2011.06.30
山崎マキコの時事音痴 文藝春秋編 日本の論点
番外編
福島記5
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 ようやく福島県が「公式の」サイトで掲載している環境放射能の測定方法の実態が解ったので、ここでまずはご報告しようと思う。
 県のサイトには下記の窓口への電話番号が記されている。

 原子力災害全般に関する問い合わせ窓口(経済産業省原子力安全・保安院原子力安全広報課)

 わたしはどうしても確認しておきたかったことがあった。
「県で公表されている数値は、地表からどの高さで測定しているのか」
である。それでようやくつながった窓口の電話で尋ねた。
 すると、
「地表1mから1.5mですね」
という、じつに曖昧な数字を伝えられた。
 この「福島記」を連続してお読みになっている方ならご記憶かもしれないが、危機感を抱く福島県の親たちは、子供のために、せめて環境放射能が少ない学区に移住しようと右往左往している。何故、このように曖昧な数値を「公式」にしているのかと次に尋ねた。すると「測定は文部科学省の担当なので、文部科学省に尋ねてみてくれ」と、お役所得意技の「たらいまわし術」を使われた。
 仕方なく教えられた番号に電話した。すると、
「文部科学省は一応、1mを基本にしているんですがねえ。場合によっていろいろありますから」
と、まったく訳のわからない答えが返ってきた。
 しばらく「だからどういう“場合によって”なのか」「いやだから“場合によって”ですよ」というようなやり取りを繰り返すことになった。暖簾に腕押しである。
 だんだん我慢ができなくなったので、ちょっと怒りをこめて告げてしまった。
「その“場合によって”が、文部科学省さんではご説明いただけないということですね。ならばわたし、それをそのまま原稿に書かせていただきます」
 するといきなり応対していた人の態度が変わった。生ぬるくない、容赦ない響きの声である。
「なんだ、あなたマスコミの人なの? 駄目じゃない。最初にそれを言わなきゃあ」
 なんで叱られてるんだ?
 わたしは原稿も書いてはいるが、ただの一市民である。たとえこういう場で原稿を公表する機会を持っているとしても、基本は住民税に追われ、消費税を払う、ただの一市民に過ぎない。この原稿と個人のブログとの差といえば、プロの編集者の目が通されることと、
「間違ったことを書くと公的な責任が生じ、なおかつ、猛烈な勢いで叩かれるだけ」
ということぐらいじゃないのか。
 すると文部科学省の人は、マスコミ担当だという人に電話をまわすという。わたしには何を言われているのか理解しがたかったし、これが真実だとも思いたくはないのだが、その人の言葉をそのまま記すとこうである。
「要するに、車を降りたときに手に持っていたガイガーカウンターの値なんです」
 だから「だいたい1mから1.5m」という曖昧な数値だったのか!
 でも本当なのか? きちんと高さ1mにモニタリング・ポストを置いて測定はしていないのか? わたしは自分が聞いたことが、自分自身でもいまだ信じられずに、正直、おろおろしている。陰謀論を信じるのはUFOの存在を信じるのと同じぐらい馬鹿げたことだと思っているのだけれども、
「もしかして、わたしに間違った情報を握らせることで、わたしを叩かせる罠なんだろうか?」
と疑っているほどだ。わたしは、信じたい。福島県はせめて正しく1mの高さにモニタリング・ポストを設置していると。
 なぜわたしがここまで測定の高さについてこだわっているのかも、ご説明しておきたい。
 この「福島記」、時系列順に原稿を書くつもりでいたのだが、ごく最近の話をしよう。この原稿を打っているのは2011年6月20日である。
 この日をさかのぼること3日前、わたし姉のもとに、性能の高いガイガーカウンターが届いた。価格は9万円ほどだったと聞く。個人がこんなものを所有しなくてはならないという時点でまさに「世も末」である。
 姉は現在、薬剤師の仕事の傍ら、実家が経営する会社の仕事も手伝っている。まず、社屋のなかの数値を計測した。実家は福島県西白河郡西郷村、栃木との県境のあたりに位置する。隣は酪農が盛んな栃木県那須町。夏場の避暑地でもあり、御用邸もある。姉がガイガー・カウンターを入手した6月17日、県のオフィシャル・サイトで公表されている「西郷村役場(福島第一原発からの距離、西南西に約84km)」の環境放射能の数値は、0.60μSv/h。
 さて姉が測定してみて。
 社屋のなかの環境放射能の数値は、
「0.1μSv/h」
であったそうだ。全員で胸をなでおろしたという。これだって異様といえば異様なんだが、日常的にここで生活しなくてはならない人間には重要な話だ。屋内退避というのは、あながち間違った手法ではないのだとも、わたしも学んだ。次に姉は、高い数値が出ると巷で噂の雨どいの下を計測した。社員全員で姉の手元を覗き込んでいたという。
 すると叩き出された数値は、
「6μSv/h」
であった。社員全員でパニック状態になり、社屋のなかに退避したという。どうでもいい話だが、この雨どいの下はわたしがよくしゃがんでタバコをふかしていた場所だったので(そうです、わたしは35歳になって、世間で喫煙バッシングがいよいよ激しく勢いを増した時代に喫煙デビューしたという、どういう馬鹿だよという愚か者です)、会社の人たちは心配してくれたらしい。
「マキちゃん、だいぶ被曝したんでねえの?」
と。大丈夫、わたしは健康体である。DNAが自己修復してくれたさ、たぶん。
 どうしてわたしがしつこく保安院だの文部科学省だのに電話していたかというと、ガイガー・カウンターの扱いというのはかなり難しいと聞くし、姉がもし正しく使用していたとしたなら、県が公表している数値と合致しているはずだと考えたからだ。よく、ガイガー・カウンターの扱いを間違えて、高い数値にパニックになっている個人のブログなどは目にしていたからである。
 だからわたしはその話を姉から聞いて、尋ねた。
「お姉ちゃん、周囲の草の上は測定した?」
「まだなの。怖くて」
「高いっていう話だよね。高さ1mで測ってみて」
「でもね、マキコ。草地を測るのはいいけれど、わたしたちにその草をどこに持っていって処理しろというの? わたしは言いたい。東電に買い取ってくれって」
 当然だ。被曝しながらの草刈りである。そしてそれを「燃えるごみ」などの廃棄物にまわせば、今度は大気が汚染される。個人の判断ではどうしようもない。わたしは現在、福島からいま仮住まいしている場所に戻ってきたが、福島から出るときに、
「いったいどの時点で、着衣や靴を捨てたらいいのか?」
という問題で、大変、悩んだ。東北新幹線に乗車する前? いや、東北新幹線のなかもかなり汚染されているだろう。では東京駅で? いや、東京駅も人の往来が激しい。
 結局結論が出ず、いまの仮住まいにビニール袋に詰めたまま持ち帰ってきてしまった。自分自身が汚染物質の運び屋になる。避けようもなく。本当にやるせない気持ちになる。
 話を戻そう。以前にちらっと聞き及んではいたのだ。
「県は高さ1mから環境放射能の値を測定している」とは。
 だからわたしはこの日、結局、渋る姉をせっついて、高さきっちり1mで姉に会社の側の空き地で測定してもらっている。すると「0.5〜0.6μSv/h」という値が出たという。これはほぼ県のオフィシャル・サイトの数字と変わらない。だから姉はガイガー・カウンターの扱いは間違っていないと言えるだろう。
 それで、どうしてわたしが高さにこだわったかといえば、「放射線の被曝量rは距離dの二乗に反比例する」と学んだからである。数式にすると「r=1/d2(二乗を表す数式の表示方法がわからない。ようするに2を二乗の2だとご理解ください)」だという。だからしきりと測定位置の「高さ」にこだわったのである。
 しかし本当に文部科学省はそんな「出たとこ勝負」みたいな測定方法なんだろうか。解らない。ひとつだけ言えることがあるとすれば、「高さ80mの県庁の屋上にモニタリング・ポストを置いた宮城県はいったい何を考えてるんだ?」ということぐらいだろうか。それは後で引用するヴァルター・ヴィルディ教授のインタビュー記事とも関連が深い。
 さて、5月22日の「福島」を記す試みを始めよう。
 この頃に作られたわたしのハードディスクのファイルには、さまざまな記事が保存されて残っている。ネット上の記事なので、いつ消されるか解らず、コピー&ペーストして残しておいたのだ。
 印象的なものに、少し日付は古いが、このようなものがある。
「原発に絶対の安全は存在しない」と主張するスイス政府の原子力安全委員会長を5年間務めたジュネーブ大学研究所長ヴァルター・ヴィルディ教授のインタビュー記事だ。長いので、その一部を抜粋する。以下、抜粋。


福島第一原発事故、避難指示圏を半径40キロに拡張を!

(山崎注:ヴィルディ氏の談話)今後放射能濃度が高くなる地域は、風と雨に大いに影響される。現在、汚染地域は、福島第一原発から内陸に向かって水平に細長く広がり、さらに北西と南西に広がる傾向を見せている。では東京はどうかというと、現在の状況からは何とも言えない。(山崎付記:ヴィルディ氏の談話が正しければ、だから宮城県もかなり汚染されているはずなのである)
 わたしの考えでは現在、半径40キロ圏内が、場所によるばらつきはあるが汚染されている。今後この土地に再び住めるかどうかだが、地表から深さ20〜40センチメートルまでの土を取り除き、これを放射能が出ないような形でどこかの場所に保存するという計画も検討中だと聞いた。しかし、それはとてつもない量の土で難しいだろう。風景も完全に変わるだろう。
 チェルノブイリでは、およそ半径30〜40キロ圏の汚染地域から人を完全に転居させた。25年たった現在、政府当局は数百人の高齢者にのみ再入居を許可した。というのも、放射能を今後何年間か蓄積してがんになるとしても高齢者にとっては (寿命と) 同じだからだ。
(中略)
 半径20キロ圏内の住民は避難したが、40キロの地域でも高い濃度が観測されたことから今後20キロから40キロ圏内の人々のがんにかかる可能性は高まっていく。ヨードやセシウムだけに限らず、重いために遠くまで飛散はしないが非常に危険なプルトニウムでさえ、この圏内には存在しうる。第3号機にプルトニウム・ウラン混合酸化物燃料MOXが使用されているからだ。
 こうした状況でなぜ日本政府は半径30キロ圏内を 責任を回避する形での自主避難要請にしたのか理解に苦しむ。30キロではなく、40キロ圏内をただちに避難指示圏にすべきだ。
 予測できるのは、補償金の問題だ。
(「swissinfo.ch」2011年4月5日)


 抜粋、以上。ずいぶん長い抜粋になってしまったが、わたしも同感である。避難指示を拡大しないのは全て「経済的都合により」だとしか思えない。国民の健康、そして生命など考えられてはいない。県内の環境放射能を見ると、半径40キロ圏内には無残な数値が叩き出されている。どうもわたしのなかでは曖昧な印象になってしまった数値ではあるが、それでも公のものだからあくまで信じるとして、ぱっと目についた数字だけでも凄まじいものがあるのだ。

葛尾村「柏原地区」5月1日(日)福島第一原発からの距離西北西約23km 9.01μSv/h

飯館村「長泥コミュニティセンター」5月1日(日) 福島第一原発からの距離北西約39km 11.55μSv/h

 数値が高すぎて、絶句するしかない。どうして政府はIAEAからの飯館村に対する避難勧告を無視したのか、理解できない。福島の「土民」は、日本経済のためにみんな死ねばいいと思われていると考えているのだろうか。
 もうひとつ、記事が削除される前に保存しておいたこの時期の記事を並べることで、いかにこの国でいま非人道的なことが行われているかを示してみよう。以下、抜粋。


福島原発事故 子供の被曝許容量はチェルノブイリの4倍相当

 いまだなお収束のめどが立たない福島第一原発事故について、チェルノブイリ事故直後から現地を取材し続ける『DAYS JAPAN』編集長で、フォトジャーナリスト・広河隆一氏がレポートする。
(中略)
 福島市と郡山市の学校の土壌が放射能に汚染されていることを受け、政府は子供の被曝量の基準値を、毎時3.8マイクロシーベルト、年間20ミリシーベルトとした。これには国内からだけでなく、世界から猛烈な批判が出ている。
(中略)
 それが特に子供たちにとっていかに高い被曝量であるかは、私の知る限り、チェルノブイリに汚染された土地のどの地域を居住禁止地区にするかについて、1991年にウクライナ議会が行った決定が参考になる。そこでは1平方キロメートルあたり15キュリー(放射能の旧単位)の汚染地域を立ち入り禁止地区とする、つまり居住禁止地区に規定したのだ。現在の単位に換算して、ここに住むと、年間5ミリシーベルト被曝してしまうという理由である。
 日本ではその4倍を許容量として、子供たちの学校の使用を許可したのである。また、「毎時3.8マイクロシーベルト」という数字は、いまは死の街となったプリピャチ市の数値とほぼ同じである。
(「newsポストセブン」2011年5月18日)


 抜粋、以上。
 3.8μSv/hという数字は、県が公表しているサイトを連日のように眺めていると、「あら、本日も高止まりですね?」という感じで、なんとういうか、「円高が続いて困ったことだ」ぐらいの慣れた感覚になってきてしまうのだが、よくよく考えると正気の沙汰ではないのである。旧ソ連が居住禁止地区にしたほどの汚染地帯にすら、現政府は人を住まわせている。未来ある子供たちも、である。


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山崎マキコ自画像
山崎マキコ
1967年福島県生まれ。明治大学在学中、『健康ソフトハウス物語』でライターデビュー。パソコン雑誌を中心に活躍する。小説は別冊文藝春秋に連載された『ためらいもイエス』のほか、『マリモ』『さよなら、スナフキン』『声だけが耳に残る』。笑いと涙を誘うマキコ節には誰もがやみつきになる。『日本の論点』創刊時、「パソコンのプロ」として索引の作成を担当していた。その当時の編集部の様子はエッセイ集『恋愛音痴』に活写されている。
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