筆者がホームレスになるにあたり数百冊の蔵書から持ち出した2冊の本の一つ、「モラトリアム国家日本の危機」の戦争に関する部分を紹介しよう。すべての国民がこの名著を読み、考えていただきたいと切に願う。
<引用開始>
戦後50年たった現代でも英国の代表的な国立の精神分析研究所でドイツ人の留学生は半年もたないという。戦時中のロンドン空襲の恨みつらみを毎日のように聞かされて、いたたまれなくなるのだ。
英国の最も親日家と言われる長老の精神分析家と宮城のお堀端を歩いていた。「あの第一生命の建物がマッカッサーの司令部だった」と言うと、日頃温厚な彼にこう言われた。
「かねてから聞きたいと思っていたことがある。どうして君たちはあんなに米国の人たちと仲良くできるのかね。私なんかいまだにドイツ人の顔を見るのもいやだよ。君たちは不思議な人たちだなあ」
現代史家トーランドの示唆するもの
ここで、私たちは、英国人のこの執念深さに少しあやかってもう一度、現代史について、日本国民らしい自分本位の物の見方を回復する必要があるのではなかろうか。
こう主張する際に言及したいのは、米国の現代史家ジョン・トーランドの仕事である。
私の義兄ジョン・トーランドは、ピュリッツァー賞を受賞した現代史家であるが、もっぱら世間で悪玉視されている人物の伝記を詳細に調査し、できるかぎり客観的、中立的な立場で明らかにすることを、自分の使命と心得ている。
彼には、次のような信念がある。
「人間には100%の悪玉も100%の善玉もいない。にもかかわらず、人々はその人物が何か一つ犯罪を犯したり、悪事を行ったり、過ちを犯したりすると、その人物すべてが悪玉であったかのようなイメージを抱く。しかし、これは科学的な事実の認識に反することである。たとえ90%、その人物に犯罪的な事実があっても、もしかしたら10%はよいことをしているかもしれない。100%悪玉視することによって、その10%の善行を否認してしまえば、それは現実認識の誤りを引き起こすことになる。自分はこのような認識の人類的誤りをただすことをもって使命としたい」
この信念に基づいてジョンは、最初のころは、米国史上もっとも凶悪と言われたギャングであるデリンジャーの伝記を調べ、彼にもいかに人間的なよい面があったかを描き出した。
この手法は、やがて、米国人の立場から、日本のA級戦犯である東条英機や木戸幸一などの人物像、あるいは、彼らの側から語られる歴史的事実を詳細にわたって調べ上げるという、歴史家としての業績になった。
米国からの一方的に歪められた日米戦争史が定着することを恐れ、日本側の正確な事実も調査し、その諸事実を公平に構成することで、日米戦争史を作り上げようとしたのだ。この彼の米国国民の立場を越えた歴史家としての努力が、ピュリッツァー賞に結びついた。
彼は、米国、日本、いずれの側の偏見も排除して、事実を事実として直視することを歴史家としての役割と見做(けんさ)しているのである。
彼はその次の仕事として、ナチス一派の人々の調査を行い、その集大成として「ヒトラー伝」を書いた。彼の「ヒトラー伝」は、ユダヤ人を主流とするニューヨークのジャーナリズムからは、かなり激しい非難と攻撃を受けた。ヒトラーについて講演中に吊るし上げを受けて昏倒した事件さえ起こっている。現代のユダヤ人たちは、相変わらずまだ、ヒトラーは狂気の人であり、いかにひどい異常な人間であったかを強調したい感情が残っているのも無理もない、と思うが。
自国にとって本当の歴史的真実とは
たまたまジョンと、私の友人である米国の代表的精神科医の自宅を訪問した。米国の精神科医にはユダヤ人が多いが、このときも、ユダヤ系の何人かの精神科医たちが私たちと同席した。
突然、ある精神科医が、「あなたはヒトラーのことを個人的にはどう思っていらっしゃるのですか」と質問した。ジョンがほかのヒトラー伝にくらべて、ヒトラーに意外な人間的な面のあることを、その伝記に書いてあるのをみんな知っていたからだ。一瞬、その場には険しい緊張が流れた。
そこでジョンは、彼の持論を次のように語った。
「ヒトラーもまた一人の人間であり、身近な人々にとっては、人望のある、人間味のある人物という面を持っていた。もしそうでなく、ただの狂気の人であれば、あれだけの人望を得て指導者になることはできなかったはずだ。しかし、身近な人々にとって人間味のある人間が、ひとたび誇大妄想的な幻想に取りつかれ、ユダヤ人は人類の敵であるという妄想の虜になると、あのようなホロコースト(大量虐殺)も平気で行ってしまった。そこに人間の恐ろしさがある。
同じように、トルーマンは家庭的には非常にやさしい父親であった。しかし、そのトルーマンがひとたび大統領として使命意識を持つと、容赦なく原爆投下の命令を下した。
狂気の人物が狂気を行うことは当然である。むしろ正常な、しかも身近な人たちの間では人望のあるような人物が、ひとたび特定の理念や特定の国家意識に駆り立てられると、あのような恐ろしいことができるところに、人間の恐ろしさがある。これからの世界平和にとってこの見方がとても大切なのだ」
だから、歴史家の中立性を守って、ヒトラーについても事実は事実として書くというのである。私も、歴史家としてのジョンの主張そのものには全面的に同感である、いま、われわれ日本国民の主体性回復にとって、このジョンのいう意味での、歴史の中での自己の真実を知ることを通しての歴史的な自己認識がとても重要な課題である。
やがてジョンは、ルーズベルト大統領が真珠湾攻撃について事前に情報をキャッチしながら、その情報を現地の司令官に伝えなかった事実を克明に証明した本「インファミー(汚辱)」を刊行した。ルーズベルト大統領は、むしろ真珠湾攻撃をひそかに期待していたというのだ。
見事に米国国民はルーズベルト大統領によって「リメンバー・パールハーバー」の世界へと引き込まれ、米国国民がすべての正義の味方になって日本と戦う機運が作り出されたが、実はルーズベルトの真の狙いは、対独選への参戦にあったのだ。
ちなみに、真珠湾攻撃の報を聞いたヒトラーは、憮然として一言も言葉を発しないで、自室に閉じこもってしまった、とジョン・トーランドは書いている。ヒトラーにすれば、なんとか米国の参戦を食い止めたかったのである。
いまこそ、精神的な主体性の回復を
ここで、ただ単純に日本は侵略戦争を行った、真珠湾攻撃が悪かった、だから太平洋戦争は全部日本が悪い、という論旨から、われわれは一度解放されなければならない。
日米対等の、それぞれが自分の論理を持った国と国として対峙することが可能な時代はいつくるのだろうか。米国側に同一化した自己認識のあり方から、自分本位の自己認識を持つことができるような視点の転換を図ることが、いま、私たち精神的な主体性を回復する課題である。
それは、軍事大国になろうとか、反米的なナショナリズムを鼓吹しようとかいうものでは毛頭ない。むしろ、それは私たちの心を拘束している、精神的な主体性回復のためにあえて犯すべきはもう一つのタブー、「見るなの禁止」からの自己解放をも意味する。
それは、自分たちが戦争中に犯したさまざまなアジア諸国に対する加害である。これらの加害について、われわれは、なるべく見ないで、自分の主観の中で暮らそうとしてきた。この「見るなの禁止」から解放され、中国、朝鮮、そしてアジア諸国に対してどれだけの被害を与えたかについて、もっと正確な自己認識を持つ勇気を持つべきだし、アジア諸国の人々に対しえ充分な責任と償いの姿勢を、もっと積極的に示さねばならない。
また、日米関係についても、けっして日本だけがよかったとか、アメリカが悪かったということではなく、それぞれの国の事情で、この問題は日本側にこういう問題があり、この問題は米国側にこういう問題があったのだという同等で、しかももっと成熟した歴史観を、それぞれの国の都合や、自分本位の立場も許容し肯定した上で認め合い、その上での努力を図っていくことが、これからのよりよい日米関係なのではなかろうか。
そしてまた、現代の若い人々が、自分たちの親の親の世代が犯したこれらの過ちについて、自分たち自身もまたその責任を継承して、その償いに積極的に参加する姿勢をとることこそ、日本という国の本当の精神的な主体性の回復なのだと思う。
<引用終了>
筆者の父親の世代は第二次世界大戦を戦った。加害者にもなり、被害者にもなった。筆者の世代の人間は真の意味での戦争加害者として、あるいは被害者として果たさなくてはならない義務がある。
加害者側として行わなくてはならないことは時間を要する。おそらく、筆者の世代の人間が死に絶える頃までかかるであろう。反対に、被害者側として行わなければならないことは急ぐ必要がある。その理由は上記の引用文に記されている。
被害者側の人間としてアメリカ人は、なぜ罪のない子どもたちまでをも焼き殺したのか。筆者は生ある限り、アメリカ人の若者たちに問い掛けていきたい。
こちらの「絵手紙爆弾」をつかって
http://imagineer.up.seesaa.net/image/etegami.pdf