2011.06.23
山崎マキコの時事音痴 文藝春秋編 日本の論点
番外編
福島記4
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 2011年5月21日の「福島」を記す試みです。
 この日を遡ること5月13日、日テレNEWS24のサイトでは、このような報道が行われていた。以下、引用。


福島県6市町村のタケノコ、出荷制限〜政府

 政府は13日、国の基準値を超える放射性物質が検出されたとして、福島県の南相馬市などで生産されるタケノコを出荷しないよう指示した。

 出荷制限が指示されたのは、福島県の南相馬市、本宮市、桑折町、国見町、川俣町、西郷村で生産されるタケノコ。いずれの市町村でも、今月9日にサンプル調査のために採取したタケノコから国の基準値を超える放射性セシウムが検出されており、最も量が多かった南相馬市では、基準値の約5倍となる2400ベクレルだったという。放射性ヨウ素は検出されなかった。


 引用、以上。
 この「福島記」をずっと連続してお読みの方なら福島の地理に詳しくなってきているかと思われるが、ここで着目して欲しいのは、サンプル調査された「西郷村」である。福島第一原発とは山脈ひとつ隔てた「中通り」にあるわたしの故郷である。福島第一原発から84Km地点に位置し、隣は栃木県那須町と白河市である。
 福島に行こうと決めてから、わたしは福島県内で小学校教員をやっている友人に何度か連絡を取ろうと試みていた。どれだけ学校給食の現場が混乱しているのかを、彼女から聞いてみたかった。
 しかし、いくらケータイに連絡を入れも、一向に応じてくれないので疑心暗鬼に陥っていた矢先だった。
 警戒されているのだろうか、と。
 彼女の美点は小学生の頃から認めていた。
「物事の明るい可能性だけみつめる」
 それはわたしには欠けている種類のものだったので、とても憧れてもいたし、好きだなあと思っていた時期は長い。
 結婚式のスピーチもお願いされた仲である。
 もっともその後、彼女とは微妙に距離ができた。
「地元が一番!」
が口癖の彼女と、地元を避けるようにして生きてきたわたしと温度差ができるのは当然の流れだった。
 わたしにとって故郷というのは、決して居心地いい場所ではなかった。世の中には「実家に帰るとほっと落ち着く」という人種が存在するらしいが、とんでもない。わたしはその逆である。実家から離れるほど、ほっとする。別にそれは原発の事故がなかったとしても、同じであった。
 一方、彼女は福島県内で教員をやっている今のご主人と結婚して、3人の子供に恵まれた。
 だけど今回の事故があって、遠く離れた場所では思っていた。いまごろ職場でも家庭でも、どれだけの不安に苛まれているだろう、と。
 すると突然、彼女から連絡を貰った。
「やまけーん(わたしの幼少期のあだ名である。某指定暴力団とは無関係である)、いまねえ、南湖(なんこ、と読む)に来ているの。何度かケータイに連絡貰ったみたいだけど、出なくてごめんねえ。やまけんはどこにいるの?」
「ああ、実家に帰ってきている」
「そうなんだあ。じゃあ、お団子買ってやまけん家に行こうかと思うんだけど、どうかなあ?」
 拍子抜けするほど朗らかな声だった。
 こうして実家で彼女と再会することになった。
「待ってね。ボルビックでコーヒー淹れる」
「あー、気ぃ使わなくていいよう」
「そうはいかんでしょ」
 わたしは福島に居るあいだ、エヴィアンかボルビックの水を利用していた。理由は、ヨーロッパのほうが、基準値が低いからだ。チェルノブイリで汚染された地域の水をあえて購入するなんて世も末である。余談になるが、東北新幹線のなかでトイレを使い、手を洗おうとしたら、
「この水は飲料水としてはご利用できません」
という貼り紙があって、微妙な気分になった。不衛生な水のほうが、何ベクレル入ってるか解ったものじゃない水よりマシというものである。この国に本当に「飲料水」として適切な水は、どれくらい残されているのだろう。
 しばし再会の雑談。彼女の口からはいっこうに、福島第一原発事故に関する話題は出てこない。
 しかたなく、こちらら振った。
「一番下のお子さん、いくつだっけ」
「小学校三年だよー。上の子は今度、高校受験なの」
「じゃあ、水とか不安でしょう?」
 すると彼女が不思議そうな顔をする。
「え? 別にうち、断水してないよ?」
「えっと、地震による断水じゃなくて。だからその、言いにくいけど、汚染されてるから、ペットボトルの水とか使わなくちゃいけなくて」
 するとなんの曇りもない笑顔で言われた。
「そんなの平気だよお、普通に、水道水をがぶがぶ飲ませてるよ」
 思わず、
「やめろっ、下のお子さんだけでも飲ませるな!」
と叫んでいた。
 彼女が大笑いする。
「気にしすぎだよお、やまけーん」
 しかしわたしは引けなかった。
「もしかして食事とかも産地を気にしないで食べてるの?」
 すると逆に自慢げに言われた。
「うん。今まで通り。家庭菜園のほうれん草も食べてるしね。今朝は近所の人からタケノコ貰ったから、帰ったら湯がいて食べる」
 ついに、切れた。わたしが。
「ばかー! タケノコ、食うな。何日か前に、西郷村のタケノコがニュースになったでしょう。基準値超えだって」


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山崎マキコ自画像
山崎マキコ
1967年福島県生まれ。明治大学在学中、『健康ソフトハウス物語』でライターデビュー。パソコン雑誌を中心に活躍する。小説は別冊文藝春秋に連載された『ためらいもイエス』のほか、『マリモ』『さよなら、スナフキン』『声だけが耳に残る』。笑いと涙を誘うマキコ節には誰もがやみつきになる。『日本の論点』創刊時、「パソコンのプロ」として索引の作成を担当していた。その当時の編集部の様子はエッセイ集『恋愛音痴』に活写されている。
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