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このあと、確かわたしの記憶だと、老人を乗せた行政のバスは田村郡の避難所に移動したと聞いたように思う。ICレコーダーもなく、メモもここは老人と別れた直後にとらなかったので、あくまで記憶頼りであやふやだが。
「避難所の生活は酷かったな。3回、小さなお握りが出るだけで。1週間風呂に入れなくて。女も臭う」
なんだかリアリティがありすぎる話だ。
「しょうがなくて親戚のところに頼ってよ。でも親戚のところなんて、1週間もいれば十分よ」
居心地が悪くなる、という意味だろう。
老人は、いろんな親戚の家を点々として、結局また避難所に戻ってきて、ようやく仮設住宅に入居したところだという。
開いた引き戸から、一瞬、家のなかが伺えた。
洗濯機や冷蔵庫がある。これは国なのか県なのか解らないが、支給されたものだという。
「家電製品? ああ、買ったんじゃない。五点セット(あくまで聞いた話である。老人は“五点”と言っていた)が支給されたのよ。洗濯機、冷蔵庫、電気ポット、あとなんだったかな? 忘れちまった」
冷暖房がついていたから、五点セットのひとつはこれではないかと思われる。また、米を背負って仮設住宅に入っていた人を見かけたから、炊飯器も含まれるだろう。
それにしても老人の年齢が気になった。この年齢なら持病があっても不思議じゃない。
「保険証とかは持ち出せたんですか」
「そんなもん、持ち出してる暇はないよ。そんなことしてる人は、みんな死んでる。身一つで逃げた人間だけが生き残った」
「お薬とかに困りませんか?」
「ああ、医者が無料で診てくれるんだわ。夜になると原発の音を思い出して眠れなくてよお。そしたら安定剤ってのを出してくれた」
これは完全に個人的な興味から尋ねた。
「なんていうお薬を貰っていらっしゃるんです」
「銀色の包みに包まった、ハル、ハル……なんだっけ」
ピンと来た。
「ハルシオンですね?」
「それだ!」
愕然とした。
原発の危機的状況を知りながら逃がさず、その代わりに眠れないような体験をさせて、ハルシオンを処方するということ。そしてそれを「安定剤」と称してしまうことに。
このあたりで老人は喋りすぎたことに不安になったらしく、
「身分証を見せてくれ」
と言い出した。
わたしは保険証、運転免許証、果てはタスポまで晒した。
「現住所が違ってますけど、故郷は福島の西郷ですから!」
「だよなあ。相馬と浪江知ってるんなら福島だよな。いやな、愛知県警とか徳島県警とかが、仮設住宅のなかを1日4回ぐらいぐるぐる廻って。怪しい人とは話をするなって言うからよ」
なんのための見張りなのだろう。
確かに不穏な空気は充満しているが、それならば浜通りのほうがよほど荒れていた。仮設住宅にそこまで力を注ぐ狙いが本気で理解できない。
「すいません、長話をしましたね。それではわたし、失礼します」
といってその場を離れた。
なんだか報道で流れない場の空気と向き合う必然性を感じて、遠くで離れて物を言ってるだけじゃ駄目だと思って、一種悲壮な決意までして福島にやってきた。
しかしここにきて思うのは、
「すべてはもう、終わったあとなのだ」
ということである。確かに原発は予断を許さない状況だ。
だけど動かせる現状はなにもない。そんな気がしてならない。
県民のこれ以上の避難拡大は、おそらくはない。現状維持だ。
逃げられる人間は、初動で逃げた。
逃げ遅れた人たちは、静かに、内側から、外側から、蝕まれていく。
それだけが事実だという気がしてならない。
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