2012.06.27
山崎マキコの時事音痴 文藝春秋編 日本の論点
最終回
それでは皆様、さようなら
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 もう終わりにしよう。叙情に流れっぱなしの、このエッセイにも、そろそろ終止符を打とう。
 栃木で最後に言えることは、わたしは人の命を金で買ったということだ。
 夫は集落の人にさんざん罵倒されたあと、無言で草を刈っていた。
 怖かった。夫と地面の距離が怖かった。
 さんざんフォールアウトした土地の土ぼこりを、夫に吸わせるのが怖かった。
 日没を待って、それとはないそぶりで声をかけた。
「疲れたでしょう? それにね。栃木に滞在していられる時間はもう残り少ないでしょう? 不動産屋を巡るとか、荷物を処分するとか、色々あるし。そっちが優先事項じゃないかと思うんだなあ。産廃の人にはどうしても頼らなくちゃならないから、その人たちにお願いしようよ」
 我ながらとても、薄気味が悪い。自分の、優しさを装った声が、気味がわるい。だれが知らなくとも、わたしだけは自分自身に騙されない。
 人の良い夫は、わたしに容易く騙された。
 本音を言ったら、この人はむしろ引かない。
 それと同時に、原発の構造自体を、自分のなかの醜さを通して理解した。
 人の命を、金で買う。経済が、経済がと言いながら、人の命を金で買う。
 翌日には産廃業者がやってきて、国の基準値が甘くなったので、雑草も燃やせますと嬉しそうに胸を張った。
 もっとも効果的な方法なのだ、燃やすというのは、放射性物質を拡散させる手立てとして。現在進行している瓦礫の受け入れと焼却。それが、放射性物質をばら撒く、もっとも効果的な手段なのだ。
 わたしたちに草を枯れと迫った集落の人たちは、この枯れ草を燃やしたら、自分たちの身になにが降りかかるのかを知っているのか。
 そしてこの産廃業者の人たちは、わたしの代わりに被曝する。金を握らされて、被曝する。かき集められた枯れ草は、燃やされて拡散する。わたしが夫を連れて高知に逃げたあとに、すべての事態は進行する。
 なるほどなあと、淡々と思った。ああ、わたしはこんなに醜悪な人間なのかと。それを認めると、世間の輪郭が妙にクリアに見えてきた。わたしはわたし自身を善人だと思い込みたいがために、これまで歪んだ鏡で自分を写し、それを基準にして世間に当てはめていたから、輪郭がクリアにならなかったのだ。輪郭がクリアになれば、物事はとてもシンプルになる。
 バイスタンダー効果を理解してみればいい。線量に閾値があるのかないのかなんてくだらない論争は、一発で終止符を打つ。科学は為政者の都合で、平気で嘘をつく。
 線量は、蓄積する。確実に。
 水俣病の被害者たちの過去に学んでみればいい。まったく今と同じ構造だ。念のため過去最大の公害病を振り返ってみよう。わたしは我が目を疑ったのだが、皆さんはどうだろう。あまりの類似性に、いまの事態が予言されていたのではと思うほどである。
 最初の公式患者は5歳の女児だった。よだれ・嘔吐・歩行障害・言語障害・痙攣。1953年12月頃からこうした症状に苦しみ、59年に死亡する。
 熊本大学水俣病研究班は、調査・研究の結果、相次ぐこうした不審死の原因物質は、有機水銀だと特定するに至る。
 すると次にどうなったか?
 清浦雷作・東京工業大学教授が「有毒アミン説」を提唱し、戸木田菊次・東邦大学教授は「腐敗アミン説」を発表する。
「患者は腐った魚を食べた」
 そういうことにさせられたのだ。  結局、1956年に公式に患者が“発見”されてから、チッソ水俣工場から流出したメチル水銀化合物が原因だという政府の公式見解が出るまでに12年、裁判で元社長らの業務上過失致死罪が確定するまでに32年かかった。  その間、有機水銀説を認めず、チッソに有利な説を唱えていた学者たちの責任が問われることはなかった。
 そして最高裁が国と県の責任を認めたのは、手を汚した人間たちが「おはかに避難」したあとの2004年。患者の“発見”から48年後だった。
 為政者はこうして、そしてそれにおもねる「学者」たちは自分たちの利益のために、いけしゃあしゃあと嘘をつく。今回の原発も、50年たてば誰の言っていることが正しかったかわかるだろう。
 この国は原発推進派の「真っ赤なデマ」は批判しないのに、反原発派の誤りを重箱の隅をつつくように探す。そして「不安を煽った」として、糾弾するのだ。
 どうしてか知っているか。
 わたし自身は気づいているが、自分自身でその理由に気づいているか。
 わたしは長らく不思議だった。どうして「愛国者」を自称する人たちが、「経済が」と言いながら、おのれの子孫を喰らうような真似をするのかが。いわゆる「核のごみ」の処理は、「自分たちでするのは危険だ」という理由で、子孫につけを押し付けたものだ。そんな方法がないことなんて、薄々気づいていたはずなのに。
 理由は単純だ。彼らの本音は、単純だ。「お上に逆らうな」。愛国者の化けの皮を剥げば、「お上には逆らうな」という、唾棄すべきへつらいがあるだけだ。五人組制度と隣組制度の卑しい性根を残したまま「愛国者」たちは言う。「放射能は安全だとお上が言っている」「お上に逆らうのは、非国民である」。戦時中とどこが違うのだ? 「一億総玉砕とお上が言っている」「死なない者は非国民である」。そして生き残ったあとはこう言うのだ。「戦争はいかんですよ!」。
 なぜ、言わない?「お上に逆らわなかったわたしたちが悪いですよ」「そうなんです、相互監視しあってました」。「お上に逆らった奴は、率先して密告してました」。
 なぜ、言わない?「お上に従えば、身の安全は保障されると思ったんです」「だから“愛国者”じゃない人間は、一致団結して虐殺してまわりました。侮辱と汚名をかぶせて、殺しました」「いちばんこの国でえらいのは、お上です。つまり役人だと思います」「わたしたちもはやく、役人になりたーい」。

 なぜ、ごまかす?「わたしたちは、“騙された”」

 違う、民意だ。すべて、民意だ。周囲の顔色をおもんぱかり、風潮に必死に乗り、若者を特攻機に載せ、死ぬために死ねと命じて、卑怯に生き残り、そして言う。「戦争は悲しみしか生みません」。今度はこう言っている。「放射線は安全だ」「瓦礫も安全安心だ」「なぜなら、お上がそう言っているから」。こうして必死に「風評被害」という新たな風潮に乗り、「被災者のため」という名目のもとに瓦礫を我先にと引き受け、そしてその瓦礫の処分の費用が被災地の自治体の借金となって残るのも無視して、「これが被災地のため」と、美辞麗句にのみ浸る。さらに相互監視して、「避難」という自主的な行為に及んだ人間を、「非国民」としてなぶり殺しにしようとするのだ。精神的に。


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山崎マキコ自画像
山崎マキコ
1967年福島県生まれ。明治大学在学中、『健康ソフトハウス物語』でライターデビュー。パソコン雑誌を中心に活躍する。小説は別冊文藝春秋に連載された『ためらいもイエス』のほか、『マリモ』『さよなら、スナフキン』『声だけが耳に残る』。笑いと涙を誘うマキコ節には誰もがやみつきになる。『日本の論点』創刊時、「パソコンのプロ」として索引の作成を担当していた。その当時の編集部の様子はエッセイ集『恋愛音痴』に活写されている。
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