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現在、福島第一原発事故による死亡者は確認されていない。
だが、わたしは言いたい。この男性は、東電に殺されたのだと。
ソースは少し古いが、朝日新聞社のasahi.comである。3月29日の記事だ。
福島県須賀川市で24日朝、野菜農家の男性(64)が自宅の敷地内で首をつり、自ら命を絶った。福島第一原発の事故の影響で、政府が一部の福島県産野菜について「摂取制限」の指示を出した翌日だった。
詳しくはリンク先を読んでいただければ解ると思うが、この男性は有機栽培で野菜を育てていた。また、別のソースによれば、この男性、
「野菜も米も、人の口に入るものなので、農薬はなるべく使いたくない」
というのが口癖で、畑で栽培していたキャベツ約7500株は出荷直前だったという。
皆さんは慣行栽培という言葉をご存知だろうか。
一般的な農家というのは、各地域のJAが定めた『栽培指針』『防除暦』などに沿って、化学肥料や農薬の散布を行う。
2003年にキャベツの一大産地の嬬恋村の減農薬の取り組みを取り上げたNHKスペシャルがあったのだが、そのとき、嬬恋村がキャベツの栽培のために散布していた農薬の回数は38回(ちなみに成分が2つ入っていれば、一度の散布でも2回とカウントされる)。それを19回に減らしたという「低農薬だから安心安全」をアピールするつもりの番組だったのだが、逆に「嬬恋村のキャベツは怖い!」という軽い不買運動のようなものが起きてしまい、その番組のプロデューサーは責任を取らされたと、栃木太陽の会の代表、信末清さんから聞いたことがある。信末さんはこんなふうに教えてくれた。
「俺もさあ、番組を見たとき驚いて。慌てて翌日、嬬恋村に行ってみたのよ。キャベツの大産地なのに、モンシロチョウが一匹も飛んでないわけ!」
栃木太陽の会のキャベツ畑は、除草剤も使わないから手入れしてないところは草ぼうぼうで、キャベツの上には「子孫を作ろうと狙ってまーす」という感じのモンシロチョウがパタパタ飛んでいた。そんな風景に慣れ親しんでいたわたしは、
「やっぱり慣行栽培は怖いなあ」
と感じたのだが、そもそもどうしてそこまで徹底して散布するかというと、散布しないと、
「収量が減ってしまうから」
という切実な事情があるからなのだ。
有機低農薬、ないし無農薬栽培に切り替わる生産者の代表的な例として、
「自分自身の体が農薬の薬害に耐えられなくなって」
というのがある。有機農業の取材を続けていた時期に、そういう生産者に幾度かお会いした。無農薬に切り替えたとき、緑だった茶畑が真っ赤に変わって、もう駄目だと思ったと語っていた生産者もいた。けれど、これ以上続けていたら、自分自身が死ぬと思って、無農薬に切り替えたと。だから、だれがいちばん農薬の怖さを知っているといって、生産者自身なのだ。自分の体に異常がなくてもあえて減農薬に取り組むというのは、自分自身の収入が減ることも覚悟の上のことなのである。
わたしはこうした体験から、この自殺した(あえて自死とは言わない。これは、自殺という名の殺人だからだ)男性にお会いしたことはないけれど、その横顔のようなものは浮かび上がってしまう。
生真面目な生産者だったのだと思う。
育てた野菜は、地元の学校給食などに使用されていたという。
23日にキャベツの摂取制限指示が出ると、男性はむせるようなしぐさを繰り返してつぶやいたという。
「福島の野菜はもうだめだ」
わたしはこの男性の気持ちを思うと、涙を禁じえない。
収量が減っても子供たちへの安全性を選択してきた人である。もしもわたしの原稿が、
「あなたの原稿を読み続けると、子供たちが甲状腺がんにかかります」
と言われたら?
わたしは、書くのを止める。
当たり前だ。
風評被害を拡げるとの批判を覚悟の上で言おう。
そういう生産者の畑に放射能汚染物質を散布したのだ、東電は。
大地を汚したのだ。
全て買い取れ、と思う。
わたしは福島県生まれである。栃木と福島の県境に「栃福橋」というのがあり、それを目にして育っている。
「馬の背を分けるように」というのはまさにあのことを言うのだと思う。
あの橋を栃木県側に渡ったとたんに、ぴたりと、積雪が止まるのである。
つまり、ここから先は二毛作が可能になるのだ。
わたしは子供心に思っていた。
「ああ、栃木の農家は裕福だなあ」
と。
福島では冬に農業をやろうと思うと、ハウスのなかで重油を使って暖房しなければ成り立たない。
原発があるあたりの風景も知っている。
なんにもない。
本当に、なんの産業もない場所だ。原発以外、なんにもない。
前回、福島第一原発の中央制御室に取材に行った話を書いたと思うが、そのときの東電の広報の女性の言葉がやけに印象的だった。
「この正門の自販機は、ずっと日本一の売り上げを記録し続けたんですよ!」
そう。それぐらい「なんにもない」場所なのである。
福島は、無知と貧しさにつけこまれたのだ。
取材に行ったとき、なんだかそんな気がしてならなかった。
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