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2011年07月20日

気仙沼から国道45号で南三陸町 - 毎月一万円寄付第六回

 7月17日、仕事で宮城県へ行く機会があったので、後学のために津波被災地を回ってきました。今回の、あたまにきたどっとこむ毎月1万円寄付は、気仙沼市・南三陸町のレポートも兼ねて報告します。

 まず、ルートを簡単に説明すると次のようになります。交通手段は車で、東北自動車道一関ICを降りて国道264号線で気仙沼方向へ向かいますが、直接には気仙沼市内へ入らず、上からぐるっと回る形で唐桑半島を経由して(太平洋側から)気仙沼市内へ入りました。気仙沼からは国道45号線を南下して南三陸町へ向かいます。

 私はテレビは一切見ませんが、ネットその他のソースから被災地の情報は十分に得ていたので、心の準備はできていたつもりでした。しかし、現地で実際に目にした津波被害の凄まじさには心底驚かされ、また、帰宅後に自分が目にした光景と震災前の映像が収録されているGoogleストリートビューを比較することで、さらに驚いてしましました。まさに、想像を超えた世界が広がっていたと言えるのです。

気仙沼市
気仙沼市錦町
 気仙沼市街へ入って最初に撮影した画像です。日曜日のためか重機を使った復旧作業が行われている様子はなく、猛暑(当日の気温32℃〜35℃)も影響しているためか、人通りはまばらで、街は不思議な静寂に包まれていました。気仙沼へ足を踏み入れるのが初めての私は、信号も道路標識も案内板も根こそぎ失われ、道路も寸断しまくっているこの街でしばらく迷子になることになります。

気仙沼市錦町
 東へ少し進んだ場所で撮影した画像です。帰宅後に電柱がブッ倒れている場所をYahooロコで調べると数件の建物があったことが分かりますが、汚れた水に沈んだ基礎部分以外、建物の痕跡は何も見当たりません。

気仙沼市ファミリーマート跡地
 さらに東へ100メートルほど進んだ場所で撮影した画像です。とりあえず気仙沼市役所へ向かいつつ撮影していく事に決めた私がカナービの目的地を市役所に設定すると「ファミリーマートのある交差点を直進してください。」という音声が響きます。しかし、そこにファミリーマートなんて見当たりません。

 帰宅後にYahooロコで調べて初めて、画像の右側がファミリーマートのある場所だったと知ります。この後も私は、気仙沼市内や南三陸町で「電機店のある交差点を右折です」「○○町交差点を左折です」といった今は跡形も無い目標を指し示す、虚しいナビゲーションを何度も聞くことになります。

気仙沼市地盤沈下
 前の画像からぐるっと180度反対側を撮影した画像です。とにかくそこら中が地盤沈下によって冠水しています。地盤沈下の情報は知っていましたが、一部分の『陥没』ではなく、見渡すかぎりの地面全体がまんべんなく低くなっている現実には驚きました。

 気仙沼市内へ入る手前の唐桑地区で、某神社で神主をしている知人と会い、色々な話を聞いたのですが、満潮になると冠水して通れなくなる道路がたくさんあるとのことで、実際に海沿いや川沿いを歩くと水面があまりに近いので驚きます。地震・津波被害だけでなく、地面が海面スレスレになっている恐るべき地盤沈下の様子を目の当たりにして、津波被災地に訪れて一時間も経過していないというのに、私は早くもションボリした気持ちになってしまいました。

 この後も気仙沼市内を周りましたが、海に近い場所は終始似たような状況で、海から少し離れた繁華街でも一階部分が津波で破壊されている建物が無数にありました。しかし逆に、少しでも高台にある建物は、無傷、ではないのでしょうが、大きな問題があるようには見えず、住宅が坂道に沿って並んでいるような場所では、完全に破壊されてしまった家と無傷の家の明暗が、ほんの100メートルほど離れただけでクッキリと分かれているので、なんとも考えさせられます。

 前述の知人の神主によると「アンタのところは家が無事なんだから救援物資いらないでしょ!!!」といった、冷静に考えれば、冷静に考えられる状況であれば、好ましくないであろう発言をする人が震災直後の物資が困窮していた時期には散見されたそうで、致し方ないとは言え、難しいなぁ、と、思いました。

 気仙沼市役所に立ち寄った後に、国道45号線を南下して南三陸町へ向かいました。

国道45号線を南下(気仙沼市〜南三陸町間)
国道45号Googleストリートビューとの比較
 国道45号線はGoogleストリートビューの収録対象となっていて震災前の風景を見ることができます。画像はストリートビューとの比較になっていますが、私が撮影した画像の場所は以前、おそらくは水田であったことが分かります。今の時期、例年通りであれば緑の稲穂が美しく風に揺れていたことでしょうが、ガレキの混ざったヘドロに覆われています。

比較用Google航空写真
 これは次の画像の状況を分かりやすくするため、GoogleMAPの航空写真に撮影場所などを図示したものです。ここは川を渡る国道45号線の橋と、JR気仙沼線の高架橋が海沿いで交差している場所です。航空写真で見ると国道の橋は完全に失われていますが、現在は新たな橋が建造され、問題なく通れるようになっています。(仮設にはとても見えない立派な橋です。短い期間であんなの作っちゃうとか技術力半端ない。)

気仙沼線高架橋
 図に「1」で示した画像です。高架橋の上に3軒分ほどの屋根が乗っています。低く見積もっても海面から10メートル以上は高い場所なのですが…

気仙沼線高架橋
 図に「2」で示した画像です。航空写真で小さく光っている物体は車でした。高架橋もかなり破壊されています。

住宅街があったなんて
 図に「3」で示した画像です。これもGoogleストリートビューとの比較ですが、撮影していた時、私はそこに住宅があったなどとは、全く思いもよりませんでした。震災前もほとんど建造物のない水田のような場所だとばかり思っていたのです。

 ガレキがかなり片付けられている事もあるのでしょうが、そこには根こそぎで何もなく、ヘドロと、夏の日差しで勢いよく成長した草に地面が覆われているのです。私が撮影した画像とストリートビューの画像はアングルが異なりますが、それというのも、流された高架の一部分以外は特に重要ではないと思い、手前は写す必要が無いと思ったからこそ、少しズームして撮影したのです。

 この事実に気づいた私は、改めて自分が走行したルート上のGoogleストリートビューをくまなく見たのですが、海沿いのほとんどで、つい昨日の私の記憶とは全く違う風景が広がっていたことが分かり、現地でも散々驚いたというのに、帰宅後、それ以上に驚かされてしまいました。「以前はこんなだったのか…全然違うじゃん。」と。

崩壊した歌津バイパス高架橋
 南三陸町中心部の手前で撮影した画像です。当時はずっと国道45号線を走行しているものと思っていましたが、崩壊した高架橋が本当の45号線(歌津バイパス)でした。ストリートビューの画像は高架橋上から、私が撮影したと思われる場所を写しています。震災前であれば互いに見通すことができない状態であったことが分かります。

南三陸町
南三陸町
 南三陸町役場の防災庁舎です。逆光だったので少し補正を入れてあります。南三陸町へ到着して撮影したのは、この画像と次の画像の二枚のみです。ジャーナリストでもフォトグラファーでもない私は、長時間運転をしてきた疲労と、高台を除いて360度どこを向いても丸ごと壊滅している南三陸町の様子にすっかり打ちのめされてしまい、これ以上撮影する気力を失いました。

生活の痕跡
 防災庁舎のすぐ隣で撮影した最後の画像です。無断撮影申し訳ありません。どなたかの住居だったのでしょうが、風呂があったのだな、と。以前の様子は僕には全く分からないけど、家が建っていて、ここがお風呂場だったのだな、と。

毎月一万円寄付活動第六回:気仙沼市(寄付金)と南三陸町(義援金)
 というわけで、サイトに設置のアフィリエイト利益を利用した今回の1万円寄付は、気仙沼市への寄付(自治体に対する寄付)と南三陸町への義援金(被災者支援)という形で6・7月分を使用させていただきました。

 どーでもいいことなんですが、どういうわけか、気仙沼でも南三陸でも職員の人に「寄付をしたいので手続きお願いします。」とハッキリクッキリ滑舌良く言ったにも関わらず「義援金の受け取り申請」と勘違いされ受け取りの説明を開始されたのですが、僕はパっと見でそんなに困窮してるっぽいんだろうか?確かにかなり疲れてはいたけれど(^p^

 何かを伝えたいわけでは、全く、有りません、が、私個人としては、仕事を済ませてスグに高速道路に乗って帰ったりしなくて、本当に良かったと思っています。

 全体的になんとなく「ボランティア」的な行動が付属しない限り、被災地に入ってはいけないような雰囲気があるような無いような気がするのですが、私個人の考えでは、単なる見学目的、誤解を恐れずに言えば見物・観光・ナンパ目的であっても(復旧作業に対する具体的妨害や法に抵触する行動は駄目だけど)被災地に行くことには何の問題も無いように思います。

 かといって、東北ばっかりに観光が集中するのも問題ですから、資金と時間に余裕があれば九州・四国・沖縄など、西日本の観光もたっぷり満喫するのが良いのではないかと。要するに、例年通り旅行に行き観光に行き、夏の太陽よりも熱い恋(キャッ)をしたりするのがGOODなのだろうなと、思うのであります。

 そして同時に、個人的には、被災地支援に対する寄付金の『一極集中』によって、ホームレス支援であったり障害者支援であったり、被災地以外の地域での自殺防止活動であったりを行う各種NPO団体等への資金の流れが極端に少なくなってしまうことが、被災地復興のためには長期の継続的支援が必要だと実感しつつも、心配になってしまいます。「もっともっと金を稼ごう。」以前よりも強く、僕はそう思うようになりました。

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posted by あたまにきた管理人 at 00:40| Comment(3) | TrackBack(0) | 雑記