第十八使徒・涼宮ハルヒの憂鬱、惣流アスカの溜息
二年生
第四十話 死海文書のワナ 〜Scrolls Of The Dead Sea〜


<第二新東京市北高 SSS団部室>

「みんな、夏合宿の予定が決まったわ!」

ハルヒは笑顔でそう宣言すると、旅行会社のパンフレットをテーブルに広げた。
そのパンフレットには『エジプト・ヨルダン8日間ミステリーツアー』と書かれている。

「この暑いのにどうして砂漠の国に行かなきゃならんのだ」

キョンはウンザリしたのか疲れた顔でハルヒにツッコミを入れた。

「去年は山に行ったんだから、今年こそは海に行きたいわね」
「その点は大丈夫よ、ミクルちゃんの誕生日プレゼントで海水浴も予定に入っているから!」

アスカが不満そうな顔で言うと、ハルヒは堂々とした態度で否定した。

「エジプトなら多分地中海や紅海の海水浴場ですね」

イツキの言葉を聞いてアスカは嬉しそうに目を細める。

「地中海の海水は透明で暖かくて泳いでいて気持ちが良いのよね、紅海でスキューバダイビングもいいわね」
「僕は泳げないからどっちも無理だよ」

シンジが寂しそうにつぶやくと、ハルヒは笑顔でシンジの肩に手を掛ける。

「大丈夫、どんなにカナヅチでも絶対におぼれない海で泳ぎの練習をすればいいのよ」

ハルヒはそう言って、パンフレットの地図に書いてあるヨルダンの国を指差した。

「もしかして、死海ですか?」
「さすが古泉君、大正解よ!」
「ええーっ、あんな塩辛い湖で泳ぐの!?」

アスカはまたもや不機嫌そうな顔で抗議をした。

「顧問のミサトも死海の泥で美容法を試してみたいって張り切っているし、アスカがだけが反対してもどうにもならないわよ」
「仕方無いわね」

多数の味方を得ていたハルヒに、アスカも渋々同意した。

「エジプトではピラミッド、ヨルダンではぺトラ遺跡……世界の七不思議のうちの2つを見る事が出来るなんて、まさにミステリー、SSS団のツアーに相応しいわ!」

ハルヒはまだ見ぬ遺跡に思いをはせているのか、目をつぶりながら嬉しそうににやけていた。

「こうなったら、後5つも是非制覇したいわね」
「あっはは、ハルヒったら七不思議の事を全然知らないのね!」

アスカはハルヒの発言を聞いて笑い出した。

「ピラミッドは古代ギリシア時代、ぺトラ遺跡は2007年に制定された七不思議」
「去年も新聞で4代目の七不思議を決めるってニュースがあっただろう」

ユキとキョンが解説をすると、ハルヒは怒った顔でキョンの胸倉をつかみ上げる。

「何よ、そう言う事は早く教えなさい! あんたのせいで恥をかいちゃったじゃないの!」
「痛てて無茶言うな、ニュース番組を見ないお前が悪いんじゃないか」
「あたしは誰もにも知られていない不思議を探すのに忙しいのよ」
「でも涼宮さん、ツアー代金はどうするの?」

シンジに質問されたハルヒはキョンから手を放して答える。

「もちろん、バイトして稼ぐのよ!」

 

<第三新東京市 湯河原海水浴場 海の家>

夏合宿までに全員分の旅行代金を貯めるためにアルバイトをする事に決めたSSS団。
そこでアスカが見つけて来たのが海の家のバイトだった。
履歴書も面接もあっさり通ったのはもちろん裏でネルフが糸を引いているからであった。
ハルヒ達とアスカ達が別々に隣同士の店に雇われるのはおかしいのだが、偶然だと言われてハルヒも納得したようだった。

「まさかここでも海の家でアタシ達とアンタ達で売上勝負だとか言い出さないでしょうね?」
「あんたばかぁ!? 仕事は遊びじゃないのよ、お金を貰う立場なんだから、学生気分は捨てなさい!」
「ハルヒが常識的な説教をするとはな」

海の家で一番真面目に働いていたのはシンジでもキョンでも無く、ハルヒだった。

「こらっ、あんた達! ゴミ拾いをサボって他の家の家族のスイカ割りなんかに混じっているんじゃないの!」
「スイカを見てたらつい、ウズウズしちゃって」
「でも、お店の人も見てないし、ちょっとぐらい力を抜いても良いんじゃないですか?」

エツコをしかるハルヒを見かねてミクルがフォローを入れた。
しかし、ハルヒは厳しい表情を全く崩さない。

「でも、店長さんはゆっくりゴミを拾って来てって言ってたし」
「だからって手を抜いていたら、使えない人間だと思われるわよ」
「店長さんは優しいから大丈夫だよ」
「笑顔で次の日から来なくていいって言われるかもしれないじゃない。そうなったら終わりなのよ」
「わ、分かったよ」

言い訳を続けていたエツコもハルヒの説得を聞き入れて急いで仕事へと戻った。
そんなハルヒの姿を真剣な表情で見つめていたイツキはキョンに近づいて声を掛ける。

「もしかして、僕達が役目から解放される日はそう遠くないのかもしれないですね」
「古泉、どういうことだ?」
「いえ、僕達が居なくても涼宮さんは……」

キョンの質問に答えずにブツブツと言いながら考え込むイツキにキョンは声を掛ける。

「役目がどうとか知らないがな、俺達は今までハルヒと一緒だったし、これからも一緒だ。それを意味が無いだとは言わせないぞ」
「すいません、本当にあなたの言う通りですね。僕は友人として涼宮さんやあなた方の側にこれからもご一緒させてもらいますよ」

イツキはキョンに向かって微笑んだ。
その後もハルヒ達は真面目に働いたこともあって、特別ボーナスも貰って目標の金額を上回る金額をアルバイトで稼ぐ事が出来た。

 

<エジプト航空飛行機 機内>

日本からエジプトへと向かう飛行機の機内。
ハルヒはこれから到着するエジプトでの観光スポットについて目を輝かせて隣の席のキョンに話しかけている。
2人だけの話に夢中になっているハルヒ達を尻目に、イツキはミクルに声をひそめて話しかける。

「どうして朝比奈さんは死海に行ってみたいなどと涼宮さんに言ったんです?」
「私達の居た未来では、死海は普通の海になっているんです」
「それはまた、なぜ?」
「死海の水位が下がってしまったのを期に、紅海と死海を繋げる運河が建設されたんです。そして、死海は塩分濃度が下がって海洋生物が暮らせる海になったんですよ」
「なるほど」
「だから、体が浮かぶって言う昔の死海を実際に体験してみたくなって」
「それなら、南極の海も元通りに?」
「南極一帯は……まだ生物の居ない死の世界です。過去の災厄の爪痕が残されていて私達に過ちを犯してはいけないと警告をしているような気がします」
「辛い事を聞いてしまったようですね」
「いえ……」

ミクルが落ち込んでしまったのを見て、イツキはそれ以上話をするのを止めた。

「この飛行機に乗るのは”2回目”じゃないか、どうせ見て回っても前と同じだと思うよ?」

離陸してシートベルトを外す許可が出た直後から席を立って散歩をしようとするエツコにヨシアキは声を掛けた。

「だって、退屈なんだもん。それにずっと席に座ると病気になるって言うじゃない」
「エコノミークラス症候群?」
「そうそう、それそれ」
「そんな事言って、じっと席に座っているのは離陸と着陸の時だけじゃないか」

ヨシアキはエツコをおとなしくさせるのを諦めたのか、あきれてため息をついて席を立つエツコを見送った。

「あの人ってキョン先輩の友達に似ている……」

機内を歩き回ったエツコは、橘キョウコに似た少女の乗客が反対側の通路を横切るのを見た気がした。
その姿を確かめようと後を追いかけた時、橘キョウコの姿は煙のように消えていた。

「おかしいな、見間違えかな……」

橘キョウコ達の正体はミサトから警戒すべき宇宙人だと知らされていて見かけたら報告するようにと言われていた。
エツコは首をひねりながらもアスカとシンジの席の近くに座っているミサトの所へ向かった。
しかし、その途中に席に座っていたアスカにエツコは声を掛けられる。

「アンタ、さっきから歩き回って落ち着きが無いわね。そんな事だと、おっちょこちょいで失敗したりするわよ」

アスカの言葉を聞いて、エツコはしばらく考え込むと、そのまま引き返して行った。

「僕達に話があって来たんじゃないのかな?」
「さあ、あの子の考える事はまだ良く分からないし」

シンジとミサトも、去って行ったエツコの後ろ姿を不思議そうに見送った。

 

<エジプト カイロ空港>

夏のエジプトは暑い。
場所によっては気温が50℃に達する。
カイロの空港に降り立ったSSS団も夏のエジプトの厳しい洗礼を受けた。
到着したSSS団はツアー客に混じって観光バスに乗って宿泊先のホテルへ。
ハルヒ達は警官隊が先導して観光バスを警備しているのに驚いた。
イツキがその理由について説明する。

「何年か前に外国人観光客を狙ったテロ事件がありましてそれからエジプト政府は観光客の安全を確保するようにしているのです」
「おい、エジプトってそんなに治安が悪いのか?」
「夜間は外出が禁止されています、昼間は安全ですが」
「なるほど、明日になればピラミッドも見れるんだから今日はホテルで大人しくして居ろ」
「わかってるわよ、みんなに心配を掛けるような事はしたくないし」

キョンに注意されると、釘を刺される形になったハルヒは残念そうに忠告を受け入れた。
次の日、朝食を食べたツアーの一行は旅行会社の企画により、イスラムの民族衣装アバやチャドルに着替えて観光を行う事になった。
今日の見学予定は午前中はピラミッド、午後はエジプト考古学博物館。

「遺跡の中を自由に見させてくれてもいいのに」
「せっかく待ちに待った本物の遺跡なんだろう、素直に楽しめばいいじゃないか」
「そうね」

ガイドの案内でついて行く遺跡観光にハルヒは不満をもらしたが、キョンが声を掛けると笑顔に戻った。
ピラミッド見学を終えたSSS団はツアー客と一緒にスフィンクスとピラミッドを背景にして記念写真。
イスラムの民族衣装を着たハルヒやアスカはいつもと違った雰囲気だった。
記念撮影の次は砂漠でのラクダ乗り。
しかし、ラクダの背中のコブに乗るのは思いのほか難しかった。

「そんなに引っ張るな、俺までバランスを崩す!」
「べ、別に怖いから抱き寄せているわけじゃないんだからね! こうして体を重ねて重心を一つにした方が安定するのよ」

強引に背中をハルヒに押し付けられて、キョンは喜ぶべきなのだろうが、落ちないようにするのに必死で感覚を味わう余裕も無かった。

「ハルヒ、アタシ達は先に行っているわよ!」

以前の自転車競争での借りを返すかのようにアスカとシンジの乗るラクダはハルヒとキョンの乗るラクダの前を悠々と歩いている。

「エヴァの2人乗りみたいな感じだよね」
「そういうこと」

アスカはシンジの背中に自分の体を預けているので、バランスはとても安定していた。

午後はカイロ市内に戻ってエジプト考古学博物館へ。
遺跡から発掘された20万点の秘宝が集められている。
見て回るのに数日掛かると言われているのに数時間しか見学時間が無い事にハルヒは不満だった。
そして人気のスポットには人の行列。
ミイラとツタンカーメン、どちらを見に行くかで意見が対立したハルヒ達とアスカ達は別れて行動する事になった。
そして両方に興味の無いイツキ達は比較的空いている他の展示物を見に行く。
キョンもミイラを無視してイツキ達について行こうとしたところをハルヒに首根っこをつかまれて引きづられた。

「キョン、あんたはあたしの恋人でしょ、一緒に来てくれないの?」
「ぐっ、こういう時にそれを持ち出すな……恋人ならそれらしくしてくれよ」

キョンが抗議するとハルヒはキョンの首根っこをつかんでいた手を放した。
そして、キョンに肩を近づけて腕をからませた。
キョンからの返事はなかった。
キョンは無言でハルヒと肩を並べて歩きはじめた。

「明日はヨルダンに出発ですね、8日間のツアーなのでもう少しエジプトに居たかったですね」
「同感、でも4日もヨルダンに居るんだからたっぷりと楽しめそうね」

エジプト考古学博物館を名残惜しそうに去ったSSS団一行。
イツキのつぶやきにハルヒはそう答えた。

「向こうに着いたらさっそく死海で泳ぎましょう」
「ふ、ふえっ、そ、そうですね」
「今から嬉しさのあまり緊張しているの? ミクルちゃんったら可愛いわね!」

ハルヒはミクルの背中を思いっきりバシバシと叩いた。

 

<ヨルダン 死海 海水浴場>

次の日、エジプトからは船でヨルダンへと入った。
そして、その後は遺跡見学となった。
ヨルダンには世界七不思議の1つぺトラ遺跡があって、ピラミッドに比べて長い時間じっくりと見る事が出来たハルヒは満足した様子だった。
そしていよいよ待ちかねたイベントである死海の海水浴の時がやって来た。
入る前にSSS団のメンバーは体に外傷が無いか診断を受けた結果、エツコは入る事は許されなかった。
死海は塩分濃度が高く、小さな傷でもしみるのだ。

「蚊に刺された後を思いっきりかくからいけないんだよ」

ヨシアキも文句を言いながらも入れないエツコに付き合って、ハルヒ達の貴重品を預かりながら沿岸でスイカ割りや泥遊びをする事になった。
ミサトも死海の泥パックに興味があったので、死海で泳ぐのは辞退した。
ハルヒが広い所で思いっきり泳ぎたいと言ったので、他のツアー客のグループとは少し離れたところで泳ぐ事になった。

「死海って大きい湖ね」
「向こう岸はイスラエルですね」

アスカが感動して言葉をもらすとイツキがそれに続いてしみじみと言った。

「じゃあ、泳いで国境を越える事が出来るの?」
「そんな無謀な挑戦は止めて下さい、国境警備隊に撃たれてしまいますよ」

ハルヒが尋ねると、イツキはやんわりとそれを制した。

「じゃあ、さっそくミクルちゃん達の特訓を始めましょう」
「ちょ、ちょっと私は心の準備があんまり……」

ハルヒはミクルに目を濃い塩水から保護するゴーグルを掛けると、ミクルの手を引いて死海へと飛び込んだ。
アスカもシンジに同じようにゴーグルを掛けさせて一緒に死海へと入った。

「凄い、足が底に着かないのに体が浮いている!」
「ここなら心おきなく泳ぎの特訓が出来るでしょ?」

死海の中に入ったシンジはその浮遊感に驚きの声を上げた。
そのシンジの反応に満足したのか、ハルヒはそう宣言し、ミクルの泳ぎの特訓を開始した。
ユキは水面に浮かんで読書をして、キョンとイツキもスピード勝負をしてそれぞれ楽しんでいた。

「そろそろ上がりましょう。しばらく泳いだら岸で休憩しないと健康に悪いそうですよ」

イツキの提案で、ハルヒ達が岸に上がろうとした時、辺りに突然濃い霧がたちこめた!

「きゃあ!」
「うわっ!」
「みんな、大丈夫!?」

悲鳴が上がり、混乱が広がった。
数cm先にある自分の手の指さえ見る事が出来ないのだ。
しかし数十秒後、霧は突然消えて辺りは晴れ渡った。
ホッとして顔を見合わせるハルヒ達だったが、その表情はすぐにまた厳しいものに変わった。
ユキとミクルの姿が見えないのだ。

「長門さんと朝比奈さんは?」
「ユキはそこで本を読みながら浮かんでいたはず……」

イツキの質問にアスカがぼう然としながら返事をした。
アスカが指差した先にはユキの姿は無い。

「ミクルちゃんは、あたしが手を引いてバタ足の練習をさせていたんだけど……」

ハルヒは信じられないと言った感じで自分の両手を見つめていた。

「おぼれて水の中に居るとか?」
「それはあり得ません、死海の浮力では」

シンジの質問をイツキは断言して否定した。

「じゃあ2人は遠くに流されたってこと?」
「イスラエル側に入ってしまったらとんでもない事になりますね」

アスカとイツキがそう言うと重い空気が辺りを満たした。

「あ、あたしがミクルちゃんの手をしっかりつかんでいなかったからだ……」

ハルヒは青い顔でワナワナと震えだした。

「しっかりしろハルヒ!」

キョンがそんなハルヒを抱きかかえて岸へと連れて行った。
そして、アスカ達は岸辺で待っているミサト達と合流した。
ミサト達はキョンに抱きしめられながら泣いているハルヒを見てただ事ではないと仰天した。

「ハルヒちゃんが泣いているなんて、一体何があったの!?」
「それが……突然長門さんと朝比奈さんの姿が消えてしまったんです」

ミサトの質問に対してシンジはそう答えた。
泣きじゃくるハルヒをキョンに任せて、アスカ達はどうするべきか話し合う事にした。

「ミサト、ネルフとは連絡が取れないの?」
「ええ、携帯電話が通じないわ」

携帯電話をかけようとしていたミサトは厳しい顔でそう答えた。

「とりあえず、ツアーの添乗員に事情を話して、ヨルダンの警察に一刻も早い捜索を頼みましょう」

ミサトが困った表情を浮かべてそう言った。

「もしかして、エジプト行きの飛行機の中で私が見た橘さんって人が関係あるかも」

エツコがそう言うと、アスカ達は驚いて目を丸くした。

「どうして黙っていたの?」
「だって人違いかなって思ったし」

少し苛立って質問するミサトにエツコはそう答えた。

「もしかして、ユキちゃんはその橘さんを追いかけて行ったのかもしれないわね」
「では長門さん達は自分の意思で姿を消したと言う事ですか?」
「でも、それなら突然の霧の発生にも説明が付くわね。そんなことできそうなのはユキしか居ないもの」
「電磁波の異常でネルフに連絡できないのもそうかもしれないわ」
「それでは僕達には探せないかもしれませんね」

ヨシアキが結論を導き出すと、アスカ達の間にまた重い空気がたちこめた。

「あたしのせいでミクルちゃんとユキに何かがあったら……!」

そんなアスカ達の耳に、少し離れた場所に居るハルヒの絶叫が聞こえて来た。
声を上げて号泣するハルヒをキョンは必死に抱きとめて慰めている。
そんな姿を見てアスカ達の胸は張り裂けそうなほど痛んだ。

 

<イスラエル 死海北西岸 クムラン遺跡付近の洞くつ>

「待って、待って下さい、長門さん!」

ハルヒ達の前から姿を消したミクルとユキは濃い霧に包まれた死海を泳いでイスラエルへと渡った。
ユキはラジコンで操作されているロボットの様に素早く正確な泳ぎ。
ミクルはオリンピック代表選手に負けないぐらいの整ったフォームの泳ぎでユキに食らいついた。
ユキは上陸すると、ミクルの方を振り返りもせずに歩いて行く。
そしてクムラン遺跡と呼ばれる場所の近くにある洞くつに足を踏み入れた。

「長門さん、ここが『12ヵ所目』の洞くつなんですね?」
「そう、以前に発見された11ヵ所の洞くつとは異なる物」

ミクルの問い掛けにユキは足を止めて振り向かずに答えた。
しかし、ユキは再び歩き出す。
歩き出したユキにミクルは慌ててついて行った。
ユキは振り返らずにミクルに声を掛ける。

「目標物の回収は私1人でも可能、あなたは直ちに涼宮ハルヒの所に戻るべき」
「長門さんを信じていないわけじゃないんです、でも長門さんだけじゃきっと苦戦するはずです!」
「どうして?」

ユキは足を止めてミクルの方を振り返った。

「泳ぎだけが得意な私がこうして長門さんに追いつけたのがその証拠です! いつもの長門さんなら私に追い付けない早さで移動できるはずです」
「確かに私はこれからの戦闘に備えて能力を温存している。でも、ただそれだけ」

ユキは歩みを止めてミクルにそう答えた。

「でも、周防さん達が待ち構えていたら……!」
「彼女らは涼宮ハルヒに手出しはしない」

ユキが淡々と無表情で言い捨てると、ミクルはユキの両手を握って訴えかける。

「それは、長門さんには容赦しないかもしれないって事じゃないですか! 向こうは長門さんが自分達の技術を転用して創られたって事を知っているんですよ!」
「もし私が破壊されても、未来からまた新たな『長門ユキ』が送られてくる」
「でも長門さんは未来の異次元同位体と同期する力を消してしまったんでしょう?」
「そう」
「じゃあ、綾波さんみたいに記憶が消えてしまうんじゃないですか?」
「記憶の消滅はわずか数ヵ月間だけ、何の問題は無い」

ミクルの言葉に対してユキは感情を全く表さなかった。

「たった数ヵ月でも、大事な思い出はたくさんあるじゃないですか!」

ミクルが絶叫すると、ユキは無言でミクルの顔を見つめていた。

「こうして今、私と長門さんが一緒に居ることも忘れちゃうじゃないですか」

涙ながらに訴えるミクルの頭を、ユキはポンと撫でた。

「了解した。私について来て欲しい」

ユキがそう言うと、ミクルは泣くのを止めて顔を上げた。

「私が生き残る確率を上げるためにはあなたの協力が必要」
「よかった、2人で涼宮さんの所に無事に帰りましょう!」
「私は破壊されるわけにはいかない、涼宮ハルヒのために……そしてあなたのために」

ユキはミクルに光線銃のような武器を渡した。

「これは?」
「正面にレーザービームを発生させることのできる光学兵器、戦闘が苦手なあなたにも扱いやすい武器をセレクトした」

ユキから武器を受け取ったミクルは涙を流して喜んだ。

「どうして、泣いているの?」
「今まで私は長門さんや綾波さんに頼ってばかりで、ただ見ているだけしかできなかったから」

表情をわずかに変えたユキの質問にミクルはそう答えた。

「……無理はしないで、私のサポートに徹してくれると助かる」
「はい」

ユキから掛けられたミクルを気遣う言葉に、ミクルは表情を引き締めて答えた。
ユキとミクルが洞窟の中を進んでいくと、やがて開けた場所へとたどり着いた。
目の前には壁画が描かれている地下遺跡のようなものが存在していた。

「遺跡?」

ミクルのつぶやきにユキは何も答えずに遺跡の中へと入って行った。

「この洞窟も遺跡も多分、偽物(フェイク)」

自分達の足音だけが響く地下通路の中で、今度はユキがそっとつぶやいた。
遺跡の中は迷路のようになっている。

「別れ道ばかりですね……長門さんはどこに死海文書があるのか解るんですか?」
「方向だけは解る、しかし私の今の能力ではこの空間の全ての情報を把握する事は出来ない」
「じゃあ、歩いて確かめるしか無いんですね、ふふっ、何だか冒険をしているみたい」

ミクルは少し嬉しそうにそう言ったが、ユキの表情が無表情、いやわずかに固くなっているのに気が付くと慌てて口を抑える。

「ごめんなさい、私ったらこんな時に……」

ミクルは謝って、その後は無言でユキの後について行った。
再び辺りに響くのはユキとミクルの足音だけとなった。
しばらく迷宮の中を歩いたユキは、歩みを止めずに振り返らずミクルに向かって話しかける。

「反応が近い」
「わぁ……」

ミクルは踏み込んだ部屋の中を見て声を上げた。
その部屋には巻き物が納められた陶器が数多く存在していたからだ。

「この巻き物が『死海文書』なんですね?」
「そう、幻となるべきもの」

ユキは部屋を見回すとミクルにそう断言した。

「この遺跡自体も、私達が来る前には存在してはいなかった。そして、私達が来ると同時に出現した」

ユキは部屋の片隅をにらみつけると、何も見えなかった空間から橘キョウコと周防クヨウが姿を現す。

「ふふっ、やっぱり分かっていましたか。ワナだと分かって来るなんて相当な自信なのですね」
「あなた達も2人だけなんて、長門さんを軽く見ているんじゃないですか?」
「ふふっ、戦闘能力においては周防さんの方が相当上ですわ」

ミクルが負けずに言い返しても、橘キョウコは尊大な態度を崩さなかった。

「あなたはとても優秀。でも、この空間を制御下に置くのに構成情報をかなり使っているはず」

ユキはクヨウを見据えると身構える。

「あなたの空間だとは言え、それなら私にも勝ち目はある」

ユキの殺気を感じたのか、クヨウも戦闘態勢に入った。

「あなたは巻きこまれないように離れていて」
「は、はいっ!」

ミクルはユキに言われて入って来た入口の方へと走った。
橘キョウコの方も反対側の出口へと身を隠したようだった。
ユキの手にピストルのようなものが現れ、ユキは引き金を引こうとした。
しかし、クヨウが頭上に手を掲げると、天井の方から稲妻のようなものがユキに向かって降り注いだ。
ユキは後ろに下がって稲妻を避け、引き金を引いて熱線をクヨウに浴びせるが、クヨウは片手でユキの攻撃をブロックした。

「そんな、長門さんの攻撃が通じないなんて!」

息を飲んで戦いを見守っていたミクルは叫んだ。
クヨウの指からユキに向かって稲妻がほと走る。
すると、その稲妻がユキに届く直前に割れ、方向性を変えユキから反れて壁にぶち当たった。
クヨウが体を動かしてユキの正面から移動した直後、クヨウの長い髪の一部がバサリと断ち切られ、床に落ちた。
そして、クヨウの着ていた学校の制服の腕の部分に斬り傷が入ると、クヨウの腕から細い筋の赤い血が流れ出した。

「やった!」

ミクルが嬉しそうに歓喜の声を上げたが、それはすぐに悲鳴へと変わった。
床から舞い上がった炎がユキの体を包み込んだのだ。
並みの人間では丸焦げになってしまうだろう火力だった。

「長門さん!」
「この空間は誰の制御下にあるかお忘れですか?」

橘キョウコが身を隠していた通路から顔を出してミクルに笑い掛けた。

「焔属性の攻撃に耐えるために長門さんは天属性に自分のデータを変えざるを得ない。しかし、そこには空属性の追撃が待っているのですよ!」

橘キョウコが勝ち誇ったようにそう言うと、クヨウは風切り鎌のようなものを手に出現させ、炎に包まれているユキに向かって振り降ろそうと床を蹴って跳び上がった!

「だ、ダメ〜っ!」

ミクルがユキに止めを刺そうとしたクヨウを妨害しようと、物陰から踊り出て、震える手で光線銃の引き金を絞った!
するとクヨウは動きを止めて、後ろに跳び下がり、ミクルのビームをその体で受けた。
クヨウは大きなダメージを受けたのか、地面に倒れ込んだ。

「なぜ!? 長門さんを倒すチャンスでしたのに」

橘キョウコは倒れ込んだクヨウに駆け寄った。

「朝比奈ミクルが撃ったビームは、極度の混乱状態にあったためか本来の照準を外れ、あなたに直撃するところだった」

自分を取り巻く炎を消し終えたユキが橘キョウコを見つめてそう解説をした。

「そんな、私をかばって……だ、大丈夫?」

橘キョウコは青い顔をして倒れたクヨウに駆け寄った。

「この空間が崩壊しないのは致命的な損傷を受けなかったと言う事」

それを裏付けるかのようにクヨウは無言でゆっくりと立ち上がった。
橘キョウコはホッとして胸に手を当ててため息を吐きだした後、再び不敵な笑みを浮かべてユキ達に向き直った。

「今がチャンスです、長門さんを起動停止に追い込んでしまいなさい!」
「そ、そんな、いやあぁ……!」

ミクルが涙を流しながらユキの側に駆け寄り、ユキに抱きついた。

「私から離れて、さもないとあなたも巻きこまれる」
「嫌です、長門さんが居なくなったら、私はひとりぼっちに……」

すると、クヨウはユキに向けて伸ばしていた指先をそっと下ろした。
驚いた顔で橘キョウコがクヨウに声を掛ける。

「どうしたんです!?」
「――これ以上エネルギーを消費すると――この空間を維持できなくなる」

橘キョウコの問い掛けにクヨウは低い消え入るような落ち着いた声でそう答えた。

「んもうっ、仕方が無いですね、脱出します!」
「私達も脱出する」

橘キョウコとクヨウ、ユキとミクルは煙のように洞くつの遺跡から姿をかき消した。
ユキのワープ能力によってミクルとユキが地上に脱出すると、先ほどまで居た洞くつは跡片も無く姿を消していた。

「ここに存在する洞くつは11ヵ所が正しい形。もう新たな『死海文書』は存在しない」
「あの2人は……諦めたんでしょうか?」

洞くつのあった場所を見つめてつぶやくユキにミクルは声を掛けた。
ユキは岩山の一角に視線を向けながら答える。

「2人の反応は近くには存在しない」
「よかった」

ユキの返事を聞いてミクルは胸をなで下ろした。

「それで、長門さんの体は大丈夫なんですか?」
「エネルギーは低下したが、肉体の損傷の修復は完全に終了した」
「疲れているのにワープして平気なんですか?」

ユキはミクルの言葉にうなづくと、再びワープを行った。

一方、ワープ能力を使った橘キョウコとクヨウは、ユキとミクルが見下ろせる岩場へと着地していた。

「どうして、エネルギー不足だなんて嘘をついたの?」
「――嘘だと思うなら何故あなたは撤退を命じた」

橘キョウコが尋ねると、クヨウはしばらく間をおいてからそう言い返した。

「――あなたが足を引っ張った」
「ええ、あなたの言う通り、私が油断して前に出たからよ」

橘キョウコはユキの無事を喜ぶミクルの姿を見ると少し柔らかい表情になった。
そして橘キョウコとクヨウはユキ達の姿がワープによって姿を消したのを見届けてから、ワープで跳躍したのだった。


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