U モルモン教の歴史 − 歴史学にもとづくモルモン教の歴史 - 5 ノーヴー時代
フリーメーソンとモルモン教
「秘密結社は、神の眼から見てきわめて憎むべきもので、ほかの何よりも悪い。・・神は何事も秘密結社をもって行いたまわず、また人殺しをするを善しとなしたまわず・・全くこれを禁じたもう・・」(59)
フリーメーソンについては、ブリガム・ヤングの項で述べたが、まだふれていない点を簡潔に述べることにしたい。アメリカには昔からさまざまな秘密結社があったが、フリーメーソンはその中でももっともよく知られた秘密結社である。聞くところでは歴代の合衆国大統領は、若干の例外を除いてほぼ全員フリーメーソンであるとのことで、そのくらいフリーメーソンはアメリカ(社会)と密接に結びついているともいえる。
モルモン教への改宗者の多くはフリーメーソンである。あるいは、かつてフリーメーソンであった者である。兄ハイラム、ヒーバー・キムボール、ブリガム・ヤングなどは早くからフリーメーソンであったし、そのほかにもエライジャ・フォーダム、ニューエル・ホイットニー、ジェイムズ・アダムズ、ジョン・ベネット、ウィリアム・フェルプスなどの指導者たちは、モルモン教に改宗する以前にはフリーメーソンであった。このためジョセフは早くからフリーメーソンの影響をうけるのである。
モルモン教の組織は、基本的に「アーロン神権」「メルケゼデク神権」という地位によって構成されているが、これはキリスト教にはまったく馴染みのないもので、フリーメーソンから借用したものである。神殿とよばれる建物もキリスト教には異質なものであるが、モルモン教ははじめから神殿を造っていた。最初のカートランド神殿での儀礼は互いの足を洗う洗足の儀式と、頭へ香油をぬる儀式であって、聖書的な儀礼であったが、これがノーヴー神殿になると、この二つの儀礼が姿を消し、「死者のバプテスマ」とか「エンダウメント」などの異教的な儀礼に変わるのである。
また教団内部に秘密結社を組織したことも、フリーメーソンの影響の大きさを物語っている。モルモン教はフリーメーソンの思想を吸収して、一種のカルト教団、あるいは異教的な密義宗教へと変貌するのである。初期のモルモン教は、比較的キリスト教に近い宗教として出発し、秘密結社やそれとかかわる、誓約、罰、機密にたいし否定的であった。『モルモン経』は秘密結社を禁じているが、それは結社をつくるのは権力を貪るものであり、また結社は殺害、略奪、虚言をさせるという理由からである。しかし、ジョセフはミズーリー州で秘密結社「ダナイト団」を結成し、まさに『モルモン経』が警告する、殺害、略奪、虚言に走るのである。「ダナイト団」が秘密結社であるという理由は、第一に、一部の指導者にしか知られていない秘密組織であったこと。第二に、組織の目的や活動などが最高機密であること。第三に、フリーメーソンと同様、そのメンバーは互いに「死の誓約」を交わしており、命がけでその機密保持を約束しているという点である。
ミズーリー州におけるモルモン戦争の結果、逮捕され、リバティー刑務所に収監されたとき、ジョセフは秘密結社そのものを否定する手紙を信徒に送ったことがある。しかしノーヴーに移ってから、ジョセフは再び秘密結社に興味をもつようになった。事実、ジョセフは「カウンシル・オブ・フィフティ」を教会内部に設立したが、指導者に絶対的服従を誓う腹心の部下によって組織され、またそのメンバーは互いに「死の誓約」を交わし、命がけでその機密保持を約束していたという点で、まぎれもない秘密結社であった。
一八四二年三月、ノーヴーにフリーメーソンのロッヂ(支部)が設立された。そしてモルモン教会の指導者は、使徒オーソン・プラットを除く全員がフリーメーソンになるのである。ロッジ設立の翌日には、ジョセフ・スミスとシドニー・リグダンが最初の三つの位階をうけ、マスター・メイソンになっている。興味深いのは、ノーヴー神殿の完成が遅れたため、フリーメーソンのロッジにおいて神殿儀礼も行われていたということである。モルモンの指導者にとって、フリーメーソンであることと、モルモン教徒であることとが意識のうえで重なっていた証拠である。実際、モルモン神殿における儀礼とフリーメーソンの儀礼とが酷似している。モルモン教徒が神殿において「アーロン神権」や「メルケゼデク神権」を授与されるときの儀式の方法、秘密のグリップ、秘密の暗号、秘密の名前、身体を清めたあとに身につける白衣とかエプロンは、すべてフリーメーソンの儀礼ときわめてよく似ている。またフリーメーソンのメンバーは、機密の口外をかたく禁じられているし、口外した場合は死をもって処罰されることを互いに確認しあっているが、このことはモルモン神殿における儀礼の場合も同じである。
フリーメーソンの本部は、ノーヴー・ロッヂでかってに儀礼の方法を変更していることと、モルモン教の儀礼にフリーメーソンの儀礼をかってに採用していることにたいして憤慨し、ノーヴー・ロッヂの取消しという手段を講じた。これにたいしてモルモン教徒のフリーメーソンは、全国組織とは無関係に、独自の活動を続けるのであるが、その後、ユタ州においてロッヂを申請した際には許可がおりなかった。ともかくジョセフ・スミスをはじめとする指導者たちは、モルモン教をますますフリーメーソン化し、カルト的、異教的な密義宗教へと変えていくのである。
(59)『モルモン経』エテル 8: 19