差別する者の脆弱さ。
【差別する者の脆弱さ】
私は鬱病になり自分自身と向き合わざる得なくなった。そして今もずいぶん回復したとはいえ自己を通してしか世界を見つめることができない。そのため私の主張はマクロ的なものではなくなり極めてミクロ的な個人分析になっている。
差別。なぜ人はこの言葉に惹かれ汲むするのか。社会現象としてではなく人の心理として分析した結果、差別=無能という帰結となった。
もし、有能な人間であれば差別や国籍など必要とはしない。ただ自分の有能さを誇示すればそれで済むのだから。無能で利己的な心理が誰かを悪として自身の正当性を保持しようとする。
ナチズムを信奉するネオナチの愚連隊を見れば彼らは明らかに無能だ。無能であるがゆえにニューカマーを差別し自身の保身を図る。そんな無駄な事にエネルギーを使うなら、なぜ技術や知識を学ぼうとしないのか不思議だけど。
それは日本人でも同じだ。「在日」や「反日」こんな言葉がネットには溢れている。しかもその世代は若い。なぜ自分の能力をそんなに簡単に見限るのか。なぜ飛ぼうとしないのか。差別なんかしたって何の得にもならない。
結果。
差別=無能。との帰結となった。
そしてその心理は「脆弱」。 |