2011.06.30
山崎マキコの時事音痴 文藝春秋編 日本の論点
番外編
福島記5
全2ページ
 ではようやく、5月22日、日曜日の話に入ろう。
 わたしはまたもや母に急かされた。
 この日は会社も休日ということで、56歳になる会社の常務(独身)が暇をもてあましているのであった。
 母が言う。
「常務の運転で、おまえが行きたいところに、どこにでも連れて行ってもらいましょう!」
 この時点で、わたしの「銀行のキャッシュカード」みたいな、使い道のないガイガーカウンターも届いていなかった。やたらと福島県内を走り回ったところで、なにか収穫があるのだろうか。線量の浴び損ではないのか? という気がしたのだが、やはり気になるのは飯舘村と相馬市である。
 飯舘村はIAEAからの勧告を受けた場所ということで気になるし、その先まで走って海沿いの「浜通り」に出ると相馬市がある。ここは、「松川浦」という天然の干潟のようなものを抱えている。
 相馬はとてもいい町であった。
 相馬野馬追い(そうまのまおい)という行事が盛んな土地柄で、一度、父のRV車に、飼っていた柴犬を乗せて相馬の海岸まで遊びに行ったことがある。
 犬は、初めて目にする広大な「池」のようなものに、驚いている様子だった。波打ち際まで近寄る。そして波が近づいてくると逃げる。それなりに楽しんでいる、ようではあった。
 そのときだった。
 リードを離されていた犬が、ぎょっとしたように立ち止まり、慌ててわたしの方角に逃げてきてから威嚇するように吼えた。
 その方角には、悠然と、海岸を歩く白馬。
 そう、相馬は、一市民でも、白馬とか飼っちゃうんである。すべて、野馬追いのため。わたしは自分の飼い犬の度胸のなさをしみじみと知った。春になるとこの雄犬、よく逃亡しては恋の季節を楽しんできていたのだが(かなり広い敷地で飼っていたのに、この季節だけは必ず逃亡。そしてよそ様のお宅のお嬢さんに手を出して、血統書つきのコリーと柴犬の雑種のような子犬を沢山産ませたりしていた)、馬を見ると逃げる。情けない。ああ情けない。
 野馬追いでは、戦国時代の騎乗戦のようなものが模擬的に行われる。わたしは直には目にしたことがないのだが、福島の地方局ではよく野馬追いの行事はレポートされていた。
 しかし今回のような津波の災害は、相馬の地形を考えると激しいと思われた。問題は、松川浦である。干潟のような平坦な土地が延々と続く。ちなみに、相馬市を浜沿いに東京方面に南下すると、米タイム誌の「世界で最も影響力のある100人」に選ばれた市長のいる南相馬市がある。 南相馬市をさらに南下すると、浪江町という小さな自治体をはさんで、福島第一原発のある双葉町と大熊町になる。
 わたしは父によく相馬市に連れて行ってもらって、カレイなんかも釣ったものである。だから記憶のなかの相馬に愛着もあった。
 かなり迷ったのだが、母に、
「じゃあ、飯舘村と相馬に……」
と言ってみた。行くだけ無駄だという気がしたが、動かないよりはましである。
 わたしは当初想像していた。
 福島第一原発のある浜通りの幹線道路、国道6号線はたぶん封鎖されていると。福島県としては大動脈なのだが、半径20Km圏内に、もろに被っているのである。
 しかし常務はいたって呑気だった。わたしが前回使った「あぶくま高原道路」という高速道路を使って、 福島第一原発のそばを通り、相馬に至るというプランを練っている。
「でぇじ、でぇじ、(大丈夫、大丈夫)、行けるって、行ける」
と、なぜか自信満々である。
 行けないと思うけどなあ。まあ、いいけど。
 前回のように、国道四号線から「あぶくま高原道路」に入る。すると石川母畑ICを抜けて少ししたところの山間に、小さなサービスエリアがあった。ちなみに道は前回同様、まったく交通量はない。
 ここでわたしはトイレに行きたくなった。
 朝、目を醒ますためにコーヒーをがぶ飲みしたせいである。
 常務に頼んでサービスエリアに立ち寄ってもらった。
 するとそこには、見た目、4トントラックぐらいはある巨大な自衛隊の車が停車していたのである。 「災害派遣なんとか」と、車体に旗が貼ってある。実にものものしい。  吉田茂元首相が昭和32年、防衛大学の卒業生たちに送ったという言葉を、mixiのマイミクの子から教えてもらったのだが、それが脳裏をよぎった。
「君達は自衛隊在職中、決して国民から感謝されたり、歓迎されることなく自衛隊を終わるかもしれない。きっと非難とか叱咤ばかりの一生かもしれない。御苦労だと思う。しかし自衛隊が国民から歓迎されちやほやされる事態とは、外国から攻撃されて国家存亡の時とか災害派遣の時とか、国民が困窮し国家が混乱に直面している時だけなのだ。言葉を換えれば、君達が日陰者である時のほうが、国民や日本は幸せなのだ。どうか、耐えてもらいたい」
 この後もわたしはたびたび感じるようになるのだが、災害の地に自衛隊員が行ってくれるというだけで心強いのである。
 国民は困窮し、国家は混乱に直面している。
 それを目の当たりにしているという思いが強くなる。
 トイレに入って戻ってくると、なぜか常務が自衛隊の人たちと談笑している。そして満面の笑顔で戻ってきた。
「アレ、化学防護車っつうんだって! 車体が鉛でできてるって教えてもらっちゃ。機銃掃射ができる、えーと、アレを前につけられるんだど」
 ミリタリーオタクじゃないからよく知らないけど、それは機関銃か?
 というか、わたしより常務が取材して廻ったほうがいいんじゃないか。だれも用心深くならないし。
 常務がわたしに教える。
「4人しか乗れねえっつうんだわ。中を見してくれって頼んだんだけど。なかは俺らには見しられないって断っちゃわ(内部は俺たちには見せられないというので断られたわ)」
 軍用機の内部を、見せるわけないだろう! 一般人に。
 わたしは聞いたことがある。元自衛官の人から。
 なんでも潜水艦というのは、いったい何時、どこに向かって、どういう目的で沈降するのか教えられないまま、直前になって命令が下るのだという。で、沈降してから行き先やその目的、そして潜水艦で潜っている期間なども知る、と。これが原因でごく一般的な家庭生活が送れずに離婚する自衛官というのは多いんだという。
 そりゃまあそうだろうと思う。わたしはかなり身勝手な人間で、福島にいるあいだも、三日に一度ぐらい母に注意勧告を受けてしぶしぶ相方に連絡を入れていたが、それでも三日に一度は連絡を入れていたのだから。ところが潜水艦。ドコモの家族無料通話も使えない。
 仮に使えたとしても、だ。このような会話が交わされるとする。
「あなた、いまどこにいるの?」
「うん。尖閣諸島のあたりだよ」
 一発で機密漏えいだから!
 ま、それはいいとして。常務の怖いものしらずのこの姿勢、学ぶものはあるな。化学防護車ってことは、かなりF1、福島第一原発に接近すると思われる。
 わたしも頑張って話しかけてみよう。せめて、感謝の気持ちだけでも伝えたい。邪魔かもしれないが。
 ちょうど喫煙所で4人の自衛隊員の人のうちの2人がタバコを吸っていたので、これをタイミングとする。
「お疲れ様です!」
「はっ、ありがとうございます」
「これからなんの任務に赴かれるんですか?」
「はい、10km圏内でのご遺体の収容であります」
 非常に重苦しい気分に陥った。
 津波の被災だけだったら、「わたしたちの代わりに被災者の方々のお力になってください。よろしくお願いします」と頭を下げられたと思う。だが、この若い命が強い放射線に晒されての任務だと思うと、わたしは「行かなくていい!」と言いたくなってしまう。ご遺族のお気持ちも解るのだけれども。
 ちょうど2人とも、マルボロのメンソールを吸っていた。わたしのエコバッグには、通常の緑のメンソールも、ブルーのアイスブレストも入っていた。以前はセブンスターだったのだが、JTのフィルター工場が被災地にあったとかでセブンスターが手に入らなくなり、マルボロに切り替えたのである。
 両方の箱をあけて、おずおずと差し出してみた。
「あの、いかがですか。お好きなほうを1本だけでも吸っていただければ」  背筋がぴんと伸びた姿勢で敬礼された。
「ありがたく頂戴します!」
 ふたりともアイスブレストを選んだ。なんだか少しだけ気持ちが安らいだ。
 10km圏内。プルトニウムも拡散しているだろう。認めたくない事実だが。MOX燃料さえなければまだましだったのに。
 嫌煙家の皆様には理解しにくいと思うし、事実、わたしも長く嫌煙家だったからその気持ちも解るのだけれども、
「原発事故のせいで肺がんになった」
と思うよりも、
「自己責任で肺がんになった」
と思うほうが、心は安らぐ。解るかなあ? まあ、無理に理解してくれとは言わないけれど。
 微妙な質問を振る。
「ご自身もその、浴びますよね?」
「はい。自分も浴びますが、それよりも任務遂行で」
 どこか素朴な東北のイントネーションが印象的だった。
「どちらからいらっしゃったんですか?」
「山形です」
 あそこは、汚染が少ないはず。ずっと駐屯地に居られたらよかったのに。
「いまはどちらで寝泊りされてるのでしょう」
「郡山の体育館です」
「お風呂は大丈夫ですか?」
「ときどき駐屯地まで戻って済ませております」
 次第に胸が痛くなった。馬鹿、自分の馬鹿、みみっちく自分に残さず、箱ごと渡せよ。他になにか自衛官の人たちに直接出来る機会なんてないんだから。
 2人は大切そうに1本のマルボロをポケットにしまった。
 どうか任務のあいだのせめてもの気晴らしになって欲しい。アイスブレスト。
 やるせない気分のまま、常務が運転する車に戻った。この辺で気づいた。
「あぶくま高原道路」を行きかう、というか、一方的に浜通りへと向かう車ばかりなのだが、全部「災害派遣」の自衛隊の車ばかりだ。
 再び吉田茂の言葉が脳裏をよぎった。「自衛隊がちやほやされるのは、国民が困窮し国家が混乱に直面している時だけ」。
 吉田茂については、わたしはあまり知識がないのだが、けっこう物事を見通す目を持っていた人物だったのかもしれないと思った。彼自身は高知の家柄から出身したと記憶している。成長したのは東京とか横浜であるらしいが。
 だから高知では吉田茂が首相になったとき、貧しい高知が豊かになるのかと期待したと聞く。だが、彼は高知を一切、省みなかった。だから高知はいまでもインフラがろくに整わず(諸事情により、それを体感することになった)、愉快なことに、いまだに高知市内には路面電車が走っている。おかげで地方都市で言うところの70年代ぐらいの町並みが高知市内では保たれており、商店街が元気ではある。ただし、最低賃金は、沖縄といつも最下位を争っている。
 それはさておき。
 こうして自衛車両を眺めながら、常務の運転で再び浜通りへと出た。6号線を北上する。
 すると常務が驚きだした。
「なんだい、全然信号がついてないじゃないの」
 津波のことはさんざん母から聞かされていたから、さほど驚かなかった常務であるが、信号には驚いたようだ。そして気の狂ったように突っ込んでくる車に慌てる常務。正直、思う。五月中旬、中通りには徳島県警や愛知県警の車両が多数巡回していたが、浜通りのほうに重点的に配置したほうが治安は安定する、と。
 しかし怪しい雲行きだ。空が、ではない。嫌な予感が的中しそうだということである。
 やがて行きかう車もなくなったころ、ついに突き当たった。「立ち入り禁止」の看板と、警察の装甲車に。
 実にものものしく、道路を封鎖している。
 ちなみに警察官たちの人の服装は通常通りであった。全部で8人ぐらいで封鎖していたように見えた。防護服とかは着用していなかった。マスクすらもない。外部被曝も危険だが、息をしているのだって危ない。人員を配置しないで済むような手段はないのか?  ちなみに看板にはこのような表記が赤字で書かれていた。
「災害対策基本法により立ち入り禁止 許可なく立ち入ると、災害対策基本法第十六条一項第二号の規定により、罰せられることがあります 福島県」
 噂は本当だったんだと知る。許可なく20km圏内に立ち入ると罰せられるという、ネット上で流れていた噂を、わたしは確かめた。
 常務は福島県の会津出身である。ここでも常務の会津弁が大活躍してくれた。
 厳しい面持ちで近づいてくる警官に対して、
「すいません、このさぎ(この先)、いげねーんですが(行けないんですか)。 俺、相馬まで、いぎでーんですげど(行きたいんですけど)」
と、いかにも、
「田舎にいて、情報遮断されてます! 写るテレビは、いぬいちけー(NHKを、会津弁ではこのように発音する)だけ。インターネッツは何するもんだ?」
みたいな顔をしてみせる。実際、常務はそういう男ではあるのだが。わたしが同じように演じたら、かなり怪しまれたと思う。
 警官も苦笑する。
「すませんねえ、この先は行けないんで、戻ってもらえますか」
「どうやったら相馬まで、いげんだべか(行けるんだろうか)」
「一度、中通りに戻ってもらうしかないんですよ」
 さてわたしは警察官が離れていったあと、密かに看板などをズームで盗み撮りしていた。看板にどう書かれているかを、正確にここで伝えたかったからだ。別に隠れてしなくてもいいとは思うのだが、以前、うっかり警察官を撮影してしまったことがあって、怒鳴られたあげく、デジタルデータの消去を求められた苦い経験があるからだ。
 ちなみに帰宅してネットで法律を調べたが、「災害対策基本法第十六条一項第二号」には、無許可で指定された地域に立ち入ると罰せられるといったような文面は、わたしの法の解釈では読み取れなかった。
 以前、福島第一原発を取材に行ったときのことを思い出した。
 正門の前に装甲車が1台。テロを警戒した警官が大きな銃(すいません、あくまでミリタリーオタクではないので、拳銃でないことは確かなんですが、猟銃でもないし、あれはなんだったのかわからないんですが、大きさとしては猟銃ぐらいあって、でも猟銃ではなかったなにかである)を肩にひっかけて、ぶらぶらしていた。わたしはそのとき、
「テロを警戒しないとならないようなヤバいもんをそもそも作るなよ!」
と内心思ったのだが、テロの警戒など心配しなくても、日本自体が世界にテロを仕掛けているようなものである。
 この日、帰宅したら知人からケータイに着信があった。
「あなた、以前、台湾に行ってすごく楽しかったって言っていたけど。どこを観光したらいいの?」
「まさかこの時期に海外旅行?」
「ちょっとね」
「前から思ってたけど、頭おかしくない? まあいいや。A-Openに行けば」
「頭おかしいってなによ。まあいいわ、エーオープン? それはどこ、どんなところ」
「台湾にあるPCメーカーだよ。ベルトコンベアの流れ作業にでも加わってみ。すげえ楽しい。全然、現地の高校生たちの作業に追いつかないから」
 台湾には日本で言うところの「夜間学校」のようなものがあるのだが、少しシステムが違っていて、数ヶ月働いて学費を稼ぎ、数ヶ月学んで、また会社の寮に戻ってくるというのを繰り返しているのである。日本の「女子高生」に慣れたわたしたちの目には、黒い髪の毛を三つ編みに結い、無論、化粧ひとつも施さず、寮から工場まで規則正しく行進して歩く姿を見るだけで、なにか感じるところがあると思う。
「……それは取材で行ったわけ?」
「まあね」
「全然、役に立たない情報ね」
 台湾は親日国だ。けれど日本ほどまだ豊かではない。だというのに80億円も義捐金を拠出してくれた。その台湾に我々がしたことは、原子炉の輸出だった。なにが「日本初の原子炉の輸出として注目される」だろうか。武器商人とどっちがヤクザな稼業だろうか。  わたしは、恥じる。


前のページへ
全2ページ
バックナンバー一覧へ

閉じる
Copyright Bungeishunju Ltd.