【茂木健一郎と池田大作の往復書簡】
週刊文春から取材を受けた。
『最近、脳科学者 茂木健一郎が創価学会の池田大作と往復書簡を取り交わして創価学会、池田大作をもちあげていて、話題になっている。茂木健一郎は科学者として少しおかしいのではないか、という特集をやりたいので取材に応じてほしい。』というものだった。
取材は40分ほど行い、記者も私の見解にうなずいたり、同調したりしていた。だから、このまままとめたものが記事になるだろうと思い、『記事は校正させてほしい』と要請、記者は同意した。
しかし、予定を1週間遅れてこの問題は記事になったが、私のインタビューはまったく採用されていなかった。そして記者は私のマネージャーに対して、『インタビューの謝礼は送りますから』と連絡してきた。
この往復書簡で茂木は、『これまでとかくすると日本のメディアは創価学会、池田大作に関して批判的な扱いをしてきたが、自分はそのような傾向に違和感を持っている』と言って、茂木自身は創価学会、池田大作に対して親近感をもっていると述べた。
週刊文春は、このくだりにまずコメントを求めてきた。これまで創価学会が布教活動やしゃくふく活動でメディアから数々の問題を指摘されてきた。市民が警戒し、メディアが批判的な論調になるのは当然であると思う。その論調に『違和感』を感じる茂木健一郎に、多くの人々が違和感を感じるのだ。しかし結局、週刊文春はこの違和感を表明する立場をとらなかった。
はたしてこのような茂木健一郎は科学者なのか、と記者は聞いた。私は、『彼は科学者ではない』と答えた。理学博士の学位をとってもすぐオカルトに走った科学者はいるのだ。
彼は脳に『クオリア』というものがある、という。これが、彼が科学者でない証拠だ、と述べた。クオリアだと?その測定方法も形も運動変化過程もまったく不明のもの。つまり、霊みたいなもの。このようなものは科学の研究対象にはならない。科学は物質・物体の存在、つまり実在と不可分である。実在でないもの、つまり仮想的なものを研究するのは科学者ではない。
茂木はこの意味で科学者ではなく、文芸評論家、宗教評論家、よく言えば心理学者(心理学者が怒るか?)である。
これまで宗教と科学には壁があった。もっとはっきり言えば、創価学会・池田大作と科学の間には壁があった。その壁の融和を茂木は図りたい、と述べた。
もともと宗教と科学の間にあるのは壁などではない。“壁”といえば、二つが対等なのに仕切りで隔てられている、という間違った考えになる。科学と宗教はまったくの対立関係にある。科学の世界観・物質感と宗教の世界観・物質感は正反対の関係にある。つまり、科学と宗教は表と裏の関係だ。ここには壁があるのではなく、空間が違うのだ。
茂木はどこの国の役人になったのか。創価学会との融和を掲げて最後に言う。『創価学会と公明党は国民から広く支持を集めている隣人だ。このような隣人に対してわれわれは“温かい関心”をいだくべきだ』、と。
国民から数%の支持を得ていれば、その集団と融和し、温かい関心を持つべきなのか?創価学会、公明党に問題があるのに、数%もの支持が集まるのは困った傾向だから『冷たい関心』を持って批判してゆこう、という発想はできないのか。
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