堂本剛

堂本 剛(どうもと つよし、1979年4月10日 - )は、奈良県奈良市敷島町出身のアイドル、歌手、俳優、タレント、シンガーソングライター、イラストレーター、モデル。ジャニーズ事務所に所属するKinKi Kidsのメンバー。血液型AB型。愛称はつよ、つよちゃん、つよぽん。身長165.5cm。奈良市立西大寺北小学校・奈良市立平城中学校→港区立三河台中学校・堀越高等学校卒業。

参加ユニット

KinKi Kids
J-FRIENDS
トラジ・ハイジ
他 ジャニーズ関連プライベートユニット

来歴

子役時代

ジャニーズ事務所入所以前奈良市立西大寺北小学校在学中は、大阪市北区にある児童劇団『劇団アカデミー』に所属し、堂本直宏(なおひろ)の芸名で子役として舞台・ドラマ・CMなどに出演していた。北島三郎の舞台では親子役で共演したり、ダウンタウンが関西ローカル時代にやっていた「ダウンタウン物語」(毎日放送)などの番組に出演したりしている。他にも事務所入所前に「堂本直宏」として国分太一などの一部のジャニーズタレントと共演した等のエピソードがある。ちなみに「直宏」という芸名の由来は、姉の初恋の人の名前から。

ジャニーズ入所後

母と6歳上の姉が、本人の知らない間に履歴書をジャニーズ事務所に送った事がきっかけで、1991年5月5日に堂本光一と共に事務所入り。
1992年、堂本光一と2人でグループを結成。奈良市立平城中学校2年の10月(14歳)に上京し、港区立三河台中学校に入学する。それまでは新幹線で仕事があるたびに奈良と東京を往復した。
1993年4月4日、ABCテレビ『KISSした?SMAP』にて初めて「Kinki Kids」のグループ名を発表(当時はまだ“K”の表記が全て大文字ではなかった)。
KinKi KidsとしてCDデビューする以前から、いち早くドラマの主題歌でソロの楽曲を披露していた(当時の歌は『A album』に収録されている)。
1997年7月21日、『硝子の少年』でCDデビュー。
2002年5月29日にソロCDデビュー。ソロシングル・アルバムとも、ほぼ全ての曲を自身で作詞・作曲している。
2005年には、TOKIOの国分太一とともに期間限定ユニット「トラジ・ハイジ」でも活動。
同年12月よりENDLICHERI☆ENDLICHERIというソロプロジェクト活動を開始した。シングル『空が泣くから』でソロでは通算5曲連続初登場首位獲得。オリコンシングルランキングにおいて、名義違いでの1位獲得数が最多の一人である(5名義:KinKi Kids、堂本剛、J-FRIENDS、トラジ・ハイジ、ENDLICHERI☆ENDLICHERI)。
2006年10月19日、初ソロ写真集『正直I LOVE YOU』を発売。
2008年4月20日、奈良市観光特別大使に就任。

人物

性格

本人は、「“芸能人”というよりも、“一人の男性”として、生活をしていきたい」、「自分のありのままを見せ、その姿を好きになってもらうことで、自分とファンの関係に意味が出てくる」という考えを持っている。

相方との関係

相方の光一との共通項は、名字(縁戚関係はない)、家族構成、姉が履歴書を送ったことが事務所入りのきっかけであること、人と目を合わせるのが苦手(特に女性とは)なことなど。
基本的にボケ側であるが、相方の光一が天然ボケなために番組内ではツッコミをしなくては収拾が付かない場合が多々ある為、最近ではボケとツッコミをその時々でこなすようになった。
KinKi KidsのライブMCでは突然ドラムやキーボードの演奏を始めたり、ボクシングパフォーマンスを始めたりと自由な行動が多い(相方の光一は「君は本当に自由やな!」「俺はどうしたらええんや」などと文句を言いつつも、大概はニコニコしながら眺めている)。

特技

バスケットボールが得意。自身の冠番組である「正直しんどい」では、経験者の山里亮太や安田美沙子らと共にしんどいチームとして何度か試合もしている。
イラストを描くことが得意。著書やオフィシャルグッズ、『新堂本兄弟』『堂本剛の正直しんどい』などで披露しているほか、ENDLICHERI☆ENDLICHERIのシンボルキャラクター「Sankaku」もデザインしている。1枚目のアルバムROSSO E AZZURROのジャケットイラストも手がけており、自身でデザインやプロデュースしたライブグッズ等も多い。
ものまねが得意で、『(新)堂本兄弟』でチャン・ドンゴンが叫んでいるCMの物真似を披露していた。また、ダンカンをバカヤロウ!と叱るビートたけし、若井おさむ(アムロ)、ペ・ヨンジュンもレパートリー。その他ライブMCなどで様々な物真似を披露している。

趣味

釣りが好きで、撮影の合間やプライベートでスタッフと釣りに行くことがある。しかし多忙で行けなくなり、そのため魚を家で飼い始めた(本人談)。
お笑いが好き。特にダウンタウンの大ファンで、ジャニーズ事務所に入る以前の小学校の頃は、吉本興業への進路を希望していた(『HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP』にて)。
とても動物好きである。虫以外の動物(哺乳類、爬虫類、魚等)を見るとコミュニケーションをとろうとする。
音楽ではMr.Children・CHAGE and ASKA・DREAMS COME TRUE・椎名林檎のファン。Mr.Childrenにおいては自分の番組内やソロライブでミスチルの楽曲を歌ったり、プライベートでLIVEに足を運んだりしている。
漫画、アニメ好きで、『ろくでなしBLUES』に登場させてもらった事がある(作者の森田まさのり氏は『正直しんどい』のオープニングにアニメーション用イラストを提供している)。他には『ドラゴンボール』も好きで、『堂本兄弟』で作者の鳥山明について語ったり、ラジオなどでドラゴンボール絡みのネタを話すことも少なくない。また雑誌で好きなマンガ(アニメ)は何か。と聞かれたときに『超時空要塞マクロス』と答え、初恋はマクロスのヒロイン、リン・ミンメイだと答えた。
ポエマーで、普段から詩などを書いている他、連載もいくつか抱えている。

愛郷心

故郷の奈良をこよなく愛する。ENDLICHERI☆ENDLICHERIのアルバム名(ライブ名)が「NARA」の折句になっていたり、「奈良は自分の原点」「老後は奈良に帰ってお寺巡りをしたい」「奈良の大仏の前でいつかライブをしたい」「楽曲を作るときのイメージや哲学を思うとき、いつも奈良が顔を出してくる」と奈良にちなんだ発言も多い。迷った時も、帰郷して空気を入れ換え、仕事に戻ることがある。
2008年、自身の初奈良公演、なら100年会館(奈良県奈良市)でのライブを行った。



延々と自分の髪の毛を触る癖がある。この癖は後に落ち着かなくなると自分を落ち着かせる為に出てくると告白している。しかし、最近はこの癖も少なくなってきた。

家族・ペット

ミニチュア・ダックスフンドを飼っていて、名前はケンシロウ。雑誌のグラビアなどにも本人と共にたびたび登場している。名前は好きな漫画である『北斗の拳』の主人公から取った。ミニチュアながら通常のダックスフンド並に大きいらしい。
魚好きで魚に詳しく、家で熱帯魚・大型魚をはじめとする様々な魚をたくさん飼っている(本人曰く、水槽は最大180cmのを含め、6本以上あるらしい)。ソロワークプロジェクトネームにもなっている、ポリプテルス・エンドリケリー・エンドリケリーは40匹近く飼っている。
母親思いとして知られる。ENDLICHERI☆ENDLICHERI名義の楽曲『ソメイヨシノ』は、一緒に花見をした際に母親が何気なくつぶやいた「この桜、あんたとあと、何回見られるんやろなあ」という一言から、その“老い”を感じた彼の想いが込められた曲である。
本人曰くおじいちゃん子だったそうで、祖父が生前入院していた頃は、一番忙しい時期であったにもかかわらず暇を見つけてはお見舞いに行き、亡くなってからも毎年奈良までお墓参りに行っている。
お姉ちゃん子でもある。6歳年上の姉は本人いわく「やさしい人」。喧嘩をしたことがないという。

服装・ヘアスタイル

2004年度のベストジーニストに選ばれた。2005年には女性誌「SEDA」の表紙を飾ると共にモデルデビューも果たした。(同誌が表紙に男性タレントを起用するのは初)
感受性と霊感が非常に強い。そのため、母親にお寺でお祓いしてもらったブレスレット・茶色い数珠を、ほとんどいつも身に付けている。
以前母親に貰った羊を象った手作りのネックレスを失くしてしまったため、後日母親と一緒に買い物に行った時に見つけたという金色のカメのペンダントを、撮影時も含めほとんどいつも付けている。
洋服の色で好きなものは紫、緑、ピンクなど(特に、ショッキングピンクなど彩度の強いもの)。[要出典]
私服は個性的すぎて、堂本剛だと認識される以前に不審者と間違われたことがある。また、外に出る時に変装のたぐいはしないが、その派手さのせいか、却ってあまり声をかけられない。(雑誌インタビューやライブMC、音楽番組など)[要出典]
アディダスがお気に入りで、普段から同ブランドの服や小物を身につけている。[要出典]

音楽性

歌唱力は「ジャニーズ随一」と言われるほどで、過去にマイケル・ジャクソンから「君は歌が上手い」と評価された事がある(J-FRIENDS名義で活動している時、マイケルに曲を提供してもらったことがきっかけ)。
声量はもとより喉が強いらしく、ENDLICHERI☆ENDLICHERIライブで週5日かつ長きに渡る公演で喉が枯れなかった。
私物のギターは30本以上あり、アンプやエフェクターも多数揃えている。新しく買ったギターは抱いて寝たりもする。ラジオ番組でリスナーから「どうして抱いて寝るんですか?」「壊れたり傷んだりしないんですか?」と質問が来た際に「匂いが落ち着く」「僕は寝相がいいから大丈夫です」と答えている。
愛という言葉や概念に思い入れがあり、家族や自分の大切な人間に対する愛、自分に向けられる愛を大切にし、音楽などによって自らも愛を発信していきたいという主旨のことを、MCやインタビューなどでよく口にしている。
ソウル、ファンク、ブルースなど主にブラックミュージックを好む傾向あり。アフリカの音楽や民族楽器にも魅力を感じていると言う。中でもお気に入りはジミ・ヘンドリックスで、『正直しんどい』のオープニングでも楽曲が使われている。
請われて、後輩へ曲を提供する事も多い。今井翼、二宮和也、岡田准一、KAT-TUNなど。
歌詞を女性詞にすることがよくある。光一との共作の際、「光一の曲には女性詞が合うようだ。」と言ってる。
最近ではピアノ演奏にも取り組み、堂本兄弟などでも時々披露している。これは様々なミュージシャンに囲まれた環境の中で聞いた「ピアノは独学でいいから少し弾けると良い」という話から影響されている。ドラムなども多少触れる程度の力がある。

交友関係

フジテレビ「LOVE LOVE あいしてる」で共演し、現在も親交の深い吉田拓郎は、彼について次のように語っていた事がある。「他人を傷つける前に、その場から消えてしまう。剛はそう云うヤツだ。彼の存在は自己主張が強すぎて「ムシアツイ」青春を送った僕を「癒して」くれる。だから僕は堂本剛を信じている。」
DREAMS COME TRUEとは交流が深く、KinKi Kidsへの曲提供、プライベートでライブを見に行く、3人で会うことなどがある。『堂本剛の正直しんどい』にて、3人でゲリラ的にストリートライヴを行った。
ポルノグラフィティの岡野昭仁と交流がある。音楽番組で共演した際、岡野から釣りに誘われていたが、先日、メールのやり取りをしていた流れでそのまま急遽夜中に二人でお台場で釣りをする事になり、夜明けまで楽しんだらしい(岡野が自分のラジオで発言)。『堂本剛の正直しんどい』に岡野が出演した際にもプライベートでは音楽的な話題で語り明かしたりしたなどと語っていた。
西川貴教と仲が良い。2人で食事をしても、会話がいわゆる「ボケ合戦」になり、熱中するあまり「ご飯が減らへん」と言う状態になるらしい(「新堂本兄弟」より)。
ココリコの田中直樹とエネルギーの森一弥とは番組で共演して以来大変仲がよく、親友として本人が名前を挙げている。[要出典]ココリコの2人とも交遊がある。[要出典]遠藤章造は自ら『堂本剛の正直しんどい』のフリークと名乗り、同番組に何度か出演した際にはマニアックな知識を披露したりしている。[要出典]ちなみに憧れの芸人はダウンタウンで、空き時間があれば出番がないのにダウンダウンの番組へ観覧しに行くほどである。[要出典]
一時期、「堂本剛と共演した女優は結婚する確率が高い」と言われていた。[要出典]
森山直太朗とは、共演する度にお互いを刺激しあっているが、実はとても仲がよい。[要出典]

ジャニーズ事務所タレントとの交友関係

ジャニーズの同僚では、TOKIOの長瀬智也、タッキー&翼の今井翼、V6の岡田准一、井ノ原快彦と仲が良い。松岡昌宏には「オレの癒しは、森田剛と堂本剛だね。一緒にいると、なんか落ち着く。」と言われた事も。長瀬智也とは共にギター好きとしても話が合うようで、ソロプロジェクト、ENDLICHERI☆ENDLICHERIのライブを長瀬が観に来た際には、ステージに上がりギター・セッションなども披露しあった。

NEWSの山下智久とはよくメール交換する仲。誕生日が一日違いのため、お互いの誕生日にはお祝いのメールをやりとりする。山下には「メールにハートマークは使わないほうが…」と「(新)堂本兄弟」で指摘されてもいた。

後輩に尊敬する先輩としてよく名前をあげられる。関ジャニ∞の渋谷すばる、安田章大や丸山隆平、Hey! Say! JUMPの八乙女光、ジャニーズJr.の 戸塚祥太、二階堂高嗣など。渋谷は公式サイトの日記や雑誌インタビュー内でたびたびそのファン振りを告白している。「事務所に入所したばかりの頃に『堂本剛のDO-YA』で共演をして剛君を見て同じ関西人にこんなにかっこいい人がいるのかと思った。」、「ジャニーズ運動会の楽屋に挨拶に行こうと思ったが緊張しすぎてなかなか行けずにいたら剛君の方から挨拶してくれて感激した。」、「剛君と楽屋で話した際、緊張しすぎて自分からは何も話せなかった。」などのエピソードも数多く語っている。戸塚は髪型を真似したというエピソードなどがある。
関ジャニ∞のメンバーと交流が多く、その中でも横山裕の話をすることが多い。

持病について

芸能界活動に対する自身のストレスから、CDデビューしたての頃に過呼吸を発症。2000年夏のコンサートツアーにて、ナゴヤドームでの第一部公演の途中に、過呼吸の大きな発作に見舞われる。
2003年5月の「Dome F Concert」の途中体調不良で倒れた事をきっかけにして、同月、ジャニーズオフィシャル携帯サイト「Johnny's web」にて、自ら過去6年に及ぶ過換気症候群(過呼吸症候群、パニック障害)との闘病中であることを告白した。しかしそれまでにも、2002年の1stソロアルバム『ROSSO E AZZURRO』収録の自作曲『Panic Disorder(和訳すると「パニック障害」)』や、著書『ぼくの靴音』の内容からも、パニック障害の発症を告白しているという向きがあった。なお、その後の記者会見でも「6年前(1997年頃)から病気と闘っている」と発言。
ENDLICHERI☆ENDLICHERIのライブMCでは何度も「18歳からの5年間死にたいと思っていた。死にたい、死ねない、死にたい、死ねない、死にたい、を繰り返していた。」、「音楽が僕を救ってくれた。音楽やギターと出会えていなかったら、僕はもう居ない。」といった告白をしている。

恐怖症

高所恐怖症にして飛行機恐怖症。密閉されている感じが嫌だとのことで、新幹線もあまり好きではない。かつてはバラエティ番組などで、極度の高所恐怖症をネタにして、ジェットコースター乗りなど(本人にとっては)過酷な企画に挑戦していた。飛行機では恐怖から逃れるため、前日は徹夜などをして必ず眠るようにしている。飛行機に乗っている間はシートを倒さずシートベルトをしたまま離陸前に眠り、飛んでいる間に起こされないようにしている。