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5月16日に伝え聞いて、この目で見た「福島」です。
この日わたしは、福島県が公表している、「環境放射能測定結果・検査結果関連情報」の在り処を、姉から教わった。
これを見ると不思議なことが解る。
広い福島県は大きく三つに分類される。福島第一原発がある、海沿いに面したところが「浜通り」、それからひとつ山脈をはさんで、県の中央を背骨のように東北新幹線が走っているのが「中通り」、そして会津磐梯山で有名な新潟寄りの「会津地方」。この三つである。
通常の想像では「環境放射能は浜通りが最も高い」だと思う。わたし自身もそう思っていた。
ところが現実は微妙に違う。浜通りから二つの山脈を隔てた会津地方が低いのは当然として、むしろ、浜通りより中通りのほうが高いのである。ホットスポットは確かに県内のあちこちに分散しているが、大雑把なくくりでいえばそうだ。
また、姉がもうひとつ教えてくれた。
「『小、中学校、都市公園、児童福祉施設等モニタリング』もあるでしょう? これを見て、県内の親は右往左往しているのよ。少しでも環境放射能の低い学校に子供を通わせようとして。昨日も友だちから、『この学校の学区のなかに空いている物件はないか?』って相談を受けたわ。でも駄目。そういうところはあっという間に埋まっちゃって」
これは想像していなかった。わたしの予想では、県外への脱出を図る親たちは必ずいるだろうと思っていたのだが、局所的な移動までは考えになかった。要するにいまの福島というのは、「空き部屋ばかりの賃貸アパート」と「満室状態の賃貸アパート」に区分できるらしい。
もっとも、わたしが予想していたことも現実には起きているらしい。
「カトリック幼稚園は、児童の半分がいなくなったという話よ」
ミッション系の幼稚園は、親が富裕層であることが多い。
酷い話だ。
親の財力の有無によって、子供が受ける被曝量が決定される。
わたしが福島に来るに当たって、何を見て、何をすればよいのかという計画はひとつもない。しかし、環境放射能のことはさておいて、いまの福島を見るためには、福島第一原発のある浜通りは避けて通れない場所だろう。
それで母に告げた。
「今日は、まず、浜通りに行こうと思う」
するとなぜか急かされた。
「浜通りといっても広い! どこを見たいのか、インターネットで検索しなさいっ」
どうしてわたしは母に急かされているのだろう?
疑問に思いつつも、
「あくまで噂としてだけど、30km圏内に無許可で立ち入ると懲役1年になるって話もあるしなあ? どこまで行けるだろう? いわき市が限界?」
などと悩みつつ、単純に「いわき市」で検索をかけてみた。
すると福島民報のこんな記事がヒットした。以下、引用
ローマ法王特使いわき視察 被災地の悲しみ届けたい
ローマ法王ベネディクト16世特使のロベール・サラ枢機卿ら一行は14日、東日本大 震災の被災地視察のため、いわき市を訪れた。高位聖職者の法王特使が被災地を視察するのは異例で、いわき市に来るのは初めてだという。
訪れたのはサラ枢機卿とバチカン日本大使のアルベルト・ボッターリ・デ・カステッロ大司教、いわき地区をサポートする埼玉教区の谷大二司教らで、地元のカトリックいわき教会のチェスワフ・フォリシュ神父らが同行した。
一行は小名浜白百合幼稚園で園児の歓迎を受けた後、小名浜港から北上し永崎海岸や久之浜町など壊滅的な被害が出た沿岸部を視察した。サラ枢機卿は多くの家屋が倒壊し、がれき撤去が進む久之浜町を歩き「(震災での)法王の悲しみを伝えるために(日本に)来た。子どもたちや皆さんの悲しみの声を法王に届けたい」などと語った。
一行は13日に来日、いわき市の他、仙台市の被災地などを視察し17日に日本を離れる。
[2011/05/15]
▽画像はこちら:久之浜町を視察するサラ枢機卿(右)とカステッロ大司教(左)
引用、以上。
驚いた。
まず、枢機卿が来るという異常事態が第一点。
それから、地元民であったわたしですら知らない「久之浜町」というマイナーな地名に首を傾げる。どこなんだろう、それって。
いわき市は広い。むちゃくちゃ、広い。市町村合併の結果、こうなった。端から端まで走るだけで32kmとか、余裕である。
すると横から母が急かす。
「で、どこに行きたいのっ」
強く押されて、とっさに、仕方なく答える。
「ひ、久之浜町」
下調べをろくにしない、体当たり馬鹿な体質がここで顔を出す。
実を言うと、せめてガイガーカウンターを持ち歩きながらの福島記にしたかったのだが、注文したガイガーカウンターが届かないのである。いったい何時になったら届くんだよ。あれは詐欺か? 三営業日中に発送するって最初のメールにはあったのに。訴えてやりたい。(後日、届いたが、あまりにもチャチで、使い物にならないレベルのものであるのが判明した。実を言うと、ガイガーカウンターの扱いについては悩んでいた。放射線にもα線とかβ線とかγ線とかあり、どの数値を拾うのが正しいのかとか、いろいろあった。しかしそんな心配は無用だった。届いた物を見てとっさに連想したのが「taspo」である。ないしは、銀行のキャッシュカード。アメリカから輸入された冷戦時代の過去の遺物らしく、強い放射線を浴びると「カードの色が変わる」という代物で、「核戦争のさいに、このカードの色が変わったら逃げろ」と説明書きにはあった。そんなもの、色が変わった瞬間には死んでるから! おかげで家族から「安物買いの銭失い」と散々失笑された。ちなみに3,900円でした。皆さん、安い物を慌ててつかまないように。)
いわき市のなかでも、小名浜港なら解る。
津波の被害が酷かったと聞くし、福島県最大の港でもある。
どうして「久之浜町」なんだろう?
本当に不思議だ。この謎を解くためだけに、「久之浜町」を訪れる価値はあるのかもしれない。
わたしは正直、浜通りが怖かった。だからこそ、先に見ておこうと思った。この時点で原発はまったく安定したとは言えないし、事故の収束のめどは、無論、立たない。そういう状況だからこそ、一番怖い場所から行ってしまおうと考えたのだ。
出ようとすると、なぜか母がついてくる。
「わたしも行くわ。支払い、終わったし」
母は会社の経営者であると同時に、経理担当である。その日は支払日だった。
驚いた。
どうして? 解っているのか、この状況が。
わたしは母を巻き添えにしたくないんだが。万が一のことを考えて。
だが母はちゃっかり助手席に乗り込んだので、仕方なく連れて行く。
5月15日に中通りの一部を連れて歩いてもらって解ったのだが、あちこちの道の路肩が崩落しているのである。道路が寸断されて復旧していない場所も目にした。わたしがホームポジションとしたのは中通りなのだが、浜通りに出られるのかどうかもわからない。
姉がアドバイスしてくれた。
「あぶくま高原道路が生きてるっていう噂があるわ」
「ああ、トラハイ」
トラハイこと「あぶくま高原道路」というのは、いまとなっては完全に失政となった「トランジットハイウェイ構想」というのから生まれた。
バブルのさなかに、「福島にも空港を!」ということで、東京に農産物とかを空輸しようっていう計画があったらしい。
で、ついでに浜通りと中通りをつなぐ高速も造ってしまった。だから浜通りから福島空港へのアクセスともなっている。
ところが完成した頃には景気は見るも無残な状況で、福島空港は地方によくある赤字空港のひとつに成り果てた。で、この高速も、ほとんど利用者のいない空いた道となった。
ちなみに東北自動車道は、震災直後、仙台へと向かう自衛隊車両に埋め尽くされたと聞く。現在はそういうことはない。ただ、わたしは東北自動車道は使わず、4号線を選んだ。そして「あぶくま高原道路」にアクセス。
さあどうだ、道は、生きているか。
すると、料金所に人がいた。
どうやら通行可能らしい。第一関門、突破である。
道路は、地震直後は寸断されていたみたいだけど、いかにも応急処置という補修をされてなんとか走れる状況になっていた。もっとも、走っていると、トランポリンのように車が揺れる。悪路だ。
しかし考えてしまう。
いまさら福島のインフラを整えてどうしようというのだろう。
国の狙いはなんだ?
ウクライナについてのそこまでの記録は、日本語で目を通せる範囲では探せなかったから解らないが、「チェルノブイリ」周辺で、いまもインフラを整えたりしているのだろうか。解らない。
なんとか無事に浜通りへと到着した。のちに、この日、「あぶくま高原道路」を使って早々と浜通りに出たことが、わたしの本来持っていたはずの土地勘を狂わせる原因になったのだが(この道路が完成するまで、浜通りは本当に県の中心部である「中通り」から隔離されたような僻地であったのを、わたしは、忘れてしまったのだ)、それはまあいい。まずは小名浜港を目指す。
すると県最大の漁港、小名浜港近くに到着する直前になって、なぜか母のケータイに、姉から連絡が入る。
「去年行った小名浜の割烹が、営業中だって!」
この期に及んで、メシの心配かいっ。
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