[Over the Border 2 メーリングリスト用に書いて、結局こっちに]
うっかりしてまして、今回のテーマが何でかコミュニケーション、というところがいまいち呑み込めていなかったのでした。どうもこの手垢の付きまくった言葉を無意識的に避けていたようです。思い出す事と言えばバイトしていたスーパーマーケットの、些細な事ですぐいっぱいいっぱいになってしまうおっさん上司が事あるごとに「コミュニケーション、コミュニケーションな」とだみ声で発破を掛けて廻っていたのに辟易した記憶ばかり、で正直どんなに落ちぶれてもああいう呪文を連発するおっさんにはなるまい、と決意と拳を固くしたものでしたが、まあ好きか嫌いかと言えば嫌いな言葉であって、面と向かって「テーマはコミュニケーションです」とか言われたら自分はきっと鼻白んで放屁かゲップをするだろうと思うのですが、グループ展であるからにはそこに何かしらのコミュニケーション(没コミュニケーション含む)があるはずですし、手垢の付いた言葉をどれだけ洗うことが出来るのか、そして付くからにはそれなりの理由(というか「需要」というか)があるのだろう、と思います。
どんどん脱線しますが「コミュニケーション」に引っ張られて「コミュニティ」という言葉もまたぞっとするような言葉であって、特にカタカナ日本語となってしまった"community"の成れの果てにはもう悶絶するしかなく(念の入った事には略して「コミュ」などという「日本語」には疑似国粋主義者的な怒りを覚えますが/言語はどこまでもはてしなく腐っていける)、どこかにちゃんと生きて清々しく使われている「コミュニティ」という言葉が無かったか、と必死で思い出している最中に浮かんで来たのが以下のリンクです。
http://blog.livedoor.jp/mikako0607jp/archives/2009-07.html#20090710
数年前から愛読しているウェブログなのですが、書いている人はイギリスの、いわゆる「アンダークラス(ワーキングクラスより更に「下」)」の託児所で働いている日本人女性がその日常を綴ったもので、ここに出てくる「コミュニティ・スピリット」というのが唯一、自分にとってはそれに相当する使用例でした。
以前どこかで「日本にはゲイ・コミュニティというものは存在するか」といった論争めいたものがされた記憶があるのですが、真面目に読んだわけではない自分の感想としては「あるといえばあるし、無いと言えば無い」といった一休宗純の幽霊話のようなものでした。求める人に取っては生々しくそこに現れるものでしょうし、さして必要性を感じない人に取ってはあってもなくても同じ、となるのかと。問題なのは、それぞれの人が思い描く、「かくあるべき『コミュニティ』」というものがどこまで行っても何にも合一されることなく無数に存在してしまう、そしてその違いを認められないところに争いが起こる、という性質なのではないのかと。
先述の「コミュニティ・スピリット」という言葉がそういった対立の構造から免れているように見えるのは、そこに「コミュニティ・スピリット」に寄って立つしか無いギリギリの状況があるからであって、そうした切実な欲求によってしか有効な「コミュニティ」及び「コミュニケーション」は成立しないのではないかという気がしています。
自分に引き寄せて言えば、そこまでの切実さは実感として自覚できるレベルにありませんし目下、何かに追いつめられているわけでも無いようです。ただ、自分は常に境界に居たい、という思いは変わらずにあり、それは十数年行きつ戻りつしながらもいつの間にか戻って来てしまう「ライン」のようです。そしてそれはどこまで行っても「時代のエッジ」とか「マージナル」とかいった妙にカッコいい(まあマーケティング的な、と言いますか)ラベルとは無縁のものです。
「コミュニケーション」を自分なりに咀嚼して受け入れるとすれば、そこには「必然によるある種の縁、その瞬間における流動的な連」と言うべきものであって、ひとたび関係が成立したからにはそれが未来永劫続く、といった幻想(だと思います)とは真反対な「縁」、偶然かつ必然な出会いがしらの衝突事故のようなものとして現れるものです。友人や恋人や家族や、その他諸々の関係も偶発的な連鎖反応であって、そこに「ラブ・フォーエバー」とか言って固執することによって失うものは甚大だろうと思います。
話が限りなく観念的になっていい加減ファック、なので経過をすっ飛ばしてじゃあお前は何するんだ、という話ですが、自分は埼玉をやります。出生地であり(パスポートにもそう書いてある)18まで育った土地ではありますが、長らく自分にとっての埼玉はこれまた避けて通りたい場所でありました。これほど「物語」から遠いふるさとは日本全国を探してもちょっとない。あまりに東京に近く、かつ海も無く、夏は暑く冬は寒く、ポルトガルと同程度の経済規模を持ちながらも自虐的な自己言及しか現れて来ないエリアで自分は育ち、20歳になる前に移住した「東京」という暴力的な存在に違和感を憶えながらも、次第にそんな真空的な「故郷」によって今の自分がある、と薄々気付き始めたのが数年前で、それ以降は意識的に「サイタマっす」と言うようになりました。「ボーダー(県境)」と言えば、そこにはまさしく荒川が流れているのですが。
うっかりしてまして、今回のテーマが何でかコミュニケーション、というところがいまいち呑み込めていなかったのでした。どうもこの手垢の付きまくった言葉を無意識的に避けていたようです。思い出す事と言えばバイトしていたスーパーマーケットの、些細な事ですぐいっぱいいっぱいになってしまうおっさん上司が事あるごとに「コミュニケーション、コミュニケーションな」とだみ声で発破を掛けて廻っていたのに辟易した記憶ばかり、で正直どんなに落ちぶれてもああいう呪文を連発するおっさんにはなるまい、と決意と拳を固くしたものでしたが、まあ好きか嫌いかと言えば嫌いな言葉であって、面と向かって「テーマはコミュニケーションです」とか言われたら自分はきっと鼻白んで放屁かゲップをするだろうと思うのですが、グループ展であるからにはそこに何かしらのコミュニケーション(没コミュニケーション含む)があるはずですし、手垢の付いた言葉をどれだけ洗うことが出来るのか、そして付くからにはそれなりの理由(というか「需要」というか)があるのだろう、と思います。
どんどん脱線しますが「コミュニケーション」に引っ張られて「コミュニティ」という言葉もまたぞっとするような言葉であって、特にカタカナ日本語となってしまった"community"の成れの果てにはもう悶絶するしかなく(念の入った事には略して「コミュ」などという「日本語」には疑似国粋主義者的な怒りを覚えますが/言語はどこまでもはてしなく腐っていける)、どこかにちゃんと生きて清々しく使われている「コミュニティ」という言葉が無かったか、と必死で思い出している最中に浮かんで来たのが以下のリンクです。
http://blog.livedoor.jp/mikako0607jp/archives/2009-07.html#20090710
数年前から愛読しているウェブログなのですが、書いている人はイギリスの、いわゆる「アンダークラス(ワーキングクラスより更に「下」)」の託児所で働いている日本人女性がその日常を綴ったもので、ここに出てくる「コミュニティ・スピリット」というのが唯一、自分にとってはそれに相当する使用例でした。
以前どこかで「日本にはゲイ・コミュニティというものは存在するか」といった論争めいたものがされた記憶があるのですが、真面目に読んだわけではない自分の感想としては「あるといえばあるし、無いと言えば無い」といった一休宗純の幽霊話のようなものでした。求める人に取っては生々しくそこに現れるものでしょうし、さして必要性を感じない人に取ってはあってもなくても同じ、となるのかと。問題なのは、それぞれの人が思い描く、「かくあるべき『コミュニティ』」というものがどこまで行っても何にも合一されることなく無数に存在してしまう、そしてその違いを認められないところに争いが起こる、という性質なのではないのかと。
先述の「コミュニティ・スピリット」という言葉がそういった対立の構造から免れているように見えるのは、そこに「コミュニティ・スピリット」に寄って立つしか無いギリギリの状況があるからであって、そうした切実な欲求によってしか有効な「コミュニティ」及び「コミュニケーション」は成立しないのではないかという気がしています。
自分に引き寄せて言えば、そこまでの切実さは実感として自覚できるレベルにありませんし目下、何かに追いつめられているわけでも無いようです。ただ、自分は常に境界に居たい、という思いは変わらずにあり、それは十数年行きつ戻りつしながらもいつの間にか戻って来てしまう「ライン」のようです。そしてそれはどこまで行っても「時代のエッジ」とか「マージナル」とかいった妙にカッコいい(まあマーケティング的な、と言いますか)ラベルとは無縁のものです。
「コミュニケーション」を自分なりに咀嚼して受け入れるとすれば、そこには「必然によるある種の縁、その瞬間における流動的な連」と言うべきものであって、ひとたび関係が成立したからにはそれが未来永劫続く、といった幻想(だと思います)とは真反対な「縁」、偶然かつ必然な出会いがしらの衝突事故のようなものとして現れるものです。友人や恋人や家族や、その他諸々の関係も偶発的な連鎖反応であって、そこに「ラブ・フォーエバー」とか言って固執することによって失うものは甚大だろうと思います。
話が限りなく観念的になっていい加減ファック、なので経過をすっ飛ばしてじゃあお前は何するんだ、という話ですが、自分は埼玉をやります。出生地であり(パスポートにもそう書いてある)18まで育った土地ではありますが、長らく自分にとっての埼玉はこれまた避けて通りたい場所でありました。これほど「物語」から遠いふるさとは日本全国を探してもちょっとない。あまりに東京に近く、かつ海も無く、夏は暑く冬は寒く、ポルトガルと同程度の経済規模を持ちながらも自虐的な自己言及しか現れて来ないエリアで自分は育ち、20歳になる前に移住した「東京」という暴力的な存在に違和感を憶えながらも、次第にそんな真空的な「故郷」によって今の自分がある、と薄々気付き始めたのが数年前で、それ以降は意識的に「サイタマっす」と言うようになりました。「ボーダー(県境)」と言えば、そこにはまさしく荒川が流れているのですが。