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8/3の官邸前デモで見た広瀬隆 - 面会の二つのシナリオ
8/3(金)も官邸前デモに出た。今回は少し出遅れ、17時に国会記者会館前に辿りついた。警備の警官が増えている。18時の本番前、国会記者会館の正門に広瀬隆の姿を見つけた。一人で来ている。そして、私が立ちんぼしているすぐ近くの、ある関電を批判するプラカードを持った参加者のところへ行き、プラカードを指差しながら何か熱心に話しかけていた。おそらく、市民で関電にカネを払って原発を止めようという、7/16の代々木公園で提案したアイディアに関係する話をしていたのだろうが、「再稼働反対」のコールの轟音で掻き消されて聞き取れない。そうしていると、知事選に敗北して東京に戻って来た飯田哲也のスピーチが始まった。飯田哲也の挨拶がスピーカーから流れるのを、広瀬隆がデモの人混みの列に加わって市民の一人として聞く。私は、何とも広瀬隆に申し訳ない気分になった。心中、複雑だっただろう。中には、広瀬隆がすぐ傍にいるのに、知ってか知らずか無視してか、無神経に飯田哲也の話に拍手を送っている者もいた。あるいは、飯田哲也が登壇する情報を聞いていたから、交差点角のスピーカーズコーナーではなく、市民に埋もれる国会記者会館前の場所を選んだのだろうか。知事選ですっかり板についたのか、政治家的な抑揚の挨拶が終わった後、飯田哲也は今井一を伴って市民の列に顔見せし、握手をして回って国会記者会館前の駐車場に入った。
すると、福島瑞穂が、同じように市民の列の前を握手しながら通り過ぎ、国会記者会館前の飯田哲也と今井一と合流し、そこに長谷川幸洋が入って4人で一団となり、何やら四方山話に興じていた。あの場所なら、「再稼働反対」のコールの騒音に邪魔されずに会話ができる。そして、その行動は、歩道上で連なっている市民に存在を見せるパフォーマンスでもあるのだ。国会記者会館の正門には、腕章を付けた会館の関係者が陣取っていて、一般の者が歩道から侵入しないように厳重に見張っている。マスコミと警察と特別な人間だけが立ち入ることのできる禁足の場所だ。広瀬隆は、歩道と駐車場の間の塀を背にして、つまり歩道の最も奧の位置に立っていて、少し注意して目視すれば、駐車場の4人からそこにいるのが広瀬隆だと確認できる。距離にして15mくらいだろうか。広瀬隆にとっては、ずいぶん不具合な時間だっただろう。同情を禁じ得ない。4人の方は、どうやら広瀬隆に気づいていない様子だった。そうこうしていると、ふと、斜め前の眼の前にいるのが鈴木邦夫であることに気がついた。黒い帽子を深く被っていて、周囲の誰も声をかける様子がないので、私はずっと気づかなかった。17時半にはすでにその場所に立っていたはずだ。印象よりも老けていたのは、最近、実物を見る機会がなかったからだ。その鈴木邦夫の横に、日没した19時頃、池田香代子がやってきた。あの一等席の場所に、19時に到着するのは至難の業だと思われるが、どうやって警察の規制をかいくぐったのだろう。
池田香代子は鈴木邦夫に話しかけて言葉を交わし、誰かと一緒に鈴木邦夫を交差点角のスピーカーズコーナーへ連れて行った。主催者(反原連)幹部に鈴木邦夫を紹介するためだろう。鈴木邦夫がマイクを握る場面があるかと思ったが、それはなく、鈴木邦夫はそのまま国会議事堂駅方面へ帰って行った。池田香代子は広瀬隆には気づかなかったのだろうか。池田香代子が市民の列の中でコールしていたのは30分ほどだ。鈴木邦夫が帰った19時半頃、横にいた広瀬隆の姿が消えていた。「再稼働反対」コールに飽きて疲れたのに違いなかった。60代とか70代の人間には、あの単調なコールを立ちんぼで2時間続けるのは、精神的にも身体的にも苦痛で疲労する。その後、広瀬隆の身に何が起きていたのかは、この
動画
の中に少し出て来る。私にとっての今回のデモのハイライトは、広瀬隆の孤独と孤高だった。知識人は群れてはいけない。知識人は孤独でなければならない。言論者たるためには、そうでないといけない。もし、池田香代子があの場所にもう少し早く来ていれば、福島瑞穂と飯田哲也と今井一と長谷川幸洋の4人組をめざとく見つけ、すぐに歩道から国会記者会館前駐車場に入り、4人組と合流して仲良く歓談していただろう。顔を一般に知られている有名人は、どうしても有名人同士でくっついてしまう。一人で市民と同じ場所に立つということができない。孤高に耐えられない。群れない広瀬隆は、私には魅力的に見えた。
8/3の官邸前デモの動員数は、警察情報では4000人となった。7/20の7000人の半分程度に減っている。7/20は土砂降りの中、鳩山由紀夫が登壇したデモで、前週(7/13)と較べてやけに人数が減ったなと直感させられた回だった。7/6の2万1000人からは5分の1の規模に縮小してしまった。無論、警察情報を鵜呑みにはできないが、傾向はそれなりに正しく反映していると考えていいだろう。私が2週間前に予想したとおり、8月に入って官邸前デモの動員数は減った。五輪に関心が移ったことがある。夏休みに入ったことがある。暑さが厳しくなったこともある。しかし、それだけではない。理由については何度も推論を書いてきたので繰り返さないが、参加者の実感として、「再稼働反対」コール一色の形式がマンネリになっている点は否めない。それと、デモ参加者のボリュームゾーン(最も大量に人を供給している層)である高齢者にとって、あの2時間を堪えるのが体力的精神的に容易ではないのだ。さらには、6月の官邸前デモを通じてマスコミにその存在を認めさせ、政治勢力として無視できない地位を公的に獲得した点も大きい。マスコミも、最近はすっかりデモを評価する論調に変わってている。そういう状況や事情が、意を決してデモに出る人の数を減らしている原因になっている点がある。一方で、「官邸前デモは定着した」という見方もあるが、動員数が4000人から2000人に減り、さらに1000人に減ったとき、「定着した」という言い方が果たして通用するだろうか。官邸前デモは危機に直面している。
主催者は、屡々、歩道の通行規制めぐって「警察と揉め事を起こしている一部参加者」を非難し、彼らがデモを暴動に導こうとしている左翼の過激派のように仕立て上げて描く。また、常套句として、デモには小さな子ども連れやお年寄りが多く参加しているため、安全を確保するために警察の指示に従えと言っている。しかし、実態は違う。この描き方は間違っている。私が現場で目撃するのは、警察の過剰規制に抗議しているのは、例外なく年輩の高齢者で、子安宣邦のような
ケース
がほとんどなのである。社会で長く働いて税金を納め、それなりの地位を築いてきた高齢者にとって、自分の子供か孫のような若い警察官が、有無を言わさず取り囲んできて、力任せに強引に通行を妨害してきたら、そこで苦情の言葉が出るのは当然なのだ。警察との間で起こっているトラブルは、ほとんどそういうものだ。ところが、そこへ腕章を付けた誘導係の主催スタッフがやってきて、権利を行使して抗議する市民の側の立場に即かず、警察に加勢して「警察の指示に従え」と言うのである。こういうケースが頻発していて、その結果、デモに参加するのに消極的になった高齢者も少なくないだろう。このデモに参加している高齢者は政治意識や権利意識の高い人々だ。マスコミや主催者が描くような、非政治的な表象の、ファミリーエリアがあるから参加したというような人々ではない。もっと率直に言えば、60年安保や70年安保の頃のデモの経験を持っている人々だ。
さて、反原連と野田佳彦の面会の日程が8/8に決まったが、現在、ネット上で危惧が論じられている面会の政治的罠の問題について、少し所見を述べておきたい。現在、面会について「調整」が行われている。「調整」の中身ややり取りについては公開されていない。主催者は、われわれの要求を突きつけて決裂してくるから、決して取り込まれることはないと断言している。しかし、誰もが分かるとおり、この決裂の形は野田官邸(政府・政権)が求めるものではないのだ。野田官邸がこの政治で出したい結果は、野田佳彦が面会時間の大半を使って滔々と原発再稼働の必要性を彼らに説明し、二、三の疑問や要求に対して長々と説教を聞かせて終わりとする図である。すなわち、官邸会見のような進行だ。そして、MisaoRedwolfと握手してニコニコと笑顔の写真をマスコミに撮らせ、それをテレビと新聞で流す政治である。さらには、面会後のMisao Redwolfの会見で、こう言わせることだ。「今日は野田総理のお言葉を直に聞けて嬉しかったです」「お会いする前の印象と全く逆で、総理は温厚で誠実なお人柄であり、私たちに丁寧に説明をしてくれました」「私たちと総理とは原発に対する考え方は180度逆ですが、今後も話し合いを続けていけば、話の通じる相手だと思いました」「総理から、政府関係者と有識者とデモ代表の三者協議で話し合いをしようというご提案がありましたので、メンバーと相談の上、協議のテーブルにつきたいと思います」。これが、野田官邸のベストのシナリオである。
こうした展開になったとき、人はそれを取り込みと言う。
きっこ
などが恐れているのは、懐柔工作の奏功でこのシナリオに帰結することだろう。主催者が知っておかなくてはいけないのは、政府はこの場を交渉だとは思っていないし、そのような機会にするつもりはないのである。説明を聞かせる場だ。交渉ではないので、決裂などという事態は(少なくとも政府にとっては)あり得ない。面会は面会であって討論や会談ではなく、和歌山の梅娘の表敬訪問の応接と位置づけは同じなのだ。もし、面会に呼んだ反原連のメンバーから不穏な発言が出されれば、例えば強い口調での要求とか反論とかが発せられれば、それはイリーガルな発言として処理され、せっかく作って与えてやった面会の場を壊す暴言として問題視される方向に始末されるのである。そこには、当然ながら、処罰や制裁のプロセスがある。政府側の政治的反撃がある。保守マスコミ(読売・フジ・NHK)が、反原連のメンバーを非常識な無礼者として取り上げ、面会の映像を姑息に編集し、一部を切り取って誇張してネガキャンの材料として流しまくる。政府側は、この面会の政治について、上に示したような、大きく二つの経路と結果しか想定していないのだ。和平でなければ戦争。懐柔に応じなければ処分である。処分(戦争)の動きはすでに始まっていて、
橋下徹
が「社会にはルールがあり、一国の首相と会わせてくれと言って会えるものではないと思う」というコメントを8/3に出した。同じく、
堀江貴文
が8/6にデモを批判する発言をしている。
官邸前デモに対するカウンターの始まりを告げる動きだ。面会を避けた方がいいという慎重な見方が出てくるのも一理ある。
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thessalonike5
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2012-08-06 23:30
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