【東京】2011年3月14日の午前11時すぎ、東京電力本店の非常災害対策室に拡声器の声が鳴り響いた。「本店、本店、大変です」と、吉田昌郎氏が叫んだ。世界最悪級の原子力事故が発生した福島第1原子力発電所の所長(肩書はいずれも当時)だ。「大変です。3号機、爆発が今起こりました」。その後、修羅場が続いた。
こうした会話は、福島第1原発事故発生時に東電の幾つかの司令センター内部で撮られた映像で捕捉された関係者たちの音声だ。東電は6日、録画記録全体のうち150時間分を公表した。映像は、東電の緊急ビデオ会議システムで記録されたもので、それは東電の東京本社のフィードと同社の3つの原発、そして福島にある政府の危機管理センター(オフサイトセンター)からのフィードを連結していた。
ビデオでは、遠くの会議テーブルの回りに座っている関係者たちの小さな顔がみえる。そのうちの多くは話し手のプライバシー保護のためぼかしが入っていた。映像の中で音声のあるものは全体のわずか3分の1で、そのほとんどが2011年3月13日と3月14日の2日間からのものだ。ビデオの大半は在京の一部の記者団だけが閲覧できる。
東電は当初、ビデオ公開を拒否したが、政府が任命した東電の新経営陣が公開を決めた。
東電が公表した限定的な映像だけでも、福島第1原発を襲った3月11日の東日本大震災と大津波直後の数日間、東電幹部、政府当局者、そして規制当局者の間で生じた混乱や組織的乱れを直接目にすることができる。ある場面では、吉田所長と東電本社の幹部が過熱した第2原発2号機をどう冷却するのが最良かをめぐり混乱したやりとりをし、原発は時間がなくなっていると吉田所長が叫んでいるのが分かる。
別の場面では、東電幹部が原発からの従業員退避命令をいつ出すのが適切かを検討している。武藤栄副社長は退避について東電の事故マニュアルがどう書いているのか尋ねた。すると別の関係者は記憶にないと答えている。
東電のスポークスマンは6日の記者会見で、「ビデオ映像の発言は、広い文脈の中で見るべきだ」と語った。東電は追加的なビデオ会議記録を公表するかどうか検討中だという。東電はビデオ記録と広範囲にわたる事情聴取に基づき6月に公表した内部調査で、危機対処にあたり誤りはなかったと述べている。
東電の新旧取締役たちは株主グループから5兆5000億円の株主代表訴訟に直面している。株主グループは、東電幹部が福島第1原発の津波のリスクについて数々の警告を無視し、幾つかの事故に対応する専門知識もなく原発を運転していたと批判している。先週、検察当局は東電に対して刑事訴訟を提起すべきだとの市民団体の要請検討を受け入れた。
福島第1原発事故の責任がだれにあるかをめぐる訴訟は何年もかかる見通しだ。同原発の3つの原子炉は部分的なメルトダウン(炉心溶融)に陥り、放射性物質を拡散し、周辺の地域を何年間も居住不能にした。
今回公開された映像は、東電の幹部が時々あわてて何が進行しているのか懸命に理解しようとする様子が映し出されている。3号機の3月14日の水素爆発を受けた会話では、東電の東京本社の幹部が何が起こったのかに関するニュースリリースの字句をどうするか苦労している様子がうかがえる。ある幹部は「水素爆発なのかわれわれには分からない」と述べ、「(政府の規制当局である原子力安全・保安院が)テレビで水素爆発だと言っているから、われわれも足並みをそろえた方がいい」と付け加えている。
別の幹部は「どう思いますか?」と尋ねた。
すると清水正孝社長は「それでいい。スピードが最も重要だ」と答えた。
ビデオはまた、福島第2原発が制御不能に陥った際、東電の現場作業員たちが著しい緊張状態に置かれた様子も記録している。3月14日午後早い時間帯に、吉田所長は東電本部に「従業員は2つの爆発のあと、ショック状態にある。われわれ全員落胆している。できることをするが、士気は極めて低い」と報告している。
本店のある東電幹部は吉田所長に対し、新潟県の柏崎刈羽原発が直ちに作業員10人を派遣すると申し入れてきたと伝えた。清水社長は「こんなに困難な状況下で人々が働いているのを評価したい」と述べ、「もう少しがんばってくれ」と激励した。
その夜、今度は吉田所長が本部の幹部を安堵させようとした。吉田所長と武藤副社長の間の会話によれば、2人は、原発で測定した毎時3.2ミリシーベルト、つまり日本人が通常、1年間に蓄積する放射能の約3倍の水準の放射能について話し合った。
武藤副社長は、放射能の値が「極端に高い」ことを心配した。
吉田所長はこれに対し、「何でもないことだ」と答え、原発はこれまで同様の水準に達したことが多かったからだ、と語った。
吉田所長は「言いたいことがある」と述べ、「わたしはもはや放射能について何も考えていない」と語った。