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さらば「政界の暴れん坊」 ハマコー死す…83歳急性心不全

浜田幸一元衆院議員死去 浜田幸一氏
1979年11月、自民党本部の両院議員総会の会場入り口に築かれたバリケードを撤去する浜田幸一衆院議員
Photo By 共同 

 「ハマコー」の愛称で知られる元衆院議員の浜田幸一(はまだ・こういち)氏が5日午前6時10分、急性心不全のため千葉県富津市内の自宅で死去した。83歳。同市出身。88年に当時の共産党議長を「殺人者」と呼ぶなど、たびたび物議を醸し“政界の暴れん坊”の異名を取った。政界引退後はバラエティー番組などで活躍。10年には背任罪で起訴されたが、同氏の認知症をめぐり公判が停止していた。

 「悪党」を自称した憎まれっ子が、世にはばからず急逝した。

 関係者によると、前日までは元気だったが、夫人がこの日の朝、起こそうとすると、ベッドの中ですでに亡くなっていた。近くに住む主治医が午前6時10分に死亡を確認。浜田氏はここ数年、車椅子生活だったが、認知症以外の持病はなく、ステーキや焼き肉をペロリと平らげるなど、体調は良かったという。

 政治家時代は「ハマコー節」といわれる歯にきぬ着せぬ発言と奔放な言動がたびたび物議を醸す、国会の名物男だった。

 79年の「四十日抗争」と呼ばれた自民党の党内抗争では、党本部内に反主流派が築いたバリケードを強行突破。この様子がテレビで何度も流され、武闘派と呼ばれた。80年、ロッキード事件の審理過程で、米ラスベガスのバカラ賭博で一晩に150万ドル(当時のレートで4億6000万円)も負けたことが発覚、議員辞職した。

 衆院議員に返り咲いた83年の翌年には、自民党本部の放火事件をめぐり住栄作法相(故人)を平手打ち。88年には衆院予算委員会で当時の宮本顕治共産党議長(故人)のことを「殺人者」と言い放ち、衆院予算委員長を引責辞任した。

 当選7回。農林、防衛各政務次官、党広報委員長などを歴任。閣僚経験はなかったが、その荒っぽい言動や熱血漢な一面にファンは多かった。93年、長男の靖一氏(56)に地盤を譲り、政界を引退した。

 同年に発刊した著書「日本をダメにした九人の政治家」(講談社)は約170万部のベストセラーとなった。引退後はその独特なキャラクターを生かしてコメンテーター、俳優、歌手として活躍。政治をテーマにしたテレビ朝日の番組「ビートたけしのTVタックル」では自ら「悪党党幹事長」を名乗り、ゲスト出演者や共演者に暴言を吐きまくった。

 一方、担保株を売却して知人の会社に2億円の損害を与えたとして10年8月、背任罪で起訴されたが、昨年の公判で無罪を主張。認知症が進み、訴訟能力に疑問があるとして千葉地裁が訴訟継続の可否を検討していた。

 葬儀は地元で営まれ、後日、お別れの会が開かれる。

 ◆浜田 幸一(はまだ・こういち)1928年(昭3)9月5日、千葉県富津市生まれ。富津町議、千葉県議を経て69年、旧衆院千葉3区から自民党公認で出馬し、初当選。当選7回。89年から党広報委員長を務めた。政界引退後はタレント活動に力を入れ「ビートたけしのTVタックル」のほか「たかじんのそこまで言って委員会」(大阪・読売テレビ)などに出演し、歯にきぬ着せぬ発言で人気に。94年に俳優デビューし、テレビ朝日「新・科捜研の女 第5シリーズ」などに出演。96年には自ら作詞した「道」で歌手デビュー。サッポロビールのCMにも出演した。フェイスブック、ツイッターの愛用者でもあった。

[ 2012年8月6日 06:00 ]

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