2012.02.23
山崎マキコの時事音痴 文藝春秋編 日本の論点
第250回
栃木行 その2
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 母屋にお邪魔すると、信末さんが携帯でだれかとやり取りしていた。厳しい面持ちと、いくつかの単語から内容は推察できた。信末さんは野菜だけでなく、堆肥も販売していた。野菜についてはほとんど3人の息子さんや従業員に任せて、自分は堆肥作りに労力を割いていた。
 昨年の六月に、栃木で作られた腐葉土から放射線が検出されて、ホームセンターなどでの販売が禁止されたとき、わたしは打ちのめされた。この後になにが起きるか、予測がついたからだ。
 栃木で作られる堆肥の販売の禁止。これだ。
 信末さんが長年かけて築き上げたものが、一瞬にして瓦解した。
 東電は、国は、いくら賠償しようが償えないだけのことを、した。
 信末さんは携帯でのやり取りを終えると、疲れた顔で、それでも笑顔を浮かべて、
「おう、山崎。来たか。まったく、いやんなっちゃうよなあ」
と言った。
 携帯で交わしていた会話の内容はおおよそ推察していただけに、うまく笑えない。この時期にはすでに噂で漂っていた。どうやら東電は、福島県内ですら一部地域に、一人当たり8万円の損害賠償すら支払わない意向であると(後にこれは事実となった)。会津地方、そしてわたしの故郷である白河地方である。理由は「線量が低いから」。2月13日の時点では、県のオフィシャルサイトで確認すると白河合同庁舎駐車場の高さ1mの空間線量は「0.32μSv/h」。去年の五月頃は0.5μSv/h以上あった記憶はしっかり残っている。どこが「低い」のか、わたしには理解しがたい。放射線管理区域は0.6μS/hではなかったか?
 福島ですら、このザマだ。ならば栃木は?
 でも、必死に笑みを作った。
「はい。会いにきました。えっと、信末さん、これ!」
 赤福が入った袋を手渡した。
「お?」
 袋のなかを覗き込むと、信末さんがにんまり笑った。
「赤福だあ」
 その笑顔にかつてのような輝きを見て、ようやく自分にも心から笑える瞬間がきた。よかった、赤福にして。
 信末さんはいきなり包装紙を破いて、嬉々としてへらで赤福を食べ始めた。猛然たるスピードで。
 食べながら、話し始めた。
「東電がさ、200人も弁護士用意したって」
「そういうところだけは用意周到ですねえ。原発の安全対策は平然と怠ったくせに」
 国からの「追加融資」という名の税金の投与も、さぞかし高い弁護費用に使われるのだろう。うんざりだ。
「堆肥の出荷、停止してんだ。うちの八重子さん(信末さんの奥さんの名前です)から言われてる。このまま行くと、うちの経営は、って。――これまで、いつだって、こうすればいいっていうビジョン? 浮かんだんだよ。だがなあ……今回に限っては、なーぜか、そういうのがまったく、浮かばねえんだよな。なあ、高知の農業って、どうよ」
「うーん、正直言って、悲惨の一言ですね。福島や北関東がいかに凄い穀倉地帯だったか、思い知らされました。知識として知っているのと、現実を前にするのでは実感がぜんぜん違います。小山は、フラットな、圃場整備された農地が延々と広がっていて、機械が容易に入る。ほら、買ったときに信末さんから『こんな馬力の少ないトラクターで大丈夫かよう』って心配されたウチのイセキのキャビン付きの24馬力(キャビン付きのトラクターでは最低ランクの馬力です)、あれ高知に持ってったら近所中の話題になっちゃって。『どこの山を買って平らに開発するがや?』って尋ねられる始末ですよ」
「開発……。なんかもう、どういう土地に越したかそれだけで解るな。棚田ばっかりか?」
「その通りです。しかもですね、田植えが“手植え”ですよ? 動力が使えなければ手動で行く、みたいな。あの田んぼ、『これが先祖伝来の田んぼだ、お前に譲ってやるから大事に守れ』とか言われたらですね、わたしだったら、『バスジャックの真似事でもして、刑務所入ってたほうがマシだー!』と思いますよ、正直」
 信末さんはそこでガハハッと笑って、次の瞬間、びくりと怯えた。
 奥さんの八重子さんが、物凄い目つきで信末さんを睨んでいたからだ。
 信末さんは、赤福をほぼ一気食いしていて、あと一へら分しか、残していなかった。ご機嫌を伺うように、信末さんが必死に笑う。
「や、八重子さんも、食べる?」
「当たり前でしょう!」
 みんなで笑った。信末さんと奥さんの八重子さん、そして夫とわたしの4人で、この瞬間はさまざまなそれぞれの悩みや苦しみを忘れて、笑った。
 3.11以降、何気ないこんな出来事が、とても貴重なものに感じられるようになった。この一瞬があっただけでも、信末さんに会いにきてやっぱりよかったんだと思えた。
 信末さんをからかった。
「いいもの見ちゃったなあ、信末さんの赤福一気食い」
「一気食いじゃないよ、俺、ちゃんと最後のひとつは残したもん」  奥さんが憤怒する。
「一気食いと同じよ! 普通、半分は残すでしょ!」
 それからしばらく小山のころの思い出話で賑わった。夫が友人ふたりに手伝ってもらいながら、手探りで完成させたビニールハウスのなかでバーベキューパーティーをしたときの思い出、みんなで那須の信末さんの農場に行ったときの思い出。けれど、那須の話になったら、やはり放射能の話題に戻ってしまう。
 信末さんは去年の3月21日、福島、茨城、栃木、群馬の各県産ホウレン草が出荷停止になったあたりから、相当な危機感を抱いて原発事故が農業に与える影響について勉強し始めたらしい。そして那須の畜産農家の人たちに、飼料となる稲わらを屋内で保管したほうがいいなどと呼びかけたりしていたという。肉牛の農家は初期から危機感を抱いて飼料を屋内に保管したらしいのだが、放射性セシウムが不検出の稲わらを与えていた肉牛からすらも、国の基準値を超える放射性セシウムが検出された。
 これはたぶん、あの時期のすさまじいフォールアウトと無関係ではないだろうとわたし個人は推察するわけだが、科学者ではないので、証明はできない。素人のつぶやきに過ぎないので、この仮説については各人、それぞれ考えていただければ幸いだ。
 信末さんが苦笑しながらつぶやいた。
「県境を越えて福島に行けばさ、俺たちはここに居ても大丈夫なんだろうか、せめて那須のほうに逃げたほうがいいんじゃないかと言う。那須に行けば、俺たちはここに居ても大丈夫なんだろうか、小山あたりまで逃げたほうがいいんじゃないだろうかと言う。で、小山の人間にしても、俺たちはここに居ても大丈夫なんだろうかと言う」
 チェルノブイリ事故のころに、当時の友人だった女の子に言われたことを思い出した。
『どうせ世界中に放射性物質は拡散していくんだから。いくら内部被曝を避けようとしたって無駄だよ』
 それはその通りなのだ。事実だと思う。わたしは高知が汚染を免れているとはまったく思っていない。どこまで遠ざかれば安全なのか? そんな答えなどだれも持ってはいない。ベストはない。ベターはあるにせよ。
 しばらく話しているうちに、農地の除染についての話題になった。
「このあいだ福島で実験的に行われているという、農地の除染のニュースを見ました。どうやったら農地の除染なんか可能になるんだろうと思っていたんですがね。わたしが映像を見た限りですと、あれ、土壌反転客土耕に見えたんですが、違いますか?」
 信末さんが勢いこんだ。
「そう、反転耕」
 土壌反転客土耕は、重機を使って、表層土と下層土を反転させる、要するに土の天地返しだ。
 これは本来、桜島などの火山灰が降る地域に使われていた土壌改良技術である。火山灰に対する対策としては、有効だと言える。というのも、表層土と火山灰の天地返しならば、それまで耕作されていた表層土、要するに「生きた土」を表面に置き換えられるからだ。しかし現在、福島で行われている土壌反転客土耕は、耕作土と古土壌の天地返しになるわけで、古土壌は耕作土ではないから、有機資材を使った土壌改良が必要になってしまう。つまり、信末さんが作っている堆肥のような、有機資材だ。
 ここらへんの推察で、すでにわたしのなかの結論はほぼ出ているのだが、本職の意見が聴きたかった。
「反転耕もな、表土とその下の土がひっくり返るのは半分ぐらいなんだよ、実際のところは。しかも、それなりにパワーのある重機を使っても、そうそう深くひっくり返るもんでもない。そりゃまあ、やればそれなりに農地の空間線量は低くなると思うよ、セシウムを内部に隠しちゃうわけだからな。だが、その農地に作物を植えて、根が深く入っていったときにどうなるか? という課題があるんだ」
「ああっ、そうだった、根! これはちょっと考えが至りませんでした。やっぱり生半可な知識では物事を語れませんねえ」
 わたしが、ある取材中に「もう農学部卒とか、絶対に言いたくない」と思った過去の出来事がよみがえってきた。実にマヌケな話で、ある山腹の有機農家さんにお話を伺っていたときに、「この山の上のほうではニンジンを作っていて、山の下のほうでは大根を作っている」と言われて、同じ地域なのに、どうして主要作物に違いができるのかと不思議に思った。最初、標高による寒暖の問題なのかなと推察してしまったんである。すると取材を受けていた生産者さんが呆れた。
 そう、山というのは、常に崩落している。長い時間をかけて、わずかずつであるが、表土がゆっくりと崩落している。するとどうなるか?
 土壌の厚みが、山のてっぺんに近づくほど薄くなり、裾野に近づくほど厚くなるのだ。
 だから、山のてっぺんに近づくほどニンジン、裾野に近づくほど大根、という当たり前の結論が導かれるのである。うちの土壌研の竹迫先生は、山岳土壌が嫌いだったんですー!(土をサンプリングするために登山するのが大変なので、先生はいつも山を登るたびに息を切らして「だーからわたしは山岳土壌は嫌なんだよー」と怒っていた)というのは、言い訳になってない。
 やはり農地の「除染」なんて、壮大なごまかしに過ぎないという思いが強くなる。除染ビジネスに多大な国家予算を使って、それで? 目の前の利権を食い尽くした先は?
 昔、「レミングス」というゲームをやっていた時期がある。けっこうヒットした作品であったが、わたしはやってるうちに陰鬱な気分になってしまい、早々にリタイアした。ゲームのモチーフに使われているのはレミングというネズミの集団自殺的行動で、レミングたちはプレイヤーが手出ししなければ、粛々と崖に向かって歩いていき、絶壁から海に落ちて、死ぬ。
 粛々と、死に向かって歩みを進めるレミングたち。
 最近、あのゲームをよく思い出す。そしてわたしもまた、レミングスの一匹に他ならないように感じる。ただ、崖に向かうにあたり、微妙に納得してないレミングであるかのような。集団の流れには逆らえないし、わたしもまた崖に向かって歩を進めているのだが、釈然としない思いを抱いているだけ、というような。
 わたしはせいぜい1時間ぐらいで、おいとまして、小山の自宅を見に行こうと考えていた。なのに会話の節目、節目でなんとなく信末さんが次の話題を繰り出してきて、なんと4時間ぶっ通しで喋り倒すことになった。
 この先、自分はどうあるべきか。信末さんが真剣に悩んでいるのが伝わってきたから、わたしはその場に留まった。
 信末さんと出会ったのは、二十代の終わりだったと記憶している。あれからずいぶんと歳月は流れ、わたしはもう四十代後半も近い。いつもわたしの先を見つめていた信末さんから、これほど強い迷いを感じたことは、かつてなかった。わたしと会話しながら、信末さんは自分と対話しているようでもあり、答えを必死に探している。
 ペトカウ効果と呼ばれる、「長時間、低線量放射線を照射する方が、高線量放射線を瞬間照射するよりたやすく細胞膜を破壊する」という事実。破壊された細胞膜からは放射性を持つ分子が細胞内に入り込み、DNAを傷つける。
 原発推進派からの反論としては、「世界中のどこにいたって低線量被曝をする。本当に低線量被曝のほうが人体に悪影響を及ぼすというのなら、人類はとうに滅亡している」というものだが、そもそも生物の歴史というのは、放射線との戦いだったと記憶している。そのためにDNAの自己修復機能を、生物は備えた。余分に浴びていい放射線など、ない。さらに言えば、原発推進派は、「ペトカウの低線量被曝の実験は600μSv/hという“高線量”で行われた」という二枚舌を使うのだが(低線量被曝のはずが、ここでいきなり“高線量”被曝に変わる)、少なくとも事実として言えることは、例えば福島市のような1.5μSv/hの空間線量の被曝を5年間続けたらどうなるか? という実験データは、いまのところない、ようだ。(公になっていないだけかもしれないが)。
また、原発推進派は「カリウムからだって被曝する」というが、カリウムとセシウムの違いは、生体濃縮だ。そもそもカリウムは、化学肥料の三大要素ですらある。窒素、リン酸、カリ。定番である。カリウムを排出する機能を人類、そして生物は備えていても、カリウムと間違えて体内に取り込んでしまった放射性セシウムに対しては人類は誤作動を起こす。筋肉などに蓄積し、なかなか排出されない。
 そんなことはたぶん、物事を徹底して追及する信末さんならとうに承知しているはずで、いまさらわたしが口にする必要はない。
「俺、北海道とかに渡ったほうがいいのかなあ?」
 自問自答するような声。
 あまり踏み込まないように、応じる。
「信末さんの重機は半端ないですもんね。あれは、高知に持ってきても、使える場所はないかも」
「そっかあ。俺、山崎マキコが高知に行ったから、高知もいいかなと思ってたんだけど」
「うーん、山を削って、開発します?」
「そこから始めるのかよお。参っちまうなあ」
 信末さんが北海道に渡る決断ができないでいる理由は、いくら馬鹿なわたしでも解るのだ。信末さんの知人だけで、北海道で農業に携わっていた生産者が3人、経済的な理由により自殺していると、以前、信末さんは語っていた。
 他人であるわたしはもはや、立ち入れない領域だ。
 信末さんの話はまだ続きそうな気配だったのだが、日没前に小山の自宅を見ておきたかった。仕方なく、強引に話を断ち切った。
 畑まで見送ってくれた信末さんはどこか弱々しく、力なく、頼りなく、胸が痛んだ。

つづく


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