2011.07.07
山崎マキコの時事音痴 文藝春秋編 日本の論点
番外編
福島記6
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 では5月23日の「福島」を記す試みを始めます。
 前夜、わたしは夫から叱られていた。
「君はいったい、福島でなにをしているの? ボランティアのひとつもしないなんて」
と。
 周囲からはわたしは優しい夫に恵まれたと思われているが、実はそうでもない。今回の福島行きにしてもそうなのである。まず、夫の意向を確認しようとして、
「福島に3週間ほど行ってこようと思うんだけど、どうかなあ?」
と尋ねたら、真っ向から目を見据えられて言われたのだ。
「僕が君と同じ仕事をしていたら、すぐにもそうしている。僕は不思議に思っていた。どうして君がそれを早く言い出さないのかなと」
 わたしが福島行きを夫に打診したのは、4号機が傾いているという噂がネット上で流れていた時期だった。事実かどうかは知らない。そして、行ったからといってわたしに何ができるかといえば、「見たものを自分の視点なりに書く」という、いったいそれにどういう意味があるかよく解らない仕事である。
 すでに現地には、ばりばりのノンフィクションライターの人たちが大勢、詰め掛けている。いったいわたしのような訳の解らない人間が行ったところで、それ以上の仕事ができるかしれたもんじゃないと個人的には思う。
 しかしそういう思いを口にすると、夫に叩きのめされた。
「要するに、君が福島に行きたくないんでしょう? だったら最初から行こうと思うとか言い出さなきゃいいのに」
 あー、解ったよ、行くよ、行けばいいんだね?
 行って見て来るよ。そして書くよ!
 で、5月23日の前夜、わたしは夫に自分が見たものを報告したのだ。
「今日さあ、福一のある浜通りのいわき市ってところのセブンイレブンに、ボランティアの子だちが来てたよ。汚染された瓦礫とか右に動かしたり左に動かしたりして、なにかいいことあるのかなあ? そもそもどうするんだろう、あの瓦礫」
 するとまた鋭く痛いところを突かれた。
「君はどうしてボランティアをやらないの?」
「えっ、だってわたしは……その」
「要するに、行きたくないんだね。ボランティア」
 あー、解ったよ、行くよ、行けばいいんだろう!
 このように。
 わたしには大変、この人は厳しい。
 その代わりといってはなんだが、一般的な妻としての役割みたいのは、かなり基準が緩いようだ。仕事でご飯が作れなくても自分で勝手になんとかするし、部屋が汚れていても気にならないらしいし、洗濯物が畳んでなくてもそれが当たり前、みたいな。野郎の二人暮らしに限りなく、近いものがある。
 といった次第で、わたしは県のオフィシャル・サイトで(現在、どうなっているか知らないが、この時期の県のオフィシャル・サイトのトップページって悲惨だった。この原稿が掲載になる頃にはどうなってるか知らないが、どこの村の自治体だってここまで酷くないだろうという暫定感溢れすぎるサイト作りである。わたしが忘れかけているHTML言語で書いてやろうかと言いたくなるほど、悲惨だった)、ボランティアについて調べた。
 しかし福島県のボランティア、ねえ。
 正直わたしは、「人の住めない土地になった」と感じている部分が多々なんだよな。これは言っちゃいけないことなのかもしれないけど。少なくとも福島第一原発から80km圏内ぐらいは。ボランティアしてる労力があったら、なにか別のことに回したほうがいい、っていう気がしなくもない。
 しかし調べてみたら判明した。
 県はかなり切実に、ボランティアを必要としていた。そういう情報の発信の雰囲気であった。
 週末の土日には、いわき市行きのボランティアバスまで運行しているという。無論、現地までのボラバスの交通費は無料である。この費用、県が負担しているのか、国が負担しているのか、はたまたいわき市が負担しているのか知らないのだが。
 ボラバスの定員は40人までなんだけど、前日の午後3時まで受け付ける、という。
 夫にもつぶやいた自分の考えが再び頭によぎる。
 ただの自然災害と原発事故の決定的な違いは、瓦礫の処理だ。
 わたしだって故郷が単に津波の被害を受けただけなら、自分の財政状況が許す限りにおいて、ボランティアに参加していた。だが、瓦礫を移動させてどうするのだろうという思いは強い。瓦礫の収集が終わったあと、全国の自治体にばら撒かれたりしたら? 事実、災害と原発事故直後に川崎市が福島県の瓦礫を引き受けようと申し出て、市長が袋叩きにあったのは記憶にまだ生々しい。
 核は、拡散させないことが大切なんだが。
 そのためにも「ひまわりを植えよう」というプロジェクトも囁かれているわけだし。要するにひまわりが放射性物質を吸着してくれるから、その土地に固定して、拡散させないための予防策なんだが。
 しかし夫の手前だけではない。ボラバスが運行されているということも、問題といえば問題である。
 セブンイレブンに来ていた子たちが、かなり若かったのが気にかかった。
 被曝は年寄り限定な!
 よーし、ボラバスの定員を年寄りで埋める意味でも、わたしの参加は意味がある、ということで。
 まずはサイトに記載されている電話番号に連絡してみた。
「もしもし、5月28日土曜日のボランティアに応募したいんですが。定員はまだあいていますでしょうか」
「あ! はい。5月28日ですね。空いております、空いております」
 わたしは当初ちょっとだけ嫌な方向に予測していた(嫌な方向に予測するのが得意なのは自分でも自覚している。19歳の頃からずっと、「いつかはこの国にもチェルノブイリのような悲劇が起きるのでは?」と怯え続けていた。周りにいたらかなりウザい奴であることは間違いないと自分でも思う。だからある時期から発言を控えるように努めていたが)。というのも、わたしが女であるのと、それから年齢である。ボランティアにだって行政がボラバスの運行という「経費」をかけているのである。それで撥ねられるのではないか、と。
 しかし実際はどうだったかというと、即座に受付。名前と連絡先などを尋ねられた。
 集合地は福島県中通り最大の都市、郡山駅西口である。
 実は郡山市、県庁のある福島市よりも栄えている。
 理由はというと、「安積疏水(あさかそすい)」である。
 いでよ、ウィキペディア! ということで、そのまんま情報を貼る。

 安積疏水(あさかそすい)は、猪苗代湖より取水し、福島県郡山市とその周辺地域の安積原野に農業用水・工業用水・飲用水を供給している疏水である。水力発電にも使用される。

 引用、以上。
 ここで注目して欲しいのは、「安積原野」という言葉である。そう、安積疏水というものが引かれるまで、郡山あたり一帯というのは、「原野」だったのである。この辺に伝わる昔話に、
「安達が原の鬼婆」
というのがある。原野に住まう狂女で、通りがかる旅人などを殺してその肉を食べて生きていた。そうなったのは、母親を探しにきた自分の娘を、知らずに殺してしまったからだ、という話だ。
 しかし安積疏水で、街が造られた。農業用水にも使われているが、主に工業の街として、郡山は栄えた。過去の知事選で、
「某候補は、当選したらば福島市から郡山市に県庁を移すらしい」
という悪質なデマが対抗馬陣営から流されてしまい、それで落選した候補者もいたほど、である。
 わたしが高校生ぐらいだった時代までは、駅前には西武デパートが煌びやかに建っていた。ここ最近は郊外店の発達に伴い、駅前が廃れてしまったのでどうなったのかわたしも正直知らないのだが、この駅の西口を降りると安いセクキャバみたいなものの巨大な看板が立っていて、
「美人はおりませんが、可愛い娘なら沢山います!」
と書いてあったもんである。たぶん、もうないだろうと思う。
 それにしてもいわき市にボランティアに行くことになるのか。
 電話の向こうでメモを取っている雰囲気を感じ取りながら、前日に見てきた光景を思い出す。今回は常務にハンドルを預けていたため、車窓の風景をじっくり眺められたのだが、いわきの海岸沿いには、「瓦礫を積んでいるだけ」の光景が道路沿いに延々と続く場所がある。久ノ浜町西には、津波も来たし、火災もあったという。で、そこにもってきて原発事故、と。
 街にはお手製の旗のようなものが貼られている店もあった。
「がんばっぺ、いわき」
 逆に寒々しいんだよな。津波だけじゃなくて原発事故だぞ? 人間がどう「頑張る」というんだ? プルトニウムの半減期って2万4000年だぞ。
 2ちゃんねるでは、スレッドが立ったときに「2ゲット」するのが半ば伝統と化している。要するに、スレッドを立てた人間が「1」で、二番目にそれに書き込んだ人間が「2」だ。その「2」を奪い合うことを競って面白がっていた、ごく初期の頃は。だから2万4000年などという時間を伝え聞くと、どうしても半ば伝説化された栄光の「2ゲット」を思い出すんだが。
 以下、貼ります、伝説の「2get」を。


以前、3のくせに「2get」と書き込んでしまい、
「2000万年ROMってろ!」と言われてしまった者です。

言われた通り2000万年間、沢山沢山ROMりました。
猿から人類への進化…
途中、「ガットハブグフーン?」と書き込んだジャワ原人に反論しそうになったりもしましたが、
言いつけを固く守り、唇を咬んでROMに徹しました。

そして現れては消えていく文明。数え切れないほどの戦争…生と死、生と死。

2000万年経った今、晴れて縛(いまし)めを解かれた私(わたくし)が、
2get出来るチャンスに今っ!恵まれました。
感動で…私の胸は張り裂けんばかりです。

卑弥呼女王、見てますか?

義経様、清盛様見てますか?

信長様、秀吉様、家康様見てますか?

それでは、2000万年の歴史の重みと共に、
キーボードを叩き壊すほどの情熱をもって打ち込ませていただきます。

2get!


 引用、以上。2000万年まではいかないが、2万4000年といえば卑弥呼女王をはるかにさかのぼる旧石器時代である。
 ま、いいやそれは。で、電話口で確認を取られた。
「作業着、安全靴、角型スコップ、マスク、ゴム手袋、飲料水、それから1000円をお弁当代としてご用意ください」
「あ、はい。承知しました」
 ここまではWebで確認済み。しかし角型スコップねえ? あるかなあ、実家で経営している会社に。なければ買うしかないな。高いね、ボランティアをやるのもなかなか。


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山崎マキコ自画像
山崎マキコ
1967年福島県生まれ。明治大学在学中、『健康ソフトハウス物語』でライターデビュー。パソコン雑誌を中心に活躍する。小説は別冊文藝春秋に連載された『ためらいもイエス』のほか、『マリモ』『さよなら、スナフキン』『声だけが耳に残る』。笑いと涙を誘うマキコ節には誰もがやみつきになる。『日本の論点』創刊時、「パソコンのプロ」として索引の作成を担当していた。その当時の編集部の様子はエッセイ集『恋愛音痴』に活写されている。
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