2011.07.14
山崎マキコの時事音痴 文藝春秋編 日本の論点
番外編
福島記7
全2ページ
 匂い袋を作ったり、毛糸でタワシを作ったりするボランティア活動をしているのは、郡山の婦人会だった。
 それを仕切っている女性がわめく。
「それにしても頭に来たわ。今週の週刊誌にね、避難所による食事の違いなんかを載せてさ!」
 奥さんがわたしに説明する。
「最初はね、パンと飲み物だけだった。しばらく経ってから、コンビニの500円ぐらいのお弁当に。でも3日前から突然、ご飯もおかずの盛りも良くなったの。だれかが言ってたわ。 『これ、建前の弁当?』って。建前ってわかる?」
「ええ、実家が建築関係なもので」
 建前とは、棟上が終わったところで建築関係者やご近所に振舞われる、豪華なお弁当である。昔はこれがご馳走だった。
「シャケが切り身で入っていたし。ご飯の量も半端じゃなくて。男の人ならいいだろうけど、わたし、太っちゃうわ」
 しかしその避難所の食事の内容の違いをいちいち報道することになんの意味があるのだろう。どの週刊誌かは知らないが、取引のある出版社だったら、わたしは恥じるぞ。全国に配布される出版物だ。当然、読者のなかにはミスリードをする人だって出てくる。「避難所でこれだけのご飯を“恵んで”貰って、なんの仕事もしないでぶらぶらしてるだけで」。日本人のそのあたりの「他人が得をしているのではないか」とひがむ性根、性根の腐り方いうのは、最近になってしみじみ知ってきたのだが、半端ではない。わたしが今回の原発事故で一番嫌で、なおかつ印象に残ったのは、名古屋出身の編集者の言葉だった。
「このままフクシマ県民は全員“生活保護”のタカリになるんですか? 嫌っスねえ、この事故のおかげで一生食えるとか思ってたら」
 なんという卑しい物の見方だろうと驚愕したのだが、これが「西」の感覚なんだなと最近になってしみじみ知った。「東京に原発を!」という広瀬隆の著書のタイトルを思い出した。これが福島でなくて東京だったら? 例えば都庁のそばに原発があったら? 君の出版社の借りているビルは「グラウンド・ゼロ」だ。借りているマンションは「自主避難勧告」地点だ。さあ? どうやって生活していく? 西に逃げても君が生活を維持していくだけの稼ぎを出せる「出版社」はあるかな? それ以前に、出版業界自体が崩壊だ。
 しかしわたしのそんな思いとは裏腹に、会議室のなかは和やかな空気が流れていた。
 誰かがわたしの隣に座っている温厚な奥さんに声をかける。
「奥さんは少し太ったほうがいいわよ」
 確かに細身の女性だった。
 わたしは原発事故のあとの1カ月で5kg体重を落とした。テレビのニュースを食い入るように見てしまうのだが、そうするとご飯が喉を通らなくなるのだ。お腹は減っているのに、食べられない。この奥さんも、心労でやせたのではないのだろうか。そうでなければいいのだが。
 婦人会を仕切る女性が間に入る。
「でもやあね。年を取ってから痩せると、腹まわりは太ったままなのに、胸から痩せちゃって」
 わたしも談笑に混じった。
「そーなんですよ! わたしも痩せたらブラのサイズばっかり小さくなりやがって」  ビッグパレットだって、環境放射能の値は決して低くない。
 それでもみんな、危ういところで「正気」を保とうとしている。そういう印象を受けた。 目に見えない恐怖に晒されながら。
 ここで、避難所においてあるカップで、
「ここにあるインスタントコーヒー、飲んでいいですかあ?」
と尋ねた。水道水は危険だろうとは思う、正直なところ。だが、みんなここのお茶を飲んでいる。持参したペットボトルの水を出したら、枝野官房長官並みに地元に生きる人たちに対して失礼である。どこからか、
「どうぞー」
という声がかかったので、その辺にあったカップを適当に選んで、インスタントコーヒーを淹れた。
 すると奥さんが目を輝かせた。
「あら、これ、××(ここ、記憶失念)ね!」
「有名なカップなんですか?」
「そうなの。息子が母の日に贈ってくれてね。 一時帰宅が許されたときに、持ち出してきたの」
「綺麗なカップですよね」
 わたしは直感的に思った。このカップは、郡山市の婦人会が、結婚式の引き出物などで貰ったけれども「いらなかった」カップを提供したものだと。
 郡山市は、県内でいちばん、豊かな街だ。幼稚園から中学まで女子だけで一貫教育をするミッション系の私立学校もある。
 奥さんがカップをしみじみと眺めながら、微笑む。
「わたしね、とても大事に使っているの、これ」
 悲しかった。東電につけこまれた浜通りの貧しさが、悲しかった。
 奥さんとしばしの談笑の後、トイレに行きたくなったのと、タバコが吸いたくなったのとで、カップを洗って席を外した。
 わたしは福島に来てからというもの、以前より格段にヘビースモーカーになっていた。 一息ごとにニコチンを摂取してないと、なんだか落ち着かないぐらいに。 正直、ここに居るだけでストレス、というか。絶望的な気分になり、つい、バカスカふかす。
 喫煙所から視界に入ってくるビッグパレットの周辺には、住居2年限定の仮設住宅が急ピッチで建築中だ。すごく、気になる。というのも、仮設住宅が、地を這うような高さで建築されているからだ。特に表土を取り除いての作業のようには見受けられなかった。そのまま汚染した大地の上を這うように、建設される仮設住宅。
 どうして県内にこだわるのだろう。どうしてこんな場所に人を住まわせるのだろう。 だけどそれでも「自主努力で」生活を再建しなければいけない人たちは、行政の指示に従うしかない。よほどの富裕層でないと、いきなり「ホームレス」に叩き落されて、生活の基盤を元に戻すことはできない。
 すると喫煙所での会話が耳に入ってきた。
「殺しに行く前から解るよね」
「解る、解る」
「臭いが半端ないから」
「牛はさ、体重が400kgあるから。蛆が凄いよな」
「安楽死させに行く前に死んでると、へこむよな」
「俺、ここは死んでるな、っていうの、牛舎に入る前から解るようになった」
 ちょうどこれを遡ること5月12日に、20km圏内の牛を安楽死させると決定した直後だった。牛は田んぼの草などを食べて生き延びていたのもいたが、牛舎につながれたままだったものは、衰弱死したのだろうなと推察した。
 ちらりとその方角に目をやった。富岡町の行政の人たちだった。
 話を聞いているのがつらくて、喫煙所でゴルフウェアを身に着けたおじいさんに話しかける。
「どちらから避難していらっしゃったんですか?」
「富岡よ」
「あれ? リボンをつけていない」
「ああ。あれはよ、配給があるだろう? あのときに、余所者がさ、勝手に食っちゃうからな。それでリボンを渡されただけで。配給をもらうとき以外は、俺はつけない」
 絶句する。
「配給を、勝手に?」
「そりゃあそうよ。だれだってタダで飯を食いたいもん」
 珍しく明るい老人だった。
「アンタはどこから来たの」
 ここでまた少し曖昧に答える。
「わたしですか? 西郷村です」
「ああ、西郷村っていったら、有名だべな」
「そうですか?」
「そりゃあそうよ」
 まあ、福島第一原発から84kmも距離があるのにストロンチウムが検出されちゃったからな。でも、全国区的に見たら富岡町ほどじゃないと個人的には思うんだが。 あとはタケノコの出荷規制か? なんかねえ、どう考えても西郷村を狙い撃ちにするのは、栃木県「那須町」の隣村だからだと思うんだよ。那須には御用邸もあるしなあ。しかしおかしいのは栃木県公式ホームページの「環境放射能の調査結果」だよ。いきなり言い切っちゃってるもんね。「これらの数値が、健康に影響することはありません。」へえっ、浴びて安全な放射線ってあったんだ。わたしは医師だった舅から聞いたけどね。「レントゲンもCTスキャンも出来ればやらないほうがいい。やるメリットがやらないメリットを上回るからやるだけだ」と。舅は間違ってたんだ、へえっ。そしてどうして県境を越えたとたんに空間線量がそれなりに高くても「健康に影響することはありません。」になるんだろうね? おい、どうなんだよ、栃木県。
 ま、それはいい。老人との会話に戻ろう。
 老人が背中のストレッチをしながら言う。
「あー、俺なんか本当は、逃げなくたってよかったんだよ」
「おいくつですか?」
「76歳」
「わたしの母の3歳年上ですね。まだお若い」
「若くなんかねえって。あと10年もすれば棺おけよ。放射能なんてどうせ10年ぐらい経たないと影響でないだろ? でもまあ、規則は守らなくちゃならねえからな。しょうがねえからここに来たのよ。あーあ、西郷あたりに国も土地をくれねえかなあ? 俺、土建屋なのよ。また商売やりたいわ」
 このパワーなら、まだいける。
「ですよねえ、元請になって、わたしの実家に仕事をください。うち、下請けです。ガラス屋です」
 西郷村のほうが、まだしも、環境放射能の値が低い。ずいぶんとマシであるちまちまとビッグパレットの横に仮設住宅なんて建ててないで、大規模に移住させてしまえよ。
 明るい老人なので、尋ねにくかったことなども尋ねてみようと決めた。
「避難者用のお風呂っていかがですか?」
「俺、使ったことない。車を持ち出してきたからさ、この近所のスーパー銭湯に行ってる」
「高くないですか?」
「被災者だっていうと、350円だったかな? そんなもんにしてもらえる。手帳があるのよ」
「それなら、東京の銭湯とさほど差がないですね」
 オープンな老人なので、聞きにくいこともどんどん突っ込んでいく。
「それと気になっていたんですが、お洗濯とかどうされてるんです?」
「全部、クリーニング」
「えっ? あの、その……下着とかもですか」
 すると胸を張って答えられた。
「うん! クリーニングだ」
 また同じような質問をしてしまう。
「高くないですか?」
 いや、だってさあ、無収入なのに生活費だけが出て行くって心配じゃないの。
「いや別に。この近所でさ、小一時間ぐらい待てば、くるくるくるって、乾燥までしてくれるのがあっから」
 ここで気づいた。どうも年齢的に「カタカナ」に弱いんだと。
「……それ、『コインランドリー』じゃないでしょうか」
「あっ! そーだった! それだー」
 老人は爆笑した。
 この笑いに、少しだけほっとした。
 しかし見聞きしたもののダメージが大きいのと、老人のチェーンスモークに(他にすることがないらしい)さすがのわたしも撃退されて、今日はここまでと諦めた。
 喫煙所の前の車に乗り込もうとすると、老人が声をかけた。
「なんだ? 初心者なのか?」
「ええ、そうなんです。去年の七月に取ったばかりで」
「気をつけろよー。ゆっくり走れば、大丈夫だ」
 しかし、しみじみ理解してきたのだけれども、みんな精神的に参っている。特に、現役世代ほど。 負担をかけない取材を心がけないとならない。
 帰りがけに小腹が空いてきたので、つけ麺屋に立ち寄った。つけ麺かあ。タレも麺を茹でるお湯も水道水だよな、当然。まあいい。内部被曝上等。このつけ麺屋、どういう理由でかは知らないが、今月いっぱいで店を閉めるという張り紙がしてあった。漠然となんだけど、県内の景気が後退している雰囲気がするのは気のせいだろうか。
 店内ではテレビがついていて、ニュースが流れていた。
 テロップには、県内各地の「今日の環境放射能」が、「今日のお天気」みたいに、流れ続けている。「はいはい、福島市は1.5μSv/hねー、本日も高止まり、と」などと半ば無視してつけ麺を啜っていたのだが、やがて30km圏内の値が流れた。どの地点だったかはわずかな間だったので見逃したが、数値は脳裏に刻まれた。
 9μSv/h。
 うお! 完璧に「死のゾーン」。どうして40km圏内が「避難指示範囲」にならないか解らない。っていうか、わたし、20km圏内ギリギリまで接近して……。
 のんびりつけ麺を食べている気が失せた。
 そそくさと店を出て、より環境放射能の値が低い方角に向かって車を飛ばしている自分がいた。以前、チェルノブイリをバイクで走った女性のサイトを読んだときのことを思い出していた。
「ガイガーカウンターの音に追い立てられてギアを上げてしまう」
 わたしの手元にはガイガーカウンターすらない。だが、それでも入ってくる情報から、自分が低線量の被曝に晒されているのは認めざるを得ない。
 見えない恐怖に煽られながら、国道4号線を走った。
 そしてその恐怖から逃れられない運命に落とし込まれ、生活の基盤も全て奪われた人たちの行く末を案じた。


前のページへ
全2ページ
バックナンバー一覧へ

閉じる
Copyright Bungeishunju Ltd.