2009年12月31日

2009年を振り返って(1)

 今日は大晦日。実家の父が蕎麦を打ってくれるので、一緒におせちもにいただきに上がりました。片道車で40分くらいかかるので、その間、今年あった出来事を回想しました。

 去年の今頃は、すでに議会の中で孤立し、議会の中での嫌がらせも9月の問責決議以来ずっと続いていて、まだまだ残っている議員の任期の間、どうしたものかと思い悩んでいました。そんな時、野村安兵さん(本人の熱い希望で本名です)から「鹿児島の近くにあんたと同じように議会から嫌がらせされている市長がいるってテレビで見たぞ。でも庭山さんみたいに落ち込んではいないようだぞ」と教えていただきました。

 この情報がきっかけで、竹原市長さんのブログに行き着き、メールを出しました。この頃は、かなり弱気になっていたのと、議会の中でうまくやる方法はないものかなどとアマイ考えもあり、「あなたのメールをブログで紹介しても良いですか?」という竹原市長さんのお便りに「匿名で」とお願いをして掲載していただきました。

 匿名であったにもかかわらず、これをいち早くキャッチして「これ、由紀ちゃんが書いたやつだろ?こういう事書いちゃだめだよ」と忠告してきたのが故近藤議員でした。

 その後、3月に阿久根に行き、竹原市長さんに会い、ブログ開設を勧められて開設。竹原市長さんが紹介してくれたおかげで、開設当初よりたくさんの方が私のブログにアクセスしてくださいました。

 当初はおっかなびっくり書いていましたが、書き始めるとずっと思い悩んでいたことが湯水のように湧き出てきて止まらなくなりました。また、日本中のたくさんの方々からのメールも大変励みになりました。
posted by 由紀 at 20:45| 未分類 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年を振り返って(2)

 こうなってくると、議会の中でも一目置かれるようになり、「あんなこと書いちゃダメだ」「こんなこと書きやがって」と盛り上がりを見せました。

 そんなある日、故近藤議員がやってきて「(百条委員会について)そういう意見もあるだろうが、こういう意見もあるんだよ。こういうことも書いてくれなくちゃ困るんだよ」とおっしゃったので、
「ならば、そういう意見をご自身で書かれたらいかがですか」・・・ということで近藤議員が「さるさる日記」をはじめました。するとその後、同じく「さるさる日記」をはじめる先輩議員や休みがちだったブログを再開する先輩議員などによって、桐生市議会はちょっとしたブログブームになりました。

 そして、全国の目が桐生市議会に向いてきました。そうすると、今まで桐生市議会の中では、多数決とか、大声でうまく議会をまるめてきた先輩議員さん達でしたが、多数決も大声も届かないインターネット世界の中で様々な困難に出会います。これはかなわんと、途中で投げ出す先輩議員さんもいましたが、中立的な立場で書き続ける先輩議員さんもいらっしゃいました。

 いよいよ桐生市議会の実状が見えてくるか・・・というところで、7月11日に近藤議員の「『変死』の自殺(自殺と言い張る警察に、現場の状況などから医者や弁護士の見解も含めて「そんなハズはない」と迫ったときに警察が言った言葉)」事件がわが家の近くで起こりました。 

 どういうことで、警察が自殺扱いするのか、マスコミの報道が皆無なのかは全く想像の域を出ませんが、私は近藤議員は自殺ではないと今でも思っています。あのような亡くなり方をして、最も無念だったのは、近藤議員だと思います。
posted by 由紀 at 20:44| 未分類 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年を振り返って(3)

 その後は、この機を逃さず「庭山をやっちまえ」、「ブログ規制しよう」と議員達は必死になります。が、彼等が動けば動くほど、謎が深まりました。さて、事実を知っているのは、誰でしょう?

 その後も、幾井議長を中心に、私が請求した資料請求を指し止めする嫌がらせをしたり、ブログ規制条例を作ろうとしたり、複数の議員達が示し合わせて議会を退席・ボイコットして嫌がらせをしたり、西牧議員に一般質問をさせなかったり・・・。桐生市政をどうすべきかなどほとんど議論することなく、当局からの提案は全て可決され、ひたすら続いているのは特定議員への嫌がらせ。あー。くだらない。

 この程度のことしかできんのか?これで、満足しているの?

 「彼ら(ブログ規制条例を作ろうとしている議員達)は、条例作って庭山さんに議員辞職勧告することを考えているから気をつけなよ」などと心配を寄せてくれる奇特な方もたまにいるけれど、私に議員辞職勧告するには必ずしもこの条例が必要とは思えないんですけど・・・。でも、条例のひとつでも作ってみたら?お勉強したら?と思うので、応援していますよ。今の骨抜きの条例案には賛成はしませんけどね。

 こういろいろ思い出すと、1年前の私は今の私ではないくらい、みなさんのおかげで変わることが出来ました。

 感謝申し上げます。

 来年こそは、阿久根に負けないようにオモシロ議会、頑張りましょう。
posted by 由紀 at 20:43| 未分類 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月28日

分限処分の事例

 12月議会で一般質問をした時、桐生市役所内に勤務不良職員がいると認識しているとの答弁があったので、今、分限処分について調べています。するとなかなか面白い事例が出てきました。たとえば、

勤務実績不良(法第78条第1号)
〔北九州市職員分限事件(福岡地裁平成4年1月22日判決)(福岡高裁平成4年11月2
4日判決控訴棄却、確定)〕
(事案の概要)
年休の大半を年度の当初から無計画に取得し、年休の不足を補うために病
休を取るようになり、勤務日数は大幅に減少し、他の職員にも余分な負担を
かけざるを得ない状況になった。しかも、その病休を不正に利用して頻繁に
借金返済のための金策に費やしていた上、上司の再三にわたる注意、指導に
もかかわらず、一向に態度も改まらず、遅刻を繰り返しては、借金を重ね、
職場にも頻繁に私用の電話がかかるなど公務遂行に専念することが困難にな
り、職務を通じて知り合い、自立指導をしてきた生活保護受給者から多額の
金銭を借り受け、破産宣告を受けるに至った。

こんなつわものは桐生市役所にはいないでしょうが・・・。
posted by 由紀 at 12:15| 未分類 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月27日

市民メール:『江戸の敵を長崎で』

田畑豊作さん(仮名)からメールをいただきましたので紹介します。

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 今から4年半前のこと。桐生市の参考にしたいと米沢市の市役所を訪問しました。
 
 桐生市のことを説明する話の糸口にと思い、桐生八木節祭りの印刷された観光名刺をいただきに市役所へ行きました。窓口担当者の答「役所の行財政改革のために中止になりました」。仕方がないと、その場は引き下がりました。

 ところが、桐生タイムスに/(1)徒歩通勤の職員にも通勤手当支給(2)退職部長に新ポストを設けて再雇用/が掲載され、これは黙っておられないと、再び市役所の総務課に出向きました。

 総務課長(名前は忘れましたが、色白で大人しそうな方)が「それでは担当部署へ行って話をしましょう」と連れていってくれたのが、当時経済産業科の課長さんだった上原さんでした。「市長も観光に力を入れると言っている。こういう職員に対するムダなことをしておいて、なぜ桐生市のPRとなる観光名刺を廃止するのですか?おかしいではありませんか」とクレームをつけました。すると上原課長、「行財政改革はそれぞれの部署でやっている結果です」と、議会答弁と同じく、能面の仮面をつけたような無表情で宣まわれました。話の通じる人ではないと、反論する気力もすっかり萎えてしまいました。今の議会答弁とちっとも変っていません。

 『江戸の敵を長崎で』という言葉もあります。上原さん、こういう誠意のない姿勢と回答はちっとも忘れていませんよ。
 
------------------------------------------------(以上メール)-------

 市役所で不愉快な思いをした市民は結構いますよね。公務員は身分が保証されていると思っているのがひしひしと伝わってきます。自分たちの給与や退職後の再雇用先の確保などは最優先・最重要課題であり、こういうことは即実行している事が明確に現れています。その姿勢は今も健在ですよね。

 「公務員というのは身分制度だ。役所の正規職員は仕事ができなくても、日常的に市民を見下していても排除されてはこなかった。もはや公務員は公僕ではない。特権階級だ。」と阿久根市長竹原さんは書いています。まったくそのとおりだと思います。

 これから、社会システムをどのように変えて、次世代につなげていくか。いい加減本気で考える時期にきているのではないだろうか。
posted by 由紀 at 12:42| 未分類 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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