盲導犬アトム号捜索日誌No.005 / 熱き思いに感謝!
2012年8月4日、午前6時45前。慌ただしく留守の手配を終えると長崎に向けて出立した。午前9時には長崎市公会堂の地下駐車場に着いた。長崎市の最低気温は27度だった。昼に向けて気温はうなぎ昇り。盲導犬アトム号捜索の五回目は、正に熱き取組みとなった。
1、人々のアトム号への熱き思いに感謝。
>おはようございます。
>半年前にいなくなった盲導犬アトム号が未だ見つかりませんので、
>今日は、福岡県久留米市から探しに来ました。
万屋町を出発点として諏訪町、そして麹屋町へと続く商店街通りに面するお店を軒並みに訪ね歩いた。入店すると、先ず「あとむ新聞」とチラシを手渡した。そして、じっくりとお話をうかがった。だから、全てのお店を回りきった時には午後1時になっていた。気がつけば、4時間近くも商店街の方々とお話しをしていた。
商店街の方々が、どういう思いで盲導犬アトム号を見守ってこられたのか?その後の行方不明という事態にどう関わってこられたのか?4時間という時間は、それを知るのに十分であった。商店街の方々の盲導犬アトム号に対する熱き思いを知るには十分であった。
>商店街の皆さん、ありがとうございました。
お話を聞いて、時には、込み上げるものを押さえきれずに目頭が熱くなった。そして、商店街の方々の優しい心とご配慮に感謝の気持ちでいっぱいになった。
2、「一目だけでも!」との切なる願い。
商店街の方々とのお話は、最後にはアトム号の安否に行き着いた。
>みんな、行方不明になったアトム号を心配していますよ!
>安否不明という今の状況は誰にとっても辛いことですよ!
私らと商店街の方との間で、盲導犬アトム号を連れ去った動機とか目的について意見を交換することはなかった。会話は、もっぱらアトム号の安否に集中した。親が子を思う気持ちは同じ。犬飼いが愛犬を思う気持ちは同じ。「アトム号の元気な姿を一目でも!」がみんなの切なる願いであった。
商店街の方々にとっては、盲導犬ユーザとアトム号の関係、九州盲導犬協会の対応の是非よりもアトム号の安否こそが最大の関心事であった。商店街の方々は、純粋にアトム号の今を気にかけていた。そのことを知った4時間であった。
>アトム号の現状を知らせるのは最低限の責務!
>それが、人が人としてある為の最低限の責務!
>連れ去られたままでは心の整理がつかんよね!
>早く見つかるといいね!
このような声をいただき、私どもは長崎市を後にした。
3、岩田ガラスさんと岩永梅寿軒さんでお買物。
諏訪町を訪ね歩いていたら、長崎くんちを描いた小崎侃(かん)氏のタオルに描かれた版画が目に止まった。それと、創業天保元年という老舗の岩永梅寿軒さんの店頭に並ぶお菓子。なかでも、昆布と求肥とを練り合わせた「もしほ草」が興味を引いた。迷わずに、この二つを買い求めた。我が家のリビングには8頭の犬の遺骨がある。2頭は、愛犬シベリアン・ハスキーとゴールデン・レトリーバーのそれ。6頭は、この17年間に保護・世話した捨て犬達のそれ。岩永梅寿軒さんでは、彼らの盆菓子用に「金魚鉢」という名の美しい砂糖菓子も買った。
>盲導犬アトム号の一日も早い発見と保護を!
そんな願いを込めて「金魚鉢」をリビングの仏壇に供えた。
PS、お願い!
4時間に渡る商店街回りを通じて<盲導犬アトム号の連れ去り情報>に接することができました。つまり、目撃者が存在していたということです。が、肝心の<どこの誰か?>という点が今一つ曖昧でした。仮に、<連れ去り目撃情報>が信頼に足るものであれば、捜索範囲と捜索場所を再考しなければなりません。もちろん、現場100回です。私らは、これからも6回、7回と諏訪町を尋ね歩くつもりです。そのことを踏まえた上で、当ブログの閲覧者の方にお願いします。私らが接した<連れ去り目撃情報>に関しての更なる情報をお寄せいただきたいのです。盲導犬アトム号連れ去り事件を解決するために、伏してお願いしておきます。
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