第十八使徒・涼宮ハルヒの憂鬱、惣流アスカの溜息
二年生
第四十四話 逆襲の上海 〜恋の終局〜
※ネルフ中国支部が暗躍しているので、実在する上海万博とは内容が異なりますのでご注意ください。
<第二新東京市北高校 SSS団部室>
修学旅行を直前に控えた11月、SSS団の部室の空気はどことなくおかしかった。
シンジとアスカの態度がぎこちないのだ。
去年の新学期のアスカとシンジ、いやそれを通り越してお互いに遠慮をしている。
「あんた達最近様子が変だけど、何かあったの?」
ハルヒに声を掛けられたシンジは上の空と言った感じで遠くを見つめたまま返事を返さなかった。
「ちょっと!」
「あ、涼宮さん、何か用?」
大きい声でハルヒが呼びかけるとやっとシンジはハルヒの方を向いた。
「特に用は無いけどさ、あんた何か悩み事でもあるの、いつもボーっとしているわよ?」
「別に、なんでもないよ」
「そ、そうよ、アタシ達はいつも通りよね!」
アスカはシンジをフォローしようとするが、その態度は不自然で落ち着きが無かった。
こんなにも自信無くシンジに接しているアスカの姿はハルヒも初めて目にした。
2人の不穏な空気は辺りに伝染するようで、他の団員達も気まずい様子でアスカとシンジを見つめていた。
「涼宮さん、上海万博でまわる予定のパビリオンの分担を決めてしまいましょう。ネット予約が埋まってしまわないうちに」
イツキが落ち込んだハルヒ達の気分を盛り上げようと、建設的な提案をした。
セカンドインパクト後初の万博と言う事で世界的にも注目を集めていた上海万博は、ネルフ中国支部が全面的に技術提供をしていた。
本部や他の支部にその威信を示そうと、ネット予約によるスケジュール管理の徹底を売りにしていた。
「250ヵ国も参加しているなんて凄いですね、どこが面白そうか迷っちゃいます」
「ミクルちゃんも、あたし達と一緒に来ればいいのに。修学旅行なんだから1人や2人紛れ込んでも分からないわよ」
「いや、先生にはすぐばれるだろ。それに受験生が何日も学校を休むなんて問題だぞ」
「私達は、鶴屋さん達と卒業旅行で行く事にしたから、大丈夫ですよ」
ミクルは少し困惑の入り混じった笑顔で手を振りながらハルヒの提案を辞退した。
「私とヨシアキはね、ミサト姉さんに連れて行ってもらうんだよ!」
エツコが明るい笑顔でそう言うと、ハルヒの表情もパッと一段と明るい笑顔になる。
「じゃああんた達も『上海万博完全制覇計画』の一員になってもらおうかしら」
「えー、嫌だよ、私レポートなんて書きたくないし。宿題が出ているのは2年生だけでしょう?」
エツコは渋い顔でハルヒの提案を拒否した。
修学旅行で上海万博に行く事になり、入場料なども学校側の負担となったため、2年生の生徒達には上海万博のパビリオンの感想文を書く事を課題とされたのだ。
「まあ仕方無いか、あんたはそう言うのが壊滅的に苦手そうだし」
「そうそう、宿題何かあったら万博が楽しめなくなっちゃう」
ハルヒが引き下がると、エツコはホッと胸をなで下ろした。
「人気があるパビリオンはクラスのみんなが行きたがるだろうから、あたし達は知られていない面白いパビリオンを発見する事を目的にするわ!」
「でも、競争率の高いパビリオンはみんなで予約を申し込んだ方が当選の確率が高くないかな」
「うーん、それも一理あるわね」
シンジの言葉にハルヒは考え込んだ。
「あ、シンジ、スイス館なんて面白そうじゃない」
「へえ、アルプス山脈のジオラマの中をゴンドラに乗って進むんだね」
ネット上では各国のパビリオンの説明をしたCMが流されていた。
「ドイツ館は……うわっ」
ドイツ館の日本向け公式サイトを見たアスカは渋い顔になった。
『垂直上昇とマッハ5を超える高速飛行を実現! ドイツ国民の長年の夢であったハウニブがついに実現しました!』
ドイツ館のイベント告知にはそのような説明文が誇らしげに書かれていた。
「これってドイツ支部に居るハルヒのパパ絡みよね……」
「涼宮さんの誕生日に間に合わなかったとかリツコさんは言ってたけど……」
アスカとシンジは冷汗を流しながらささやき合った。
そのドイツの宣伝を見たハルヒもパソコンの前で興奮している。
「凄いわね、UFOを造っちゃうなんて! それで、試運転とかするの?」
「残念ですが、パビリオンでは模型と飛行映像が公開されるだけのようですね。それでも驚くべき事ですよ」
「実際にマッハ5で飛ばしたらあっという間に見えなくなるだろ」
「まあ、そうよね」
ハルヒはイツキとキョンの言葉を聞いて納得したようだったが少し残念そうにため息をついた。
「うわあ、綺麗なバラの庭園ですね」
イギリス・フランス共同出展のパビリオンを見て、ミクルは嬉しそうに声をあげた。
「ロミオとジュリエットの公演もやっているみたいですね」
「そうだ、長門先輩はどのパビリオンに興味がありますか?」
ヨシアキがユキに尋ねるとハルヒ達も気になったのか、注目を集めた。
ユキは自分のパソコンを操作すると、世界最大のプラネタリウムと宣伝されたアメリカのパビリオンが表示された。
「星が好きなのか?」
「そう」
キョンが尋ねると、ユキは短くそう答えた。
「何だ、意外と普通ね。ユキの事だから、笑わせてくれる変な答えを返して来ると思ったわ」
「必ずしもそうではない」
ユキは心外だと言った感じで、厳しく強い口調で、ハルヒに言い返した。
しかし、ハルヒ以外のメンバーもユキのユニークな答えを期待していたようで、がっかりしたため息をついてネットサーフィンに戻った。
「ロシア館は『一面の銀世界を体験! 世界最大の冷蔵庫』だって。雪ダルマとか作ったら楽しそう」
「アメリカ館は世界最大のプラネタリウムやロケットの模型とか、宇宙関係が中心ですね」
エツコとヨシアキも楽しそうに各国のサイトを見ていた。
「日本館は……何よこれ、メイド喫茶!?」
「江戸時代の町には舞妓メイドで、近未来の街にはプラグスーツを着たメイドって……と、父さん……」
「マヤも一枚かんでいるかも……」
アスカとシンジは大量の冷汗を流し始めた。
サイトに『アニメは文化だ! 芸術だ!』と書かれ、表示されたアニメのキャラクターはエヴァに乗っていた時のレイやアスカの着ていたプラグスーツにそっくりな物を身につけていた。
裏でネルフ本部が絡んでいるのは間違いない。
「なんかネルフ各支部の大博覧会って気がして来たわね……」
アスカはそう言ってため息をついた。
上海万博のパビリオンのCMを見ているうちに、シンジとアスカはいつもの雰囲気に戻った様子で、ハルヒ達は一安心した。
<中国 上海万博会場>
そしていよいよ北高2年生全員が楽しみに待っていた修学旅行の日。
文化祭での模擬店での売り上げが、この修学旅行の予算に使われていると言う事で、自分達の手で勝ち取った外国旅行というイメージが強く、生徒達全員のテンションは高かった。
日本の東京とほぼ同じ平均気温なので、肌寒さを感じさせる冷たい風も吹いているのだが、夏の制服で汗をかきながら駆け回る生徒達の姿も見られた。
本来の修学旅行では団体行動が主なのだが、頑張ったご褒美として修学旅行の責任者となったミサトの提案で、上海万博会場内なら自由行動をする事が認められた。
SSS団も、上海万博のパビリオンを見て回るにあたってハルヒの下、事前に計画を立てていた。
「じゃあ、あたしとキョンはAゾーン、アスカとシンジはBゾーン、レイと渚君はCゾーン、ユキと古泉君はDゾーン、エツコちゃんとヨシアキ君はEゾーンを決めた順番に回るのよ」
「分かったわ」
「分かったよ」
ハルヒの号令の下、SSS団のメンバーはそれぞれの目的の場所へと散って行った。
本当は全部のパビリオンを自分の目で見て回りたいと思っていたハルヒだが、それは時間的にとても無理な話だった。
ネットの事前情報ではパビリオンの全ての内容は説明されていなかったし、実際の見た感じとは違うかもしれない。
そこで、手分けをして各パビリオンの体験談をお互いに報告し合う事にしたのだ。
もちろん、予約が殺到している人気のパビリオンは時間通りに入る事は出来ず、すぐに退出を迫られてしまうので避ける事になった。
「さあ、キョン! 最初はリベリア館へ向かうわよ!」
「何か聞いた事も無いような国だな」
ハルヒ達はアフリカ大陸の国々のパビリオンが建ち並ぶAゾーンへと足を踏み入れた。
人気の殺到しているエジプト館にはクラスメイトの阪中さん達が並んでいた。
「涼宮さん達はデート気分なのね」
「違うわよ、キョン1人にしておくと無気力に過ごすに決まっているから、あたしが根性を注入してやってるのよ!」
阪中さんの言葉にハルヒは首を振ってそう答えた。
「だって、キョン君の彼女になったから涼宮さんは髪型をポニーテールにしたってウワサなのね」
「じゃ、じゃああたし達は他のパビリオンを見に行くから」
この不意打ちには答えたのか、ハルヒは顔を真っ赤にしてキョンの手を引いて駆け去って行った。
キョンは阪中さんに苦笑して手を振りながらハルヒに引きずられるように去って行った。
そして、目的のリベリア館にたどり着いたハルヒとキョンは、パビリオン内の展示物を見て回った。
「うん、日本に知られていない国だけど、沖に大きなサンゴ礁があるなんて意外よね。あんたはどう思った?」
「そうだな、やっぱり興味のあるものに目を輝かせているお前の笑顔はかわいくて見とれたっていうか……」
キョンの言葉を聞いたハルヒは顔を思いっきり真っ赤にしてキョンの後頭部を殴った。
「痛てっ!」
「あ、あんたね、あたしの感想じゃ無くて、パビリオンの感想を言いなさい!」
「そ、そうだな……サンゴ礁があるのは意外だったな」
「それって、あたしの感想をなぞっているだけじゃない」
「いや、はしゃいでいるお前の顔しか見てなかった」
「それじゃ、アスカ達に報告できないじゃない」
「お前がそれだけ喜んでいたって事で……」
「ヘリクツ言わないで、今度はパビリオンの展示物を見なさいよ!」
耳まで赤くなったハルヒはキョンの手を引いてトーゴ館へと足を踏み入れた。
「見てシンジ、何かメルヘンチックな観覧車があるわね」
「そうだね、乗ってみようか」
アスカとシンジはヨーロッパの国々が集中しているBゾーンへ行く事になった。
ルクセンブルク館で観覧車を見たアスカはシンジの提案に驚く。
「えっ、でも結構並んでるし……それに、恥ずかしくない? 乗っている人は子供やカップルばかりみたいだし」
「別に、アスカと一緒なら恥ずかしくないよ」
「じゃあ、こうしても?」
シンジと手を繋いでいたアスカは、腕を絡めてシンジと肩をくっつけた。
「アスカ……?」
その時、背後から名前を呼ばれたアスカは驚いて反射的にシンジから体を離す。
「ビックリした……ヒカリじゃないの」
「何や、えらい2人ともラブラブやったやないか」
アスカとシンジが振り返ると、手を繋いで立っているヒカリとトウジの姿があった。
「アンタ達も仲が良いじゃないの」
「私達は、腕を絡めたりはしてないわよ」
「でも、よかったやないか、碇の身長が惣流を追い越して。中学ん時、惣流が碇に抱きつこう思ったら屈まないとあかんもんな!」
トウジが声をあげて笑うと、アスカは気恥かしさで顔が真っ赤になった。
「トウジ達もあの観覧車に乗るつもりなの?」
「いや、自分らは見に来ただけや」
「私達見た目も地味だから、きっとあの観覧車に乗っても赤っ恥をかくだけだよ」
「そんな事無いと思うけど……ね、一緒に乗らない?」
「自分らは惣流が碇の肩に甘えるのは邪魔しとうないし……」
「これで失礼するわね!」
「こ、こらあ〜っ!」
アスカは顔を赤くして、手を取り合って逃げて行くヒカリとトウジの背中に怒鳴った。
「ほら綾波さん、次に出てくるのがアニソン界の巨匠よ!」
興奮したミズキがレイに声を掛けた。
日本館で行われるイベント、『上海万博アニソンカーニバル』にレイとカヲルはANOZのメンバーと一緒にやって来ていた。
「元高校球児だけあって、感情が伝わって来るね。人気があるのも分かるよ」
「そうそう、スカーフ王子って言われていただけあってハンサムだしね」
カヲルのつぶやきに、マイも同意した。
「どうして、プロ野球選手を諦めて声優さんになってしまったの?」
「それがね、足を怪我しちゃって半年ぐらい歩けなくなっちゃったんだって。その時見ていたアニメに感動したとか」
アニメに興味を持って1年ぐらいのレイにミズキが説明した。
ステージから熱い歌声が聞こえてくる。
「♪今日の試合が 4打席4三振だとしても」
「♪明日の、明日の試合は」
「♪逆転満塁ホームラン!」
ANOZがSSS団主催の河川敷ライブで歌った曲の生演奏にレイは胸をときめかせて熱い視線でステージを見つめていた。
「これで、夏の星空の放映プログラムは終わりですね。次は秋の星空ですか」
イツキはユキとアメリカ館にあるプラネタリウムの座席で、季節ごとの星空をドーム状の屋根に投影した映写会を楽しんでいた。
「そろそろ、次のパビリオンに行かないと今日の任務を遂行できなくなる。それにこのアメリカ館は調査対象に含まれていない」
ユキはそう言って、イツキの服の袖を引いて席を立とうとした。
しかし、逆にイツキがユキの手を引いて座らせようとする。
「まだ良いではありませんか。このプラネタリウムに興味があるのでしょう?」
「でも」
「せっかく幸運にも偶然入る事ができたのですから、もう少し見て行きませんか?」
「それはウソ、あなたはパソコンを操作して涼宮ハルヒに気付かれないようにアメリカ館の予約を入れていた」
「ばれましたか」
ユキに指摘されたイツキはごまかすように笑った。
「うわあ、本当に雪の世界だね!」
ロシア館に行ったエツコは初めて触る雪に大はしゃぎだった。
サードインパクトが起こる前は日本は常夏の世界だったし、ミサトとリョウジはネルフの職務でとても忙しく、家族で旅行などとてもできなかった。
しかも、シンジ達の中学卒業と同時にアフリカの小国に行く事になってしまい、雪とは無縁だった。
「まったく、母さんにわがまま言って予約を強引に変更しちゃうんだから。涼宮さんに怒られるよ」
「ばれなきゃ大丈夫だって。それよりも雪ダルマ作ったり、雪合戦したりしようよ!」
ヨシアキがため息をついても、エツコは気にしない様子で笑顔でそう言った。
「今年の冬合宿はアスカの里帰りに付き合ってドイツに行くって言うんだから、その時に雪遊びが思いっきりできるじゃないか」
「いいじゃん、ちょっとだけ遊ぼうよ」
「本当に少しだけよ」
このように、きっちり計画通りパビリオン巡りをしたのはハルヒとキョンだけで、他のSSS団メンバーはデートをしたり遊んだり、適当に上海万博を楽しんでいた。
「まったく、団長命令に逆らうなんてどういうつもり?」
「ごめん、アスカとどうしても観覧車に乗りたかったから」
シンジが謝ったのを皮切りに、SSS団のメンバーは次々とハルヒに謝った。
しかし、この事はハルヒにとっても予想済みだったらしく、ハルヒは本気で怒っている様子ではなかった。
「ふふん、みんなが時間通りにまわれなかった場合を想定して、次のスケジュールを考えておいたのよ」
「さすが、涼宮さんですね」
誇らしげに言うハルヒに感心したようにイツキが相づちを打った。
「他の北高の生徒達からもね、情報を集めて見たのよ。実際に行ってみて、面白くなかったっていうパビリオンは除外してあるわ。だから無理なく回れるはずよ」
「おい、俺とハルヒのまわるパビリオンが逆に増えているのはどういうわけだ?」
「他のみんなが見落としたパビリオンの面白さを再発見するのも、楽しいじゃない!」
「ああ、お前は変なのが好きだったんだっけな」
キョンはそう言って諦めの気持ちが入り混じったため息をついた。
<上海万博会場 デルタ館>
それから数日間、SSS団のメンバーはなるべく多くのパビリオンを見てその面白さを報告するために、最終日以外は2人のグループに別れて行動していた。
「えっと、ハンガリー館は森林風の外見を楽しめばいいみたいだね」
「中に入っても外と同じなんて、ちょっと拍子抜けね」
ハンガリー館を出たアスカとシンジは評価を手帳に書き込んだ。
アスカとシンジは、ヨーロッパの小国のパビリオンを巡ると言うハルヒの命令を着実にこなしていた。
「リヒテンシュタイン、ハンガリーの次は、デルタか。小さい国にしては大きなパビリオンじゃない」
「そうだね、今日見て来た中で一番大きいよ」
デルタ館に足を踏み入れたアスカとシンジには、その豪華すぎるパビリオンの原因が分かった。
中国の国旗が掲げられ、デルタ共和国に多額の資金援助を中国が行っている事を宣伝していた。
歴史を語るデルタ騎士団の甲冑のレプリカは、純金で作られていると書かれていた。
「これって、実は金メッキだったりしないわよね」
「僕達には分からないよ」
アスカとシンジは苦笑しながら展示物を眺めてまわった。
それなりにお金を掛けている事は解るものの、展示物のテーマがはっきりしなかったのでアスカは不満をシンジにもらした。
リピーターも居ないのか観光客もアスカとシンジの他に数人と言う寂れ具合だった。
見所も特にないと感じたアスカとシンジは、最後にトイレに寄ってからこのパビリオンを出る事にした。
アスカが女子トイレに入ると、上海万博のスタッフの制服を着た少女が個室から出て来た。
その見覚えのある顔にアスカは思わず叫び声をあげる。
「アンタは……朝倉リョウコ!」
「あら、何故あなたがここに?」
アスカにとっては1年半ぶりとなるリョウコとの再遭遇である。
1年の新学期、アスカはシンジとキョンとSSS団の部室に居た所、本性を現したリョウコに襲われたのだった。
キョンを殺した罪を着せるため、一緒に居たアスカとシンジはリョウコに小型銃で撃たれそうになった。
レイとユキのおかげで命拾いをしたものの、あの時の恐怖を思い出したのかアスカの膝が震えた。
「ミ、ミサトに知らせないと!」
アスカは後ずさりしてミサトに連絡を取ろうとした。
しかし、リョウコは素早くアスカの携帯電話を叩き落として大声を出させないように手で口を押さえた。
「ふぐぐ……」
「あなたには私と一緒に来てもらうわよ」
リョウコは後ろからアスカを抱きかかえたまま女子トイレを出ると、スタッフ専用の部屋へ向かって歩き出した。
この廊下は建物の奥まった所にあり、トイレの利用者と通りかかるスタッフ以外は目撃できない。
その時、男子トイレから出て来たシンジがリョウコに部屋に連れ込まれようとしているアスカを発見して驚きの声をあげる。
「アスカ!?」
「あなたともお久しぶり」
リョウコはおっとりとした笑顔でシンジに話しかけた。
「君は……!」
シンジもリョウコの事を思い出したのか、厳しい表情になり冷汗を浮かべた。
「この子が痛い目にあって欲しくなかったら、大人しくこちらへ来なさい」
「くっ……」
アスカを人質に取られてはシンジにもなすすべが無い。
シンジはリョウコの後をついて行ってスタッフルームの中に入って行った。
スタッフルームでは、2人の少年達が待機していた。
片方の少年は日本人の少年、もう片方の少年は日本と外国人の血を引くハーフの少年だとアスカには分かった。
「どうしたんだ、その2人は?」
「ふふっ、私の作戦を実行するための人質よ」
ハーフの少年に対してリョウコは誇らしげに答えた。
「任務の失敗が重なって、こんな寂しいパビリオンの雑用係に落とされて悔しい思いをしていたけど、逆転のチャンスが舞い込んで来たのよ」
「どういう事だよ?」
「私はこの2人を餌にして、ネルフ本部の葛城さんをおびき寄せるのよ」
日本人の少年の言葉に、リョウコは不敵な笑みを浮かべた。
「アンタの目的はハルヒの反応を試す事じゃなかったの? 何でいつの間にかミサトの命が標的になっているのよ!」
「私はあれから2度も葛城さんにコケにされたのよ。そして、中国支部も私を役立たずだと言い始めた。汚名返上のためにはこの上海で勝負を決めるしかないのよ」
リョウコはそう言ってシンジの携帯電話を手に取ると、ミサトの番号を見つけて狂気の混じった笑みを浮かべる。
「さあ、葛城さんに1人で来るように伝えるのよ。そうね、惣流さんの事で誰にも聞かれたくない相談があるって伝えればきっとやってくるわよ」
「そ、そんなことできるもんか!」
アスカがそう言って激しく首を横に振ると、リョウコはイラだった顔でアスカの髪を引っ張る。
「拒否するなら、手始めに惣流さんの綺麗な髪の毛を根こそぎ刈って丸坊主にでもしてあげようかしら」
アスカは短い悲鳴をあげて、青い目に涙を浮かべた。
「や、やめろ!」
シンジが慌ててリョウコを制止した。
「それじゃ、早く葛城さんに電話しなさい。私は葛城さんにリベンジしたくてウズウズしているの」
シンジが携帯電話を手にとってミサトに電話をかけようとする。
その姿を見てリョウコは満足した表情になった。
しかし、そのリョウコに部屋に居た少年2人が襲いかかった!
「きゃあ、何するのよ! あなた達が拘束しなくてはいけないのはあの2人の方でしょう!」
「うるさい、大人しくしろ!」
「俺達を巻き込むな!」
日本人の少年とハーフの少年は突然の事に驚くアスカとシンジの前でリョウコを縛りあげた。
「どうして? 私が葛城さんを倒すという手柄を上げるのに協力すれば、あなた達も有利になるじゃない」
「お前が勝てるかどうかわからないじゃないか」
「それに、君が独断で勝手なことを始めたら取り押さえるように命令を受けているんだ」
「何ですって!?」
2人の言葉にリョウコは驚きの声をあげた。
「俺達は君を取り押さえると言う命令をこなす事で、中国支部に頼みを聞き入れてもらう」
「そうだ、日本に行ってしまったマナを呼び戻すんだ!」
「……ねえ、もしかして霧島さんの事?」
今まで黙っていたアスカが2人に尋ねると、2人は驚いた顔をしてアスカを見る。
「どうして、君がマナの事を知っているんだ?」
「霧島さんがエヴァの秘密を探るために3年ぐらい前に第三新東京市の第壱中学校に転校して来た時、会っているのよね」
「そうなのか」
アスカの答えを聞いたハーフの少年は納得したようにうなずいた。
ハーフの少年はムサシ、日本人の少年はケイタと名乗ってから2人は事情をアスカ達に話し始める。
「俺達とマナの3人は加持さんによって香港に逃がされて暮らしていたんだ」
「それが、どうして中国支部の手先になったのよ?」
アスカが尋ねると、ケイタがいら立たしげに吐き捨てる。
「ムサシがマナと差し置いて他の子と親しくしたのがそもそもの原因さ」
「ケイタ、俺が悪かった。あの子とはもう別れたんだ、信じてくれ」
「うるさい、お前が浮気なんかするから、マナは日本に戻りたいって無茶をしたんだぞ!」
「ああ、俺は失ってからマナの大切さに気付いた大バカ者だよ!」
ムサシは悔しそうに唇の端をかみしめながらケイタに答えた。
そんなムサシの姿を見て、アスカは辛そうに事実を2人に告げる。
「日本に来た霧島さんは、ロボットに乗っている最中に体調を崩して病院に運ばれたわ」
「くそっ、マナはもうロボットに乗ったら命が無いって言われたんだぞ! それを碇シンジとか言うやつにもう一度会いたいからって無理しやがって、ちくしょう!」
アスカの言葉を聞いてケイタは声を荒げた。
「ごめん、僕のせいで……」
シンジが謝るとムサシとケイタは驚いてシンジの方を見る。
「思い出した、あの時のエヴァのパイロットが君か」
「お前がシンジなのか?」
「うん、僕が碇シンジだ」
シンジが答えると、ケイタは顔を真っ赤にして怒りシンジの胸倉をつかみ上げる。
「何でお前がここに居るんだ、マナはどうしたんだよ?」
「霧島さんは今、戦略自衛隊病院に入院して病気の治療をしているわ」
「何だって、戦自の病院!?」
「じゃあ、マナはごうもんを受けてるのかよ!」
「そんなに興奮しないで、霧島さんは病室で事情を聞かれているけど、そんなひどい目にあって無いわ」
ケイタの気持ちを収めようとアスカは説得するが、ケイタはつかみ上げたシンジを離そうとしない。
「うそだっ、中国支部の情報を聞き出すだけ聞きだしたら、ゴミのように俺達を捨てるんだろう?」
「あなた達の事もきっと加持さんがまた何とかしてくれるから、アタシにネルフと連絡を取らせて、ね?」
アスカは優しく語りかけるように2人に提案をしたが、ムサシは首を横に振る。
「残念だけど、君の言葉をそのまま信じるわけにもいかない」
「そうだ、日本のネルフが助けてくれているならどうしてネルフの病院に入院しないんだ。結局戦自に監禁されているんだ!」
「それは……」
反論できないアスカは悲しげな顔で視線を下に向けた。
「もちろん俺達だって中国支部を完全に信じているわけじゃないさ。でも、マナにまた会える可能性があるなら、今度こそマナに心の底から謝りたいんだ」
ムサシの顔からは悲痛な祈りと決意が感じられ、アスカは説得をあきらめかけようとした。
「お願いだから、僕達を信じて欲しい。僕もマナ……いや、霧島さんにもう一度会って話さなければいけない事があるんだ」
しかし、ケイタにつかまれたままのシンジはもう一度2人に語りかけた。
「そうか、マナは君に会いに日本に行ったんだよな。俺が入りこむ余地は残ってないか」
ムサシが悲しげにそう言うと、シンジは首を横に振って否定する。
「いや、違うんだ。僕はもうマナの恋人には戻らない」
シンジの言葉を聞いたケイタがシンジの服を握る手に力を込める。
「何だと、マナはお前に会うために無理をしたんだぞ、その気持ちに応えられないと言うのか!」
「ごめん、僕は日本に帰ったら、霧島さんにはっきりとアスカが好きだって伝えるつもりだよ」
シンジがキッパリと答えると、ケイタは悔しそうにシンジを床に向かってほおり投げた。
「ちくしょう、マナのやつは本当に男運の無いやつだな。外見ばかりで人を好きになるろくでもない男ばかり本気で好きになって……」
ケイタはアスカとシンジをにらみつけてそう吐き捨てた。
「僕は霧島さんが死んでしまったと聞かされて、想いを全て捨ててしまったんだ。そして、アスカと一緒に思い出を積み重ねて行くうちに、僕の気持ちはアスカ一色に染まってしまったんだよ」
「シンジ……」
見つめ合うシンジとアスカの姿を見て毒気を抜かれてしまったのか、ムサシが観念したようにため息を吐き出す。
「わかった、君達に任せるよ」
ムサシの言葉を聞いたシンジはミサトに電話を掛ける。
しばらくして、ミサトがデルタ館のスタッフルームに到着した。
そして、縛られているリョウコに声を掛ける。
「どうやら、今回は私の不戦勝みたいね」
「味方に裏切られるなんて……!」
リョウコは悔しそうに歯ぎしりをした。
「でも、作戦が実行前に失敗してあなたは命拾いしたのよ?」
「どういう事よ」
「あなたが私に万博会場で襲いかかった事が知れたら、中国の面目は丸つぶれになるからよ」
「中国支部は私より、体裁を重んじると言うの……」
「だから、この2人は監視を頼まれたんでしょうね」
完全に中国支部に見捨てられた事に、リョウコはショックを受けていた。
「あんた、マナを自由にしてくれるのか?」
「大丈夫、全て私達に任せなさい」
ケイタを安心させるようにミサトは柔らかな笑みを浮かべる。
「香港に逃げていたあなた達を拾ったのは、多分戦自で中止になったロボット計画を引き継ぎたいと思ったからだわ。エヴァが亡くなった後、ロボットは強力な兵器になるはずだもの」
「じゃあ、やっぱり俺達はまた実験台にされるところだったのか」
「ネルフも戦自と変わらない! マナが作戦の遂行に失敗したからって俺達を寂れたパビリオンの雑用係に回したんだ」
ムサシとケイタは悔しさをにじませていた。
「だから、その点で中国支部と戦略自衛隊の両方を責めるのよ」
ミサトは楽しそうな顔でウィンクした。
そして、リョウコを見るとさらに愉快そうに笑い出す。
「それにしても、中国支部が施設の宣伝に予算を掛けていて、警備が手薄で助かったわ」
「そう言う事なら、1人でさっさと仕掛けてればよかったわ」
「まあ、最高のタイミングで解決できて良かったわ」
ミサトはリョウコにそう笑い掛けた。
<第二新東京市 中央病院>
その後ミサトは、上海万博中に自分に対する襲撃未遂事件をネタに様々な要求をネルフ中国支部と日本の戦略自衛隊に突き付けた。
この件が明るみにならずとも、ウワサが立つだけで上海万博の経済効果に影を落とす事は間違いが無く、中国も戦略自衛隊も身の破滅である。
脅迫に近い形でミサトはこの事を公にしない条件で、ネルフ本部がマナ、ムサシ、ケイタ、リョウコの4人を引き取る事を認めさせた。
「ミサト、中国支部は口封じのために霧島さん達を狙ったりしないかしら?」
「まあこれから中国支部は大人しくしているわよ。上海万博関係でずいぶんもうけているみたいだしね」
ミサトはアスカの質問に対してそう答えた。
マナは戦略自衛隊の病院から、民間の病院へと移された。
もうネルフでつきっきりで警護する必要も無いというミサトの判断だった。
そして、マナに自分の口で別れ話をする決意を固めたシンジはマナの入院する個室へとアスカとミサトに付き添われて向かっていた。
「シンジ君、覚悟はできているわね」
「はい」
マナの入院する個室の前に立ったシンジはミサトに聞かれて決意を込めた瞳でそう答えた。
シンジは病気で入院する事になってしまったマナにはっきりと別れを告げる決心が今までつかないでいたのだった。
「シンジ君、お見舞いに来てくれたんだ」
淡い光が差す病室で、マナはシンジの顔を見て穏やかな笑顔を浮かべた。
しかし、その瞳はとても悲しげだった。
マナもシンジがこの病室にやって来た事の意味が分かっていたようだった。
マナがこの民間の病院に移されてから1週間経過していたのだ。
そして、マナはシンジを以前と同じ呼び方で呼ばなかった。
「霧島さん、今日は大事な話があるんだ」
「うん、分かっている。だって、ムサシやケイタが来てくれるのにシンジ君が来てくれなかったのは、決心するのに時間が掛かったんだよね」
弱々しく微笑むマナに、シンジとアスカの胸は痛んだ。
「僕はアスカが好きだ。だから霧島さんとは付き合えない」
シンジは何度も練習して来たのだろう、少し芝居掛かった言い方になった。
「じゃあ、私の目の前でアスカとキスをして見せて。そうしたら私もシンジ君との事、キッパリと終わりにするから!」
「ええっ?」
突然マナに言われて、側で見守っていたアスカは驚きの声をあげた。
「そうしないと、私はシンジ君を諦めきれないから」
真剣な瞳をして見つめて来るマナに、シンジは心の中で『逃げちゃダメだ』を連呼しながらアスカを抱き寄せてキスを交わした。
その2人の姿を見て、マナは涙を流す。
「私の恋が、終わっちゃったよ、終わっちゃったよ……」
マナは明るい調子でそう言ったが、その響きには悲しみが含まれていた。
アスカから体を離したシンジは、それ以上たいした事も言えず、言葉少なにシンジ達はマナの病室を退出した。
「ねえ、今度はハルヒと一緒に霧島さんのお見舞いに来れないかしら?」
「うーん、機密を知られてしまう可能性のある行為はさけたいところなんだけど……それにハルヒちゃんの力を個人的な事に利用するのは……」
「僕からもお願いします」
シンジもアスカと一緒にミサトに頼みこんだ。
「そうね、せめて霧島さんの体は元気になってもらいたいものね。なんとか機会を作りましょう」
ミサトの言葉を聞いたシンジとアスカにホッとしたような笑みがこぼれた。
きっとハルヒが願えば、完治が難しいと言われているマナの内臓の病気もきっと良くなる。
自分達の欲のためにハルヒの力を使うべきではないと頭では分かっているのに。
「やっぱり、人間は感情で動いてしまう生き物なのね」
「ミサト、珍しく哲学的な事を言うじゃない」
「リツコの受け売りよ」