偉業の余韻もそこそこに、GK権田はオールドトラフォードのロッカールームでJリーグの速報を確認していた。そこで目にしたのは、五輪出場資格のある同世代の仲間であり、ライバルだった男たちの名前だった。
山崎(磐田)高木(清水)大前(同)水沼(鳥栖)柿谷(C大阪)金井(横浜M)椋原(FC東京)小川(神戸)−。「この年代の選手たちが点を取っていた。みんなの頑張りが、今ここで発揮されているんじゃないかなと思った」
五輪までの長い過程を振り返ると、「この年代全員で戦ってきたイメージがある」という。激しい生存競争を演じながら切磋琢磨(せっさたくま)してきた自負がある。その存在が体を突き動かす原動力。だから、今は確信を持って言える。
「その競争に勝ち得た人たちがここにいる。自信を持ってやりたい」
2年前、かき集められたJクラブの控え選手と大学生で広州アジア大会で優勝した。そこがチームの出発点。FW永井は「僕は大学を卒業してからプロになった『雑草』。あのアジア大会のメンバーとやれたことは、今も誇りに思っている」。
世界を知らない世代だからこそ、五輪への闘争心をかき立てられ、「ロンドン」を意識して走り続けてきた。結果を残すことは18人に選ばれた者の使命−。エジプト戦後、権田と永井は同じ言葉を発した。「一緒に戦ってきたみんなのためにも」。メダルを掲げるまでは、負けられない。(松岡祐司)
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