第十八使徒・涼宮ハルヒの憂鬱、惣流アスカの溜息
二年生
第三十九話 しんじてアンコール
<第二新東京市 軽音楽部部室>
放課後の軽音楽部の部室は、ハルヒ達SSS団のメンバーとその友人達で混雑していた。
それはついに誕生した新しいバンドのデビューを見届けるためだった。
集まった聴衆の注目を浴びながらレイ、カヲル、そして旧ENOZのメンバーである岡島ミズキと財前マイがそれぞれの楽器の位置に着いた。
新しく再結成してANOZ(アノッズ)となったバンドのボーカル、レイがお辞儀をすると拍手が巻き起こる。
「私達のデビュー曲を聴いて下さい」
演奏が始まり、何よりアスカ達が驚いたのはレイが大きな声を張り上げて熱唱をしている事だった。
レイはマイクを力一杯握りしめ、ひたいから汗を吹き出して前髪からは汗が垂れていた。
「綾波さんって、落ち着いた感じの子だと思っていたけど……」
「中学ん時、教室で黙って本を読んでいた頃とは別人のように明るいな!」
「この表情を撮らない理由は無いな」
中学時代のクラスメイト、ヒカリやトウジは驚いて目を見張りながら立ちつくし、ケンスケは興奮してビデオカメラを構えていた。
ANOZは新曲と去年の学園祭でENOZが演奏した曲を演奏し、アンコールでもう一度新曲を歌い終わった。
「綾波さん、私は去年の文化祭でのENOZの演奏を聞いたけど、同じぐらい上手かったよ!」
「渚君のギターテクニックもなかなかのものだと思うのよのね」
ハルヒのクラスメイトである鈴木さんや阪中さんはレイとカヲルをほめ称えた。
そんなレイ達の姿を見て、トウジとケンスケとヒカリの3人は少し羨ましそうに目を細めて見ている。
「ワシらの中学ん時やった地球防衛バンドを思い出すなあ」
「文化祭では一番拍手が大きかったもんな」
「それもすべてヒカリの歌がプロ並みに上手かったからや」
トウジがまるで自慢するかのように断言した。
「そ、そんな、ただ私は小さい頃から歌を歌うのが好きだっただけよ……」
「洞木さんってそんなに歌が上手いの?」
3人が質問をして来た声の主の方を振り向くと、面白い事については地獄耳であるハルヒが笑顔で顔を近づけていた。
「私は気が向いた時に歌を歌う程度だから、トウジがちょっと大げさに言ってるだけよ」
「いんや、ヒカリの歌声は世界一や、今聞いた綾波の歌といい勝負やったで!」
「鈴原君、それって本当?」
レイがトウジにそう尋ねると、辺りはしんと静まり返り、視線がトウジ達に集中した。
「私も洞木さんの歌を聞いてみたいわ」
「そうね、私も綾波さんに負けないぐらい上手いというのなら聴いてみたいと思うのよね」
レイの言葉に、コーラス部所属の阪中さんも興味を持ったようで同意した。
「で、でも私……」
「なるほど、この勝負SSS団が預かるわ!」
ヒカリが戸惑っているところに、面白くてたまらないと言った顔でハルヒが宣言した。
「涼宮さん、勝負って?」
「ANOZとその地球防衛バンドの対戦の場をあたし達SSS団がお膳立てするってわけ」
「そりゃ面白そうやな。碇、地球防衛バンドの再結成や!」
ハルヒの発言を聞いたトウジは嬉しそうにシンジの肩に手を掛けた。
しかし、そのトウジの手をハルヒは振り払う。
「ダメよ、シンジはアスカのバンドグループに入るんだから」
「ちょっとハルヒ、それはどういう事よ?」
「もちろん、あたしとアスカのグループもバンドで対戦するに決まっているじゃない!」
「ええーっ!?」
「何だと!?」
アスカに対するハルヒの返事を聞いたシンジとキョンは悲鳴を上げた。
「なるほど、SSS団を2つに分ける戦いが繰り広げられるのですね」
「元SSS団メンバーの僕達を巻きこんで四つ巴の戦いになるんだね」
イツキとカヲルはそろってアルカイックスマイルを浮かべてつぶやいた。
「待て待て、俺は楽器が出来ないし、このままじゃ人数のバランスも取れないんじゃないか?」
「そんなの何とかなるでしょう、と言うか何とかしなさいよ」
「お前な……」
キョンはハルヒの言い分に疲れた顔をしてため息を吐いた。
「まあいつもの事です、僕がなんとか致しましょう」
「じゃあ開催日時とか練習場所とかチーム分けとか諸々は後で連絡するからね!」
イツキの言葉に満足したハルヒはそう宣言すると、 SSS団を引き連れて軽音楽部の部室を立ち去った。
<第二新東京市北高校 SSS団部室>
次の日の放課後、バンドのグループの代表はハルヒによってSSS団の部室へと呼び出された。
「涼宮さん、練習場所や楽器が見つかったって本当なの?」
いまだに信じられないと言った顔でヒカリがハルヒに尋ねた。
「もちろんよ、あたしは有言実行がモットーなのよ!」
ハルヒは余裕満々の笑顔で答えた。
「洞木さんも会った事あると思うけど、こちらミクルちゃんの友達の鶴屋さんよ。古泉君に負けないぐらいお金持ちの家の子なのよ」
「にょろーん」
「にょ、にょろ……?」
鶴屋さん独特のあいさつをされたヒカリは不思議な物でも見るように目を丸くした。
「私の家はいろんなところに倉庫を持っているのさ」
「俺達が本探しの時に入った倉庫もその1つですね」
「それで、遅くまで練習しても迷惑にならない、住宅地とかが近くに無い倉庫をハルにゃん達に貸してあげることにしたんだよ!」
「そんなにまでしてもらって、本当にいいの?」
「どうせ倉庫は使っていないんだから、構わないさ」
「おー」
鶴屋さんがヒカリに対してそう答えると、部室に居たエツコが笑顔で歓声を上げて拍手をした。
しかし、アスカは冷静にハルヒに対して次の質問をぶつける。
「でも、楽器はどうするのよ」
「倉庫の中に入ってるやつなら、何でも勝手に使っていいよっ、ホライゾンでもスティングレイでも自由に」
「それは、宝の山だね」
鶴屋さんから楽器の名前を聞いたカヲルは感心した様子でため息をついた。
「財前さんや岡島さんが聞いたら卒倒しそうね」
レイもカヲルの意見に同意した。
「練習場所や楽器の問題が解決したところで、次はバンドの組み分けね」
「人数的にハルヒの所から誰か1人、ヒカリの所へ行けばいいんじゃないの?」
「では、僕が行きましょう」
アスカの提案を聞いて、イツキが立候補をした。
「あたし達のバンド名は、『涼宮ハルヒと愉快な仲間たち』に決まったわ!」
「SSS団といい、お前のネーミングセンスは相変わらずだな」
「何よキョン、じゃあどんな名前が良いのよ」
「いや、特に思いつかん」
「ふん、余計な時間取らせないでよ!」
ハルヒは腕を組みながら怒った顔でキョンをにらみつけた。
「アタシ達は『シャドウ・ファミリー』って名前にするわ」
「影の家族ってどう言う事、同居しているから?」
「まあ、色々とね」
ハルヒが尋ねるとアスカは意味深な笑みを浮かべた。
部室で行われたミーティングの結果、バンド名とパート分けは以下の通りとなった。
涼宮ハルヒ(略) シャドウ(略)
リードギター ハルヒ シンジ
リズムギター ユキ ヨシアキ
ベース ミクル アスカ
ドラムス キョン エツコ
ANOZ 地球防衛バンド
リードギター レイ ヒカリ
リズムギター カヲル トウジ
ベース 財前マイ イツキ
ドラムス 岡島ミズキ ケンスケ
<第二新東京市 鶴屋家の倉庫>
第二新東京市の鶴屋家の倉庫はぜいたくにも広い敷地の中に林立していた。
今までほとんど人気が無かった鶴屋家の倉庫街もSSS団のバンド練習に使われる事になり途端に賑やかになった。
バンド対戦をする事になった総勢16人のメンバーは、放課後になると正門の前に集合し、マイクロバスに乗って鶴屋家の倉庫街に向かう生活サイクルになった。
レイやヒカリ達は自分達の部活動をしばらくの間休む事を届け出ていて、さらに大人数の移動は注目を集めていたので、バンド勝負の事は生徒達の間で話題になっていた。
さらにバンドを組むと言ってもANOZ以外のバンドには楽器の演奏の仕方も分からないと言うメンバーも居たので、音楽指導教師としてミサト、リョウジ、鶴屋さん、初登場となるネルフオペレータの1人青葉シゲルが参加する事になった。
「洞木さんは澄んだ声をしているのですね」
「そ、そうかしら……」
イツキにほめられて、ヒカリは顔を赤らめた。
「洞木さんの綺麗な高音を活かせる曲を作るのはどうでしょう?」
「それもいいけど、中学の頃やったバンドでは洞木は結構パンチのあるボーカルだったんだよ」
「あの時のヒカリはノリノリやったな」
「んもう、恥ずかしい事思い出させないでよ」
ケンスケとトウジがそう言ってヒカリを冷やかすと、ヒカリは少しすねた顔になった。
中学の文化祭で発表したケンスケ作詞作曲の『奇跡の戦士エヴァンゲリオン』。
それはエヴァンゲリオンを街を守るヒーローとして知っていた生徒達が通う第三新東京市の第壱中学校だから歌う事を許されていたのだった。
文化祭で演奏された後に普通の中学生がATフィールドの存在を知っていた事などがネルフ内で問題になったがそれはすでに終わった話。
「さすがにあの曲をまた相田君達に演奏させるわけにはいかないわね」
音楽指導として側に居るミサトの言う通り、地球防衛バンドは新たな曲を作らなければならなかった。
「古泉君、ハルヒちゃん達と一緒のチームで演奏したかったでしょうに、すまないわね」
「自分の気持ちを抑えるのには慣れていますから」
「やっぱり、ネルフの事を恨んでいる?」
「申し訳ありません、つい皮肉めいた言い方になってしまいました」
「でも、たまには自分の気持ちを出すことも大切よ、特に女の子に対してはね」
「分かりました」
休憩時間、ミサトと古泉は真剣な顔でそんな会話を交わした。
「さすが、普段から演奏していることもあって俺が教える事はほとんどないかな」
ネルフのアマチュアバンドに所属しているシゲルはANOZの演奏を聞いて感心したように息をもらした。
「あの、碇司令は大丈夫ですか?」
「うん、ぎっくり腰だからしばらく休んでいれば治るらしいよ」
レイが尋ねるとシゲルはそう答えた。
ハルヒ達がバンド対戦をやる事を知ったゲンドウは、自分達ネルフもバンドを組んで参戦すると宣言した。
しかし、練習中に派手なパフォーマンスをしようとして腰をやってしまったのだ。
「私達が涼宮さんを監視する役目を離れてしまう事になって、司令は何か言っていませんでしたか?」
「はは、そんな事を気にしていたのか。司令は君達が心の底から楽しめる目標を見つける事ができて、喜んでいるよ」
シゲルの言葉を聞いて、レイは何かを吹っ切れたかのような明るい笑顔になった。
そしてパワフルなレイの歌声が部屋の中に響き渡った。
「エツコ遅い、休憩時間はとっくに過ぎているわよ!」
「ごめん、外を歩いていたら珍しい虫を見付けちゃって」
「全く、高校生にもなって昆虫採集だなんて」
アスカはあきれ顔でエツコを見つめた。
「今度はここに、セミ取りに来ようよ!」
「虫の話はもうやめよう、今はバンド練習の方が大切だよ」
1人で盛り上がっているエツコをヨシアキがなだめた。
「さあ、ハルヒ達は1秒を惜しんで練習しているわよ、アタシ達も負けずに気合を入れるわよ!」
「一層頑張らないといけないのはアスカじゃないの?」
「う、解ってるわよ」
エツコに言い返されたアスカはふくれた顔になって口ごもった。
「大丈夫だよ、お腹の底から力を入れて歌えば!」
「大きな声を出せば良いってもんじゃないのよ」
エツコが励ますが、アスカは少しうなだれて言い返した。
アスカチームの誤算は、ボーカルのアスカにあった。
今までアスカは歌が上手いと自信を持っていたのだが、リズムは遅れてしまうし、声に伸びが出ないのだ。
「曲をもっと歌いやすいものに変えた方がいいと思いますけど」
ヨシアキが提案してもアスカは首を横に振った。
「アタシはこの歌が歌いたいのよ」
「アスカ、あんまり無理してのどを痛めたら大変だよ。声を響かせようと力を入れなくても、僕に聞こえるように歌ってくれればそれで十分だよ」
「ありがとう、シンジ」
アスカはウットリとした視線でシンジを見つめた。
「若いって言うのは純粋で良い事だな」
そんな2人の姿を見て、タバコをふかしながらリョウジはそうつぶやいた。
「ミクルちゃん、また同じところで詰まってる」
「はわわ、ごめんなさい!」
ハルヒはキーボードのミクルが足を引っ張っている状態にイライラし始め、ピリピリとした空気で満ちて来た。
「ミクルの上達が遅いのは、私の教え方が悪いせいかな?」
音楽指導に来ている鶴屋さんはそう言って頭をかいた。
「朝比奈さんは元々不器用なんだから、上達するのにも時間が掛かるんだって」
「遅すぎ、それに何回も同じ間違いをするなんてやる気が無いんじゃないの? ただ演奏だけしていればいいって甘い考えでいるんでしょう」
キョンがフォローしたが、ハルヒは容赦なく言い捨てた。
「わ、私だってやる気が無いわけじゃないんです!」
ミクルが目に涙を溜めて言い返すが、弱々しいものだった。
「とりあえず今日は、朝比奈さん抜きで合わせられるところまで進めればいいじゃないか」
キョンがミクルをかばおうとするが、ハルヒは真剣な顔で首を横に振って拒否する。
「ミクルちゃんが足を止めると、あたし達全員が止まってしまう事になるのよ、解ってる?」
「でも、私はドジだから……」
「そうやって自分の実力に線引きをして諦める所が甘ったれているのよ。ミクルちゃんもみんなからドジだって同情されたままでいいの?」
「そうですね、私も誰かを頼ってばかりじゃいられません!」
ミクルはそう言って口を真一文字に結んでハルヒを見つめた。
そのミクルの瞳には炎が巻き上がっているかのような熱い輝きがあった。
「気合入ったみたいね。これから寝る間も惜しんで猛特訓よ!」
「はい、涼宮さん!」
「あそこに輝いているのがあたし達の目指す星よ!」
ハルヒはミクルの肩を抱き寄せて、入口から見える一番輝きの強い星を指差していた。
「やれやれ、上手い形でまとまってくれたか」
キョンはもうフォローが不要になったのが解り、安心してため息をもらした。
「じゃあキョン、あたし達は寝ずの猛特訓をするから夜食と寝袋を持って来なさい」
「おいおい、学校を休むわけにはいかないだろう」
キョンはあきれた顔でハルヒにツッコミを入れた。
<第二新東京市 河川敷>
イツキが近郊のライブハウスを貸し切ろうと提案したのに対してハルヒは首を横に振った。
「あたし達のライブは世界に自分の歌声を響かせるものにしたいのよ!」
「なるほど、涼宮さんにとっては地球の大地がステージと言うわけですか、これはどこよりも巨大なライブハウスですね」
ハルヒは開けた場所で周囲に民家が無く、駐車場なども近くて足場の良い場所を探し当てていた。
多少の雨が降っても大丈夫なようにテント屋根を設置する。
ドラムセットやアンプなど準備が大変なので4組とも同じ楽器を使用する事になっていた。
ハルヒ達が準備をしていると、バンド対戦に興味を持った北高の生徒を中心とする聴衆も集まって来た。
「やあ、涼宮さん。今日は面白そうなイベントだね、楽しみにしているよ」
どこから聞きつけたのか、佐々木も例の3人を引きつれてやって来ていた。
「今日は思いっきり楽しんで行ってね!」
ハルヒは笑顔でそう答えると、佐々木達4人を見て少し残念そうにつぶやく。
「あんた達も4人のグループなら、バンドとして参加させてあげた方がもっと楽しめたかもしれないわね」
「僕は歌と言うものが凄い苦手なんだ、だから遠慮するよ」
佐々木は首を振って辞退をした。
「ふんっ、コードがついている古ぼけた楽器なんか、音も古臭いぜ」
「どういう事?」
「あ、彼の言う事は気にしないでください」
佐々木が連れて来た3人のうちの黒一点の男子高校生、藤原がそうぼやくと、橘キョウコはハルヒにとりなすように声を掛けた。
「佐々木の歌は狙ったように音ズレしていたものな、合唱コンクールの練習の時は恥ずかしくて聞いていられなかったぜ」
「キョンも人の事言えるほど、上手くないじゃないか」
昔話を楽しそうに話すキョンと佐々木の2人を見て、ハルヒは少し寂しそうな顔になる。
「佐々木さんは、あたしの知らないキョンの事を知っている……」
同じように勉強の合間の気晴らしにと、ハカセくんもハルヒによって招かれていたのだが、顔色が悪かった。
「キョンくん、今日のハカセくん様子が変だよ? 話しかけても上の空だし」
「最近ハカセくんの家に女の声で電話がかかってくるらしいのよ、川や海に近寄ると危険だって」
「そうなの?」
キョンが妹に尋ねられると、側に居たハルヒが代わりに答えた。
「でも、そんなこと気にするなって言って強引に連れ出して来ちゃった」
「あはは、さすがハルにゃんだー」
「そ、そんな……来てしまったの……」
ハルヒとキョンの妹が笑い合っていると、ミクルはハカセくんの姿を見て崩れ落ちた。
「大丈夫ですか朝比奈さん!」
「ミクルちゃん!?」
イツキとハルヒが驚きの声を上げて、ハルヒ達のチームはミクルに駆け寄った。
「すいません、ちょっと目まいがしちゃって……」
「驚かせないでよ、せっかく努力したのに本番の演奏が出来なくなるかと思ったじゃない」
ミクルが返事をすると、ハルヒはほっとため息を吐き出した。
「ミクルちゃんも筋肉痛になるほどベースを練習したんだから、絶対に優勝するわよ!」
ハルヒはミクルを抱き寄せながら、こぶしを天に向かって突き出した。
そしていよいよ、ミサトの司会でライブ対決が始まった。
一組一曲の一発勝負。
最後の投票でアンコールの多かった優勝者のバンドだけもう一度最後にさらに新曲を演奏できる。
優勝できなかったら2曲目の新曲は無駄になってしまうので、4組とも練習は真剣だった。
「それでは1組目は地球防衛バンドの皆さんです」
凛としたミサトの司会でヒカリ達4人はテントに覆われたバンドスペースに立つ。
地球防衛バンドの曲はしっとりと落ち着いた音楽と、ヒカリの透き通るような高い歌声が響き渡るようなものだった。
熱くなる曲では無かったが、観衆の誰もがヒカリの歌声に酔いしれた。
「地球防衛バンドRの皆さん、ありがとうございました。次はANOZ、ボーカルのレイの熱い魂の叫びを聴けぇ〜!」
ミサトの絶叫とともにバンドスペースの中心に立ったのは、肩まで露出したコスチュームをしたレイだった。
今までひっそりと本を読むレイの姿しか知らなかった生徒達からは悲鳴に近い驚きの声が上がった。
レイが歌う曲は『魂の満塁ホームラン』。
本来は男性ボーカリストが野太い声で歌う曲をレイはパワフルな声で歌いきった。
大人気だったのでハルヒやアスカ達にプレッシャーが掛かった。
「ライブ会場も温まって来たところで、次はアスカ達の出番よ!」
盛り上がった組みの直後はとてもやりづらい。
でもアスカ達は負けるわけにはいかなかった。
大きな期待の拍手に答えてアスカは笑顔で大きく手を振った。
アスカはシンジと出会った頃の気持ちを歌詞にして、シンジに対して素直になれなかった昔の自分の恋心を歌い上げた。
歌っているアスカはときどき振り返って視線をシンジの方に向けていた。
シンジもアスカに対して笑顔で見つめ返す。
ミサトをはじめとして冷やかしの口笛が含まれた歓声が上がっていた。
反響はまずまずのもので、大人気のANOZに勝てるかは分からなかったが、歌ったアスカは満足した笑顔を浮かべていた。
「それでは、トリを飾るのは涼宮ハルヒと愉快な仲間たち、自称『嵐を呼ぶ風雲児』! 本当に嵐を呼ぶ事は出来るのか!」
ミサトのひと際大きい絶叫とごう音のような拍手で迎えられたのはハルヒ達のバンド。
何でも器用にこなすスーパープレイヤーとして知られるハルヒは歌手としても期待されていた。
「それじゃあ、God Knows、始めるわよ!」
ハルヒが宣言して曲が始まると、冒頭からのユキのギターテクニックに聴衆達は息を飲んだ。
盛り上がる最中、難しい顔をしたハカセくんが曲を聴いていたアスカに声を掛けた。
「あの、あなたに聞きたい事があるのですけど……」
「アタシに?」
アスカが不思議そうに自分を指差すとハカセくんはうなずいた。
「涼宮先生や他の方には内緒にしたい話なので」
ハカセくんがそう言うと、アスカは黙ってうなずいてハカセくんと一緒に川辺へと場所を移した。
「しばらく前から僕の携帯電話に非通知で女の人から電話が掛かってくるんです」
「その電話の主がアタシだと思うの?」
「前に涼宮さんの携帯に電話したらあなたが代わりに出た事があって覚えていたんです」
「うーん、そんな事もあったかもしれないわね」
「涼宮先生は誰にも僕の携帯電話の番号を教えたりして居ないって言うし、僕の番号を見る機会があった人なのかと思って」
「それは推理小説の探偵顔負けの名推理ね。でも、アタシは電話を掛けた事はないわ」
「そうですか……」
アスカがキッパリと否定するとハカセくんは気落ちしたようにうなだれた。
「いったいどんな電話の内容だったの?」
「危険だから川や海のような水辺には近づくなって言うと切れてしまうんです」
「それじゃあ、こんな川辺に居たら危ないんじゃないの!?」
「あっ……」
アスカとハカセくんの2人が気が付いた時はすでに鉄砲水が川辺に立っていた2人を押し流そうとしていた。
ライブをしていたハルヒ達も川の異変に気が付いた。
さらに辺りは突然の黒い雲に覆われ、激しい雨や風が吹き荒れた。
テント屋根が吹き飛ばされるほどの強風だった。
辺りは混乱し、ハルヒ達は演奏を中断した。
「あそこにいるのって惣流じゃないか!?」
ケンスケが増水した川の水面を指差して叫んだ。
川の中でアスカがハカセくんを抱えて必死に泳いでいる。
しかし川の流れに逆らうのが精一杯で、アスカ達は今にも流されそうだった。
「アスカ!」
シンジは迷いもせずにアスカを助けるために濁流の中に飛び込んだ。
「シンジのやつ、カナヅチやなかったか?」
「そうだよ、あいつは25メートルも泳げなかったはずだ!」
トウジとケンスケは青い顔をして言い合った。
シンジは水中に沈んだまま浮かび上がって来ない。
「碇君!」
ヒカリが悲痛な叫び声を上げた。
「私達がATフィールドを展開させながら飛び込んで碇君とアスカ達を助け出す」
「それしかないようだね」
レイとカヲルが互いに顔を見合わせて川に飛び込もうとした直前、ユキがポツリとつぶやく。
「データ変更完了」
途端に空を覆っていた黒い雲が消滅し晴れ上がり、川の水位は一気に低くなった。
アスカとハカセくんは水音を立てながらハルヒ達のいる岸へと走って来た。
倒れ伏して気絶しているシンジはキョンやイツキによって運ばれ救出された。
そのタイミングを見計らうかのように川の水位はいつも通りに戻った。
言うまでも無くユキの仕業だった。
助け出されたシンジは外傷は無かったのだが、気を失ってしまっていた。
「何で泳げないのに飛び込もうとするの、死んじゃうところだったのよこのバカシンジ!」
「ご、ごめん……」
意識を取り戻したシンジにアスカは涙を流しながら思い切り抱きついた。
「碇君が助かって、本当によかったと思うのよね」
ライブの聴衆であった阪中さん達も貰い泣きをしていた。
大勢の前で抱き合ってしまったアスカとシンジは恥ずかしそうに体を離した。
聴衆達はニヤニヤ笑いを浮かべてアスカとシンジを見つめていた。
だが、落ち着いて周りを見回すと、突然の大雨によってテントは横倒しになり、アンプや楽器などはびしょぬれになってしまっていた。
「これは……ライブを続ける事は不可能だな」
そう言ってため息をついたキョンの横で、ハルヒは落ち込んだまま下を向いて立っていた。
「ハルヒ、元気出しなさいよ」
「涼宮さん……」
アスカやシンジ達も気遣う声を掛けたがハルヒは固まったまま顔を上げない。
「仕方が無いわね、私達で後始末をしないと」
ミサトの指揮の下に、会場に居た生徒達全員で協力して河川敷に散乱したゴミや濡れてしまった機材を片付け始めた。
「ハルヒ、まだライブは終わっていないだろう、何をサボっているんだ?」
「なんで演奏を続けられるのよ、こんな事になっちゃったし」
キョンの言葉にハルヒは暗い顔で視線を下に向けたまま元気の無い沈んだ声で答えた。
「バカ言うな、後片付けが終わるまでがライブ大会だって開会式の宣言をしたのはハルヒだろう?」
キョンがハルヒにそう返すと、ハルヒは驚いた顔でキョンを見つめた。
そして、ハルヒは笑顔を取り戻す。
「さあキョン、あたし達もみんなに負けずに後片付けをやるわよ!」
ハルヒはキョンの腕を引っ張って元気いっぱいに片付けをするアスカ達の所へ駆けて行った。
<第二新東京市北高校 校門>
ライブ会場である河川敷の清掃を終えたハルヒ達は、その日のうちに練習場所として使っていた鶴屋家の倉庫も片付けた。
そして、マイクロバスで北高の正門まで行き、総勢16人のバンドメンバーは解散となった。
自分の家に戻るハルヒとキョンを見送った後、その他のSSS団のメンバーとレイ達はそのまま校門に残っていた。
「ごめんなさい惣流さん、私の、私のせいで……!」
ハルヒの姿が見えなくなると、ミクルはせきを切ったように涙を流し、アスカに向かって謝った。
「ちょ、ちょっと……どうしたって言うのよ!」
突然謝られたアスカの方も驚いた。
「私はあの子が水難事故に遭う事を知っていたんです、だからそれを防ごうとしてあの子の家に川や海に近づかないように電話を掛けたんです」
「じゃあ、あの子が言っていた女の人の電話って、アンタが掛けたの?」
アスカの質問にミクルは首を縦に振った。
「私は正体を知られるわけにはいかなかったんです、だから私に似ていない他の人の音声を使ったんですけど……」
「それでアタシの声を使ったわけ?」
「違うんです、サンプルとして所持している音声データからランダムに選んで使ったんですけど、あの子は惣流さんの声だと思い込んでしまったようです」
「それじゃあアンタが悪いわけじゃないじゃないの」
アスカは優しくそう言って、ミクルの目からこぼれ落ちてほおを濡らす涙をハンカチでそっと撫でた。
「しかし、あのゲリラ豪雨はおかしい所がありますね。それに川の水位が上がるスピードが速すぎます」
「そうね、鉄砲水って聞いた事あるけど、それとも違うようだったわ」
イツキの言葉に、アスカ達も同感のようだった。
「あの瞬間、私は空間の情報データが書き換えられるのを察知し、書き換えられた情報データを元に戻そうとした」
「ええっ!?」
ユキがそうつぶやくと、アスカは驚きの声を上げた。
「私がデータを修正しようとしたところ妨害され速度が遅くなり、あなた達に迫る危険を完全に防ぐ事が出来なかった」
「長門さんの邪魔を出来る存在なんて考えられませんね」
イツキはあごに手を当てて考え込んだ。
「長門さん、もしかして彼女が……?」
「多分、そう」
ミクルに問い掛けられたユキは小さくうなずいてそう答えた。
「いったい誰だって言うのよ?」
「それは禁則事項だから言えません」
アスカの質問にミクルが答えると、誰もそれ以上ユキ達に聞こうとはしなかった。
「でも、また同じような事が起こったら不安だよ」
「その時は私があなた達を守る。……信じて」
みなの気持ちを代表したかのようなシンジの発言にユキはそう答えた。
「あの子が狙われたの? それともアタシが狙われたのかしら?」
「それは分からないけど、僕やレイもATフィールドを使ってシンジ君達を助けようとする寸前だったし、それが狙いだったのかもしれないね」
「そうなったら、ハルヒをごまかすのにアタシ達が悩まされる事になるわね」
アスカとカヲルが議論を重ねても、憶測の域を出ない事が分かったのか、誰も発言をしなくなった。
これ以上話しあっても仕方が無いという結論がでたところで、アスカ達も解散する事になった。
夕暮れの帰り道、2人きりになったところで、アスカはシンジに話しかける。
「シンジ、またアタシはアンタに助けられてしまったみたいね」
「そんな、アスカだってあの子を助けようとしたじゃないか。……結局僕だけがおぼれて、情けなかったよ」
「シンジって、会ったばかりのアタシもマグマだまりに落ちそうになりながら初号機で助けてくれたわね」
「あの時は、マグマに沈んで行くアスカが僕の前で助けを求めて手を伸ばして居るのを見て放って置けなかったんだ」
「そして、去年あの朝倉リョウコが襲ってきた時も、シンジに対して冷たくしてたアタシを助けようと命懸けでかばってくれて」
「そう言えば、あの時はアスカに再会したばかりだったんだよね」
「くだらないプライドが邪魔して、シンジを傷つけた事もあったけど」
そこまで言ったアスカは嬉しそうに目を細めながらシンジの手を優しく握った。
「アスカ……?」
「アタシがシンジが大好きって言う今の気持ちは本物だから、もう一度アタシを信じて」
アスカの言葉を聞いたシンジの顔はたちまち赤くなる。
「そんな、改めて言わなくても、僕もアスカが大好きだし……」
「言ってみたい気持ちになったのよ」
そして、夕暮れの道路に映し出されたアスカとシンジの影法師が1つに重なったのだった。
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