第十八使徒・涼宮ハルヒの憂鬱、惣流アスカの溜息
一年生
第二十六話 アスカが夢見るバースデイ 〜10年分のアスカの涙〜
<第二新東京市 喫茶店『夢』 店の前>
アスカは喫茶店近くの電柱の影に隠れて、ガラス窓から見える、店内に居るハルヒ達SSS団の団員達をそっと見つめていた。
休日である今日の集まりにはアスカは呼ばれていない。
なぜなら、アスカの誕生日のサプライズ企画をするためのミーティングだったから。
しかし、アスカはその事をすでにシンジから聞きだしていた。
ハルヒからの電話が掛かって来てから露骨に様子がおかしくなったシンジを目ざといアスカが尋問すると、シンジはすぐに口を割った。
絶対にハルヒにネルフドイツ支部の事をそのまま話すわけにはいかない。
アスカはハルヒにドイツ時代での生活を聞かれてもごまかせるようにシナリオを作ってシンジに教え込んだ。
「アタシの誕生日か……ハルヒ達と会ってから半年以上が経つのね」
アスカは4月にシンジ達と一緒に北高校に入学してから今までの事を思い返していた。
ハルヒに振り回されながらも楽しい思い出が詰まった高校生活の日々。
「いろいろな事があったから、誕生日なんてすっかり忘れていたわ」
アスカの自分の誕生日に関する思い出は、5歳の頃に母親のキョウコと2人でドイツ東部のゼーレンドルフにあるヒマワリ畑に遊びに行った事だけしかなかった。
アスカの父親はネルフ関係の病院での診察の仕事が忙しく、休む事が出来なかった。
普段から父親と顔を合わせる事の無かったアスカは、母親っ子だった。
アスカの父親は、キョウコが死んだ後すぐにドイツ人の女性医師と再婚したため、アスカは父親に対して良い印象は持っていなかった。
5月にハルヒの不思議な能力で幸せな子供の頃の世界を体験する事は出来たものの、あれは夢みたいなものだと割り切っていた。
「アタシったら10年以上誕生日を祝ってもらったことなんて無かったんだっけ……」
ネルフのドイツ支部に居た頃は、誕生日が休日になるわけでもなく、黙々といつものようにエヴァパイロットしての訓練メニューをこなしていた。
訓練を終えて自分の部屋に戻ると、届けられているリョウジからのプレゼントと新しい母親からのプレゼント。
アスカは社交辞令として2人にお礼を言っていたが、メッセージカードとプレゼントの品物だけと言う素っ気なさに寂しさを感じていた。
自分が両親や友人たちに囲まれて、バースデーケーキの前に座り、誕生日を祝ってもらえる、そんなイメージにアスカは憧れていた時期もあった。
「すっかり、誕生日パーティなんて諦めていたのに」
去年はネルフの病院に入院していて、それどころではなかった。
2年前は、使徒戦が激しくなり葛城家の家族はバラバラになってしまい、家出したアスカはヒカリの部屋で過ごしていた。
今年はシンジやレイを始め、ハルヒ達SSS団の友達がたくさん居る。
「アタシは普通に誕生日を祝ってもらえるだけで嬉しいのよ!」
アスカはそう言って、喫茶店に居るハルヒ達の姿を見ると、胸がときめき、顔がほころんで笑顔になってくるのを感じた。
「いけない、道の真ん中でニヤケていたら、アタシはまるでおかしい人じゃないの」
アスカはそう言って冷静な表情になろうとした。
しかし、自分のために話しあってくれるハルヒ達を見るとアスカは嬉しくてたまらなくなってしまう。
アスカは気持ちを落ち着かせて頭を冷やすため、喫茶店の前を離れることにした。
<第二新東京市 喫茶店『夢』 店内>
そんなアスカの舞い上がっている姿は、喫茶店の中でミーティングを行っていたハルヒ達にも見えていた。
「祝う前からあんなに喜んでるなんて、これは期待に応えないといけないわね!」
ハルヒは気合に満ちた声でそう宣言した。
「涼宮さん、アスカはケーキや料理を作ってお祝いしてあげれば十分喜んでくれると思うけど……」
「そうだハルヒ、余計な事をしなくてもいいと思うぞ」
シンジとキョンがそう言ってハルヒをなだめようとするが、ハルヒの気持ちは収まりがつかないようだった。
「そんなの甘いわ、アスカを120%喜ばせてあげなきゃ!」
ハルヒはシンジに指を突き付ける。
「ミサトはアスカの思い出のサルのぬいぐるみを直したんでしょう? シンジもそれに負けないぐらいの力のこもったプレゼントにするべきよ」
「僕とレイと組んで3人でオリジナルバースディソングをプレゼントすると言うのはどうだい?」
「それは無理」
「どうしてだい?」
カヲルの提案を、レイは即座に否定する。
「だって、私とカヲル君は楽器の練習を始めたばかりで、そんなに上手じゃないもの」
「それは盲点だったね」
「言う前に気付けよ」
珍しくカヲルにキョンがツッコミを入れた。
「それに、僕のチェロは壊れちゃって、今修理に出しているんだ。やっぱりアスカにきいてもらう時は使い慣れた自分の楽器が良いからね」
「何で壊れたんだい?」
「ちょっと……ね」
シンジは気まずそうにミクルとイツキに視線を送った。
2人はシンジに軽く頭を下げて謝った。
「そうだ、碇君はお料理ができるんだから、何か特別な物を作ってあげたらどうですか?」
「そうねミクルちゃん、ハンバーグ以外にも挑戦するべきよ」
「うーん、アスカが喜ぶような料理か……」
シンジはミクルとハルヒにそう言われて、考え込んだ。
「惣流さんはドイツに住んでいたそうですから、ドイツ料理なんていかがでしょう? 父に頼んでドイツ料理のレストランに予約を入れましょうか」
「うーん、アスカは高級料理とかは逆に引いちゃうんじゃないかな」
イツキの提案を聞いて、シンジはそう答えた。
「そうね、農夫の朝食とか農夫のスープとかそういう素朴なのが良いんじゃない?」
「へえ、涼宮さんってドイツ料理に詳しいんだね」
「ドイツに単身赴任している親父が良く話しているのよ……ってしまったぁ!!」
つい口が滑ってしまったハルヒは、頭を抱えて叫んだ。
「ハルヒ、ゴメスさんが本当の親父さんじゃない事はもうばれているぞ」
「……まったく、つまんないわね」
キョンに言われて、ハルヒは口をとがらせた。
そして再びシンジに向き直る。
「シンジはアスカに頼まれたりしないの?」
「うん、農夫の朝食なんて料理、初めて聞いたよ」
「ダメねえ、そんなことじゃ……」
ハルヒはシンジに向かって落胆したようにため息をついた。
「それでは食事は我々が協力して作ると言う事で、キッチンの充実している場所を提供しましょうか」
イツキの提案にハルヒは大きく頷いて受け入れた。
「そうね、やっぱりパーティ用の料理は調理設備の整っているところで作りたいし。お願いするわ」
その後もハルヒ達はアスカの誕生日にどのようなイベントを企画するか話し合った。
シンジはアスカから聞いた事以外にも、あの5月の不思議な世界で体験したことも思い出して、ハルヒ達にイベントの内容を提案した。
そしてハルヒ達はアスカの誕生日イベントの準備に向けて、放課後になると忙しそうに様々な場所に出掛けて行った。
アスカはそんなに張り切らなくても良いのにと思ったが、期待をしながら自分の誕生日が来るのを待っていた。
<第二新東京市 葛城家>
幸運な事に、アスカの誕生日はちょうど休日だった。
そこでアスカには朝からサプライズなプレゼントが用意されていた。
「何これ、赤い味噌汁?」
「うん、八丁味噌って言うんだ。僕達がいつも飲んでいた味噌汁とは違って、酸味や渋味があるけどね」
アスカはシンジに勧めれて味噌汁を一口飲むと、首をかしげた。
「あれ、この味は初めてじゃない気がする」
「うん、これはあの5月の夢の中でアスカのお母さんがバーベキューの時に焼き肉につけていた赤黒い調味料の正体だったんだよ」
「え、黒い豆板醤じゃなかったの?」
「僕も焼肉屋には豆板醤が置かれているから、そうだと思い込んでいたんだ」
「アタシもそう思っていたけど」
「牛肉の八丁味噌漬けと言うのもあるみたいだからね」
「そうなんだ……でも、八丁味噌ってここら辺のスーパーじゃ売ってないわよね?」
「うん、日本の中でも名古屋辺りでしか売ってないからね」
シンジがそう言うと、アスカは目を丸くして叫ぶ。
「アンタバカァ!? 名古屋って、第三新東京市より遠いじゃないの。ここからリニアレールを乗り継いでも片道3時間はかかるわよ!?」
「うん、でもミサトさんに頼んでネルフ専用のリニアレールに乗せてもらったんだ。第二新東京市って首都だから、ちょうど良かったよ」
「それでも、片道2時間、往復で4時間掛かるじゃない。毎晩遅くまで家に帰って来ないと思ったら、そんな事をしてたのね」
「ここのところ夕食は作り置きばかりでごめんね」
「謝るのはその事じゃ無くてさ……」
アスカがそこまで言って言葉を濁すと、目を覚まして先ほどから話を聞いていたのか、ミサトがニヤついた顔をしてリビングにやってくる。
「アスカはシンちゃん抜きの夕食が続いて寂しかったんだよね〜」
「そ、そんなこと無いわよ。ただ、何か不満があった時に言う相手が居なくて物足りなかっただけよ」
アスカは顔を赤くしてむくれる。
「アンタがハルヒ達と何か企んでいるのは大目に見ていたけどさ、そこまで頑張る事は無いじゃない」
「まあまあ、アスカもシンジ君を許してあげてよ。アスカを喜ばせようと思って惣流家の実家まで行ったんだからさ」
「それって、アタシのママの?」
「そう、アスカのお祖母さんに当たる人が住んでいた家ね。セカンドインパクトでキョウコさんのお母さん……アスカのお祖母さんは亡くなってしまったけど、縁者の人が住んでいたの」
「名古屋の近くに住んでいる人達は普通にお味噌汁って言うと八丁味噌の事を言うんだって。だからアスカのお母さんも日本に居た頃は飲んでいたと思うよ」
「ドイツでアスカと暮らしていた頃は……多分、八丁味噌なんて手に入らなかったでしょうけどね」
ミサトが残念そうに言うと、アスカは首を横に振る。
「ううん、アタシはこの味噌が好きだったママと会った事があるし。……やっぱりハルヒの作った世界で会ったママはアタシの理想によって作られた存在じゃ無くて、本当のママだったのよ。そう強く信じられるようになったわ」
「そう、私はハルヒちゃんの作った世界に巻き込まれなかったから分からないけど、アスカがそう思えるならシンジ君も頑張った甲斐があるじゃない」
「はい、ミサトさん」
アスカは感激に打ち震え、思わず涙を流しそうになった。
しかし、それをミサトが大声を出して止める。
「ちょっと待ったぁ! 感動するのはまだ早いわよ。アスカの誕生日イベントはまだ始まったばかりなんだからね!」
「アスカ、朝御飯を食べて家を出たら、涼宮さん達と合流するからね」
「うん、分かったわ」
アスカは涙をこらえながら、シンジの作ってくれた朝食を頬張った。
<長野県 蓼科高原郊外 ヒマワリ畑>
南アルプスを一望できる壮大な高原、そこにそのヒマワリ畑は存在した。
「変わった形のヒマワリでしょう、テディベアって言うのよ」
先頭に立ったハルヒが腰に手を当てて胸を張ってそう言うと、同行した団員達から感心のため息がもれる。
「ぬいぐるみみたいにモコモコしていて可愛いです〜」
「そうね」
ミクルの言葉にレイが頷いた。
「ヒマワリ畑がアスカにとってドイツでの思い出の場所だって聞いたから、今日のコースに入れたのよ!」
ハルヒがそう言うと、アスカはシンジにそっと耳打ちする。
「シンジ、そんなに細かい事までハルヒに話したの?」
「僕が涼宮さんに話したんじゃ無いだけどね」
「じゃあ、ミサト?」
「ストップ! アスカのドイツ時代の事を話してくれたのはシンジでもミサトでも無いわよ」
「じゃあいったい誰よ?」
「それは……」
「それはまだ秘密よ!」
思わず言いそうになったシンジをハルヒが押し止めた。
「まったく、シンジはミーティングの事とか何でもアスカに話しちゃうんだから!」
「えっ、もしかしてハルヒ、アンタはアタシが喫茶店をのぞいている事を知って……」
「もちろん、アスカの事はみんなで見ていたわよ」
「じゃあ、あの時の姿も見られて……!」
アスカはそう言って顔を真っ赤にした。
「あんまり喜ぶアスカが可愛いから、思わず録画したくなっちゃったわよ」
「アタシとした事が不覚……」
「でも、今日はあの時よりももっとアスカを喜ばせるつもりよ!」
上段のテディベア種のヒマワリ畑を見終わったハルヒ達は、下段のヒマワリ畑に向かった。
そのヒマワリ畑はドイツ東部のゼーレンドルフにあるヒマワリ畑と似た種類の一般的にイメージされるヒマワリが植えられていた。
しかし、アスカは表情を少し曇らせた。
「どうしたの?」
「ううん、何でも無いわ」
心配したシンジにアスカはそう答えた。
アスカのヒマワリ畑の思い出は、シンジにも話していない辛いものもあった。
それはアスカがドイツ支部での休暇の大半を費やした事。
アスカはよく1人でヒマワリ畑に行っては、居るはずの無い母親の姿を探していたのだ。
もしかしたら、ヒマワリの影から母親が顔を出して、優しい声で自分の名前を呼んでくれるかもしれない。
何をバカな事を、と他の人に話したら笑われるかもしれない。
だからシンジにも言えなかった。
もちろん、アスカもそんな奇跡が起こるわけが無いと分かっていた。
だから、ヒマワリ畑はアスカにとって孤独な悲しい場所でもあった。
「アスカ〜!」
「待ちくたびれたわ」
「ようやく来たか」
アスカの視線の先には、中学時代からの友人達であるヒカリとトウジとケンスケが立っていた。
3人の姿を見たアスカの表情は、パッと輝く様な笑顔になる。
それを見てシンジもホッとした。
「さあ、みんな揃ったところで記念写真を取るわよ!」
ハルヒの号令の元、アスカを中心として並び始めた。
撮影をするカメラはデジタルカメラでは無く、年代物のフィルムカメラだった。
写真部に相談したところ、強く部長に勧められたので、ハルヒがついでに部長から借りて来た物。
「何で、アタシとシンジが隣なのよ?」
「そ、そうだよね。洞木さんや綾波の方が……」
席を移ろうとしたシンジの肩をトウジががっしりとつかむ。
「まあ、そないなこと言わんで、座っとけ」
アスカの逆側の隣にはレイが座らされ、ヒカリはアスカの真後ろに立つ。
ハルヒは中心から少し外れたアスカの斜め後ろに立っていた。
「ユキ、写真を取る時ぐらい本を読むのを止めなさい」
「分かった……それでどのようなポーズをとれば良い?」
「長門は記念写真を撮ったことは無いのか?」
「無い」
ユキはキョンの質問に無表情のまま短くそう答えた。
「じゃあVサインでもしたらどうだ?」
「あっ、手の甲はカメラの方に向けちゃダメよ、相手への挑発になるから」
「そんな細かい事よく知っているな、雑学王だなハルヒは」
ユキが静かにVサインを作ると、アスカ達もそれにならってVサインをするようになった。
そしてカメラに笑顔を向ける。
ちょっと緊張した顔のシンジの笑顔に比べ、アスカは柔らかな冬の日差しのような穏やかな笑顔を浮かべていた。
カメラマン志望の写真部部員のケンスケが撮影を担当し、写真は3枚ほど撮られた。
「相田、焼き増しして売ろうって言うのはダメだからね」
「惣流、そんなことするわけ無いじゃないか」
ケンスケは冷汗を垂らしながらそう言った。
「大丈夫よアスカ、相田が盗撮とかしたら部員をクビにしてもらうって部長さんに頼んであるから」
「だけど、写真部に飾るぐらいは良いんだろう?」
「えっ、ちょっと待ってよ!」
「まあ、一番高いカメラを貸してもらったんだから、それぐらい良いじゃないの」
ハルヒに説得されて、アスカは渋い顔をしながらも引き下がった。
「何か、こんな背の高いヒマワリ畑だとかくれんぼしたくなるわね!」
「こらこら、他の観光客の皆さんも居るんだから迷惑になるから止めなさい」
「じゃあ、あたし達だけだったら問題無いの?」
「そう言うわけでもないだろ」
「ただ、やってみたいって言っただけじゃない」
その後アスカは夕方まで楽しく友達とヒマワリ畑で過ごした。
「もう日が沈み始めた……冬の日没って早いわね」
「楽しい時間って言うのは早く過ぎちゃうんですね」
「そうね」
アスカはミクルの言葉に笑顔で頷いた。
ヒマワリ畑を出たアスカ達の前に、クラクションを鳴らしたネルフのロゴを付けたマイクロバスがやってくる。
「じゃあ、次の場所に案内するからみんな乗ってくれ」
運転席から顔を出したのはリョウジだった。
「加持さん!」
「……よかったな、アスカ。こうやって友達に誕生日を祝ってもらえて」
「うん」
アスカはリョウジの言葉に嬉しそうにうなずいた。
リョウジもアスカの誕生日を祝えていなかった事を気に病んでいたのだ。
「まったく、私が運転して華麗なグリップ走行を披露しようと思ったのに」
「へえ、あたしはミサトの運転する車に乗ってみたいわね」
ミサトがそうぼやくと、ハルヒは瞳を輝かせてそう言った。
「2人とも止めてよ、アタシの誕生日をめちゃくちゃにする気? そんな曲乗りみたいな運転する車に乗ったら気分が悪くなって夕御飯が食べられなくなっちゃうわよ」
「仕方ないわね、今日はアスカの誕生日なんだし、言う通りにしましょう」
「残念だわ」
ハルヒとミサトが引き下がってくれて、アスカとシンジはホッとため息をついた。
<群馬県 古泉家の城>
リョウジの運転する車はしばらく県道を走ると、山道に入り進んで行く。
山の影から、切り立った崖の上にそびえ立つ城の姿が見えると、車内に居たハルヒ達は歓声をあげる。
「うわぁ、綺麗なお城ですね……」
「私の曽祖父が私財を投じて作った城のようです、100年近く経った今でも丈夫なものですよ」
ウットリと城を眺めているミクルの横で、イツキがそう説明をする。
「ドイツ風の城なので、惣流さんのお祝いにはピッタリではないでしょうか」
「ノイシュヴァンシュタイン城に似ているわね」
「そうなんだ……」
シンジはアスカの話している城の名前はよく分からないが感心したように頷いた。
「ミサトが運転して来たならたくさんの薬が必要になると思ったけど、その心配はなさそうね」
「リツコまでそんな事を言うの? 勘弁してよ〜」
車から降りたアスカ達を出迎えたのはリツコだった。
「誰、この人?」
ハルヒが初めて直接会うリツコを見て、アスカに尋ねた。
「ミサトの友達で、シンジの新しいママになる予定の人よ」
アスカがそう言ってリツコをハルヒに紹介すると、リツコとシンジの2人は顔を赤くして慌て出す。
「別にミサトさんの友達って言うだけでいいじゃないか」
「シンジも、そろそろ受け入れた方がいいわよ」
アスカは薄笑いを浮かべてシンジの肩を叩いた。
「では、今夜は仮装パーティにするので皆さん着替えて下さい」
「仮装パーティ?」
「中世風のお城で行うパーティなのですから、服装もそれに準じた物にしていただきたくて」
イツキの答えに納得したアスカ達は男女別に分かれて更衣室へ向かった。
「ミクルちゃんは脱ぐと出る所が出ているって分かるわねー!」
「涼宮さん、あんまり見ないで……さ、触るのもダメー!」
ハルヒとミクルの騒がしい声は、男子更衣室にまで聞こえた。
「おい、鈴原に相田、何を見に行こうとしているんだ」
のぞきに行こうとするところをキョンにとがめられたトウジとケンスケは強い口調で言い返す。
「これは男の本能や!」
「男のロマンでもある」
そんな2人にシンジが頭を下げて頼みこむ。
「今日はアスカの誕生日なんだから、お願いだから雰囲気が悪くなるような事は止めてよ」
「シンジにそこまで言われたら、しゃーないな」
のぞき事件も未遂に終わり、着替えを終えたSSS団のメンバーは別々の入口から夕食の会場となる小ホールへと姿を現す。
部屋には白いテーブルクロスが掛けられ、人数分の椅子が用意された中世風の食卓と、目を引くグランドピアノが置いてあった。
「お前、長門か? 見違えたぞ」
キョンが男性陣の驚きを代表してそう言った。
ユキはゴシック・ロリータ風のフリフリのフリルのついた人形に着せるような可愛いドレスを来て姿を現した。
熱い視線が集まる中でもユキはいつものような無表情で席につく。
「ほらほら、ユキの変身ばかりに注目していないで、あたし達もいるんだからね!」
ハルヒの言葉にユキに集中していた男性陣がハルヒ達に視線を移す。
そこにはカチューシャを付けてメイド姿になっていたミクルとヒカリ、踊り子の服を来たミサト、魔女のようなエキゾチックな格好のリツコが立っている。
レイはブレザーにスカートと言う学校の制服のような服装をしている。
「おや、レイが着ているのはどこかの学校の制服かい?」
「ハリー・○ッターに出てくるホグ○ーツ魔法学校の制服らしいわ」
「それじゃあ僕と同じだね」
レイとカヲルはおそろいの制服を着させられていた。
ハルヒはバラの髪飾りを頭に刺し、薄手の衣をはおって、歌姫のような格好をしている。
「キョン? あたしの服装のどっかがおかしい?」
「いや、似合っているぞ」
「馬子にも衣装って言いたいわけ?」
「そ、そんなこと無い、この中ではお前が断トツだ、ナンバーワンだ!」
あまりにもわざとらしい誉め方だったのか、ハルヒはキョンの言葉を聞いてフンと鼻を鳴らす。
「アスカの姿を見てもそんなこと言えるかしら。さあアスカ、入っていらっしゃい!」
ハルヒが声をかけると、黄色い襟足の長いドレスを着たアスカがホールの入口から姿を現した。
「うわあ、お姫様みたいだよ、アスカ」
「ありがと、シンジこそどっかの国の皇子みたいじゃない」
「アスカは今日のパーティの主役だからね、お姫様になってもらったのよ」
そこに執事の服装をしたイツキが数枚のエプロンを持って姿を現す。
「それではキッチンの準備も整いましたので、どうぞ使ってください」
「よし、今度はあたし達の腕の見せ所ね!」
ハルヒとミクル、ヒカリの3人はキッチンへと姿を消した。
「あれ、料理って今から作るの?」
「ええ、惣流さん達には出来たての料理を食べて頂きたくて」
アスカの質問にイツキがそう答えた。
「ハルヒ達3人だけで全員分を作るの?」
「いえ、大部分のドイツ料理は父の会社のシェフ達が作るのですが、特別な料理を涼宮さんが作りたいと熱望されて」
さらなるアスカの質問にイツキは再度答えた。
「まあ私達のダンスでも見て待っていてよ」
踊り子の格好をしたミサトと同じくダンサーの格好をしたリョウジがホールの真ん中に立つと、ピアニストによる演奏が始まった。
ピアノから流れてくる調べはアスカとシンジにとっては懐かしいあのユニゾンの特訓に使われた曲だった。
「ユニゾンの特訓が無かったら、僕はアスカとかなり長い間距離を置いていたかもね」
「そうね、あれがあったからお互いに心を開けたのかもね」
シンジとアスカはそう言い合って、目の前で踊るミサトとリョウジの姿に自分達の姿を重ね合わせた。
それからしばらくして、いよいよテーブルの上に絢爛豪華なドイツ料理が運ばれる。
「おいしそう、さあたくさん食べるぞー♪」
「ハルヒ、これは惣流の誕生日パーティだぞ」
「これぐらいの役得があってもいいじゃない♪」
キッチンから戻って来て席についたハルヒは、はしゃいでいた。
今夜は特別という事で、リツコの監督の元、アスカ達はワインを飲んでもいい事になっていた。
「アスカの誕生日を祝って、乾杯!」
ハルヒが号令を下すと、みんなはグラスに入ったワインを飲んだ。
そしてテーブルに置かれたドイツ料理の数々に舌鼓を打つ。
「特別料理をお持ちしました」
しばらく料理を食べて楽しんでいると、アスカの元にそれまで姿を見せていなかったメイド姿の森と執事姿の荒川が、ワゴンを押してアスカの側へ行く。
ワゴンには肉とジャガイモを使った料理と、スープのような料理が乗っている。
すでにテーブルに乗せられている豪華な料理に比べてとても質素なものだ。
「それは、あたし達が作った『農夫の朝食』と『農夫のスープ』と言う料理よ」
勧められていて料理を食べていたアスカの動きが固まったかのように止まる。
「農夫のスープは日本で言うところのお味噌汁ってところね、家庭によって味が全く違うんだけど、アスカにはそのスープの味がどこの家のものか分かる?」
そう言ってニヤニヤと自分を見つめるハルヒの顔を見て、アスカはもしやと思い口に出す。
「アタシのドイツに居る新しいママのレシピ、とか?」
震える声でアスカがそう尋ねると、ハルヒは笑顔で頷く。
「ローザさんからのアスカへの誕生日プレゼントよ。レシピ通りに味を再現できて良かったわ」
「ママ……ありがとう……」
アスカの青い瞳から涙がこぼれ落ち、滝のように頬を伝った。
ハルヒ達は静かにアスカが落ち着くまで見守っていた。
「このアスカが感激して泣いて喜ぶ顔を写メールでローザさんに送ってあげれば安心するわよ」
「そういえば、なんでハルヒがドイツに居るアタシのママの事を知っているわけ?」
アスカはハンカチで涙をぬぐいながら不思議そうにハルヒに尋ねた。
「ドイツに単身赴任している親父のところに電話したらさ、アスカの実家の事とか細かいところまで調べてくれたのよ。いっつも情けない親父だけど、今回は役に立ってくれたわ」
ハルヒの言葉を聞いて、シンジは隣の席に座っていたリツコにそっと耳打ちをする。
「やっぱりリツコさんが調べてくれたんですか?」
「ええ、涼宮博士が娘さんからの電話で困っていると言う連絡を受けてね」
実際はハルヒからのお願いを受けたのでしばらくリツコに頼まれていたハウニブの研究を中断すると言い訳したところ、リツコがそれは中断の理由にならないとして、アスカの母親の住所などのデータを涼宮博士に教えたと言う経緯があった。
「ローザさんにアスカの事を色々聞かされたわ。ヒマワリ畑の事とか、農夫のスープのレシピとか教えてもらったのよ」
「色々って、どこまで聞いたのよ?」
「気にしない気にしない。ローザさんにアスカをよろしくって頼まれてメル友になっちゃったわ。あたしもドイツの話を聞くのは楽しいしね」
アスカは少し困ったような顔になってため息をついた。
「へえ、涼宮さんってドイツ語も出来るんだ」
「親父が家に持ち帰ってくる小説本がドイツ語ばっかりだから、読めないと悔しいのよ!」
カヲルの質問にハルヒは力強くそう答えた。
「バースディケーキをお持ちしました」
メイド姿の森がワゴンを押して再びアスカの席に近寄る。
そして、アスカの席の前のテーブルをテキパキと片付けてケーキを置く。
ケーキには16本のロウソクと『Happy
Birthday,Asuka』と大きく生クリームで書かれたチョコプレートが乗っている。
「ドイツ風のバウムクーヘンも捨てがたかったんだけど、日本風のこう言うケーキの方がいいかなって思って」
「さあアスカ、吹いてロウソクを消しなさい」
シンジとミサトに促されてアスカはすでに胸がいっぱいになっているのか、なかなか肺に空気が吸い込めなかった。
何回か深呼吸をした後にアスカが勢いよくロウソクの炎を吹き消すと、周囲から拍手が起こる。
「みんな……今日はアタシのために……ありがとう……とっても嬉しくて楽しかったわ……」
アスカは泣き笑いの表情で改めて部屋の中に集まったシンジ達に向かってお礼を言った。
「惣流もいつもこのぐらい素直でしおらしかったら、苦労せんで済むんやがな、シンジ?」
「何ですって!?」
「アスカ、激しく動いたらドレスが破れちゃうよ」
「くう〜っ鈴原、覚えてなさい!」
「トウジもそれ以上アスカをからかうのは止めなさいよ!」
久しぶりに繰り広げられるアスカとトウジのドタバタ劇を、ハルヒは大爆笑しながら見ていた。
その後シンジ達からアスカへのプレゼントが手渡され、一昼夜に及ぶアスカの誕生日パーティは幕を閉じた……。
<第二新東京市 葛城家>
その日の夜遅く、葛城家に戻ったアスカとシンジはすぐに自分の部屋には戻らず、リビングで過ごしていた。
ミサトは疲れたと言ってさっさと自分の部屋に戻って寝てしまった。
「アタシ、今日はたくさんの友達に初めて誕生日パーティを開いて祝ってもらえて嬉しかった」
「よかったね」
「キョウコママが居なくなってからずっと1人だった、自分から1人になろうとしてたから、こんなアタシの誕生日を祝ってくれる人なんて居るとは思えなかったわ」
「それは僕も同じだったよ。誰にも深くかかわらないで、他人から逃げてた。……でも、今の僕達は1人きりじゃない」
そう言ってアスカとシンジは静かに目を閉じた。
2人の脳裏にはミサトやレイ、そしてハルヒ達の顔が浮かんでいるのだろう。
パッチリと目を開けてシンジと見つめ合ったアスカは、上目遣いでおずおずとシンジに頼む。
「ねえ、これからもキョウコママの日本のお味噌汁とローザママのドイツのお味噌汁、たまに作ってくれない?」
「うん、涼宮さんからレシピをもらっているから作れると思うよ」
シンジがうなずくと、アスカは視線を夜空に向けた。
アスカの見つめるその方角の先にはドイツがあるのだろうかとシンジは思った。
「アタシを産んでくれて見守ってくれていたキョウコママと今でもアタシを見守ってくれているローザママ。ママが2人居ても別にかまわないわよね?」
「うん、どっちも大切なアスカのお母さんだと思うよ」
シンジの返事を聞いたアスカはクルリとシンジの方を振り返る。
「シンジの方も頑張りなさいよ」
「え?」
アスカに突然言われたシンジは驚いた表情になる。
「シンジも『リツコさん』って呼んで距離を置いているでしょう? リツコも新しいママになるんだからさ、他人としてじゃなくて家族として接してあげなさいよ」
「うん、わかっているよ……」
アスカはシンジの肩をポンと軽く叩くと、自分の部屋へと戻って行った。
アスカの部屋のドアにはコンフォート17に住んでいた時とは違って、整った日本語の字で『入る時はノックしなさい』と書かれている。
「僕達もだいぶ家族らしくなったよね」
いつまで葛城家の家族関係が続くかは、シンジにも分からなかったが、そう呟いたシンジは穏やかな笑顔を浮かべて自分の部屋へと姿を消した。
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