第十八使徒・涼宮ハルヒの憂鬱、惣流アスカの溜息
一年生
第二十五話 悪夢 〜ハルヒの涙〜


<第三新東京市 ネルフ本部 303号室>

アスカは自分がベッドの上で横になっているのを感じていた。
その視線の先にはアスカに向かって辛そうに話しかけるシンジが居た。

「アスカ……目を覚ましてよ、僕を独りにしないでよ!」

アタシは起きているわよ、とアスカはシンジに答えようとしたが、全く声が出ない。

「アスカ、怒っているの? 何回でも謝るからさ……」

そう言ってシンジはアスカの腕を強くつかむ。
アスカは痛いと感じて、腕を動かそうとしたが、体が動かせない事に気がつく。

「僕はアスカの笑顔をまた見たいんだ」

シンジはアスカの体を思いっきり揺さぶるが、アスカが人形のように何も反応を示さないのを見ると、アスカの体を放して暗く笑い始めた。

「何を勝手な事を言っているんだ僕は。シンクロ率ナンバーワンだって言われて、調子に乗ってアスカのプライドを傷つけたは自分なのにね」

アスカは声を発する事も指先一つ動かす事も出来ず、シンジの独白を聞いている事しかできなかった。

「アスカが苦しんでいた時、僕は父さんの命令に逆らって初号機を動かすべきだったんだ! 仲間を助けられなくて、何が良く頑張った、だよ……」

それは違う、命令に逆らっていても碇司令は初号機を止めたはず、とアスカはシンジに必死に伝えようとしたが、それは叶わなかった。

「……もう僕を許してよ、アスカ……」

シンジに肩をつかまれて揺さぶられたアスカは、自分が獣のような叫び声を上げてシンジの首を絞めるのに気がついた。
そんな事をしたら、シンジが死んでしまうと、アスカは自分の両手の力を抜こうとするが、その自分の意志に逆らって、両手は別の生き物のように首を絞める力を強めて行く。
そして、手のひらに残るシンジの首をきつく絞めたという感覚。
アスカは目の前が真っ暗になったような気分に捕らわれた。
意識が一瞬失われる。
しかし再びアスカが目を開くと、その視線の先にはアスカに向かって辛そうに話しかけるシンジが居る。
この夢は何度も繰り返しているのだった。
アスカは目を閉じることも耳を塞ぐ事も出来ない。
そんなアスカの心も疲れ果て、限界を迎えようとしていた。

 

<第ニ新東京市立北高校 部活棟 SSS団(元文芸部)部室>

いつもと変わらないメンバーが顔をそろえているSSS団の部室。
そんな中、団長の席に座るハルヒはとても楽しげな様子だった。
いや、機嫌が良いと言うのを通り越して狂喜乱舞していると言って良い状態だった。

「古泉君、もう一度超能力を見せて!」
「それではスプーン曲げの次は、野球のボールを空中に浮かせましょう」

イツキはそう言うと、床に置いた野球のボールをフワフワと浮遊させた。
ハルヒは歓声を上げながら拍手をする。
キョンはとても不機嫌そうな顔でそれを眺めている。

「キョン、せっかく異世界に来たんだからもっと喜びなさいよ!」
「あのなあハルヒ、いつまでもこんな事を……」
「あたし達はついになれたのよ、異世界人に!」

朝からずっとハルヒはこの調子で浮かれっぱなしだ。
キョンの話をほとんど聞こうとしない。
いつものように穏やかな笑顔を浮かべるイツキ達が、キョンには悪魔のように思えた。

「そうだ、シンジが地底人で穴を掘るのが上手いなら、日本中の山を掘り返して埋蔵金でも探しましょうか!」
「さすがに他の人の土地は掘っちゃダメだよ」

サングラスを掛けたシンジが弱い声でそう答えた。

「じゃあ、古代人の渚君と一緒にピラミッドに潜って、その謎を解き明かしちゃうとか!」
「それは面白そうだね」
「でしょでしょ? やっぱり冒険は良いわよね!」

ハルヒは目を閉じて感慨にふけっている。
キョンはあまりのスケールの壮大さにあきれ返ってものも言えなかった。

「夏になったら、海に行ってレイの泳ぎも見てみたいわよね、サメよりも速く泳げるんでしょう? オリンピックで金メダルも夢じゃないわ」

嬉しそうに話すハルヒは、キョンの言葉は全く耳に入って居ない様子だった。

「くそっ、こんな世界は間違っている……こっちの世界の長門や綾波達も協力してくれなさそうだし、どうしたらいいんだ」

そんなキョンに耳鳴りのようなものが起こり、気がつくと自分のノートパソコンに文字が映し出されていた。

YUKI.N 読める?
KYON もしかして、元の世界に居た長門か?
YUKI.N その通り。
KYON 俺とハルヒは一体どうなってしまったんだ?
YUKI.N あなたの精神体は、使徒レリエルの粉末状の細胞によって増幅された涼宮ハルヒの夢の世界に巻き込まれてしまった。
KYON あの白い霧のせいか。
YUKI.N このまま発生した閉鎖空間が広がれば、最終的には私達の居る世界を飲み込んでしまい、夢と現実の逆転現象を起こす。
KYON それを止めるのにはどうしたらいいんだ?
YUKI.N 二つの方法がある。涼宮ハルヒに元の世界に帰りたいと思わせるか、そちらの世界を破壊したいと望ませる事。
KYON でもハルヒのやつは俺の話を聞こうともしないぞ?
YUKI.N そんなことは無い

不意にノートパソコンが沈黙して、画面に表示された文字が消えた。
再起動しようとして電源ボタンを何回押しても、ノートパソコンは壊れてしまったようで何の反応も示さない。

「長門、お前の仕業か?」

キョンがそう言ってユキをにらみつけると、ユキはいつもの無表情でキョンの事を見つめ返した。
しかし、キョンには分かった。
このユキは今まで一緒に居たユキとは違うと。
今の世界を消そうとするキョンの敵であると。

「じゃあ今日は不思議探検と言う事で、近くにある城跡に行きましょう! 怪しい場所があったらシンジに掘ってもらうの!」

キョンがユキとにらみ合っている間に、SSS団のミーティングは終わったようだ。
ハルヒはまだ見ぬ宝物に胸をときめかせているのか、目をキラキラさせている。

「……俺は行かないぞ」

キョンがそう言うと、部室の温度が一気に下がり凍りついたような空気が流れた。
ハルヒも今のキョンの発言が信じられないと言った顔でキョンを見つめている。

「キョン、あんた今なんて言ったの?」
「何度でも言うぞ、俺はお前と一緒には行かない」

キョンがそう言うとハルヒは怒った顔をして指を突き付けた。

「こらっ、団長命令が聞けないの!?」

強気に出ても返事をしないキョンにハルヒは愛想笑いを浮かべて話しかける。

「何をすねているのよ、キョン。あんたの意見も聞いてあげるからさ……どこに行きたいか言ってみなさいよ」
「今まで俺達が暮らしていた世界だ」
「つれない事を言いますね」

キョンがそう言うと、イツキが穏やかな微笑みを浮かべて話しかけて来た。

「この世界にずっと居れば、面白い事に出会えるんですよ? あなたが子供の頃に胸をときめかせていた怪獣や宇宙人とも会えるかもしれない。何だったらあなた自身がスーパーマンになるという特殊能力が目覚める可能性もあります。……彼女が望めば、ですが」

イツキはそう言って、ハルヒにちらっと視線を送った。

「そうよ、あんたも退屈な世界にはウンザリしていたんでしょう? あたしはこの世界が楽しいわ、だって面白い事が目の前にあふれているんですもの」

元気を取り戻したハルヒは笑顔でキョンに話しかけた。

「お前はSSS団のみんなと会いたくは無いのか? シンジ達は俺達が戻ってくるのを待っているんだぞ?」
「SSS団のみんなは、ここに居るじゃない」
「違う、目を覚ませハルヒ! そこに居る惣流は幽霊に驚いてひっくり返ってしまうヘッポコか? シンジは学園裁判の被告人席に立たされた事はあるのか? 綾波は音楽に興味を持っているのか? 長門はマンガが描けるのかよ!」
「そ、それは……」

キョンにそう言われたハルヒは視線を泳がせて落ち着かない態度になって来た。
もうひと押しだとキョンは思った。
しかし、そんなキョンの頭に直接囁きかけてくる声が聞こえる。
……本当にこの世界を否定してしまっていいのか?
自分が待ち望んでいた面白い体験が実際にできるかもしれないんだぞ、考え直せ。

「ハルヒ、お前がこの世界を楽しいって言うのなら、俺はSSS団を辞めるぜ!」
「……何を言い出すのよ!?」

ピシッと何かガラスのようなものが割れる音がキョンの耳に聞こえた気がした。

「そして、この部室には二度と姿を現さない」

やめろ……!
低い絶叫がキョンの頭の中に響き渡っている。
周りに居るシンジ達の姿が悪魔のシルエットのように歪んで行く。
周りの風景や空気が淀んで行くのが分かる。
しかし、それでもキョンはさらにハルヒに言葉をたたみかける。

「教室でも俺はお前と二度と話さない、無視し続ける……!」
「……!」

ついにハルヒの目から涙がこぼれ落ちた。

「キョン、あんたが側に居てくれなくちゃ、面白い事が起こっても全然楽しくなんかないわよ!」

そう叫ぶハルヒの泣き顔が、キョンの覚えているその世界でのハルヒの最後の表情だった。

「キョンの居ない世界なんて、いらない!」

ハルヒの叫び声と共に、世界は白い光に包まれた。

 

<第三新東京市 ネルフ本部 303号室>

寝ている自分に、シンジが話しかけてくる。
そして、自分の意志に反してアスカの両手はシンジの首を絞める。
そんな事を何回繰り返しただろうか。
アスカは30回目か、50回目か分からなくなっていた。
それでもアスカはこのループから脱出しようと、様々な体の部分に力を入れて抵抗しようとしていた。
そんなアスカに耳鳴りのような音が聞こえ、天井に幽霊のように透き通って浮かんでいるレイの姿が現れた。

「レイ……!?」

アスカは心の中でそう呟いたが、声は出せなかった。
レイはアスカの言葉が聞こえたのかどうか反応を示さずに、アスカを見つめて話し始めた。

「今から私が話す事をよく聞いて」

アスカはレイの言葉に反応を示す事は出来なかった。
側ではシンジがアスカに向かって話しかけている。
それでもレイは話し続けた。

「この303号室は碇君にとって、トラウマとなっている場所。それを敵につけ込まれた」

レイに言われたアスカは、シンジのトラウマの内容を理解できた。
延々と繰り返されるこの行為がシンジにとってのトラウマそのものなのだと。

「碇君の負の感情は、あなたの体を操ってその時の行動を再現させている……つまりあなたの肉体の動きは、負の感情に陥った碇君の制御下にある」
「シンジが望んでアタシに首を締めさせているって言うの……?」

アスカは大きなショックを受けた。
しかし、レイの言葉は続いて行く。

「でも、赤木博士達の力を借りて、敵の能力は弱まっている。今ならその呪縛から逃れることもできる、だから……」

そこまで言うと、レイの姿は消えてしまった。
これから自分がするべき行動を教えてもらえなくなり、アスカは困惑した。
獣のような叫び声を上げながらシンジの首を絞めようとするのを感じて、アスカは自分の両腕と両手に力を込めると、アスカの手はシンジの首から反れた。

「体が動く、声が出る!」

アスカは自由に動ける様になった自分に驚いていると、馬乗りになったアスカに抑えつけられたシンジはアスカに向かって懇願する。

「早く僕の首を絞めてよ……僕はアスカの苦しみを全然分かって居なかったんだ……だから僕も苦しい思いをしてアスカの気持ちを分かってあげないといけないんだ」

そう言われたアスカは首を横に振ってシンジの上から退こうとする。
そんなアスカの腕をシンジがつかんで引き止める。
自分を傷つけて救われようとする、自分を悪者にして決着をつけようとするアスカの一番嫌いな内罰的なシンジの考え方だった。
アスカはシンジの首を自分の意志で絞めたいと言う衝動に駆られた。
さあ、絞めるのよ。
アンタはそんなシンジが憎たらしいんでしょう。
いつも下を向いてばかりで、グズグス言っているシンジが。
アスカもその言葉に従ってしまいそうになったが、わずかに残った理性でそれを押し止める。
レイはアスカに何を伝えたかったのかと真剣に考え始めた。

「アスカ……早く僕に罰を与えてよ……」

アスカは自分の頭の中に響く自分の声と、シンジの声を振り切って、ついに自分がとるべき行動を思いついた。

「シンジ、アンタはアタシに罰せられるべきじゃない。むしろ感謝される側よ」

アスカはそう言ってシンジの肩を優しくつかんだ。

「だって、アンタはアタシに肩の力を抜いて、自然に生きて行こうって教えてくれたじゃない」

アスカは右手でシンジの右手を握ってさらに言う。

「マグマの中からアタシの事を助けてくれたじゃない」

そしてアスカはシンジの肩を再びつかんで抱き寄せる。

「シンジが側に居てくれて、アタシはいろいろ助かっているんだよ。シンジが居なかったら、アタシは外罰的な人間になっていたのかもしれないんだから」

アスカは一瞬動きを止めたが、意を決して正面からシンジに向かってキスをする。
すると、ガラスが粉々に砕けるような音が辺りに鳴り響き、アスカがシンジから顔を離して周りを見ると、そこには雲一つ無い青空のような世界が広がっていた。

「僕はここに居てもいいんだ……」

シンジが呟くと、世界は白い光に包まれる……。

 

<第ニ新東京市立北高校 部活棟 SSS団(元文芸部)部室>

次の日、ハルヒ達は何事も無かったかのように学校に登校した。
ハルヒはあの後リツコ達によってもう一度眠らされ、自分の部屋のベッドまで運ばれた。
帰り道に誘拐された事から含めて夢だと言う事にしている。
自分が誘拐されるなんて非現実的な事はあり得ないと周囲に言われて、ハルヒは記憶の空白に不安を覚えながらも納得したようだ。
キョン達はキョンの妹を含めて関係者に様々な理由をつけてハルヒに昨日起こった出来事がばれないように口裏合わせをした。
キョンもリツコ達に言われて、何となくハルヒが泣いていた事を思い出して少しハルヒと顔を合した時に照れ臭くなった程度で、細かく夢の内容を覚えては居なかった。
アスカとシンジにとってもそれは同じ感じだったようで、シンジはアスカに夢の中で褒められたような気がする、アスカもシンジの事を褒めたような気がするとお互い話し合って不思議な事があるものだと思っていた。
ユキやレイは夢の内容を細かく記録していたと思われるが、自分達からキョン達に説明するほどおしゃべりでは無かった。

「アンタ、夢の中でアタシに褒められたらしいけど、調子に乗るんじゃないわよ!」
「う、うん、分かってるよ」

2人の関係は相変わらず友達以上恋人未満だったが、ゲンドウは誘拐事件ようなものを二度と起こさないように登下校時にも近くにネルフのガードマンを配備すると説明した。
リツコからはネルフのロシア支部と中国支部が結託して今回の『実験』と言われるものが行われたと言われた。
中国支部は捕まった諜報部員達の証言によりゲンドウがその責任を追及すると、一部の急進派が企てた犯行だとして中国支部の職員を処分し、幹部達は何も知らなかったと謝った。
もちろん、トカゲのしっぽ切りだと言う事は明らかだった。
しかし、しばらくは急進派が行動を起こす事は無いだろうとゲンドウは結論を出し、シンジ達はいつも通りの高校生活を送る事になった。

「さあ、今日は思いっきりマンガを描くわよ! 昨日不思議な夢を見たから、アイディアがどんどん浮かんでくるの!」

放課後、部室に顔を出したハルヒは極上の笑顔を浮かべてそう宣言した。
その言葉通り、ハルヒのマンガは進んで行き、超能力や予知能力などで不思議な事件を解決していくと言うSSS団の宣伝を兼ねたマンガは完成した。

「これでSSS団に不思議な事件の相談に来る人は増えるかしら?」
「さあ、どうだかな」

大張りきりのハルヒにキョンは気の無い様子でそう答えた。
ハルヒの描いたマンガはマンガ研究会の印刷機を借りて100部ほど印刷され、数冊がミサトの手を通じてネルフ本部に広まった以外は、放課後の校門で下校中の生徒に無料配布された。
だが、そのハルヒのマンガの評判はともかくとして、SSS団に依頼がたくさん舞い込むと言う事は無かった。
フィクションを多分に含んだマンガを読んだ読者達は、本気でSSS団が事件を探しているとは思わなかったらしい。

「……まあ、不思議な事件を抱えている人間なんて、そうそう居ないっていうのもあるさ」

キョンは手元に残されたマンガを読みながらそう呟いた。
しかし、世の中は奇妙なもので、このマンガを読んでSSS団に依頼に来る人物も後に現れる事になる。


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