高橋 弘 著 「素顔のモルモン教」


U モルモン教の歴史 − 歴史学にもとづくモルモン教の歴史 - 3 カートランド時代

ブリガム・ヤングと秘密結社「フリーメーソン」


 一八三二年一一月、『モルモン経』を読んでこれこそ自分の探していたものだという、がっしりした体格の男がジョセフを訪ねてきた。この男がブリガム・ヤングである。ブリガム・ヤングは、次第にリグダンに次ぐ実力者と目されるようになるが、やがてはジョセフに代わって信者をユタの地に導き、今日の「モルモン帝国」を築きあげた男である。ジョセフはロマンチストで夢想家タイプであったが、ヤングは冷徹な実務家タイプの男であった。ヤングについて述べておかなくてはならないことは、彼が秘密結社「フリーメーソン」のメンバーであったことである。ジョセフ・スミスとフリーメーソンとの関わりは意外にも早い時期から始まっている。ジョセフの右腕として活躍する兄ハイラムが早くからフリーメーソンの会員になっていたからである。後の有力な指導者になるヒーバー・キムボールもフリーメーソンであった。その後ジョセフとリグダンもフリーメーソンに加わるが、結局、モルモン教会の指導者たちはオーソン・プラットを除いて全員フリーメーソンになった。そして一八四二年には、モルモン教にフリーメーソンが導入され、ノーヴーにはロッヂが建設され、ジョセフとリグダンがマスター・メーソンに昇格している。

 この頃から、モルモン教が大きく変質し始めることに注意すべきである。モルモン教にたいするフリーメーソンの影響が想像以上に大きいことを指摘したのは、「モルモン歴史協会」の初代会長リード・ダーハム(ブリガム・ヤング大学教授)である(15)。彼はモルモン教とフリーメーソンとの類似点は、外面的類似性(例えばモルモン神殿に使用されているシンボル・マークなど。因みにアメリカの一ドル札にもフリーメーソンのシンボル・マークが使用されている)から、神殿における儀礼の類似性にまで及んでいると指摘する。フリーメーソンの影響が明らかなのは、神殿の建設、「死者のバプテスマ」「エンダウメント」「アーロン神権」授与などの際の秘密の儀礼、儀礼の際に身につける衣服、教団の秘密結社にみられる組織の二重構造、結社のメンバー間あるいは儀礼の際の秘密のサイン、神殿儀礼での「アーロン神権」授与などの授与の際の「誓約」や秘密結社に属すメンバーで交わされる「死の誓約」などである。

 フリーメーソンが危険な秘密結社であったかどうかは知らないが、ジョセフがフリーメーソンからさまざまなことを吸収し、それを自らの集団に適応させたことは間違いない。決定的なことはモルモン教会が秘密結社になったことである。それ以降、すべてのことが極秘裡にすすめられるようになる。モルモン教会内部に「ダナイト団」のような秘密結社、すなわち信徒による秘密警察・自警団が誕生する。またノーヴー時代には「カウンシル・オブ・フィフティ」と呼ばれる蔭の支配者集団が内部に出現し、裏からコントロールするようになるのである。一方では一二使徒評議員会、七〇人定員会などの一応は民主的な組織を保持しながら、もう一方では大管長会自らが直々にコントロールできる秘密の組織を設置するという二重構造が出現するのである。これは、合衆国大統領にとっての大統領府の各省庁とCIAに譬えることができる関係であろうか。ともかく初期のモルモン教にたいして「魔術」が果たした役割を、発展期のモルモン教にたいしては「フリーメーソン」の思想が果たしたのである。いずれにせよ、モルモン教の本質を理解するためには、フリーメーソンとの関わりを研究することが不可欠であるというダーハム博士の指摘は、正鵠を射ている。

(15)Reed Durham, "Is There No Help for the Widow's Son?" Presidential address delivered at the annual meeting of the Mormon History Association, Apr. 1974. Underground ed.


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