「政界の暴れん坊」の異名をとった元衆院議員の浜田幸一(はまだ・こういち)さんが死去したことが5日、分かった。83歳だった。
26歳で千葉県富津町(現富津市)議に初当選。県議を経て、41歳の時、旧千葉3区から衆院議員に。自民党副幹事長や衆院予算委員長を歴任、当選は7回を数えたが、「ハマコー節」といわれる歯に衣着せぬ物言いで、たびたび物議をかもした。1980年には、ロッキード事件がらみの裁判で検察が、米ラスベガスでのとばくで150万ドル(当時のレートで4億6千万円)を負け、返済の一部にロッキード社からの資金が使われたと指摘、議員辞職に追い込まれた。83年に返り咲いた後も、予算委員長の立場で、共産党の宮本顕治議長(当時)を「殺人者」と呼び国会が混乱、委員長を辞任した。
その後、テレビのバラエティー番組などに出演していたが、2010年8月、借金の担保として差し出した有価証券を無断で売却したなどとして、背任容疑で逮捕、起訴されたが、病気治療のため、千葉地裁での公判は停止となっていた。