったくわからんかったんやけど。
ただ 確かなのは 全身に鋭く 走る 激痛。
それから、痛みと共に吐き出される 赤いのとが 止まらへんくて。
だんだん 身体が凍ってくみたいに 固くなって、冷たくなってって。
その時既に 俺の意識は朦朧と しとって。
確実に なんか、 直感で
「あ あ、 俺 死 ぬ ん や な 。」
って。 思った。 めちゃめちゃ 怖かった。
俺の名前叫んでくれとるコ の声も
メンバーの俺を呼ぶ声も 全部だんだん 聞こえんくなってって。
泣き叫ぶコの 声も 遠くなってって。
救急車 が 来る頃には 意識不明。
一回 死んだんやと思うけど。
メンバーの お急処置がよくて。 蘇生術? が うまくいったんとで。
なんとか 一命を とりとめたんやけど。
その目ぇ 覚めた時 は。
俺が 倒れて 病院に来てから 半年 くらい経っとったんやったかな。
体がまったく 動かへんかった。
それは 痛みとか やなくて、 半年間も 全く身体を動かさへんかったら
筋肉が 硬直してってしもて。
思うように動かへんし。 声も出ぇへんし。
身体の至るとこに いろんな管が 通っとって。
体に 入れてくモン から 身体から出してくもんまで。
体力だって 落ちきっとるし。 血も全然足りてなくて。
目すら ずっとあけとる事が できひんくらいやった。
視力も結構 落ちとって。
幸い聴力は 無事やって。 看護婦さんが 急いで 医師呼びにいって。
意識確認されて まぁ俺ができる反応っつっても 瞬きくらいやったけど。
んで。 本題に入って言われたこと。
「後 持って半年。」
余命宣告やった。
けどそんときは なんかめちゃくちゃ 落ち着いとって
全然同様してなかった。
目が覚めたんは 6月。 思ったんは クリスマスは 無理かなってくらい。
別に 楽しみにしとったわけでもないんやけど。
まぁ、んで 俺は声なんか 出ぇへんかったから 瞬きでメッセ伝えるくらいしか
できひんかったんやけど。
その文字のボード?? に看護婦さんが 一文字ずつ 指差してって
俺の思い当たる言葉の文字に差し掛かったときに 瞬きで合図。やったんやけど。
そのボードは カタカナやってん。
まずビビったんは ところどころの カタカナが読めへんかったコト。
けど さほど問題はなかった。 幸い俺の返事は 文字数すくないし
理解できとる部分やったから。
『コ ロ シ テ 。』
それだけ。
なんとなく 余命宣告が下るかなとも 思ったし
その時既に ボーカル不在のバンドは解散。
メンバーは 俺以外のボーカルを入れることもなく 終わりにしてくれた。
掛け替えのない 仲間やった。
でも 解散と同時に 生きがいをなくした。
働かんと 入院代なんか 払えへんし。 保険とか意味不やったし。
払うには普通の 仕事で相当頑張るしかなかった。
けど 身体的に 不可能で。
さっき 言ったメッセを 伝えしだい。
俺はまた 寝た。
今度はどれくらいやったっけ。
9月くらいには 呼ばれたら目ぇは開けれるようになったけど。
自分が生きてる事に 絶望した。
当時の俺が 食事なんかできるはずもなく、栄養素は直接管を通して
胃に入れるし。 口は人口呼吸器が はなされへんくて。
だから 寝とるだけじゃ 死なれへんてコトな。
何回も 勝手に点滴だの そーゆー管だのを
体から 引っこ抜いた。そのたびに めちゃめちゃ いろんなトコから
血が いっぱいでたし、 痛かった。
けど、死ねるんなら それでも 我慢できる。
一回めの 余命宣告までは 死ぬことで頭がいっぱいやった。
こんな感じで 一回 一回 話とったらキリないんで
あとは まとめるな。
これまでに 4回の 余命宣告を 受け 3回を回避した。
一回目=半年 二回目=2ヶ月 三回目=半月 4回目=15日 。
そろそろ わかるかな。
8月の 1日に 病院行ったから、 次の余命宣告は 8月の 15日。
あと 10日も ないんやな。
だいたい そんな感じ
あでゅ(。・ω・)ノ゙