7196 他人は自分とは違います 流木 2006/10/22 23:09 *アラーキーさん 西洋の諺(ことわざ)に「カニは自分の甲羅に似せて穴を掘る」というのがあるそうです。神と違って人間には他人の心の中を直接見通すことはできませんから、自分のものの見方や考え方を基準として他人のことをアレコレ想像することになります。相手の言動から他人の心の中を推し量るわけです。 さて、 > モルモン教に引っかかりそうになったのは、流木さんは家庭的に恵まれない人なのでしょうか? > それで本当はイエスさまの愛に恵まれたい、イエスさまを > 信じたい人なのに、知的誠実性に欠ける一部のキリスト教徒 > のため、今一歩のところでキリスト教に入信できない? こういうのは、一部のキリスト者にありがちな反応なのですが、なぜこういう反応になるのかといえば、自分の興味・関心が自分が救われることにしかないからです。だから、他人もそうだと思ってしまうのです。 はっきり申し上げますが、世の中には「救われたい」とかそういうことを思っていない人間の方が圧倒的に多いのですよ。少なくとも、非キリスト教国である日本ではそういっても間違いではないでしょう。ご自分が救われたいということだけでアタマが一杯だからといって、他人もそうに違いないと信じこむのは、想像力が足りなさ過ぎるといえるのではないでしょうか。 なお、私のサイトをお読みになって、私が「モルモン教に引っかかりそうになった」と読んでしまわれたとしたら、アラーキーの読解力にも私は疑問符をつけざるを得ません。もっとも、これは知的能力の問題というよりも、思い込みのせいなのでしょう。他人も自分と同様に「イエスさまの愛に恵まれたい」と願っているに違いないそうに決まっているという激しい思い込みがあることで、見えるものも見えなくなるのです。 自分と他人とは違います。あなたの興味・関心は他人にとってはどうでもよいことかも知れません。あなたの感じ方と他人の感じ方は全く異なっているかも知れません。あなたは信仰の世界にどっぷりとクビまで浸かっていて、他の世界があることなど想像もできないようですが、他人はあなたと同じように考えたり感じたりするわけではありません。あなたはそのことはしっかりと理解しておかれた方がよいと思います。 |
7197 Re:他人は自分とは違います 流木 2006/10/22 23:27 *アラーキーさん 例えば、ここの掲示板にもいわゆる「出会い系サイト」の広告を貼り付ける人たちがいますよね。あなたのところにも、その手の迷惑メールが届いているかも知れません。 確かに、世の中にはその手のサイトで異性と知り合ってウハウハ(?)になりたいとか、その手のことでアタマが一杯で寝ても覚めてもそればかりという人たちもいるでしょう。しかし、そうでない人もいるわけです。そうでない人たちがあの手の広告をみたら、「何が『出会い』だよ。バッカじゃねぇの!」という反応になるでしょう。 ところが、自分が四六時中異性との「出会い」のことばかり考えていると、他人も当然そうだろうと思ってしまうのです。異性との出会いがあるといえば、他人は当然飛びついてくるだろうと信じているわけです。しかし、世の中のすべての人が異性との出会いなど望んでいるわけではありません。そんなことはどうでもいいとか、面倒だとか、むしろ出会いたくないとか思っている人たちもいるわけです。しかし、自分が異性との出会いのことばかり考えている人たちには自分とは違うそんな人たちがいることさえ想像できません。 さて、一部のキリスト者さんはご自分が救われることでアタマが一杯です。自分以外の他人も当然そうだと思っています。しかし、世の中の人たちは彼らと同じように考えているわけではありません。その結果、他人が「イエスさまの愛に恵まれたい」とか「救われたい」とか思っているに違いないとしてしまうわけです。これは異性との出会いのことでアタマの中が一杯の人たちが他人もそうだと思い込むのと何も違いはありません。要するに、自分と他人とは違うのだというごく当たり前のことがわかっていないのです。 なお、上記で「出会い系サイト」の話をしましたが、これはキリスト教信仰が「出会い系サイト」と同じだとかそういう話をしたのではありません。「自分と他人とは違う」という例として挙げたまでです。お間違いのないようにお願いします。 |
7226 Re:他人は自分とは違います 流木 2006/10/28 17:58 *アラーキーさん > ということは流木さんはそう思ってないということですね。 私は「イエスさまの愛に恵まれたい」とか「救われたい」とか思っているわけではありません。あなたはそういう気持ちなのでしょうが、他人はあなたとは同じではないのですよ。 > このような例を引き合いに出して、LightOfWayさんが奇跡を売り物にする詐欺師のような人物といいたいのでしょうか? やれやれ、わざわざ >上記で「出会い系サイト」の話をしましたが、これはキリスト教信仰が「出会い系サイト」と同じだとかそういう話をしたのではありません。 と注意しておいたのに、あなたは一体何を読んでいるのですか。「他人は自分と同じように考えているとは限らない」という例として、このところここの掲示板に連続して貼りつけられており、かつ多分あなたには興味も関心もなさそうな「出会い系サイト」の話を例に挙げたのです。あなたが興味を抱いていないのなら、「出会い系サイト」でなくても何でも構いません。あなたがグルメや旅行に興味も関心もなければ、それでもよいし、ファッションやクルマに関心がないのなら、それでもよいのです。そういったことでアタマが一杯の人ももちろんいるでしょうが、そんなことには全然無関心という人もいるわけですよね。私が指摘しているのはそういうことです。「出会い系サイト」という例自体には何の意味もありません。 >LightOfWayさんへの人間不信を流木さんが持っているといいたいのでしょうか? 私はlightofwayさんという個人には何の関心もありません。私が興味を持つとしたら、lightofwayさんの言動、そこに示されるある種のパターンに対してだけです。いい換えれば、「勘違いキリスト者」の1つのサンプルとしてlightofwayさんに興味はありますが、それだけのことです。 > モルモンで傷つけられたのでかなりの人間不信となり、キリスト教そのものも同類だとみるようになったのでしょうね。 やれやれ、私はモルモン教に入信したわけでもありませんし、モルモン教会に傷つけられたわけでもありません。あなたの読解力というのも、相当に欠けておられるようですね。 >最初からカルトのうわさの高いモルモン教を選んでしまったことが原因ですか? 「選んでしまった」といったいい方がそもそもあなたの発想ですね。私は入信しようとしていたわけではありません。 >統一教会やエホバの証人は普通のカルトといわれてますが、こちらのほうの興味はなかったのでしょうか? あなたのおっしゃる「普通のカルト」とは何ですか。 > わたしとしては、まだモルモンのほうがましのようですが。 実際に入信でもされて比較した上でのご意見でしょうか。 いずれにせよ、私はlightofwayさんのことを「奇蹟を売り物にする詐欺師のような人物」だといいたくて「出会い系サイト」の例を挙げたわけでもありませんし、lightofwayさんに個人的な不信感を抱いているわけでもありませんし、モルモン教会で傷つけられたわけでもありません。要するに、あなたのご意見はあらゆる面でピントが外れまくっているとしか思えませんね。老婆心ながら申し上げますが、もう少し読解力を身につけられた方がよいのではありませんか。ご自分の思い込みだけで世の中を見るのは問題でしょう。 |
7228 勘違いキリスト者の論理 流木 2006/10/28 20:52 URLを載せられないので、私のサイトに以前書いたものを転載しておきます。読みにくいので、適宜改行をいれてあります。なお、文中に「このサイト」とあるのは、私のWebサイト(「流木のWebサイト」)のことです。 > なお、ごく稀に、このサイトの上っ面だけ眺めて、「流木はわざわざキリスト教批判のサイトを立ち上げている」とか「反キリストだ」とか「キリスト教はマインドコントロールだとかカルトだとかいっているけど」とかわめき立てるキリスト者さんが一部におられるわけですが、相当に読解力に問題があるといわざるを得ません。 > 私は、非キリスト者ですが、キリスト教に反対しているわけではありません。ご自分がキリスト者に「なる」前にキリスト教を攻撃していたからといって、他人もそうだとか信じ込んでいるキリスト者さんもいますが、想像力が足りないとしかいえませんね。少なくとも日本に住む非キリスト者のほとんどは、キリスト教を敵視してはいませんよ。そもそも、キリスト教を敵視する非キリスト者が多いなら、誰がクリスマスを祝うでしょうか。クリスマスを祝う非キリスト者がほとんどだという事実は、キリスト教が日本では敵視されていないということです(もっとも、正月は神社に初詣に出かけることでもわかるように、クリスマスを祝うことに関して宗教的な意味合いは全くなくなっています)。それぐらいのことは、考えるまでもなくわかることです。 > まして、「反キリスト」とは失礼です。キリスト教の一般的な解釈では、反キリストというのは、「イエス=キリストの教えに背く者であり、悪魔の具現化であると解釈され、最後の審判の際に苦しみが与えられ、救いは決して得られない」とされています。要するに、最大級の罵りの言葉なわけです。こういう決め付けを極めて安易にするんですよね。で、そうまで罵るのなら、証拠を示せというと、そのまま逃げてしまう。謝罪の一言もない。本当に立派なキリスト者さんでいらっしゃいますね(笑)。こういう方々は、自分がキリスト者に「なった」(召された・信仰を恵まれた)のは、自分が他人よりも優れているからだとか錯覚している勘違いさんに過ぎません。パウロが「コリント人への手紙第一」で述べているように、ある人がキリスト者に「なった」のは、その人に知恵があるからでも、権力があるからでも、身分が高いからでもありません。むしろ、その対極にある社会的にはいないも同然な弱い立場の者を神は選んだとされています。ところが、神様に選ばれた自分は特別で、世俗的な意味で他人よりも優れているのだとか思い上がるようなどうにも頭のよろしくない方々がパウロの時代だけではなく今日でもいらっしゃいます。こういう手に負えない皆様は、信仰者である自分を誇り、信仰を恵まれていない非キリスト者を見下すわけです。 > そのくせ、彼らは無知で不勉強です。ちょっと調べればわかる程度のことも調べようとしません。最初から知識のある人はいませんから、無知は仕方のないことかも知れません。しかし、無知にあぐらをかいて、無知でいいんだといわんばかりの態度は問題でしょう。例えば、パソコン関係の掲示板で二言目には「初心者だから」といい訳する人たちがいますが、初心者だと自分で思うのであれば、そこから抜け出そうとする姿勢を見せてほしいものです。いつまでも、「初心者だから」といって、あれもこれも全部手取り足取り教えてもらおうという態度では、早晩誰からも相手にしてもらえなくなるのは明らかでしょう。到達している「レベル」の高い低いではなく、向いている方向、いわば「ベクトル」の問題なのです。そうした点を批判されると、逆ギレして、「無神論者ならそのことを理屈で示して下さいね」とか意味不明なたわごとを述べるのです。私は、カントが『純粋理性批判』で示したように、「神の存在も不在も人間には証明できない」という立場です。無神論者というのは、その人なりの神についての考えに基づいて「神はいない」とする立場ですから、当然、私は無神論者ではあり得ません。「神様がいるかいないかわからないといっているのは、神様はいないといっているのと同じだ」とおっしゃった方もおられましたが、「サイコロを投げて6の目が出るか出ないかはわからない」といったら、「6の目が出ないといったのと同じだ」となるんでしょうか。生きているうちにもう少し頭を使いましょうね。 しばしば誤解されますが、私はキリスト教そのものを否定しているわけではありません。信仰を恵まれたことでへりくだり柔和な人となる例もあることを私は知っています。キリスト教信仰はそのような「善い実」を結ぶこともあります。しかし、他方では口先では「愛」を連発し綺麗事を並べた証をしながらも心の中では信仰の高みから他者を見下すような勘違いキリスト者さんも大勢生み出しているわけです。新約聖書の「ルカによる福音書」には、パリサイ人と徴税人との話が載っていますが、ちょうどあの話のパリサイ人のように自分の信仰を誇り他人を見下す下劣な偽善者もキリスト者の中には間違いなくいるのです。私は、キリスト教(とは限りませんが)のよい面=肯定的な(ポジティヴな)面を活かしつつ、悪い面=否定的な(ネガティヴな)面をどうしたら抑えることができるだろうと考えています。キリスト教そのものを撲滅しようとしているわけではありません。 ご自分を「模範的な信仰者」だと錯覚している勘違いキリスト者さんにとっては、ご自分の考え=キリスト教=イエスの教えですから、私からご自分の勘違いぶりを指摘されると、キリスト教そのものを否定されたみたいに思い込むわけです。そうした思い込みに基づいて私をキリスト教否定論者だと誤解した上で、「流木はモルモン教によって傷つけられたことで極度の人間不信に陥って、その結果、キリスト教を撲滅しようとしているのだ」とか妄想しておられるようです。全くバカバカしい話です。 はっきりいっておきますが、私はモルモン教会のせいで別に傷ついてもいませんし、モルモン教会と接触したことで人間不信に陥ってもいません。さらに、キリスト教を撲滅しようとしているわけでもありません。 「普通と違う意味を込めて言葉を使うのなら、自分がどういう意味でその言葉を使っているのかをきちんと明らかにしましょう」とか「前後矛盾することをいわないようにしましょう。自分の主張をコロコロ変えるのではまともな議論にはなりません」とかいうのは、議論をする上では当然のことです。これは信仰とは何の関係もない話です。この当然の指摘に対して、信仰の話にスリ替えようとしたり、「問いかけにスルーしなければ、ずるずると中身の重要な問題、それは、神の御存在と聖書の言わんとしていることからずれていって、無用な議論に引きずり込まれていくからです」とかあれこれいい訳を繰り返してきたのがlightofwayさんです。 「中身の重要な問題」とは何ですか?ご自分の主張をコロコロ変えているlightofwayさんにとって重要な中身などあるのでしょうか。議論は意見の交換であって勝ち負けではありませんから、議論を勝ち負けで捉えることは全く愚かな誤りですが、lightofwayさんは議論を依然として勝ち負けで捉えようとされています。そんなlightofwayさんにとって重要なのは議論に負けないこと、そして、ご自分のプライドを守ること、ただそれだけです。lightofwayさんには元々主張したい中身など何もありはしないのです。訴えたいことが最初から何もないからいい逃れるためにいっていることをコロコロ変えることができるのです。訴えたいことが何もないにもかかわらず、lightofwayさんがここ(「キリスト教否定論入門」の掲示板「信じる者は騙される」)に出入りし続ける理由は、結局のところ、ご自分のことを「模範的な信仰者」だと誰かに誉めてほしいからでしょう。そして、アラーキーさんはlightofwayさんのそうした知的に不誠実極まりない態度を擁護しようとされるわけです。愚かなことです。 |