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栃木の家の競売も、業者との争いだった。
不動産業者というのは、競売で落とした家に安いリフォームをかけて値段を上乗せして売り出し、利益を得る。
わたしは僅差で彼らに競り勝った。
原発が爆発したとき、わたしもついに勝負に敗れたなと苦笑した。一方で、勝負から降りた気楽さがあった。博打というのは、けっこう疲れる。
もういいわ、と思った。
その後、夫を高知に残して福島に向かい、浜通りの惨状を目にした。
津波の被害を受けない場所でも、売り家、売り地の看板だらけだった。新築同様の家がゴーストタウンのなかに、ぴかぴかに建ってる。だけど原発から至近距離にあるこれらの家を、だれが求めるというのだろう。後に浜通りの資産価値はゼロと国から評価された。固定資産税がかからない家が、いまも浜通りには建ち並んでいるだろう。
地上に築く富は、なんて虚しいのだろう。
わたしは、負けるのが嫌だった。こういう勝負で、負けるのが嫌だった。他人に食い物にされるのは、もう真っ平だと、いつも感じていた。
だから戦い続けた。
けれど、とうとう裁かれたのだ。いいだろう。当然だ。
高知の月額2万円の借家に戻ると、夫がゴミで風呂を沸かしていた。別に取り立てて不満そうな顔もせずに、山のなかの古ぼけた家にいた。
わたしといたせいで、この人は、随分と苦労している。
なのに笑っている。
確かにわたしの現世的な力というのは、一時的には存在したと思う。
わたしは夫から養ってもらったことは、ない。とはいえ、だ。
地元に帰れば縁故採用の道が開けていたであろうこの人は、実にあっさり、わたしが首都圏でないと働けないというだけの理由で、その選択肢を捨てたのだ。選んだ勤め先は、夫が一生、昇進できない場所だった。なのに、僕が採用になった就職先はね、転勤がないんだよと、ほがらかにわたしに報告した。
そしていま、夫はぼろぼろの家で、ゴミを燃やして風呂を炊いている。
なのに笑っている。
温かい炊き立ての会津米と有明海苔、そして梅干におかかをあえて、お結びを作った。
わたしには食物貯蔵の癖がある。
これは冷夏の年に日本が緊急にタイ米を輸入したときの経験が活きている。若年層は知らないようだが、「1993年米騒動」と称された米不足があった。長引いた梅雨と日照不足で東北地方が特に不作で、日本米1000万トンの需要に対して、収穫量が800万トンを下回る事態となった。
本来なら、日本国民は飢餓に陥っていただろう。
日本米は買占めと売り惜しみから品薄となり、やがて店頭から消えた。その代わりに日本が金に飽かせて買い占めたのがタイ米である。バブルが弾けたばかりの時代だったから、日本経済は強かった。
しかし短粒のジャポニカ米に慣れた消費者には、長粒のインディカ米が舌に合わず、輸入はしたものの、家畜の餌にされたり、投棄されることもしばしばだった。当然、輸入元となったタイ国内では米の価格が急騰していた。だからこの事実を報道で知ったタイ国民は怒り狂った。それを治めてくれたくれたのは、現タイ国王だった。
「こちらが困ったときに、相手が助けてくれることもある。またその逆もある。だからいまは許しましょう」
そんな意味合いのメッセージを国民に伝えて、日本の暴挙に対するタイ国民の怒りを静めてくれたのだ。わたしはタイ米を捨てはしなかった(ごく若い時期にタイを旅行した経験がたまたま幸いした。現地の味に少しばかり親しんでいたので、タイ米ならではの良さをちょっとは知っていたのである)。とはいえ、同じ日本人の振る舞いが、どれだけタイの人たちには無礼で傲慢に映るだろうと考えると、陰鬱な気持ちになった。
そんな訳で、貯蔵癖がついたわたしはいつも「古米」を食べている。翌年の天候など、人知の及ぶところではない。だから会津米を一俵、買い置きしておいて、次の新米が出る季節になると精米する。また、これも人からは妙な癖と言われるのだが、海苔、梅干、味噌、それから戻しやすい乾物などを、買い溜めて冷蔵庫に保存しておく性質なのだ。
「山崎の家の冷蔵庫は、なんで梅干や味噌ばっかりなんだー!」
と友人からびっくりされたが、「最低限、これがあれば生きていけそうなものを溜める」というのは、もはやわたしの習性と化している。だから会津米も、有明海苔も、農家のおばあちゃんたちが作った産直の国産梅干も、全部、3.11以前のものだ。
美味しい美味しいと、夫はわたしの作ったお結びを食べた。
こんな貧乏生活をさせているのに、夫は笑っている。
わたしは負けた。
なのに寄り添っていてくれる夫がいる。
敗残して初めて見えてきたものがある。
それがなにとは言わないけれど、わたしの唯一の財産はそれだ。
そう考えて、栃木の家については、これから延々と固定資産税だけ支払うはめになるのだなあと、ぼんやり思ってた。あそこは、国から資産価値ゼロとは評価されていない。博打のつけは手痛いものだ。しかし、当然だ。これでよい。
ところがそんな矢先だった。
福島の母から、実に不思議な相談を受けたのだ。
実家が経営している会社の旧社屋があった。そこが3.11で全壊(といっても、ぺしゃんこに潰れたわけではなく、解体は必要な状態ではあったのだが、行政の評価として、全壊)したのだが、そこにできた空き地にアパートを建てたいから売って欲しいという話が来ているというのだ。
愕然とした。
いまさら、福島に?
確かに原発事故以前ならば、地方の立地としては高く評価できる。新幹線の駅から徒歩5分、ジャスコから徒歩5分。
しかし、原発からは直線距離で80キロなのだ。
もしや、と思った。もしかすると、世間の人は、原発事故がもう収束したと認識しているのではないか? と。
現在も原発事故は収束のめどすら立たず、毎日、あの壊れた建屋の上から放射性物質を絶賛放出中だ。本気で生き残りたいのなら、海外に逃げるのを真剣に考えたほうがいいだろう。特に若い人には、わたしは強くそれを勧めたい。
しかしどうやら世間一般の認識は違うようだと、まるで地震で隠れた机の下から首だけ出して、怯えてあたりを見回すような気分で周囲の挙動をうかがった。
おかしい。わたしは今度こそ、負けたはずではなかったのか?
原発は廃炉の見込みもないのに「未来の技術」とやらに期待して作られた「夢のエネルギー」施設だ。しかし放射性物質の半減期の前には厳然とした「物理」というものが立ちはだかる。福島ではなにやらEM菌(堆肥を発酵させるための嫌気性菌らしいのだが、死滅させてもEM菌からは“波動”なる謎のものが出るらしい)が「除染」に役立つとかなんとか、訳の分からないエセ科学(はっきりと言わせて貰おう)に期待を寄せる人もいたりするようだが、物理というのは、物の、ことわりである。それが根底から変わるというのなら、宇宙自体の存在が変わる。そう、これ、皮肉です。
正直に言おう。わたしは栃木の家を売り抜けるにあたって、「人を騙した」。それは否定しない。だが、わたしに易々と騙される人がいることを、わずかながら、悲しく思う。
しかしそんなわたしも敗北は近い。すでに円安の波は来ている。たぶん預貯金など無意味になる。それ以前に、わたしが5年後に生きているかどうかも、怪しい。
地上に積む富は、なんて虚しいものか。
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