| 阿佐吉広 | |
| 54歳(逮捕当時) | |
| 1997年3月/2000年5月14日 | |
| 殺人、逮捕監禁、傷害致死、横領 | |
| 都留市従業員連続殺人事件 | |
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山梨県都留市の朝日建設(2003年8月に倒産)社長阿佐吉広被告は全国から労働者を受け入れていたが、都留労働基準監督署などには「給料を払ってもらえない」との苦情が多数寄せられており、同社と労働者の間でトラブルが絶えなかった。同社の従業員は常時50−60人、多いときには100人を上回っていた。会社側は寮に住み込ませ、行動を監視。反発する従業員の頭を、幹部がガラス製の灰皿で何度も殴り続けるなどしていた。 1997年3月、阿佐被告は前夜に人夫寮でナイフを持って暴れるなどの騒ぎを起こした身元不明の男性労働者に対して説教を始めたが、男性が反抗的な態度をとったことから、制裁を加えようと考え、木刀を手にとって男性に暴行を加えた。男性は肺挫滅による気管支肺炎の傷害により死亡した。 2000年5月14日、阿佐被告は元暴力団組長(病死)、元社員ら6人と共謀。当て逃げ交通事故を起こした制裁として労働者3人の手足を縛って社内に監禁した。このうち抵抗したり暴れたりした男性2人(当時50、51)をロープなどで手や足を縛ってワゴン車で運び、阿佐被告と元暴力団組長、元社員の3人は車内で首を絞めて殺害した。遺体はいずれも都留市にある自社経営の朝日川キャンプ場に埋めた。2人を殺害した動機は、解放すれば後日労働争議団に訴えられ会社の経営に支障を来すことや、自分への報復を恐れたためであった。 また阿佐被告は元従業員と共謀し、2002年10月1日に会社の労働者が負った交通事故について、保険金約2412万円を横領した。 2003年10月6日午後4時頃、朝日川キャンプ場の駐車場で土中に男性の遺体が埋められているのを捜索していた県警捜査1課と都留署が見つけた。約40分後には、近くから別の男性の遺体が見つかった。7日朝、残る1名の遺体が発見された。 | |
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2006年10月11日 甲府地裁 川島利夫裁判長 死刑判決 【判決文】(「裁判所ウェブサイト」内のPDFファイルが開きます。リンク先をクリックする前に、注意事項をご覧下さい) | |
| 2008年4月21日 東京高裁 中川武隆裁判長 控訴棄却 死刑判決支持 | |
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阿佐被告は1997年に従業員を死なせた傷害致死について、逮捕時は関与を認めたが初公判では無罪を主張。 2000年の事件については、会社事務所に監禁したことは認めたが「キャンプ場でけがの手当をしろと指示しただけで、自分は行っていない」「殺害したのは知人の(死亡した)元暴力団組長」と殺人について無罪を主張した。阿佐被告の長女と長女の友人も法廷で「5月14日には母の日の贈り物を買いに行くために一緒にいた」とアリバイを主張したが、検察側はこの日、「買い物をした際の領収書など、客観的な証拠が残っていない。被告人にも確定的な記憶が残っていない」とアリバイの不成立を主張した。 検察側は「共謀者の供述が重要部分で一致しており、信頼性は極めて高い」とし、公判で十分に裏付けられていると主張した。 検察側は補充論告で「阿佐被告のアリバイは成立せず、共謀者の供述が重要部分で一致している」と主張したのに対し、弁護側は「懲罰的な暴行はしたが、死因とつながらない」「検察側証人の証言は二転三転しており全く信用できない」として傷害か暴行罪が妥当だと主張した。 阿佐被告は最終陳述で、「私はキャンプ場には行っていない。無実で冤罪です」と訴えた。 判決で川島裁判長は「当日午後から夕方は多くの証言により阿佐被告らが被害者らに暴行を加えた時間帯で、時間的な信用性に大きな疑問がある」などと被告のアリバイ主張を退けた。また、阿佐被告による殺害を証言した共犯者の供述について「具体的で不自然な点はなく、一連の経過が大筋で一致している。阿佐被告は責任を免れようと関係者に口裏合わせをしようとした」と認め、主導的な役割を果たしたことを認定した。そして「殺害の実行を最終的に決定し、実行した中心的立場にあった」「意に添わない者には命をも奪う人命軽視の態度が甚だしい」と厳しく糾弾した。 2008年2月18日の控訴審初公判で、弁護側は殺人について、阿佐被告の長女らが「当日は一緒に買い物に行った」と証言しており、アリバイの成立を主張。一審で「殺害直前の時間帯に阿佐被告をキャンプ場で見た」と証言したキャンプ場管理人(当時)による「証言はウソで、検事から言わされた」との書面を新たに提出した。そして「殺人時のアリバイ成立は明らかで、傷害と死亡の因果関係にも合理的疑いが残る。一審判決は事実誤認」として、殺人と傷害致死の罪について否認し、一審判決破棄を主張。 一方、検察側は「アリバイ証言に客観的な証拠はない」と指摘。「一審判決に事実誤認はなかった」などと主張し、控訴棄却を求めた。 3月19日の第2回公判で、弁護側は阿佐被告が当日キャンプ場にいなかったことを証言する証人への尋問などを申請したが、却下された。これを受け、弁護側は「裁判所の対応は特異で不当」として、裁判官3人の忌避を申し立てたが、「裁判の遅延のみが目的なのは明らか」として却下された。 一方、「検察の取り調べに対し、阿佐被告を当日キャンプ場で見たと話したのはうそだった」とするキャンプ場の管理人の話を弁護士が聞き取った書類や、阿佐被告の主張をまとめた書類などは採用された。 4月2日の最終弁論で弁護側は、前回公判で証拠採用されたキャンプ場の管理人の陳述書を挙げ、「検察の取り調べにうそをついていたとする管理人の話は信頼性が高く、管理人の供述に基づいた原判決は破たんしている」などと主張した。検察側は「管理人の供述には具体性がなく、不自然極まりない」と反論。前回公判で弁護側から証拠提出された阿佐被告の陳述書についても「虚偽の弁解を蒸し返しているだけ」とし、「控訴には理由がない」と主張した。 判決で中川裁判長は、2人殺害については共犯者の供述の信用性を認め、阿佐被告側の主張を退けた。傷害致死についても「阿佐被告の暴行が死亡の唯一の原因」と認定した。そして「被告にアリバイがあるとする長女らの証言には裏付けがない。殺人への関与を一切否定しようとする被告の供述は到底、信用できない」と述べた。弁護側は判決前に「元管理人の証人尋問は事実認定に必要不可欠」として弁論の再開を申請したが、退けられた。 阿佐被告は身じろぎせずじっと聞き入っていたが、被告に不利な元社員らの証言を採用した部分に差し掛かると、「うそばっかりじゃないか」と声を荒らげ、退廷を命じられた。 2011年12月20日の最高裁弁論で、弁護側は共犯とされる男性受刑者(懲役9年が確定)が「阿佐被告ではなく、病死した元暴力団組長が犯人だ」と新たに証言したことを明らかにし、殺人について無罪を主張した。受刑者は一審公判では阿佐被告が現場に来て2人を殺害したと証言していた。弁護側は、受刑者にはうそをつくメリットがなく、新証言は信用できると主張。阿佐被告には事件当日のアリバイもあり、無罪は明らかだと訴えた。 検察側は、アリバイには客観的な裏付けがなく、一審公判での受刑者らの証言は信用できるとして上告棄却を求めた。新証言については改めて意見を述べるとした。 検察側は改めて上告棄却を求める補充書を2012年4月27日付で最高裁に出し、5月8日付で弁論再開を請求した。最高裁第三小法廷(田原睦夫裁判長)は5月21日付で、検察、弁護人双方の意見を聞く弁論の再開を決定し、期日を10月16日に指定した。 | |
| 2004年9月16日、山梨地裁は従業員2人を殺害した共犯者の元社員に対し懲役9年(殺人、逮捕監禁 求刑懲役15年)、逮捕監禁罪に問われた元従業員に懲役3年、執行猶予5年(求刑懲役5年)、元労働者に懲役2年、執行猶予3年(求刑懲役2年)、関連会社の元従業員に懲役1年、執行猶予5年(懲役1年)。逮捕監禁と横領罪に問われた元従業員に懲役2年、執行猶予4年(求刑懲役2年)を言い渡した。判決理由で川島利夫裁判長は「会社の非人間的な体質から起こるべくして起きた事件」とし、「いずれの被告も阿佐被告の指示の下、従属的立場で犯行に関与した」と指摘した。5人はいずれも犯行を認めたため、犯行を否認している阿佐被告とは分離して公判が進められていた。いずれも一審で確定している。 |
| 謝依俤 | |
| 25歳(逮捕時 2002年9月19日) | |
| 2002年8月31日 | |
| 強盗殺人、出入国管理及び難民認定法違反他 | |
| 品川製麺所夫婦強殺事件 | |
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中国福建省出身、元解体工の謝依俤(シェ・イーディ)被告は2002年8月31日、住んでいたアパートの大家だった夫婦の製麺所兼自宅に侵入。持っていたナイフで男性(当時64)と妻(当時57)を刺殺し、現金約47000円、指輪やネックレスなど52点(約7万円相当)を奪うなどした。 謝被告は2002年春ごろから、殺害された夫婦が所有する製麺所裏のアパートに住んでいたが、家賃月18000円は滞納しがちで、先月分の家賃を支払っていなかった。8月上旬に解体工を辞めた後は職に就いていなかった。 謝被告は1999年2月ごろ、船で名古屋港に密入国。入国時に背負った借金もまだ残っていた。解体工のほか、飲食店の皿洗いなどをしていたが、長続きせず職を転々としていた。 | |
| 2006年10月2日 東京地裁 成川洋司裁判長 死刑判決 | |
| 2008年9月26日 東京高裁 須田賢裁判長 控訴棄却 死刑判決支持 | |
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謝被告は「盗みをするつもりだった。誤って刺したが、殺すつもりはなかった」と強盗目的や殺意を否認している。 論告で検察側は「金銭目的で何の落ち度もない2人の命を奪った身勝手で冷酷な犯行。反省も見られず、極刑をもって臨むほかない」と述べた。 成川裁判長は「被害者と会った際、いつでも鋭利なナイフを使用できる状態で所持しており、むしろ計画的な犯行」と指摘。その上で「ナイフで息の根を止めるまで執拗に突き刺し、強固な殺意に基づく犯行だ。その凶悪さには目を覆わしめるものがある。金銭的欲望を満たすため、何ら落ち度のない2人の命を奪った。遺族が極刑を望むのも当然。前途がある年齢で反省も示しているが死刑を回避する事情とまでは認められない」「自らの金銭的な欲望を満たすため、何ら落ち度のない2人の尊い生命をちゅうちょなく奪い、身勝手極まりない動機は酌量の余地が皆無。死刑をもって臨むことはやむを得ない」と述べた。 控訴審で謝被告は、殺意はなかった、一審が重すぎると主張。 判決で須田裁判長は、謝被告が犯行後もディスコで頻繁に遊ぶなどしていた点を指摘。また「ストッキングをかぶって侵入し、直後にナイフを抜き身にした」ことから、「(2人殺害は)強固な殺意のもとに行われた。落ち度のない被害者の生命を相次いで踏みにじった冷酷で残虐な犯行。非人間的で、極刑をもって臨むほかない」と述べ、謝被告側の主張を退けた。 | |
| 2011年12月16日、東京高裁は証拠物のサバイバルナイフ1本を紛失したと発表した。実際に凶器として使用されたナイフではなく、同じ形状の市販製品として提出されていた。高裁によると、9月に行った全証拠物の検査でナイフが無くなっていることに気付いた。控訴を受けて証拠物を保管した2007年1月以降の担当職員への聞き取り調査を進めたが見つからず、紛失時期も特定できなかったという。 |
| 高見沢勤 | |
| 50歳(2005年11月17日逮捕当時) | |
| 2001年11月〜2005年9月 | |
| 殺人、死体遺棄、窃盗、銃砲刀剣類所持等取締法違反違反(加重所持)、火薬取締法違反 | |
| 暴力団組長による3人殺害指揮事件 | |
指定暴力団山口組系組長高見沢勤被告は以下の3事件を起こした。
2006年1月24日、前橋地裁の初公判で、高見沢被告は死体遺棄容疑を認めた。同日、同事件で使用されたとみられる拳銃を所持した銃刀法違反容疑(加重所持)で再逮捕された。 2月14日、2005年9月の事件の殺人、銃刀法違反(発射)容疑で再逮捕された。 3月7日、2005年4月の事件の死体遺棄容疑で再逮捕された。 4月11日、2005年4月の事件の強盗殺人容疑で再逮捕された。(起訴は殺人容疑)。 6月6日、2005年4月の事件に絡み、高崎市内に住んでいた殺害男性方で拳銃1丁と密造散弾銃1丁、散弾銃用の実弾百数十発を所持するなど、県内4カ所に拳銃7丁、密造散弾銃1丁、日本刀1本と実弾三百数十発を隠し持っていた疑で再逮捕された。 11月20日、2001年11月の事件の殺人容疑で再逮捕された。死体遺棄容疑は時効が成立した。 | |
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2008年2月4日 前橋地裁 久我泰博裁判長 死刑判決 【判決文】(「裁判所ウェブサイト」内のPDFファイルが開きます。リンク先をクリックする前に、注意事項をご覧下さい) | |
| 2008年12月12日 東京高裁 安広文夫裁判長 控訴棄却 死刑判決支持 | |
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2006年1月24日、前橋地裁の初公判で、高見沢被告は2005年9月の事件についての死体遺棄容疑を認めた(他容疑では逮捕、起訴されていない)。 2006年5月22日の公判で、高見沢被告は2005年9月の殺人罪について認否を保留。7月3日の公判でも、2005年4月の事件の殺人罪について認否を保留。このため、争点を整理する公判前整理手続きが2007年5月まで続いた。 手続き終了後の初の公判となった2007年6月11日、高見沢被告は2001年11月の事件について全面的に否認。2005年4月の事件について「他の組員ともめたため殺した。正当防衛だった」と主張。2005年9月の事件については配下幹部の単独犯行として関与を否定、死体遺棄だけを認めた。 T受刑者は自身の公判で、高見沢被告の指示を認めている。 YO受刑者、O被告は高見沢被告の公判で、高見沢被告の指示を否定している。 11月26日の論告求刑で、検察側は「犯行は冷酷かつ凶悪」「規範意識の欠如は極みに達しており、改善更生の可能性は絶無」と死刑を求刑した。 12月10日の最終弁論で弁護側は「共犯者の供述は信用性に欠く」と訴え、死体遺棄事件はいずれも偶発的で、計画的なものではないと主張。殺人行為についても正当防衛が成立するとして無罪を求めた。高見沢被告は「遺族には心から申し訳なく思う」と述べた。 2月4日の判決で、久我裁判長は「組長の立場から組員に殺害を指示したり、自ら拳銃発射行為に及んだ。いずれも組織力を活用しており、被告が責任を最も問われる立場にある」と指弾、高見沢被告の刑事責任を明確に認定した。 また被告側の無罪主張について、「共犯者の供述は信用性が高く、被告の共謀が認められる」、「積極的な加害行為の意思が認められ、正当防衛は成立しない」とそれぞれ退けた。特に、高見沢被告らが関与した保険金詐欺事件に絡み、口封じのため男性を殺害した動機について「極端に人命を軽視した身勝手な犯行」と厳しく非難した。 そして「組織力を活用しており、被告が最も責任を問われる立場にある」と指摘。「社会に与えた不安も計り知れない」「被告なくしては実行され得なかった事件で、極刑はやむ得ない」と述べた。 さらに判決言い渡し後、「これだけ証言や証拠がそろっていると有罪は免れず、死刑以外ありえない」と言及。「死にたくないと思って(関与を)否定していたのでしょうが、被害者の人たちも死にたくなかったと思います」と諭した。 控訴審で被告側は1番目と3番目の事件については組員との共謀の事実がないとして、2番目の事件については正当防衛が成立するとして、殺人については無罪を主張していた。安広文夫裁判長は「正当防衛は成立しない。配下の組員らの供述から関与は明白。死刑判決を是認せざるを得ない」と述べた。 上告審弁論は2012年4月24日に指定されたが、4月11日付で最高裁第三小法廷(大谷剛彦裁判長)は、弁論期日を取り消す決定をした。関係者によると、被告が弁護人を解任したのが理由。 | |
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YA受刑者は2007年5月24日、殺人罪他により前橋地裁で懲役17年(求刑懲役20年)判決がそのまま確定。 O被告は2007年6月5日、殺人罪他により前橋地裁で懲役20年(求刑無期懲役)判決。控訴中。その後確定。 YO受刑者は2006年6月27日、犯人隠匿罪他により前橋地裁で懲役4年6月(求刑懲役6年)判決がそのまま確定。さらに2007年5月24日、殺人罪他により前橋地裁で懲役20年(求刑無期懲役)判決がそのまま確定。 O容疑者は土木作業員男性への殺人・銃刀法違反容疑で2006年12月に指名手配された。2010年11月30日、山梨県で逮捕されたが、12月24日、証拠不十分で釈放した。 I被告は、2006年10月30日、殺人罪他により前橋地裁で懲役25年(求刑懲役30年)判決。2007年3月27日、東京高裁で被告側控訴棄却。 S(旧姓Y)被告は2006年11月14日、殺人罪他により前橋地裁で懲役24年+懲役10ヶ月(求刑無期懲役+懲役1年)判決。2007年3月1日、東京高裁にて検察・被告側控訴棄却。 T受刑者は2006年10月19日、殺人罪他により前橋地裁で懲役27年+懲役8月(求刑無期懲役+懲役1年)判決。2007年4月19日、東京高裁で一審破棄、無期懲役判決。2007年8月29日、被告側上告棄却、確定。 H被告は2006年3月13日、死体遺棄罪により前橋地裁で懲役1年8ヶ月(求刑懲役3年)判決。 NO被告は2006年8月28日、死体遺棄罪他により前橋地裁で懲役7年(求刑懲役10年)判決。 S受刑者は2006年3月27日、死体遺棄罪他により前橋地裁で懲役1年6ヶ月(求刑懲役3年)判決がそのまま確定。 NA被告は2006年7月20日、死体遺棄罪、覚せい剤取締法違反他により前橋地裁で懲役3年6月+罰金20万円(求刑懲役5年+罰金20万円)判決。 H被告は2006年7月6日、死体遺棄や覚せい剤取締法違反の罪により前橋地裁で懲役6年+罰金70万円(求刑懲役8年+罰金70万円)判決。 H被告の逃走を助けた露天商T被告は2006年4月28日、犯人陰徳の罪により懲役1年(求刑懲役1年6月)判決。 他にも犯人隠匿などで逮捕者が出ている。 |
| 渡辺純一 | |
| 28歳(2005年6月23日、逮捕監禁容疑で逮捕時) | |
| 2004年10月13日〜16日 | |
| 傷害致死、殺人、死体遺棄、逮捕監禁致傷、逮捕監禁、監禁、組織的な犯罪の処罰及び犯罪収益の規制等に関する法律違反、傷害 | |
| 架空請求詐欺グループ仲間割れ事件 | |
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コンサルタント会社社長清水大志(たいし)被告をリーダーとする架空請求詐欺グループは、2004年10月〜11月、法務省の関連団体を名乗り、実在しない“電子消費料金”の請求はがきを不特定多数に郵送し、電話をしてきた被害者から現金を銀行口座に振り込ませる手口で、26人から約4750万円をだまし取った。 清水被告が「社長」、無職渡辺純一被告、会社役員伊藤玲雄(れお)被告、芸能プロダクション経営阿多真也被告が「部長」と呼ばれ、それぞれ子グループを統率していた。 伊藤被告の部下であった船橋市の飲食店員の男性Nさん(当時25)らは、幹部らに比べて極端に分け前が少ないことに不満を募らせ、中国人マフィアを利用して清水被告ら幹部を拉致し現金を強奪しようと2004年8月に計画し、同じメンバーで東京都杉並区に住む元建設作業員の男性YAさん(当時22)、同区に住む元不動産会社員の男性Iさん(当時31)、千葉県に住む元会社員の男性YOさん(当時34)が参加することとなった。 約2ヶ月後、4人が東京都内の拠点事務所に姿を見せなくなったことを不審に思い、清水被告ら幹部はYAさんを問い詰めた。計画を知り激怒した清水被告らは、見せしめで制裁を加えようと、他のメンバーらに拉致を指示した。 10月13日、NさんとIさんが東京都新宿区の事務所に連れて来られた。YOさんは呼び出しに応じた。4人を集団で金属バットなどで殴り、覚せい剤を注射したり、熱湯をかけるなどの暴行を加えた。4人が衰弱すると、16日未明にNさんら2名を熱傷で死亡させ、同日夕には、衰弱した2人の鼻と口を手でふさぎ窒息死させた。計画を告白したYAさんは当初、監禁する側だったが結局、Nさんらと一緒に殺害された。 清水被告・渡辺被告の指示を受けた伊藤被告らが殺害の実行犯である。 遺体の処理に困った清水被告らは、暴力団幹部の男性らに1億円を支払い、遺棄を依頼した。4人の遺体は20日夕、茨城県小川町(現小美玉市)の空き地に埋められた。 詐欺で捕まった阿多被告らが犯行を供述。遺体は2005年6月18日に見つかった。 | |
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2007年8月7日 千葉地裁 彦坂孝孔裁判長 無期懲役判決 【判決文】(「裁判所ウェブサイト」内のPDFファイルが開きます。リンク先をクリックする前に、注意事項をご覧下さい) | |
| 2009年3月19日 東京高裁 長岡哲次裁判長 一審破棄 死刑判決 | |
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公判前整理手続きを採用。 2006年9月4日の初公判で、渡辺純一被告は罪状認否で、死体遺棄罪などの起訴事実は認めたが、「殺害の指示も共謀もしていない」などと述べ、殺人と傷害致死罪については否認した。 その後の公判では、清水大志被告とともに審理された。 検察側は清水被告を詐欺グループを取りまとめた「頂点」と位置づけ、渡辺被告を暴力団構成員としての経歴を生かして犯行に加担したなどとした上で、「2人のグループ内での影響力は絶対的だった」と指摘。両被告を、殺害を指示した「主犯格」と位置付けた。 両被告は「暴行は指示したが、殺せとは言っていない」「検察の主張するエピソードは間違えている。やってもいない殺人に対して、反省を求められても困る」と繰り返し、殺人と傷害致死罪に当たるのは実行犯の3被告だと主張。弁護団も「共犯者同士で『殺害を指示された』と口裏を合わせている」との見方を示していた。 2007年2月26日の論告求刑で、検察側は「まれに見る凶悪重大事件。反省の態度もなく矯正は不可能」と指摘した。 4月27日の最終弁論で、渡辺被告、清水被告とも殺人と傷害致死の起訴事実を否認。弁護側は最終弁論で「一連の犯罪は計画性がなく、被告はまだ若く更生の可能性もある」と情状酌量を求めた。 最後に裁判長から「何か言っておくことはないですか」と問われた際、清水被告は「逮捕されてから(仲間が)どんどん敵味方に分かれ、(実行犯の)3人と争う形になってしまった」と言葉少なに、また渡辺被告は「自分はグループのトップではない」と、それぞれ述べた。 8月7日の判決で彦坂裁判長は、伊藤被告らの「清水、渡辺両被告から殺害指示を受けた」とする供述は認めなかったが、「殺害が最も有力な解決手段との認識をもって伊藤被告らに解決を任せた」と、清水、渡辺両被告と伊藤被告らとの共謀があったと認定した。その上で清水被告について「首謀者として殺害の謀議をまとめ上げ、終始殺害に向けて積極的に行動して共犯者をけん引。殺害実行を唯一止めうる立場にありながら、伊藤玲雄被告に責任を押し付けた渡辺被告の行動を最終的に容認し、次善策を講じようとしなかった」と指摘。その上で「直接的な殺害指示があったとまでは認められないが、首謀者としての罪責はあまりに重大で極刑をもって臨むほかない」「人命を全く軽視し、強固な殺害意思に基づいた極めて冷酷かつ非道な犯行」と断罪した。渡辺被告については「被害者の処遇を自ら決定するような首謀者でなく、当初は清水被告に事の成り行きを任せていた」と述べ、「死刑の選択にはちゅうちょを禁じ得ない」とした。 また伊藤被告らの判決と同様、検察側が殺人罪を主張した3人のうち1人について、傷害致死罪が相当と認定した。 清水被告、渡辺被告は事実誤認を理由に即日控訴。検察側は殺人罪を主張した被害者3人のうち1人を傷害致死と認定したのは事実誤認であると、両被告に対して控訴した。また渡辺被告については量刑不当も訴えた。 2008年6月19日の控訴審初公判で、清水大志被告は「共謀の認定について1審判決には事実誤認がある」として死刑回避を求めた。一審で無期懲役とされた渡辺純一被告も減刑を求めた。検察側は、一審判決が被害者のうち1人について殺人罪を適用せず、傷害致死罪としたことについて事実誤認を主張した。 以後は公判が分離された。 判決で長岡裁判長は、2007年8月の一審判決と同様、検察側が殺人罪の適用を求めた被害者のうち1人の死亡について、傷害致死罪に該当すると判断。しかし、「4人を監禁した後、『殺すしかない』と積極的に発言し、グループでの影響力も大きかった。渡辺被告は反省の念が乏しく、改善・更生が著しく困難。犯行は執拗で残忍。刑事責任は極めて重大」として、死刑を選択した。 一審判決は、グループ内での渡辺被告の役割について「首謀者の立場ではなかった」と認定したが、この日の判決は、渡辺被告が共犯者に対して何度も殺害の指示を出し、「しゃべったら家族を殺す」と口止めまでしていた点を重視。「事件が重大化したのは、渡辺被告によるところが大きい」と認定した。 | |
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一連の事件では殺人や傷害致死、死体遺棄や監禁などの罪で18人が起訴されている。11人は懲役17年〜1年2ヶ月の実刑判決、2人に執行猶予付の有罪判決が出ている。また、架空請求詐欺の件で5人が懲役6年〜4年4ヶ月の実刑判決、5人が執行猶予付の有罪判決が出ている(他にも逮捕者はいるが、判決は確認できていない)。 清水大志被告は2007年8月7日、千葉地裁で求刑通り死刑判決。2009年5月12日、東京高裁で検察・被告側控訴棄却。被告側上告中。 伊藤玲雄被告は2007年5月21日、千葉地裁で求刑通り死刑判決。2009年8月28日、東京高裁で検察・被告側控訴棄却。被告側上告中。 阿多真也被告は2007年5月21日、千葉地裁で求刑死刑に対し一審無期懲役判決。2009年8月18日、東京高裁で検察・被告側控訴棄却。被告側上告するも取り下げ、確定。 鷺谷輝行被告は2007年5月21日、千葉地裁で求刑通り一審無期懲役判決。2009年7月3日、東京高裁で検察・被告側控訴棄却。2012年7月19日、被告側上告棄却、確定。 |
| 清水大志 | |
| 26歳(2005年6月8日、詐欺容疑で逮捕時) | |
| 2004年10月13日〜16日 | |
| 傷害致死、殺人、死体遺棄、逮捕監禁致傷、逮捕監禁、監禁、組織的な犯罪の処罰及び犯罪収益の規制等に関する法律違反、傷害 | |
| 架空請求詐欺グループ仲間割れ事件 | |
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コンサルタント会社社長清水大志(たいし)被告をリーダーとする架空請求詐欺グループは、2004年10月〜11月、法務省の関連団体を名乗り、実在しない“電子消費料金”の請求はがきを不特定多数に郵送し、電話をしてきた被害者から現金を銀行口座に振り込ませる手口で、26人から約4750万円をだまし取った。 清水被告が「社長」、無職渡辺純一被告、会社役員伊藤玲雄(れお)被告、芸能プロダクション経営阿多真也被告が「部長」と呼ばれ、それぞれ子グループを統率していた。 伊藤被告の部下であった船橋市の飲食店員の男性Nさん(当時25)らは、幹部らに比べて極端に分け前が少ないことに不満を募らせ、中国人マフィアを利用して清水被告ら幹部を拉致し現金を強奪しようと2004年8月に計画し、同じメンバーで東京都杉並区に住む元建設作業員の男性YAさん(当時22)、同区に住む元不動産会社員の男性Iさん(当時31)、千葉県に住む元会社員の男性YOさん(当時34)が参加することとなった。 約2ヶ月後、4人が東京都内の拠点事務所に姿を見せなくなったことを不審に思い、清水被告ら幹部はYAさんを問い詰めた。計画を知り激怒した清水被告らは、見せしめで制裁を加えようと、他のメンバーらに拉致を指示した。 10月13日、NさんとIさんが東京都新宿区の事務所に連れて来られた。YOさんは呼び出しに応じた。4人を集団で金属バットなどで殴り、覚せい剤を注射したり、熱湯をかけるなどの暴行を加えた。4人が衰弱すると、16日未明にNさんら2名を熱傷で死亡させ、同日夕には、衰弱した2人の鼻と口を手でふさぎ窒息死させた。計画を告白したYAさんは当初、監禁する側だったが結局、Nさんらと一緒に殺害された。 清水被告・渡辺被告の指示を受けた伊藤被告らが殺害の実行犯である。 遺体の処理に困った清水被告らは、暴力団幹部の男性らに1億円を支払い、遺棄を依頼した。4人の遺体は20日夕、茨城県小川町(現小美玉市)の空き地に埋められた。 詐欺で捕まった阿多被告らが犯行を供述。遺体は2005年6月18日に見つかった。 | |
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2007年8月7日 千葉地裁 彦坂孝孔裁判長 死刑判決 【判決文】(「裁判所ウェブサイト」内のPDFファイルが開きます。リンク先をクリックする前に、注意事項をご覧下さい) | |
| 2009年5月12日 東京高裁 長岡哲次裁判長 控訴棄却 死刑判決支持 | |
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公判前整理手続きを採用。 2006年9月1日の初公判で、清水被告は「殺人の実行行為も共謀もしていない」と主張し、殺人と傷害致死の起訴事実を否認、逮捕監禁と死体遺棄は認めた。清水被告側は「監禁、暴行が続いた2日間に、清水被告が常に現場にいたわけではなく、4人が死亡した時にも不在だった」とし、「ほかのメンバーに監禁や暴行は指示したが、殺せとは言っていない」と主張。殺人罪と傷害致死罪に当たるのは、あくまでも実行犯のメンバーで、清水被告は共謀関係にないとした。 検察側は冒頭陳述で、残酷なリンチの様子を詳細に再現。「一連の犯行は、グループのリーダーだった清水被告が主導した」と断定した。 なお清水被告は、徳島地検が追起訴した組織犯罪処罰法違反罪(組織的詐欺)の容疑についても「私はその事実に関与していない」と全面否認している。 2006年9月5日の初公判で、渡辺純一被告は罪状認否で、死体遺棄罪などの起訴事実は認めたが、「殺害の指示も共謀もしていない」などと述べ、殺人と傷害致死罪については否認した。 2007年2月26日の論告求刑で、検察側は「まれに見る凶悪重大事件。反省の態度もなく矯正は不可能」と指摘した。 4月27日の最終弁論で、両被告とも殺人と傷害致死の起訴事実を否認。弁護側は最終弁論で「一連の犯罪は計画性がなく、被告はまだ若く更生の可能性もある」と情状酌量を求めた。 8月7日の判決で彦坂裁判長は、伊藤被告らの「清水、渡辺両被告から殺害指示を受けた」とする供述は認めなかったが、「殺害が最も有力な解決手段との認識をもって伊藤被告らに解決を任せた」と、清水、渡辺両被告と伊藤被告らとの共謀があったと認定した。その上で清水被告について「首謀者として殺害の謀議をまとめ上げ、終始殺害に向けて積極的に行動して共犯者をけん引。殺害実行を唯一止めうる立場にありながら、伊藤玲雄被告に責任を押し付けた渡辺被告の行動を最終的に容認し、次善策を講じようとしなかった」と指摘。その上で「直接的な殺害指示があったとまでは認められないが、首謀者としての罪責はあまりに重大で極刑をもって臨むほかない」「人命を全く軽視し、強固な殺害意思に基づいた極めて冷酷かつ非道な犯行」と断罪した。渡辺被告については「被害者の処遇を自ら決定するような首謀者でなく、当初は清水被告に事の成り行きを任せていた」と述べ、「死刑の選択にはちゅうちょを禁じ得ない」とした。 また伊藤被告らの判決と同様、検察側が殺人罪を主張した3人のうち1人について、傷害致死罪が相当と認定した。 被告側は即日控訴した。検察側は「殺人罪を主張した被害者3人のうち1人を傷害致死と認定したのは事実誤認だ」として控訴した。 長岡哲次裁判長は判決で「清水被告に殺害を指示された」とする共犯者の供述は信用性があると認定。殺害の共謀関係はなかったとする被告側の主張を退けた。検察側は被害者1人について殺人罪が相当だと訴えたが、判決は一審同様、傷害致死罪を適用した。 そして長岡裁判長は「人命を無視した冷酷かつ残忍な犯行で中心的役割を果たした。反省の念に乏しく、更生は困難」と述べた。 | |
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一連の事件では殺人や傷害致死、死体遺棄や監禁などの罪で18人が起訴されている。11人は懲役17年〜1年2ヶ月の実刑判決、2人に執行猶予付の有罪判決が出ている。また、架空請求詐欺の件で5人が懲役6年〜4年4ヶ月の実刑判決、5人が執行猶予付の有罪判決が出ている(他にも逮捕者はいるが、判決は確認できていない)。 渡辺純一被告は2007年8月7日、千葉地裁で求刑死刑に対し無期懲役判決。2009年3月19日、東京高裁で一審破棄、死刑判決。被告側上告中。 伊藤玲雄被告は2007年5月21日、千葉地裁で求刑通り死刑判決。2009年8月28日、東京高裁で検察・被告側控訴棄却。被告側上告中。 阿多真也被告は2007年5月21日、千葉地裁で求刑死刑に対し一審無期懲役判決。2009年8月18日、東京高裁で検察・被告側控訴棄却。被告側上告するも取り下げ、確定。 鷺谷輝行被告は2007年5月21日、千葉地裁で求刑通り一審無期懲役判決。2009年7月3日、東京高裁で検察・被告側控訴棄却。2012年7月19日、被告側上告棄却、確定。 |
| 伊藤玲雄 | |
| 31歳(2005年6月9日、逮捕監禁容疑で逮捕時) | |
| 2004年10月13日〜16日 | |
| 傷害致死、殺人、死体遺棄、逮捕監禁致傷、逮捕監禁、監禁、組織的な犯罪の処罰及び犯罪収益の規制等に関する法律違反 | |
| 架空請求詐欺グループ仲間割れ事件 | |
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コンサルタント会社社長清水大志(たいし)被告をリーダーとする架空請求詐欺グループは、2004年10月〜11月、法務省の関連団体を名乗り、実在しない“電子消費料金”の請求はがきを不特定多数に郵送し、電話をしてきた被害者から現金を銀行口座に振り込ませる手口で、26人から約4750万円をだまし取った。 清水被告が「社長」、無職渡辺純一被告、会社役員伊藤玲雄(れお)被告、芸能プロダクション経営阿多真也被告が「部長」と呼ばれ、それぞれ子グループを統率していた。 伊藤被告の部下であった船橋市の飲食店員の男性Nさん(当時25)らは、幹部らに比べて極端に分け前が少ないことに不満を募らせ、中国人マフィアを利用して清水被告ら幹部を拉致し現金を強奪しようと2004年8月に計画し、同じメンバーで東京都杉並区に住む元建設作業員の男性YAさん(当時22)、同区に住む元不動産会社員の男性Iさん(当時31)、千葉県に住む元会社員の男性YOさん(当時34)が参加することとなった。 約2ヶ月後、4人が東京都内の拠点事務所に姿を見せなくなったことを不審に思い、清水被告ら幹部はYAさんを問い詰めた。計画を知り激怒した清水被告らは、見せしめで制裁を加えようと、他のメンバーらに拉致を指示した。 10月13日、NさんとIさんが東京都新宿区の事務所に連れて来られた。YOさんは呼び出しに応じた。4人を集団で金属バットなどで殴り、覚せい剤を注射したり、熱湯をかけるなどの暴行を加えた。4人が衰弱すると、16日未明にNさんら2名を熱傷で死亡させ、同日夕には、衰弱した2人の鼻と口を手でふさぎ窒息死させた。計画を告白したYAさんは当初、監禁する側だったが結局、Nさんらと一緒に殺害された。 清水被告・渡辺被告の指示を受けた伊藤被告らが殺害の実行犯である。 遺体の処理に困った清水被告らは、暴力団幹部の男性らに1億円を支払い、遺棄を依頼した。4人の遺体は20日夕、茨城県小川町(現小美玉市)の空き地に埋められた。 詐欺で捕まった阿多被告らが犯行を供述。遺体は2005年6月18日に見つかった。 | |
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2007年5月21日 千葉地裁 彦坂孝孔裁判長 死刑判決 【判決文】(「裁判所ウェブサイト」内のPDFファイルが開きます。リンク先をクリックする前に、注意事項をご覧下さい) | |
| 2009年8月28日 東京高裁 長岡哲次裁判長 控訴棄却 死刑判決支持 | |
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2006年3月29日の初公判、起訴事実の認否で3被告(伊藤玲雄被告、阿多真也被告、鷺谷輝行被告)は、YOさん(当時34)殺害については否認したが、他の3人の殺人、傷害致死についてはほぼ認めた。 2006年11月13日の論告求刑公判で検察側は「犯行は執拗で残忍」「まれに見る凶悪、重大な犯行。被害者に対する暴行はこの世の地獄を思わせるもので、人間の所業ではない」と指摘した。 2007年1月11日の最終弁論で弁護側は、口や鼻を粘着テープでふさがれるなどして殺害されたYOさんの事件について、「殺意はなかった」と傷害致死罪の適用を主張。また、清水大志被告らリーダー格による殺害の指示を拒めなかった、と情状面の理解を求めた。阿多被告側は、起訴されたすべての罪で自首が成立すると主張した。 3被告は最終陳述で涙ながらに謝罪し、このうち伊藤被告は「裏切ったら家族ごと殺すと脅された。生きて罪を償う道を与えてほしい」と訴えた。 彦坂孝孔裁判長は「人命を全く軽視した非道な犯行で、主導的に殺害行為をした責任は極めて重大だ」と述べた。検察側は男性3人に対する殺人罪が成立すると主張したが、彦坂裁判長は、テープで縛られて死亡した1人の死亡について「殺意までは認められない」と傷害致死罪を適用した。また、殺害の指示を否認しているグループの主犯格メンバー清水大志被告らの指示を認めた。弁護側は「殺害は(グループ内の首謀者とされる)渡辺被告への恐怖心に支配された結果」などと主張したが、彦坂裁判長は「行為に直接関与しており、認められない」と退けた。一方、阿多被告は捜査段階で供述した殺人以外の罪について自首の成立を認め、「伊藤被告らの言動に影響された面があった」として死刑を適用しなかった。鷺谷被告は「伊藤被告に同調した従属的な犯行」とした。 被告側は量刑不当を理由に控訴した。千葉地検は地裁判決に事実誤認があったとして、東京高裁に控訴した。判決で、地検が殺人罪を主張した3人のうち1人について傷害致死罪が相当と認定した点を事実誤認とした。地検は控訴に踏み切った理由を、犯行グループのリーダーで無職の清水大志被告らの量刑に影響があるためとしている。 2008年3月13日の控訴審初公判で、検察側は、一審判決が傷害致死罪に当たると認定した1人について、「事実誤認で殺人罪に当たる」と主張。死刑求刑に対し、無期懲役とされた阿多被告については量刑不当を訴えた。 伊藤被告の弁護側は「リーダーらのマインドコントロール下での犯行だった」と主張、死刑回避を求めた。 判決理由で長岡哲次裁判長は「被告は反省しているが、執拗で残忍な態様、結果の重大性などを考えれば死刑を回避すべきとはいえない」と結論付け、無期懲役を求めた弁護側の訴えを退けた。被害者4人について、は被害者が死亡した状況は被告の供述から「殺意があったと認定することはできない」として、殺害3人、傷害致死1人との検察側主張を認めず、殺害2人、傷害致死2人と認定した一審判決を踏襲した。 | |
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一連の事件では殺人や傷害致死、死体遺棄や監禁などの罪で18人が起訴されている。11人は懲役17年〜1年2ヶ月の実刑判決、2人に執行猶予付の有罪判決が出ている。また、架空請求詐欺の件で5人が懲役6年〜4年4ヶ月の実刑判決、5人が執行猶予付の有罪判決が出ている(他にも逮捕者はいるが、判決は確認できていない)。 清水大志被告は2007年8月7日、千葉地裁で求刑通り死刑判決。2009年5月12日、東京高裁で検察・被告側控訴棄却。被告側上告中。 渡辺純一被告は2007年8月7日、千葉地裁で求刑死刑に対し無期懲役判決。2009年3月19日、東京高裁で一審破棄、死刑判決。被告側上告中。 阿多真也被告は2007年5月21日、千葉地裁で求刑死刑に対し一審無期懲役判決。2009年8月18日、東京高裁で検察・被告側控訴棄却。被告側上告するも取り下げ、確定。 鷺谷輝行被告は2007年5月21日、千葉地裁で求刑通り一審無期懲役判決。2009年7月3日、東京高裁で検察・被告側控訴棄却。2012年7月19日、被告側上告棄却、確定。 |
| 山田健一郎 | |
| 36歳 | |
| 2003年1月25日 | |
| 殺人、銃砲刀剣類所持等取締法違反、殺人未遂 | |
| 前橋スナック乱射事件他 | |
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指定暴力団住吉会系幸平一家矢野睦会会長矢野治被告らは、対立する指定暴力団稲川会系指定暴力団稲川会大前田一家元組長(当時55 後に稲川会から絶縁)の殺害を計画。 矢野被告の指示を受けた暴力団幹部山田健一郎被告(当時36)は、同幹部小日向将人被告とともにフルフェースのヘルメットをかぶって、2003年1月25日午後11時25分頃、前橋市三俣町のスナック前にいた元組長の警護役(当時31)を射殺した後、店内で拳銃を乱射し、いずれも客で近くに住む会社員(当時53)、パート職員(当時66)、会社員(当時50)の3人を射殺し、元組長と客の調理師(当時55)の2人に重傷を負わせた。当時店内にはカウンターに客が8名と、カウンターの中に女性経営者がいた。 事件直後の2003年2月、捜査本部は「自分がやった」などと出頭した住吉会幸平一家矢野睦会系幹部(後に殺人予備容疑で逮捕)を銃砲刀剣類所持等取締法違反容疑で逮捕したが、前橋地検は証拠不十分のため処分保留で釈放していた。 前橋市のスナック乱射事件は、2001年8月に東京都内の斎場で指定暴力団住吉会系組幹部2人が稲川会大前田一家系組員2人に射殺された事件がきっかけになったとされる。事件をめぐり、両組織は和解したが、住吉会幸平一家の矢野睦会組員らはこれを無視して大前田一家の幹部をつけ狙ったとみられる。 2002年2月21日の大前田一家元総長宅(前橋市)発砲事件にかかわった矢野睦会幹部が、4日後に入院先の日医大病院(東京都文京区)で射殺された。元総長宅襲撃失敗の口封じが目的で、警視庁は同会会長の矢野治被告ら3人を2003年9月に逮捕した。 矢野睦会の襲撃はその後も続き、2002年3月1日には大前田一家元総長宅の敷地内に火炎瓶が投げ込まれ、2002年10月14日には白沢村の銃撃事件も発生。こうした流れの中で2003年1月にスナック発砲事件が起きた。 小日向被告は事件後、フィリピンに逃亡するなどしていた。2002年10月、不法滞在容疑でフィリピンから強制送還され、警視庁が旅券法違反容疑で逮捕した。捜査本部が、抗争事件に絡む盗品等有償譲り受け容疑で逮捕していた。 矢野被告は2003年7月8日に元組長宅への放火容疑で逮捕された。矢野被告らとともに小日向被告は前橋事件への関与を追求された。小日向被告は2004年2月に、「会長の指示で2人でやった」などと供述を始める。本事件で矢野治被告と小日向被告は2004年2月17日に逮捕された。 山田被告は2004年5月7日に逮捕された。山田被告は白沢村銃撃事件でも射撃の実行犯として起訴されている。 | |
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2008年1月21日 前橋地裁 久我泰博裁判長 死刑判決 【判決文】(「裁判所ウェブサイト」内のPDFファイルが開きます。リンク先をクリックする前に、注意事項をご覧下さい) | |
| 2009年9月10日 東京高裁 長岡哲次裁判長 控訴棄却 死刑判決支持 | |
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山田被告は逮捕当初から犯行を黙秘した。 2004年7月22日の初公判で、山田被告は起訴事実を全面否認した。 2006年11月28日に東京地裁で開かれた矢野治被告の公判で、山田被告が弁護人証人として出廷し、自身の事件への関与を初めて認めた。しかし、事件直前に携帯電話で矢野被告に「撃ち合いになる。危険すぎる」と話したなどとする小日向被告の法廷証言については、「全くのでたらめだ。証言の7、8割はウソ」と明言。矢野被告が犯行を指示したかについては「電話を受けたのは小日向被告なので自分はわからない」と話した。また小日向被告が襲撃に消極的だったとされる点について「(準備段階で)自分の目からはやる気に見えた」と述べ、その後も小日向被告の供述に対して逐一反論を述べた。山田被告は事件当日の模様についても詳細に供述した。 2007年2月26日の公判で、山田被告は矢野被告の公判で述べたとおり、実行役であることを認める証言を展開した。被告人質問では矢野被告の公判での証言と同様、もう1人の実行役である小日向将人被告の証言をことごとく否定。事件の全容解明に貢献したとされる小日向被告の証言は「事実と違う。だまされないでほしい」と訴えた。 7月2日の論告求刑で検察側は、「冷酷無比で残忍極まりなく、一般市民の平穏安全など眼中にない傍若無人な犯行」と指弾。「捜査段階では黙秘を貫き、公判段階では(首謀者の)矢野をかばうなど、真相解明を阻む態度に終始し、反省にはほど遠く、矯正可能性はいささかもない」「一般市民の生命を奪うのも構わないと凶行に及び、憐憫や躊躇など人間らしい感情は全くうかがわれず鬼畜の仕業に等しい」とした。また、遺族側の「犯人に対する刑としては死刑しか考えられない。私たちの苦しみを犯人たちに思い知らせてやりたい」とする言葉も読み上げた。 10月15日の最終弁論で、弁護側は山田、小日向両被告の証言の違いに言及。会長の矢野治被告が「事件を指揮した」とする小日向被告の供述を「刑事責任を軽減するために作り上げたストーリー」として、矢野被告を首謀者とする事実認定には「誤りがある」と指摘した。また、女性客の射殺について、両被告は「撃ったのは自分ではない」としてきたが、弁護側は残った銃弾などの状況証拠を挙げ、山田被告の犯行ではないと訴えた。山田被告による死傷者は抗争相手の元組長と元組長と間違えた男性客2人とし、「一見して一般人と分かる女性らへの発砲は、共犯者による、共謀を超えた行動」と訴えた。そして、「小日向被告の虚偽(の証言)をうのみにした判断は承服できない」と述べ、小日向判決にとらわれない判断を求めた。 暴力団関係者が見守る中、約2時間の弁論を聞いていた山田被告に、裁判長が「最後に言いたいことは」と問うと、被害者の名前を1人ずつ挙げ「私が誤射してあやめてしまった人やご遺族に心からおわび申し上げます。いかなる刑でも受ける所存です」と述べ、傍聴席の遺族に深々と頭を下げた。言葉は5分以上続き「なぜこんなことになったか分からない」と述べた。 当初、12月17日に判決予定だったが、前橋地裁は弁護側の申し立てを受け弁論を再開。判決を2008年1月21日に延期した。 弁護側は1遺族との和解成立を陳述。改めて減軽を求めた。検察側は「和解を斟酌するには限度がある」と反論した。 久我裁判長は判決で、「住宅街のスナックで、たまたま居合わせただけの一般人3人を射殺するなど前例のない痛ましい事件。被告も必要不可欠な役割を果たした。計画性、組織性が極めて高度(な犯行)で、被告の果たした役割も重大。(被害者は)残虐な方法で殺されており、その無念さは察するに余りある。山田被告が上位者の指示を受けて犯行に及んだ経緯などを考慮しても、罪刑の均衡の見地から極刑はやむを得ない」と述べた。 弁護側が「(亡くなった4人のうち)3人の殺害は、もう一人の実行犯の犯行」などとし、責任が限定的だと主張していた点については、指示役とされる矢野治被告や、もう1人の実行犯とされる小日向将人被告と比較すると、山田被告は「犯行計画や準備行為への関与の度合いが低い」などと情状酌量すべき点も指摘。山田被告側の「責任は客の男性1人の殺害と男性1人の傷害にとどまる」とする主張も一部認めた。しかし、結論としては、「遅くともスナックに入って客が多数いることを認識した時点で、元暴力団組長の殺害に障害となる者をも拳銃で殺害するという意図を、小日向被告との間で暗黙のうちに共有した」と指摘。死傷者全員について山田被告は共同正犯として責任を負うとした。 久我裁判長は、山田被告に対して「まだ時間はある。これまで語っていない部分を正直に話してほしい。それが遺族にとっても、自分にとっても唯一できる最善のことだ」と説諭。山田被告はこの言葉を聞いた後、遺族のいる傍聴席に向かって土下座をした。 2008年11月13日の控訴審初公判で、弁護側は控訴理由について「市民3人のうち2人の殺害は小日向被告によるもので、一審判決は事実誤認。山田被告に殺意はなかった」として減刑を求めた。また事件は小日向被告の主導によるもので、山田被告は従属的な立場だったとの主張を展開した。そのうえで、山田被告が犯行に積極的に関与したと結論づけた一審判決は事実誤認だと訴え、「(死刑ではなく)一生をかけて罪を償う機会を与えてほしい」と減刑を求めた。 弁護側の主張に対して検察側は、店の営業時間中に乱入し、拳銃を発砲している時点で殺害行為に加担しており、死刑は免れないとして控訴棄却を求めた。 判決で長岡裁判長は「ほかの実行犯との間で事前に役割分担が決められ、多数の客がいる店内で拳銃を発射した犯行に酌むべき事情はない」と指摘。共謀はなかったとする弁護側の主張を退けた。そして「狭い店内で発砲すれば、客に当たることは想定できた。住宅街での銃器犯罪で、法治国家への露骨な挑戦だ」と指摘。「刑事責任は極めて重い。遺族らに見舞金を支払っていることなどを考慮しても死刑が相当。結果の重大性などを考えれば、死刑が重すぎて不当とはいえない」とした。 | |
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他の被告については、矢野治被告の項参照。 小日向将人被告は2005年3月28日、前橋地裁で求刑通り死刑判決。2006年3月16日、東京高裁で被告側控訴棄却。2009年7月10日、被告側上告が棄却され、死刑判決が確定した。 矢野治被告は2007年12月10日、東京地裁で求刑通り死刑判決。2009年11月10日、東京高裁で被告側控訴棄却。現在上告中。 | |
| 矢野治被告の項参照。 |
| 矢野治 | |
| 54歳(2003年7月逮捕当時) | |
| 2002年2月〜2003年6月 | |
| 盗品等有償譲受け、有印私文書偽造・同行使、旅券法違反、殺人、銃砲刀剣類所持等取締法違反、火炎びんの使用等の処罰に関する法律違反、現住建造物放火未遂 | |
| 日医大暴力団組長射殺事件、前橋スナック乱射事件他 | |
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2001年8月、東京都内の斎場で指定暴力団住吉会系組幹部2人が稲川会大前田一家系組員2人に射殺された事件が発生した。事件をめぐり、両組織は和解したが、住吉会幸平一家の矢野睦会組員らはこれを無視して大前田一家の幹部をつけ狙った。 2002年2月21日、住吉会系の組長(当時54)が稲川会系指定暴力団稲川会大前田一家元組長宅を襲撃しようとして発砲したが失敗した。24日夕方、組長は豊島区で男に短銃で撃たれて入院した。 指定暴力団住吉会系幸平一家矢野睦会会長矢野治被告は、矢野睦会辰力組組長T元被告、知人の元暴力団員A元被告と共謀。2月25日午前9時ごろ、日本医大病院一階の集中治療室の窓から、ベッドで寝ていた組長に拳銃数発を発射、殺害した。組長は暴力団抗争から抜け出そうとしたため、口封じのために殺害したものである。 矢野被告は2月下旬、埼玉県三郷市の鉄工所でガソリン噴射機を製造し、放火を計画。3月1日に対立する指定暴力団稲川会系指定暴力団稲川会大前田一家元組長(当時55 後に稲川会から絶縁)宅を襲撃し、塀などに銃弾を打ち込み、噴射機で放火しようとしたが、放火前に見つかって未遂に終わった。 矢野被告は同会幹部山田健一郎被告、同D元被告らと共謀。2002年10月14日午後4時35分ごろ、群馬県白沢村の村道で、ゴルフ場から帰る途中の元組長の乗用車に拳銃を発砲。元組長の右肩に重傷を負わせた。 さらに矢野治被告らは、元組長の殺害を計画。 矢野被告の支持を受けた暴力団幹部小日向将人被告は、同幹部山田健一郎被告とともにフルフェースのヘルメットをかぶって、2003年1月25日午後11時25分頃、前橋市三俣町のスナック前にいた元組長の警護役(当時31)を射殺した後、店内で拳銃を乱射し、いずれも客で近くに住む会社員(当時53)、パート職員(当時66)、会社員(当時50)の3人を射殺し、元組長と客の調理師(当時55)の2人に重傷を負わせた。当時店内にはカウンターに客が8名と、カウンターの中に女性経営者がいた。 事件直後の2003年2月、捜査本部は「自分がやった」などと出頭した住吉会幸平一家矢野睦会系幹部のD元被告を銃砲刀剣類所持等取締法違反容疑で逮捕したが、前橋地検は証拠不十分のため処分保留で釈放していた。 矢野被告は2003年7月8日、放火未遂事件の容疑で逮捕された。9月1日、日本医大病院での殺人容疑で再逮捕。2004年2月17日、前橋のスナック乱射事件で再逮捕。6月2日、白沢村の殺人未遂事件で再逮捕された。 | |
| 2007年12月10日 東京地裁 朝山芳史裁判長 死刑判決 | |
| 2009年11月10日 東京高裁 山崎学裁判長 控訴棄却 死刑判決支持 | |
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2003年12月19日の初公判で、矢野被告は日本医大病院での殺人容疑を辰力元被告と共に否認した。A元被告は単独犯行を主張した。 2004年6月1日の、前橋スナック乱射事件の初公判で、矢野被告は起訴事実を全て否認した。また後に、白沢村襲撃事件でも容疑を否認した。 2006年11月28日の公判で、山田健一郎被告が証人に立ち、小日向将人被告の証言はでたらめと非難。証言の7,8割は嘘と明言した。矢野被告が犯行を指示したかについては「電話を受けたのは小日向被告なので自分はわからない」と話した。小日向被告は2004年2月に乱射事件への関与を認めた後、事件の全容解明に向けて積極的に供述している。 12月12日の公判でも、山田被告は殺害が矢野被告の指示だったとする検察側の主張について「それはありません」ときっぱり否定した。またスナックで拳銃を乱射した後、小日向将人被告の携帯電話に「このやろう、女が巻き込まれているんじゃないのか」などとどなり声で電話があったことを明らかにしたが、電話の相手については「わからない」と繰り返した。 2007年5月23日の論告求刑で、検察側は「被告は犯行を指示した首謀者で刑事責任は最も重いのに、起訴事実を全面否認し反省の情も見られない。もはや人間性は失われ、矯正不能だ」と指摘した。検察側はこの日の論告で、矢野被告について、「一片の反省悔悟の情も認められず、矯正不能」「暴力団特有の論理で一般人の犠牲もいとわない姿勢は反社会性の極み」などと指弾。「何の罪もない父や、その仲間たちの命を容赦もなく奪っていった犯人たちに私たちと同じ社会に存在してほしくない」などとする遺族の言葉も読み上げた。 9月3日の最終弁論で、弁護側は「共犯者らの供述は虚偽で、有罪とする十分な証拠はない」などと改めて無罪を主張した。 判決で朝山裁判長は「スナックでの銃乱射は至近距離から撃つなど残虐で、一種の無差別テロの様相を帯びている。実行行為を具体的に指示しており、実行犯と同等以上の責任がある。極刑をもって臨むしかない」「拳銃で弾丸を何発も発射するという残虐な犯行。合計5名もの人命が奪われ、犯行結果も重大。極刑をもって臨むほかない」と述べた。朝山裁判長は、犯行動機は対立していた指定暴力団稲川会系の元組長に対する報復だったと認定。その上で「暴力団特有の論理に基づく反社会的犯行。矢野被告の反社会的人格は根深い」と指摘し、死刑の選択もやむを得ないと判断した。 朝山裁判長は矢野被告の関与を認めた実行役らの供述について「具体的で信用できる」と判断。いずれの事件も被告の指示で行われたと認定し、弁護側の無罪主張を退けた。その上で、前橋事件について「残虐きわまりない一種の無差別テロ。人生の充実期にあった、暴力団と無関係の3人の無念の情は、察するに余りある」と指摘。「暴力団抗争に多数の一般市民を巻き込んだ社会的影響は極めて大きい」と述べた。日医大事件についても、「制裁と口封じ目的で、酌量の余地はない。ほかの患者らに危害が及ぶ可能性もあった」とした。 矢野被告は初公判から「身に覚えがない」と一貫して起訴事実を否認。このため、県警の捜査員や小日向被告らの証人出廷が余儀なくされ、矢野被告の公判は他の事件も含めて求刑時69回を数えるまで長期化した。 控訴審で弁護側は、矢野被告は実行犯との連絡役か調整役に過ぎないとして、一審同様無罪を主張した。また検察側の主張に対し、共謀の証明が不十分と訴えた。 判決で山崎学裁判長は2002年2月〜2003年6月にあった計11の事件について「被告は犯行の実行行為こそ担当していないが、暴力団組織の上下関係を利用し、犯行を具体的に指示した首謀者だ」と認定。「責任は重大で実行犯と同等以上。一般人を含む多数の犠牲者を出しており、社会への影響は極めて大きい。5人の人命が奪われた結果は極めて重く、とりわけ乱射事件で殺害された一般人3人の無念さは筆舌に尽くしがたい」と述べた。住吉会総裁らが昨年9月、スナック乱射事件の責任を認め、遺族らに計9750万円を支払う内容で和解したことも被告に有利な事情として言及したが、「極刑がやむを得ないとした一審判決は相当」とした。判決に矢野被告は出廷しなかった。 | |
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2004年10月29日、東京地裁はA被告に懲役16年(求刑懲役18年)を言い渡した。そのまま確定か。 12月13日、前橋地裁は見張り役として襲撃の手助けをしたとして、殺人未遂ほう助罪に問われた元組員に懲役2年4月(求刑懲役4年)を言い渡した。 12月27日、前橋地裁は実行犯を車で運び逃走させたとして、犯人隠避などの罪に問われた組員に懲役7年(求刑懲役8年)を言い渡した。 2005年1月17日、前橋地裁は小日向被告に拳銃一丁と実弾四発を約三十万円で譲り渡したとして銃刀法違反の罪に問われた暴力団幹部に懲役2年8月(求刑懲役5年)を言い渡した。 2月14日、前橋地裁は狙われた元組長の情報を教えたなどとして、殺人未遂ほう助の罪に問われた元組長に懲役3年(求刑懲役5年)を言い渡した。控訴せず確定している。 4月18日、前橋地裁はスナック乱射事件の見張り役をしたほか、旧大胡町で発砲事件を起こしたなどとして殺人未遂ほう助、銃刀法違反などの罪に問われた元暴力団幹部に懲役11年(求刑懲役13年)を言い渡した。 4月26日、前橋地裁はスナック付近の見張りなどをしたとして殺人未遂ほう助罪などに問われた元組員に懲役5年(求刑懲役8年)を言い渡した。 6月6日、前橋地裁はスナック乱射事件で、見張り役をしたとして殺人未遂ほう助の罪に問われた元組員に懲役2年8月(求刑懲役4年6月)を言い渡した。 2006年6月9日、東京地裁はT被告に無期懲役(求刑同)を言い渡した。控訴するも後に取り下げ、確定。 6月19日、前橋地裁は旧白沢村での拳銃乱射事件や、スナック乱射事件で拳銃を準備し現場の下見をしたなどとして、殺人予備、銃刀法違反などの罪に問われたD被告に懲役15年(求刑懲役20年)を言い渡した。この幹部は当初スナック乱射事件の実行役として指名されていたが、直前に小日向被告と仲違いして山田被告と交代している。また、事件直後にこの幹部は「自分がやった」として出頭、逮捕されたが、証拠不十分で釈放されていた。被告は即日控訴したが、10月31日付で取り下げ、確定している。 6月19日、前橋地裁は旧白沢村で元組長に拳銃を発射し、重傷を負わせたとして殺人未遂罪などに問われた暴力団組長に懲役15年(求刑同)を言い渡した。被告は即日控訴している。 小日向将人被告は2005年3月28日、前橋地裁で求刑通り死刑判決。2006年3月16日、東京高裁で被告側控訴棄却。2009年7月10日、被告側上告が棄却され、死刑判決が確定した。 山田健一郎被告は2008年1月21日、前橋地裁で求刑通り死刑判決。2009年9月10日、東京高裁で被告側控訴棄却。現在上告中。 | |
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警察庁によると、暴力団の発砲事件に巻き込まれて3人の一般市民が死亡するのは初めて。 2006年11月22日、被害者男性の遺族3名が指定暴力団住吉会の西口茂男総裁、福田晴瞭・同会会長、矢野治被告、小日向将人被告、山田健一郎被告を相手取り、総額約1億9760万円の損害賠償を求めて前橋地裁に提訴した。別の遺族は提訴する意思がなく、もう一方の遺族は弁護士紹介の要請があったが、引き受ける弁護士がいなかったという。原告弁護団(石田弘義団長)によると、2004年2月に矢野被告らが逮捕され、不法行為の損害賠償請求権の消滅時効(3年)が迫っているとして提訴に踏み切ったという。 2007年2月23日、前橋地裁での第1回口頭弁論で、使用者責任を問われた西口総裁と福田晴瞭会長は請求棄却を求める答弁書を提出。小日向将人被告は請求内容を認め、裁判が終了した。答弁書によると、西口総裁と福田会長は「事件があったことは知っているが、詳しい役割分担までは知らない」などとして、傘下組員による事件への責任は負えないとし、全面的に争う構えを示した。一方、小日向被告は答弁書で「本当に申し訳ありませんでした」と謝罪し、裁判所側が「争いがない」と認定。今後は原告側が小日向被告への賠償金などを協議する。 2007年4月27日、前橋地裁の松丸伸一郎裁判長は矢野治被告、山田健一郎被告に対し、慰謝料など8219万円の支払いを命じた。このうち慰謝料分は3000万円で、原告が求めた1億2000万円から大幅に減額された。刑事裁判で山田被告は発砲を認める法廷供述をしたが、矢野被告は関与を否認している。しかし民事裁判の口頭弁論にこれまで出廷せず、松丸裁判長は原告の主張を全面的に認めたと判断した。原告側は判決を不服として控訴した。 2007年7月13日、被害者女性の遺族や重傷を負った客、スナックの経営者ら8人が西口茂男総裁、福田晴瞭・同会会長、矢野治被告、小日向将人被告、山田健一郎被告を相手取り、総額1億5000万円の損害賠償を求めて前橋地裁に提訴した。 9月11日、遺族3人が総額約1億9760万円の損害賠償を求めた訴訟の控訴審第1回口頭弁論が東京高裁で開かれ、矢野被告と山田健一郎被告は一審同様代理人を立てず、答弁書も提出しなかったため、即日結審した。 9月12日、遺族8人が総額約1億5000万円の損害賠償を求めた訴訟の第1回口頭弁論が前橋地裁で開かれ、西口総裁、福田会長側は、同事件の別の遺族が起こしている裁判と同様、使用者責任を否定する姿勢を見せ、請求棄却を求めた。矢野治被告と山田健一郎被告は答弁書を出さず、即日結審。小日向将人被告は「申し訳ない」などと請求を認める答弁書を提出し、訴訟が終了した。 10月16日、東京高裁の判決で、宗宮英俊裁判長は、一審前橋地裁判決を変更し、660万円を増額、矢野被告と山田被告に対して計約8880万円の支払いを命じた。原告側は、殺された男性への慰謝料が、1審判決では交通事故死のケースとほぼ同額しか認められなかったことについて、「銃で殺された男性の慰謝料が、過失による交通事故と同じでいいのか」と主張していた。宗宮裁判長は「慰謝料額はそれぞれの事件ごとの事情を酌んで個別に算定すべきで、交通事故の慰謝料とたまたま符合したとしても直ちに不当とはならない」と退けたが、遺族への慰謝料は増額した。 10月19日までに、遺族8人が総額約1億5000万円の損害賠償を求めた訴訟で、「被害弁償が済んだ」として提訴を取り下げた。原告側代理人によると、代理人間の交渉で実行役の被告らが今月、被害弁償額を提示。代理人は金額は公表していないが「被害者の納得のいく額に達したため、和解に応じた」と話している。 2008年5月30日、最高裁第二小法廷(中川了滋裁判長)は男性被害者の子供3人が慰謝料増額を求めた上告を退ける決定を出した。8880万円の支払いを命じた二審・東京高裁判決が確定した。 2008年9月26日、男性客(当時50)の遺族3人と、西口茂男総裁、福田晴瞭会長との和解が前橋地裁で成立した。原告側代理人によると、和解は、下部団体の構成員が事件を起こしたことについて、西口総裁らが自らの責任を認めて再発防止を約束し、計9750万円を支払うという内容。暴力団犯罪の使用者責任を巡り、指定暴力団トップが自らの責任を明確に認めたのは初めてという。 |
| 野崎浩 | |
| 40歳(1999年の事件当時) | |
| 1999年4月22日/2008年4月3日 | |
| 殺人、死体遺棄・損壊 | |
| フィリピン女性2人連続殺人事件 | |
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野崎浩被告は1999年4月22日、横浜市神奈川区の当時の自宅マンションで、交際していたフィリピン国籍で埼玉県草加市に住む飲食店従業員の女性(当時27)の首を布団に押しつけて窒息死させた。 野崎被告は出所後の2007年に台東区の飲食店に勤めるフィリピン国籍の従業員女性と知り合って交際し、12月に東京都港区のマンションで同居を始めた。女性は六本木の飲食店に移るとともに、同じ店に勤める親類女性2名とも同居した。家賃は4等分の予定であったが、野崎被告はすぐに家賃を支払わなくなり、女性とたびたび口論になっていた。 2008年4月3日夕方、出勤しようとした女性(当時22)に声をかけたが無視された野崎被告は腹を立て、首を絞めて殺害。包丁などで遺体をバラバラにした。 女性が出勤しないことを不審に思った親類女性が午後8時頃部屋に戻ると、肉片を抱えた野崎被告がいたため、女性は逃げ出した。野崎被告も遺体を抱えて逃げ出した。 女性の通報で22時頃に駆けつけた捜査員は、紙袋に入った女性の肉片を発見。野崎被告を手配した。 野崎被告はバラバラにした肉片十数個をスーツケースに詰めJR浜松駅前にあるビルのコインロッカーに隠すとともに、残りの遺体の肉片を近くの運河から投棄した。 野崎被告は6日夜、埼玉県川口市内の路上で手首を切って自殺を図ったが軽傷だったため、自ら119番通報。駆け付けた救急隊員に「ロッカーに遺体が入っている」というメモを手渡した。持っていたメモに基づき捜査本部は7日未明、コインロッカーのスーツケースが見つけたため、野崎被告を死体損壊容疑で逮捕した。4月11日、野崎被告の供述に基づき捜査本部は近くの運河から未発見の頭など7ヶ所の部位を発見した。4月26日、供述に基づき遺体の内蔵などが栃木県那須町のホテル跡地の生活排水処理槽内で発見された。4月28日、捜査本部は野崎被告を殺人容疑で再逮捕した。 さらに警視庁は1999年の事件についても追及し、野崎被告は殺害を自供。供述に従って横浜市内の運河から多数の骨片が発見された。10月8日、警視庁と埼玉県の合同捜査本部は野崎被告を1999年の事件における殺人容疑で再逮捕した。 | |
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2009年12月16日 東京地裁 登石郁朗裁判長 無期懲役+懲役14年 | |
| 2010年10月8日 東京高裁 長岡哲次裁判長 一審破棄 死刑+懲役14年判決 | |
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横浜の事件を巡り死体損壊・遺棄罪で2000年に実刑判決が確定していることから、複数の罪を合わせて刑を科す「併合罪」は適用できず、事件ごとに起訴された。 2009年7月23日の初公判で、野崎被告は「(起訴状の内容に)異議を申し上げることはありません」と起訴事実を全面的に認めた。しかし弁護人は1999年の事件について「被告は早く極刑になりたいと願って虚偽の自白をしている。客観証拠や(供述に)秘密の暴露がない」と殺人について無罪を主張した。 7月30日の第3回公判で、野崎被告は1999年の事件について「殺害した覚えはない」と一転して起訴内容を否認、「朝起きたら亡くなっていた」と述べた。 9月29日の論告求刑で検察側は2008年の殺人と死体遺棄などについて「2度も交際相手を殺害し遺体を切り刻んで捨てており、9年前の事件の経験を生かして同様の犯行に及んだのは、悪質で非人間的。犯罪性向は根深く、矯正の余地はない」とした。そして1999年の殺人で無期懲役、2008年の殺人、死体損壊・遺棄事件で死刑を求刑した。 同日の最終弁論で弁護側は最終弁論で「横浜の事件(1999年)は、殺害する動機も証拠もない。密室で起こった事件であり、(犯行を認めた)野崎被告の自白に犯人しか知り得ない内容もない。被告の自白に信ぴょう性がなく無罪。台場の事件(2008年)は長期の懲役刑が相当」と主張した。 最終意見陳述で野崎被告は「すべての事件について罪を認める。うそ偽りはない」と2女性の殺害を認めた。 登石裁判長は1999年の事件について「自白は具体的で、被告の車から人骨が発見されるなど補強証拠もある」と弁護側の無罪主張を退けた。両事件の動機については「交際女性に利用されていると思い込み憎悪を募らせた」と述べた。そしていずれも「冷酷で残忍な犯行で刑事責任は重大だ。死刑求刑も理解できる」と述べた。しかし2008年の女性殺害事件について、被害者が1人で死刑が確定したほかの事件と比べ「殺害手段が殊更に残虐で執拗とはいえず、利欲的背景もうかがえない」と指摘。「2度にわたって殺人、死体損壊・遺棄の罪を犯し、犯罪性向があることは否定できない」と非難する一方、かつて否認していた99年の殺人について捜査段階で詳細に供述するなど心情の変化が見受けられるとして、「2度にわたり殺人を犯したが、矯正の可能性があり、死刑がやむを得ないとまではいえない」とし、2008年の事件について無期懲役(求刑死刑)、1999年の事件について懲役14年(求刑無期懲役)の判決を言い渡した。 刑事訴訟法は二つ以上の刑を執行する場合、重い方を先に執行すると定めており、このケースでは無期懲役刑の執行が優先される。 ただ、10年以上の有期懲役は、確定から15年を経過すると執行できなくなるという規定がある。このため、法務省刑事局では「無期懲役刑の仮出所が可能になる10年を経過した段階で、一度、無期懲役刑を停止して懲役14年の執行を開始し、その刑期が終了した後、無期懲役刑を再執行する可能性が高い」と話している。 検察側と弁護側の双方が、量刑不当を理由に控訴した。 長岡裁判長は自白について、「自己満足を得るためにしたことで、真摯に罪と向き合う姿勢と評価することはできない」とし、「被告の反省や矯正の可能性が死刑回避に足り得ないとする検察側の主張は採用できる」と断じた。そして2008年の事件について、「殺人と死体損壊、遺棄を一連の行為として評価すべきだ」と指摘。「仮釈放後、5年8カ月で再び事件を起こした点を一審は著しく軽く評価している。強固な犯罪傾向が認められ、反社会性が著しい。他の死刑確定事案と比較すると、刑のバランスや犯罪予防の見地からも死刑をもって臨むしかない」と述べた。 | |
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元コンサルタント会社役員だった野崎浩被告は1999年4月22日の女性殺害後、遺体をカッターナイフ等でバラバラにし、横浜市内のビルのトイレなど数ヶ所に捨てた。 野崎被告は都内のレンタカー会社から車を借り、料金を支払わず、約4ヶ月間にわたって車を使ったとして1999年9月に横領容疑で逮捕された。その取り調べで「女性が死亡したので、扱いに困って捨てた」などと供述。草加署が裏付け捜査したところ、東京都台東区内にある同被告の実家から女性の歯と髪の毛が見つかったため、2000年1月20日、死体遺棄・損壊容疑で逮捕した。 野崎被告は殺人について否認。他の遺体がほとんど発見されなかったことから死因を特定することができなかったため、殺人容疑を立証することできず、検察側は死体遺棄・損壊容疑で起訴した。 2000年4月14日、浦和地裁は懲役3年6月(求刑懲役5年)を言い渡し、後に確定。野崎被告は服役していた。 |
| 高柳和也 | |
| 39歳 | |
| 2005年1月9日 | |
| 殺人、死体遺棄、死体損壊、覚せい剤取締法違反(使用、所持) | |
| 姫路2女性バラバラ殺人事件 | |
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兵庫県相生市の無職高柳和也被告は2005年1月9日、自宅和室で、交際していた姫路市に住む会社員の女性(当時23)と購入を約束していたバッグの資金などを巡って口論になり、ハンマーで頭を殴って殺害。騒ぎに気づいて別室から出てきた、女性の友人であり大阪市に住む専門学校生徒の女性(当時23)も殺害した。その後ノコギリで2人の遺体をバラバラにし、1月11日から16日の間に姫路市の飾磨港や上郡町の山中などに遺棄した。 高柳被告は女性二人が勤めていた店の客であり、会社員女性とは2004年12月に知り合った。高柳被告は資産家である旨うそをついて高額な買物をするなどしていた。専門学校生は会社員女性から「仕事を紹介する」と言われたため、1月7日に3人で会った。女性二人は高校時代の同級生だった。 高柳被告は1月31日に覚せい剤取締法違反(使用、所持)の疑いで逮捕され、起訴された。逮捕時、高柳被告の家には別の女性(当時19)が発見されており、女性は高柳被告に誘われ9日前から一緒にいた。 兵庫県警捜査一課は会社員女性と交際していた高柳被告の自宅から複数の血痕を検出。DNA鑑定の結果、女性二人のものと一致したため、行方について何らかの事情を知っているとみて高柳被告を追及。高柳被告は当初犯行を否認していたが、後に犯行を自供。4月17日、飾磨港から若い女性の骨盤や肩甲骨などの複数の骨が見つかった。そのうちの一つが、DNA鑑定の結果、2人のものと一致した。高柳被告は5月10日に死体遺棄容疑で逮捕、5月20日に殺人容疑で逮捕された。 | |
| 2009年3月17日 神戸地裁姫路支部 五十嵐常之裁判長 死刑判決 | |
| 2010年10月15日 大阪高裁 湯川哲嗣裁判長 控訴棄却 死刑判決支持 | |
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殺人他の追起訴後に開かれた2005年8月11日の公判で、高柳被告は姫路市の女性殺害について「かみそりを持ってきた女性ともみ合いになり、とっさにハンマーで殴ったが殺意はなかった。そこを目撃した女性には殺意を持ったが、殴ったのは一度だけ」と殺意を否認した。 9月21日の公判で弁護側は、会社員女性の殺人について「殺意はなく傷害致死事件」とし、「相手が襲いかかってきたもので、正当防衛が成立する」と無罪を主張した。 その後、高柳被告は遺体を遺棄したとする詳しい場所などを示した上申書を提出。2007年2月21日の公判で証拠として採用され、五十嵐裁判長は「信用性は別として、壺根港の捜索をしてもよいのではないか」と述べた。検察側は「警察と相談の上、検討する」とした。兵庫県警は3月下旬に相生湾の壺根港を捜索し、頭部以外の人骨片数十個を引き上げた。県警のDNA鑑定の結果、骨は2人のものと分かり、6月5日の公判で検察側はDNA鑑定結果を提出した。 しかし、高柳被告が弁護団全員を解任したため、公判は長引いた。 2008年9月16日の論告求刑で検察側は「極めて自己中心的な残忍かつ悪質な犯行で、各遺族の処罰感情も極めて峻烈だ」と断じ、「殺意をもってハンマーで多数回、頭部などを殴打したのは明らか」と指摘。「他害的性向の根深さは甚大」とした。 11月18日の最終弁論で、弁護側は「犯行は計画性がなく偶発的だった。死刑は回避すべき」などと訴え、無期懲役刑で40年以上服役した例もあるとして死刑回避を求めた。弁護側は「被害者から金銭を要求され、もみあいとなり、とっさにハンマーで頭を一回殴った」と殺意を否定。もう一人は「犯行を目撃され、発覚を恐れて偶発的に起きた」とした。高柳被告は「二人に謝りたい。遺族に深い傷と悲しみを与えて申し訳ない」と謝罪した。 判決理由で、五十嵐裁判長は犯行動機については、「自分が資産家であるとのうそが発覚すれば報復されると恐れていたところ、女性から髪をつかまれたことで激高し、犯行に及んだ」と認定。「動機は極めて自己中心的。二人の尊い命が奪われ、結果は重大。罪を軽減しようと供述を二転三転させるなど、罪を償う意識が乏しい」と指摘。さらに「被害者らの受けた肉体的苦痛はもとより、恐怖感、無念さには想像を絶するものがある」などと述べた。また弁護側の正当防衛の主張に対しては、「(被害者が)カミソリで襲いかかった形跡はなく、殺害現場の跡などから二人の頭部をハンマーで数回にわたって殴るなど強い殺意が認められる」と退けた。また弁護側の偶発的な犯行という主張については、「計画性が認められないことを過大に考慮できない」と述べた。そして「犯行様態は極めて残忍で、凶暴かつ残忍極まりない。遺族の処罰感情も厳しい。犯行の重大性を真剣に受け入れようとせず更生の余地は乏しい」と断じた。 2010年2月3日の控訴審初公判で、弁護側は知的障害が判明したとして、心神耗弱を主張、精神鑑定を申請。さらに、2人の殺害順序が違うと主張する、被告自身が書いた控訴趣意書を提出した。さらに「突発的な犯行で計画性はなかった」とも主張した。公判には高柳被告も出廷した。これに対し、検察側は「いずれも理由がない」と控訴棄却を求めた。 後に精神鑑定は却下された。 判決で湯川裁判長は交際をめぐるトラブルがあったことを指摘し、「動機は理解可能で、犯行後、被害者に連絡を求めるメールを送るなど(生存を装う)工作もして証拠隠滅を図るなど犯行の社会的意義を理解していた。完全責任能力が認められる」と弁護側の主張を退けた。そして「確定的殺意に基づく残忍な犯行で、一審判決は不当とは言えない」と指摘した。 | |
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本事件では、会社員女性の両親が姫路警察署に捜査願を提出したが、警察は全く動こうとしなかった。両親は知人から紹介された現職警官の巡査部長に相談。巡査部長は独自に高柳被告を発見し、姫路警察署にその後を託した。しかし2005年1月30日に高柳被告の自宅を任意捜査した姫路警察署員は、家の中に入るもすぐに帰ろうとした。女性の母親が部屋に入り、拘束器具や薬物、さらに血痕を発見。中にいた女性の意識が朦朧としていたことも含め、署員に訴えたが、署員はそのままその場を立ち去った。そのため母親は巡査部長を現場に呼んだ。巡査部長は高柳被告の口の中から覚せい剤の臭いをかぎ取り、追求し認めたため、所轄の相生警察署に相談して、ようやく高柳被告は逮捕された。しかしその後も、姫路警察署は両親にまともな対応をしなかった。さらに兵庫県警の捜査一課長は実際とは異なるのに被害者二人を風俗嬢と決めつけ、一部マスコミに情報を流していた。(一部報道番組より) 高柳和也被告は交通事故で、主婦とその娘を死亡させて実刑判決に処された前科がある。 専門学校生の父は高柳和也被告に慰謝料や逸失利益など約5000万円の損害賠償を求めた。2006年7月10日、神戸地裁姫路支部(田中澄夫裁判長)は、高柳被告に約3800万円の支払いを命じる判決を言い渡した。 |
| 沖倉和雄 | |
| 60歳 | |
| 2008年4月9日〜13日 | |
| 強盗殺人、死体遺棄、住居侵入、窃盗他 | |
| あきる野市資産家姉弟強盗殺人事件 | |
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東京都あきる野市元職員の沖倉和雄被告(当時60)は、マージャン仲間である東京都福生市の土木業伊丸岡頼明被告(当時64)と共謀。2008年4月9日午後8時頃、あきる野市の無職男性(当時51)宅にカギのかかっていない勝手口から侵入。在宅していた男性と、約2時間後に帰宅した姉の図書館職員女性(当時54)をナイフで脅して両手足を粘着テープで縛り、現金35万円などを強奪。翌10日午前1時頃、2人の頭に袋をかぶせて窒息死させた。2被告は13日に2人の遺体を長野県飯綱町の農地に埋めた。さらに、奪ったキャッシュカードで預金口座から計約526万円を引き出した。 また沖倉被告は4月10日、300万円を借りていた知人男性とその知り合い女性を立川市内の銀行に伴い、女性に殺害した女性を自分の姉と偽って姉名義の通帳3冊と印鑑を渡し、生年月日を伝えて全額を引き出すように依頼。しかし窓口で女性が生年月日を忘れて別人と見破られ、委任状がないとおろせないと断られて失敗した。二人は委任状をもらいに行こうと沖倉被告を促したが、沖倉被告ははぐらかした。二人は利用されただけで、事件には関係ない。 沖倉被告は2004年12月に市役所を退職後、スナック経営に失敗。賭けマージャンにより、2008年2月時点で約4700万円の借金を抱えていた。市役所の元同僚から資産家である姉弟の情報を入手。殺害して現金やキャッシュカードを奪う計画を立て4月1日、伊丸岡被告に持ちかけた。伊丸岡被告も会社や飲食店経営の失敗で約1700万円の借金があったため、会社を再興するためにまとまった金が欲しくて応じた。 沖倉被告は伊丸岡被告を誘う前にマージャン仲間3人に声を掛けたが断られていた。 姉の車が、最寄りの駅近くの駐車場に放置され、10日朝に弟を名乗る男が調布市役所に「姉は体調を崩して休む」と連絡していたため、警視庁捜査1課は姉弟が事件に巻き込まれたとみて捜査。自宅から血痕をふき取った跡や土足のような跡が見つかったほか、9日夜〜14日午後、マスクなどで顔を隠した男が複数のATMから計15回、姉弟の口座の現金を引き出したことが判明。防犯カメラの映像の分析から沖倉被告と伊丸岡被告が浮上し、4月21日に窃盗容疑で逮捕。伊丸岡被告の供述から2人の遺体が発見され、5月8日に死体遺棄容疑で再逮捕。5月29日に強盗殺人容疑で再逮捕した。 | |
| 2009年5月12日 東京地裁立川支部 山嵜和信裁判長 死刑判決 | |
| 2010年11月10日 東京高裁 金谷暁裁判長 控訴棄却 死刑判決支持 | |
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公判前整理手続により、「犯行のいきさつ」と「犯行の主従関係」が争点になった。 2009年3月9日の初公判で、沖倉和雄被告、伊丸岡頼明被告はともに罪状認否で「間違いありません」と述べ、起訴事実を認めた。 検察側は冒頭陳述で、沖倉被告が市役所の元同僚から男性は資産家との情報を得て、元同僚らに犯行を持ち掛けたが断られたと明らかにした上で「金に困っていることを知っていた伊丸岡被告を誘った」と指摘した。 弁護側も冒頭陳述を行い、沖倉被告側は、沖倉被告が計画後1ヶ月以上も実行できなかったが、伊丸岡被告を誘ったことで強力な推進力を得たと指摘。「伊丸岡被告が男性の頭に袋をかぶせたので、自分もやらねばしょうがないと思った」と主張した。伊丸岡被告側は、強盗した際に被害者を殺害する話は聞いていたが、「見張りや被害者を縛るだけと認識していた」と主張し、「犯行は沖倉被告の主導で行われた」とした。 3月16日の論告求刑で検察側は「計画段階から沖倉被告が主導した。2人は遺体を遺棄するなど完全犯罪をもくろんだ。両被告の間には、明白な主従関係があり、求刑において考慮せざるをえない」と指摘した。沖倉被告について凶器や道具の多くを準備したことや、伊丸岡被告が加わったことで計画内容が変更されていない点などを重視。「借金苦を免れたいとの動機に酌量の余地はなく、死刑以外の選択の余地がない」と指摘した。一方、伊丸岡被告については「供述によって姉弟の遺体が発見され、全容が明らかになった」などと述べ、死刑選択を回避した。 同日の最終弁論で沖倉被告側の弁護人は「犯行計画は中身の薄い稚拙なもの。実行する気はなかった。計画を作ったのは沖倉被告だが、徐々に伊丸岡被告が主犯になった。沖倉被告が、殺人を実行する決意がないうちに、伊丸岡被告が弟を殺害し、これに影響されて犯行に至った。検察官、伊丸岡被告がタッグを組み、沖倉被告と対立している」と主張。伊丸岡被告側は「沖倉被告が一貫して主犯格で、被告は従属的立場だった。沖倉被告の供述は信用できない。逮捕後は反省し、捜査に協力してきた」などと主張した。 結審前、山嵜和信裁判長が「最後に何か言いたいことは」と尋ねると、沖倉被告本人は「私は人を殺しました。迷惑をかけました」と声を振り絞った。また伊丸岡被告は、「私が自供したのは有利・不利を考えたのではない」と改めて述べた。 判決で、山嵜和信裁判長は「両被告とも借金の返済に窮した犯行動機で、あまりに身勝手で酌量の余地はまったくない。(両被告に)死刑を選択することも考慮する必要がある」とした上で、それぞれが果たした役割や逮捕後の態度を検討。沖倉被告が殺害方法や死体遺棄の場所などを事前に決めていたことに触れ、「終始指導的な立場で、中心的な役割を果たした」と主導性を認定した。伊丸岡被告については「自供して事件の解明に協力、心底からの反省と悔悟も認められる」と死刑回避の理由を述べる一方「本来の責任は重く、一定の年齢にあることを考えると、仮釈放を許すことは適当ではなく、生涯、刑務所で罪の償いをさせるべきだ」と、異例の付言をした。 そして「被害者の恐怖や苦しみを想像すると戦慄を覚える。すべてを計画した上で凶器を用意し、何ら落ち度のない2人の命を奪った。あまりに身勝手で酌量の余地はない。遺族の処罰感情は峻烈。社会に与えた衝撃や不安も大きい。自己の責任を軽くしようとあいまいな供述をしており、真剣に反省しているか疑問だ。死刑の選択を避けるべき特別な事情はない」と厳しく批判した。 被告側は即日控訴した。 2010年8月9日の控訴審初公判で、弁護側は一審に引き続き伊丸岡頼明受刑囚が主導したと主張。「一審判決は重大な事実誤認や量刑不当がある」として死刑適用の回避を求めた。検察側は控訴棄却を求めた。 9月6日の第2回公判で、沖倉被告が「被害者の人生をめちゃくちゃにし、手を合わせる毎日です」と謝罪し、結審した。 判決で金谷暁裁判長は「賭けマージャンによる多額の負債を返済しようとする利欲的な動機に基づく計画的犯行だ。冷酷、残虐で、何の落ち度もない2人の命を奪った結果は重大」と指摘。伊丸岡頼明受刑囚と比べ、沖倉被告は計画段階では主導的立場にあり、犯行時もほぼ同等の役割を果たしたとして、「共犯者に比べて負うべき刑事責任は極めて重く、死刑の選択はやむを得ない」と結論づけた。 | |
| 結審までは移転前の東京地裁八王子支部で審理されている。伊丸岡頼明被告は同日、求刑通り無期懲役判決が言い渡された。控訴せず確定。 |
| 小川和弘 | |
| 46歳 | |
| 2008年10月1日 | |
| 殺人、殺人未遂、現住建造物等放火 | |
| 大阪個室ビデオ店放火事件 | |
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大阪府東大阪市の無職小川和弘被告は2008年10月1日午前1時半頃、大阪市浪速区の雑居ビル1Fにある個室ビデオ店に、3日前に知り合った露天商の男性と入店。知人とは別の18号室でDVDを観賞後の午前2時55分頃、室内にあったティッシュペーパーにライターで火をつけ、持っていた知人男性のキャリーバッグ内にある新聞紙や下着などに放火した。店の天井や壁などに燃え移らせ、約240平方メートルを全焼させた。客の男性15名(25〜62歳)が一酸化炭素中毒により死亡した。客や上層階の住民、管理人など32〜77歳の男女10名が一酸化炭素中毒などで病院に搬送されたが、1人は意識不明の重体で、約10日後に死亡。また2人が重傷を負った。重傷者の中には、小川被告と一緒に来た知人男性も含まれる。出火当時、店内には客22人、店員3人がいた。 小川被告が放火した18号室は、南北に長い個室エリアの中央部分にあった。18号室より奥にいた被害者12人のうち、10人が個室内で死亡。仮眠中だったと見られる。残り3人は廊下で死亡した。逃げる途中だったと思われる。そのうち1人は、廊下の突き当たりにおり、暗闇で道を間違えたと見られる。また、18号室より手前だった被害者3人のうち、2人が個室内で死亡。1人が廊下で死亡していた。犠牲者の大半は、料金の安さからホテル代わりに利用していた。 小川被告は事件直後、現場に駆けつけた警察官に謝罪。「火を付けた。客が死ぬかもしれないのはわかっていた」などと自供した。大阪府警捜査1課浪速署捜査本部は午後、小川被告を逮捕した。 最終的に起訴された対象は殺人16人、殺人未遂6人(うち重軽傷4人)である。 小川被告は大手電機メーカーの下請け工場で働いていたが1993年に離婚。長男を引き取っていたが、長男は数年前に家を出たままになっている。2001年に希望退職。その後はほとんど就職もせず、退職金や同居する母の金で、競馬やパチンコ、遊興に明け暮れていた。2004年秋、母親の死亡に伴い遺産や実家の売却などで現金計約5000万円を得たにもかかわらず、借金100万円の返却、1500万円のマンション購入を除く3500万円をわずか2年間でギャンブルや遊興費に使い果たしていた。2007年には約600万の借金があったが、自宅マンション売却などで全額返却。しかし小川被告は2007年末から鬱病や心臓病で入院し、7月からは生活保護を受給していた。事件当時、約300万円の借金があった。 | |
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個室ビデオ店が入っていたビルは地上7階建て、述べ1318平方メートル。面積約220平方メートルの1階にあった個室ビデオ店は、ほとんど窓がないため、消防法上の「避難上または消火活動上有効な開口部を有しない階(無窓階)」に該当していた。無窓階は地下階と同様、防災上の観点から設備面でより厳しい規制がかかるが、同店は非常ベルや自動火災報知機などを規定通りに設置しており、同法上の違反はなかった。しかし、同店は個室が並ぶエリアへの出入り口がひとつしかなく、廊下は約40mに渡る迷路のような状態であった。また改装前の1Fにあった排煙用の2つの窓は、客が料金を支払わずに逃げるのを防止する目的で、ビデオ店の経営者が石膏ボードでふさいでいた。また、ティッシュなどの消耗品や使用済みバスタオルを置くスペースがなかったため、個室エリア中央付近の通路に棚を据え付けて保管。個室から回収したごみ袋もこの場所に一時的に集めていた。市消防局が「避難時の障害物になる」と口頭注意したが、店側は改善していなかった。また出火当時の廊下は真っ暗で、非常用照明設備に不備があった可能性も指摘されている。ただし消防局によると、昨年5月に立ち入り検査した際、消火器や自動火災報知設備など消防法で定める防火設備は設置され、設備の点検・報告のミスや防火戸の不備など軽微な違反しか確認していない。また建築基準法で複数の出入り口の設置が義務付けられるのは、建物の2階より上の部分だけで、1階だった同店は適用外。スプリンクラーも、同店は設置が必要となる店舗面積以下で、窓については設置を義務付ける規定はない。 ビルの元所有者で、防火管理者でもあり、ビル6Fに住んでいた男性管理人は、出火後に鳴った火災報知器を、過去にもあったタバコの煙による誤作動と思いこんで切ったことが明らかになっている。このときにはすでに店内全体に火が燃え広がっており、客の死亡との因果関係はなかったという。消防法は設備の維持・管理や訓練の実施を求めているが、出火時の具体的な対応は定めていないため、法違反は問われていない。 総務省消防庁は2003年2月の通知でホテルや旅館のほかに、マッサージやレンタルルームなどのような(1)不特定多数者が継続的に宿泊(2)ベッド、長椅子など宿泊設備の設置(3)深夜営業――など「副次的目的で宿泊サービスを提供している施設」にも厳しい防火管理を求めたのに、大阪市消防局はこの個室ビデオ店に対し、店独自の防火管理者を置くよう指導していなかったことが判明している。市消防局は立ち入り検査の際、継続的に宿泊施設として利用されている実態をつかめず、一般事務所と同じ扱いにしていた。 大阪府警浪速署捜査本部は2009年9月30日、ビデオ店の経営者や入居先のビル所有者について、業務上過失致死傷容疑での立件を断念し、捜査を終結したと発表した。排煙設備の不備など法令違反はあったものの、放火によって火勢は一気に広がっており、経営者らが重大な結果回避義務を怠ったとまでは言えないと判断した。府警によると、(1)窓など排煙設備がない(2)非常用照明の不備(3)壁の決められた部分に燃えにくい壁紙を使っていない−の建築基準法違反が見つかった。しかし、出火から2分程度の短時間で、店の入り口付近まで燃え広がっていたことが判明。3点の不備がなかったとしても被害は防げなかったと判断した。 | |
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2009年12月2日 大阪地裁 秋山敬裁判長 死刑判決 【判決文】(「裁判所ウェブサイト」内のPDFファイルが開きます。リンク先をクリックする前に、注意事項をご覧下さい) | |
| 2011年7月26日 大阪高裁 的場純男裁判長 控訴棄却 死刑判決支持 | |
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小川被告は逮捕当時に「たばこに火をつけた」「寝ていた」と供述するも、すぐに「生きていくのが嫌になり、火を付けた」と容疑を認めていた。10月4日の弁護士との接見では、放火の動機と当時の行動について「自分としては1人で死ぬつもりだった。でも、煙で苦しくて、我慢できなくなり部屋から出てしまった」と明かしていた。 しかし小川被告が接見した弁護士に対し「夢の中のような状態だった。火を付けてから少しの間、記憶がない」などと心理的に不安定な状態だったことを話していたこと、さらに事件の半日前、奈良県内の宗教施設で幻覚作用をもたらすお茶を飲んでいたことも判明したため、大阪地検は刑事責任能力の有無を見極めるため、専門医に依頼して10月14日から簡易精神鑑定を実施。心理テストや問診などで、数日かけて小川容疑者の犯行当時の精神状態を分析した。「犯行当時、善悪を判断し、自分の意思に従って行動する能力があった」との鑑定を踏まえ、地検は小川容疑者に刑事責任能力があったと判断。大阪地検は10月22日、殺人と殺人未遂、現住建造物等放火の罪で小川和弘被告を起訴した。地検は物証などから放火の立証は十分可能と判断。殺人罪の適用についても、▽個室は狭く、ソファベッドなど多くの可燃物があった▽店内は実質的に窓がなく、通路も狭いなど脱出困難だった▽深夜で客が就寝していることを予想できたなどの客観的事実から明確な殺意があったと判断した。起訴内容は、他の個室にいた男性客22人のうち、16人を一酸化炭素中毒などで殺害、残る6人中4人に重軽傷を負わせた、としている。ほかにも店員や近隣住民計5人が負傷したが、殺意が立証できる対象は、個室内にいた客22人(うち死傷者20人)であるとした。地検によると、被害者数22人、死亡16人は、起訴された放火事件では過去最多という。 小川被告は起訴数日前から、「火を付けた記憶はない。キャリーバッグを持って入った記憶もない」と供述を変え、犯行を否認するようになった。 公判前整理手続きの結果、主な争点は▽火災原因は小川被告の放火か▽火を付けたとして、小川被告に客への殺意があるか▽逮捕直後の自白に任意性があるのか▽事件当時、責任能力があったか――とされた。 2009年9月14日の初公判で、小川被告は「放火はしていません」と無罪を主張。弁護側も「殺意を持ったことはなく、放火行為もない」などと述べた。 冒頭陳述で検察側は火災直後、小川被告がいた部屋のキャリーバッグから火の手が上がっていたとする客の目撃があったと指摘。「壁の焼損などから、小川被告がいた部屋が出火元なのは明らか。失火ではここまで燃え広がらない。店内の構造を熟知しており、火災発生も周囲に知らせず逃げた」と主張した。 一方、弁護側は「小川被告が利用していた部屋が火元ではない。もっとも焼損が激しいのは9号室であり、それは警察の実況見分調書に記されている。犯人は9号室の使用者である可能性が高い。自白は警察官の強要によるもの」と反論した。 検察側は、「小川被告が使っていた18号室が火元と推察される」とした大阪市消防局の検証結果を明らかにした。同市消防局は、燃焼状況などから火元の可能性がある場所を9号室を含む4か所に絞り込み、男性客の目撃証言をもとに18号室と特定したことを明かした。 17日の第2回公判で店員が証人出廷し、「小川被告の部屋でバッグから約80cmの炎が立ち上るのを見た。他の部屋では炎も煙も見なかった」と証言した。また現場の焼損状況を鑑定した大阪府警科学捜査研究所の研究員も出廷し、「一番よく燃えているのは別の部屋だが、炎の流れをさかのぼると、小川被告の部屋から燃え広がったと考えられる」と述べた。 18日の第3回公判で火災の第1発見者とされる男性客が証人出廷し、「廊下が焦げ臭かったので周囲を見渡すと、個室のドアが開いて小川被告が出ていった。部屋をのぞくとバッグが燃えていた」と証言した。9号室の客の男性も出廷し、「ドアのすき間から黒い煙が入ってきたので開けると、火が入ってきたので逃げた」と述べた。 10月1日の第6回公判では、起訴前日の2008年10月21日に撮影し、検察の取り調べに小川被告が否認する状況を録画したDVDが上映された。双方が証拠申請したものだが、弁護側は「自白に任意性がないことを示す証拠」、検察側は「自白は任意になされたものだ」と主張しており、同じ証拠を巡り立証趣旨が対立している。 9日の第7回公判で、秋山敬裁判長は、小川被告が放火を認めた供述調書など14通について、「任意性がある」として証拠採用した。 15日の論告求刑で検察側は、「焼損状況や証言から被告の部屋が火元なのは明らかで、失火も考えられない」と指摘。逮捕直後の自白は任意だったとした上で「自白によるまでもなく、火事になれば客の避難が困難になると認識しながら、自殺するために火を付けたことは優に認められる」とした。そして「起訴された放火事件では戦後最大の被害。動機は身勝手で、無責任な通り魔的無差別殺人が社会に与えた影響は大きい。突如強制的に人生に幕を下ろされた被害者の無念さは計り知れない」とした。 同日の最終弁論で弁護側は「被告の部屋を火元とする大阪府警科学捜査研究所職員や目撃者の証言は信用できない。出火元が別の部屋で、その使用者が真犯人である可能性がある。自殺する気持ちはなく、犯行の動機がない」などと反論した。 小川被告は最終意見陳述で、涙声で「本当に火をつけていない」と繰り返し、「やっているなら認めて死刑になる。自分だけ助かろうとは思っていない。言い逃れしているわけではない」と述べた。また、遺族3人が論告求刑に先立ち、悲痛な思いを陳述し、論告で検察側が犠牲者全員の経歴や遺族の心情を述べたことについて、「同じ人間として、聞いていてつらかった」と話した。 秋山裁判長は判決理由で秋山敬裁判長は、証言や現場検証の結果を基に「火元は被告がいた部屋で、失火は考えられない」と小川被告の放火を認定。「狭くて避難しにくい店舗の構造や、ほかに客がいたことを理解しており、放火すれば死者が出ると認識していた」と殺意も認めた。焦点となった供述調書についても秋山裁判長は「厳しい刑から逃れたいと思って否認に転じたとみられ、供述調書は信用できる」と弁護側の主張を退けた。その上で「自殺目的の動機は身勝手極まりなく、何の落ち度もない16人を殺害した残虐な犯行だ。放火を否認するなど、結果に真摯に向き合う態度に欠けている。最大限の非難に値し、生命をもって罪を償うべきだ」と述べた。 2010年11月30日の控訴審初公判で、弁護側は、炎の流れなどから火元を特定し小川被告の放火を認めた一審判決について「焼け方が一番激しかった別の部屋が火元」と反論。同被告の部屋から火が出ているのを見たとされる店員の証言も「目撃した位置の供述が変遷しており、信用性を欠く」と述べ、一審同様無罪を主張した。検察側は「主張は一審の繰り返し。判決は正当で誤りはない」として控訴棄却を求めた。 2011年4月26日の公判で弁護側は「放火を認めた自白は取調官の誘導があり、信用性はない」と改めて無罪を主張。検察側は「現場から収集された客観証拠と自白は整合し、一審判決に誤りはない」と控訴棄却を求めて結審した。 判決で的場純男裁判長は「捜査段階で放火を認めた供述や、被告がいた個室から火が出たとする目撃証言は信用できる。炎が流れた形跡や壁面などの焼損状況からも被告が放火したのは明らかで、ほかの客が死亡する危険があることも分かったはずだ」と述べ、殺意を認定し、無罪の主張を退けた。また、失火の可能性がなく、被告が店の外で「すいません」「補償します」と述べたという証言を踏まえ、「放火は事実誤認」との主張を退けた。供述調書の任意性についても「警察官が机をたたくなどして追及した可能性はあるが、脅迫的とまではいえない」と退けた。量刑を争う控訴審ではなかったが、的場裁判長は事件の重大性を考慮し、職権で量刑を検討した。被告が捜査段階の終盤で否認に転じて公判で放火を全面否定したことなどを挙げ、「個室ビデオ店が避難しにくい構造だったことが、多数の死者を出した原因の1つにあるが、それを承知で放火し、犯罪史上まれにみる大惨事を引き起こした。事件に真摯に向き合う姿勢が欠けており、極刑をもって臨むほかない」と結論付けた。 | |
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犯行のあった2008年10月1日は、消防法施行令の改正により、カラオケボックスや個室ビデオ店、ネットカフェなどに自動火災報知機の設置が義務づけられた日だった。 事件後の10月1日、国土交通省と総務省消防庁は全国の自治体などに、類似店舗に対する緊急調査を指示。11月25日の結果報告で、個室ビデオやマンガ喫茶など計8574店のうち、3分の1以上の計3085店に非常用照明装置や排煙設備がないなどの建築基準法違反があった。また、計1028店が消防法に違反し、自動火災報知設備を設置していなかった。両省は違反店舗に是正を求めた。 2009年4月の消防庁の調査では、全国の個室型店舗8514施設のうち約4割で、消火器具や誘導灯が未設置など消防法上の違反が見つかっている。 被害者の1人である俳優の青木孝仁さん(当時36)が出演した映画「火天の城」(田中光敏監督)は、2009年9月12日より全国公開された。試写会には遺族も招待された。 |
| 小泉毅 | |
| 46歳 | |
| 2008年11月17日〜11月18日 | |
| 殺人、殺人未遂、殺人予備、銃砲刀剣類所持等取締法違反 | |
| 元厚生次官宅連続襲撃事件 | |
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さいたま市の無職小泉毅(たけし)被告は元厚生事務次官とその家族を殺害しようと計画。2008年11月17日午後7時頃、宅配業者を装い、さいたま市に住む元厚生事務次官の男性(当時66)方を訪れ、男性と妻(当時61)を包丁(刃渡り約20cm)で刺して殺害した。死因はいずれも心臓損傷による失血だった。夫婦の遺体は18日午前、男性方を訪れた親類によって発見された。 小泉被告はさらに11月18日午後6時半頃、宅配業者を装い、東京都中野区に住む元厚生事務次官の男性(当時76)方を訪れた。印鑑を持った男性の妻(当時72)の胸などを包丁で刺した。妻はリビングや台所を逃げ回ったが、小泉被告が追いかけてきたため、さらに屋外へ逃げ出した。小泉被告はそのまま逃亡。妻は通りがかりの男性に発見されたが、約3ヶ月の重傷を負った。 小泉被告はレンタカーで千葉県浦安市まで移動し、元社会保険庁長官の女性とその家族を殺害しようと計画。宅配便を装い、女性の名を書いた送り状を張ったダンボールを準備し、18日午後8時過ぎに女性方近くまで行った。警備の様子はなかったが、家の中で警備しているかもしれないと思い、そのまま帰った。 埼玉県警と警視庁は、2つの事件に共通点が多いことから、19日に共同捜査本部を設置して連携して捜査を進めた。 小泉被告は11月22日午後9時20分、レンタカーで警視庁本庁舎北西側の内堀通り沿いに乗り付け、警戒中の機動隊員に「自分が事務次官を殺した」と出頭。小泉被告はすぐに身柄を確保され、麹町署に連行された。出頭の約2時間前、テレビ局のホームページに自首を予告していた。車にあったバッグの中に、血の付いた包丁など刃物10本が見つかったため、警視庁は銃刀法違反容疑で23日、逮捕した。さらに12月4日、2件の殺人と殺人未遂容疑で再逮捕した。都道府県をまたがる2事件を合わせて逮捕するのは異例。 小泉被告は事件の2年ほど前に東京都内のコンピューター関連会社を辞めさせられた後、インターネットを使った株取引で生計を立てていたが、事件当時数百万円の借金があった。 小泉被告は元厚生事務次官ら3人を殺傷した動機について、「34年前に保健所で殺された飼い犬の仇討ちであり、私怨から」と述べた。「元次官ら厚生官僚トップとその家族10人前後を殺害する計画だったが、警備が厳しくなって断念した」とも供述している。小泉被告は元厚生次官らの住所を、国会図書館にある職員録より取得していた。小泉被告の自宅からは、複数の厚生労働省の事務次官経験者の名前を書いたメモや、自宅に印の付いた地図が押収されている。 また元社会保険庁長官の女性を殺害しようとした動機については、「国民審査で罷免されるのが怖いから判事を退任したひきょう者。義憤にかられた」として義憤であると述べた。また小泉被告は逮捕直後から被害者の元次官を「マモノ」と呼び続け、「マモノを殺しても殺人罪ではない。無罪を主張する」と供述している。 さいたま地検は12月22日、小泉毅被告の刑事責任能力の有無を判断するため、さいたま地裁に約3か月間の鑑定留置を請求し、認められた。 2009年3月26日、さいたま地検は殺人他の容疑で起訴した。小泉被告の動機について、さいたま地検は「不可解さは残る」としているが、精神鑑定でも刑事責任能力を認める結果を得ており、公判維持は可能と判断した。 なおペットの処分を規定する動物愛護法を所管するのは環境省で、保健所を設置しているのは、都道府県や政令市などの地方自治体。厚生労働省(旧厚生省)は狂犬病予防法を所管するだけで、犬や猫の処分は保健所の判断に委ねられている。 また狙われた元社会保険庁長官の女性は2008年9月、任期を2年7ヶ月残して最高裁判事を依願退職している。しかし任期を全うしたとしても、東京地検は「客観的には国民審査の対象にならないタイミング。小泉被告の思い込みだ」としている。 | |
| 2010年3月30日 さいたま地裁 伝田喜久裁判長 死刑判決 | |
| 2011年12月26日 東京高裁 八木正一裁判長 控訴棄却 死刑判決支持 | |
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公判前整理手続きで争点は▽東京都中野区で元厚生事務次官の妻を襲った際、犯行を途中でやめて逃走したことが、刑の減軽や免除を定めた刑法43条の「中止未遂」規定に当てはまるか▽警視庁への自首を理由に刑を減軽すべきか――の2点に絞られた。 2009年11月26日の初公判で、小泉被告は起訴内容を大筋で認めたうえで、「あくまで無罪を主張する。私が殺したのは人間ではなく、心の中の邪悪な魔物。邪悪な魔物が作った狂犬病予防法という法律が毎日たくさんの罪のない犬を殺している」などと声を荒らげた。 検察側は冒頭陳述で、小泉被告は、飼っていた犬を保健所に殺処分されたと考えたことや、数十万匹の犬や猫が毎年殺処分されていることなどを知り、「厚生省が保健所を所管していると思い、恨むようになった」と指摘。「多数の厚生事務次官経験者を殺害して死刑になって人生を終わらせ、動物の命を粗末にすれば自分に返ってくることを思い知らせようとした」と動機を説明した。 弁護側は冒頭陳述で、なぜ事件を起こしたのかということと、捜査段階での精神鑑定結果も「重要な争点」と指摘した。 弁護人は、初公判終了後に開いた記者会見の冒頭、小泉被告から「きちんと報道してほしい」という強い要望があったとして手記を配布した。 12月14日の第2回公判で、11月18日に襲われた女性とその夫が出廷し、極刑を訴えた。小泉被告を鑑定した精神科医は「事件当時、精神障害はなかった」と証言。動機について「愛犬を処分されたことに収斂させるのは適切でない」と述べた。 12月15日の第3回公判で、殺害された夫婦の長男と次男が出廷し、極刑を訴えた。 12月16日の第4回公判における被告人質問で、小泉被告は犯行について「飼い犬を殺されたあだ討ちだった」「私怨によって多くの魔物を殺すことを考えていた」などと供述した。元次官宅を襲撃した理由については、「最初は誰を殺したらいいかわからなかったが、中学のころ、保健所が厚生省の管轄だと習った記憶があったから」と述べた。判決の見込みを尋ねられると、「1000%死刑と思っている」とする一方、「無罪を主張しているので、無罪以外は上訴します」と答えた。弁護側は閉廷前に「小泉被告は妄想性障害の可能性があり、起訴前の鑑定は不十分。責任能力を争う」と精神鑑定を請求。これに対し、小泉被告は「私は心身共に正常。精神鑑定は無意味」と反論した。 12月18日の第6回公判で、伝田喜久裁判長は、弁護側から請求されていた小泉被告の精神鑑定を却下した。 2010年1月13日の論告求刑で、検察側は「人生の最期に大きな達成感を得たかった。自己の正当性を訴え、人生に幕を下ろそうとした無差別殺人。前代未聞の凶悪事件で、およそ人間の所業と思えず、命をもって償わせる以外にない」と指摘した。 2月10日の最終弁論で弁護側は「飼い犬のあだ討ちという動機は理解できない。妄想性障害のため、心神喪失か心神耗弱だった疑いがある」と主張。自首が成立している点などを強調し「死刑の選択には疑問がある」と訴えた。 小泉被告は最終意見陳述の冒頭で「私は事件当時も今も、心身ともに健康な健常者」と強調。事前に用意したメモを見ながら「官僚は身勝手な理由を付けて動物を虐待する法律を作っており、万死に値する」と、これまでの主張を繰り返した。 判決で伝田裁判長は主文を後回しにし、判決理由の朗読から始めた。 争点の一つとなった中止未遂規定については、小泉被告が女性に対し、治療を施さなければ死亡してしまうほどのけがを負わせており、積極的な防止措置をとらなかったことから退けた。争点の一つである責任能力について伝田裁判長は、「計画は周到かつ綿密で、違法性を十分認識したうえで合理的に行動した」などとして完全責任能力を認めた。さらに「長期間下調べをし、襲撃対象者を確実、効率的に殺害するため、念入りに計画を立て、公判でも自己の行為の正当性を主張し続けた」と指摘した。 「飼い犬のあだ討ち」との動機については、「論理自体は特段の飛躍が見られず、了解は可能」としたが、「愛犬をどれだけかわいがっていたにせよ、重大事件を起こす事を正当化できない」とした。さらに、小泉被告が公判で述べた「殺したのは人ではなく、心の中が邪悪なマモノ(魔物)」などとする無罪主張を、「被告独自の見解で採用できない」と退けた。 自首した点についても「正当性を訴えるため当初から計画されており、社会不安や捜査の必要性は何ら減少していない」として自首による刑の減軽を認めず、「被害者らを『マモノ』と呼んで冒涜し、今も元次官らに殺意を持っていると表明しており、更生する意欲は全く見せていない。罪質、計画性、悪質性、社会的影響の大きさなどからすれば、死刑の選択はやむを得ない」と結論づけた。 2011年4月27日の控訴審初公判で、弁護側は一審に続き、心神喪失か耗弱だったと主張し、死刑回避を求め再鑑定を請求した。弁護側は(1)動機(2)平素の行動(3)一審判決後の心境―の被告人質問を請求。安井裁判長は、動機については「一審で取り調べ済み」と退けたが、被告が「こんないいかげんな裁判で私を殺すのですか」「忌避する」「控訴を取り下げる」と発言したため、弁護人と協議して対応を決めるよう促し閉廷した。 9月7日の第4回公判で八木正一裁判長は、弁護側が請求していた再度の精神鑑定を「必要性がない」として却下した。 10月28日の第5回公判で弁護側は、「愛犬のあだ討ち」との動機は理解不能で、妄想性障害などの可能性があり、責任能力を認めた一審の判断には誤りがあると主張。そして「利欲目的の犯行ではなく、量刑は不当」と死刑回避を求めて結審した。 判決で八木裁判長は、八木裁判長は「『34年前にいなくなった愛犬チロのあだ討ち』を動機とする小泉被告の主張には筋道において特段飛躍はなく了解できる」と指摘。完全責任能力があるとした起訴前鑑定を踏まえ「長期間にわたり周到かつ綿密に計画を立て、公判でも病的な妄想の存在を疑われる兆候はない」と述べた。動機については、「被告は行政への不満などから元官僚らの殺害を自己目的化し、司法の場で犯行を誇示しようとした」と指摘。小泉被告が主張した「34年前に殺処分された愛犬の敵討ち」については、「公判で無罪を主張する計画の中で、口実として(動機を)脚色した疑いが強く、重視するのは適切でない」と述べた。さらに「犯行の準備を用意周到に進める中で行為の違法性を認識し、制御する能力も備えていた」と述べ、死刑の量刑判断についても「冷酷かつ残虐で、計画性の高さも際立った犯行。遺族らの処罰感情は峻烈を極め、被告には反省や更生の意欲がうかがえない。被告は被害者らを侮辱する言動に終始しており、極刑は回避できない」などと指摘した。 | |
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殺害された男性は1999年、重傷を負った妻の夫は1990年に厚生次官を退官。1985年前後には上司と部下の関係で、基礎年金制度の創設に尽力している。そのため事件当初、2007年から明らかになった年金記録問題に絡めた厚労行政に不満を持つ者の犯行の可能性があるとして、連続殺傷事件が発覚した11月18日以降、各警察署が歴代厚生労働省(旧厚相)、元次官、社会保険庁長官経験者や厚生労働省現役幹部の自宅などを24時間体制で警備した。通常は現役の副大臣や政務官、事務次官でさえ護衛官(SP)が付かない。小泉被告が再逮捕され、単独犯で明らかになった以後は、警戒レベルが引き下げられ、警戒態勢も段階的に縮小された。 小泉被告が被害者らの住所を図書館にある職員録で調べたと供述したことを受け、都立図書館を管轄する都教育委員会は2008年11月26日、中央(港区)、日比谷(千代田区)、多摩(立川市)の3館で旧厚労省職員の住所などが記載されている平成7年版以前の「厚生省名鑑」の閲覧を一時的に禁止すると発表した。他の省庁の職員名簿や著名人の名簿などについてもコピーを禁止するなどの措置を行う。同様の措置は全国の自治体の一部でも実施された。都立図書館では、2009年3月1日より制限付きで閲覧が認められるようになった。 また厚生労働省のホームページでは事件後の11月19日より幹部名簿約350人分が削除されていたが、12月4日より再掲載された。 |
| 松原智浩 | |
| 39歳 | |
| 2010年3月24日〜25日 | |
| 強盗殺人、死体遺棄 | |
| 長野一家3人強殺事件 | |
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建設会社従業員である松原智浩被告は、同社従業員池田薫被告、リフォーム会社従業員伊藤和史被告、愛知県西尾市の廃プラスチック販売業斎田秀樹被告と共謀。2010年3月24日未明、松原被告が勤める建設会社の実質経営者であり、長野市に住む韓国籍の男性(当時62)方2階で、男性の長男(当時30)に睡眠導入罪を混ぜた雑炊を食べさせて眠らせた。同日午前8時50分頃、長男の様子を見に来た長男の内妻(当時26)が昏睡していることに気付いたため、内妻の首をロープで絞めて殺害。その後、寝室で昏睡していた長男を殺害した。9時25分頃、自室のソファで寝ていた男性を絞殺し、現金約416万円を奪った。さらに3人の遺体を運び出し、長野市内でトラックに積み替えた後、25日午前に愛知県西尾市内の資材置場の土中に埋めて遺棄した。その後、男性の車を関西方面に走らせて3人が失踪したように見せかけ、奪った現金は4被告で山分けし、飲食代や他の借金返済に充てた。 内妻殺害は松原被告と池田被告、長男殺害は伊藤被告と松原被告、男性殺害は伊藤被告と松原被告が実行している。睡眠導入剤や死体遺棄場所、トラックなどは報酬目当てで参加した斎田被告が提供した。 男性は松原被告、池田被告が勤める建設会社ならびに伊藤被告が勤めるリフォーム会社、金融業などを経営。松原被告、伊藤被告は男性方へ住み込みをしていた。斎田被告は男性の知人だった。 松原被告は2004年頃、男性宅の内装工事を頼まれたときに金銭トラブルが起きて借金を背負い、男性宅に住み込んで働いていた。池田被告は2009年頃まで長野市内で居酒屋を経営していたが、開店資金を男性から借りていた。斎田被告は男性の会社と取引があり、伊藤被告に誘われた。 3月末に男性の親族より3人の捜索願が出たことから、長野県警は男性の自宅周辺などを捜査。4月8日、男性が実質経営するリフォーム会社が借りている長野市の貸倉庫周辺で異臭がするとの情報を入手。10日、貸倉庫内から長男の知人男性の他殺死体が見つかった。一方、県警は松原被告らを事情聴取。供述に基づき4月14日夜、資材置場から3人の遺体を発見。15日未明、4被告を死体遺棄容疑で逮捕した。5月6日、強盗殺人容疑で再逮捕した。 知人男性の遺体については、伊藤被告、H被告が死体遺棄容疑で起訴された。凶器が見つからず、遺体の損傷も激しくて傷の特定も困難なことから、殺人については起訴が見送られた。また長男も殺人容疑で書類送検されている。 | |
| 2011年3月25日 長野地裁 高木順子裁判長 死刑判決 | |
| 2012年3月22日 東京高裁 井上弘通裁判長 控訴棄却 死刑判決支持 | |
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裁判員裁判。 2011年3月14日の初公判で、松原被告は「間違いありません」と起訴事実を認めた。 検察側は冒頭陳述で、動機について松原被告が男性から月1、2万円で働かされていたことや生活面で細かい注意を受けていたことなどに不満を持っていたと指摘。グループ会社を抜け出そうとしたが、「(男性から)多額の手切れ金を要求されると思い、いなくなってほしいと考えるようになった」と主張した。主犯格の伊藤和史被告と共謀し、事件の実行方法を提案するなど受動的な役割ではなかったと主張した。さらに、遺体を埋めて携帯電話や車を処分し、一家の失踪を装うなど計画的であり、食事などの世話をしていた内妻の命まで奪った悪質性を強調した。 弁護側は、松原被告は元暴力団員であった男性や長男からの恐怖を抱いて生活していたと指摘。「(事件は)金銭が主な目的ではなく、奴隷的拘束から逃れるためだった」と主張。「給料から寮費を引かれ、手取りがほんの数万円という扱いを受けていた。暴力を振るわれることもあった」と述べた。そして最後まで犯行を拒んで共犯者内で従属的な立場だったと主張。最後に裁判員へ向かって「少しでもためらいがあるなら、一生後悔が残る。死刑にすべきではない」と訴えた。 この事件では、殺害された3人の遺体の写真などを証拠申請したが、公判前整理手続で高木裁判長が「弁護側から反対意見があり、事実に争いはなく、立証の必要性に比して裁判員に過大な負担を与える」と、採用しなかった。 16日の第3回公判では、共犯である池田薫被告が出廷。「男性宅に暮らしていた松原さんは、かなり生活に制限があったと思う」と証言した。 17日の第4回公判における被告人質問で松原被告は長男から「鉄パイプでボコボコにされた」と述べ、仕事を辞めたいとは「恐怖心が先に来るので言えなかった」と話した。さらに松原被告は同年2月下旬、共犯である伊藤和史被告から「『実は長男も人を殺した』と言われた」と明らかにし、会社の誕生パーティーの際に「長男に突然怒られ、『殺すぞ』と言われたので恐怖心が高まった」ことが動機の一つになったと証言した。 18日の論告で検察側は動機や計画性などを11項目にわたり指摘。動機について「殺害しないと会社を辞められないと思い込み、共犯者への報酬などのために金を奪うという自己中心的で身勝手極まりない」と指摘。松原被告の役割については「現金を奪うことを提案し、現金の保管場所を的確に探すなど、主犯格の伊藤被告と並ぶ不可欠な役割だった」と述べた。内妻殺害は「男性殺害の邪魔になったから殺すとは言語道断だ」と非難した。その上で「長い時間首を絞め続けており、極めて強い殺意があり冷酷非情。(遺体を埋めるなど)完全犯罪をもくろみ、証拠を隠滅するなど悪質だ。死刑をもって臨むべきだ」とした。 一方、弁護側は、奪った現金は男性が管理しており、長男と内妻殺害については強盗殺人罪ではなく殺人罪が適用されると主張。松原被告が借金返済などで男性から経済的に拘束されていた点に触れ、「動機は交際相手との再婚のために男性から完全に縁を切るためで、金銭の奪取ではない。殺害を直前までためらっており、役割は従属的だった」と指摘。「遺族宛に謝罪の手紙を書くなど反省を深めている。矯正可能性が十分に認められ、生涯、被害者の冥福を祈らせるべきだ」と死刑回避を求めた。また、「永山基準は職業裁判官の基準。この事件ではぜひ市民の良識で判断してほしい。市民感覚と良識で判断すれば、判決は無期懲役になると確信している」と裁判員に語りかけた。 松原被告は最終意見陳述で「いかなる判決でも死ぬまで反省し続け、罪を償いたい」と述べた。 高木順子裁判長は主文を後回しにし、結果の重大性や残虐性、事件の性質など永山基準に沿って判決理由から述べた。高木裁判長は「いかなる理由でも3人の尊い命を奪ったことは容認できない」と指弾し、十数分間も首を絞め続けた行為は「冷酷かつ鬼気迫るものがある」と非難。特に内妻殺害は「巻き添えとなったもので、理不尽な凶行の犠牲者である」とした。そして、松原被告が早くからリーダー格の伊藤和史被告の相談相手になり、自らも手を下し、最後まで行動を共にしたと指摘。その上で「親子から不当に給与を天引きされるなど事情はある」と動機に一定の理解を示し、遺族への謝罪文をつづるなど「真摯な反省と謝罪、後悔は見て取れる」とも認めた。だが、親子殺害によって会社を辞めようとした松原被告の行為は「安易に自己利益を生命より優先しており、(被告の置かれていた状況を)過度に有利に配慮はできない」と断罪。弁護側の極刑回避意見に対しては、「いかに言い分があれ、3人の命を奪った結果の重大性は容認し難い」とし、「反省は見て取れるが、最大限考慮しても死刑をもって臨まざるを得ない」と述べた。 2011年8月25日の控訴審第1回公判で、弁護側は「同居していた被害者親子から暴力を振るわれたり金銭を搾取されたりするなど、被害者にも落ち度があった」とし、裁判員裁判で審理された一審・長野地裁の死刑判決に対して量刑不当を主張。「父子から殺される可能性も感じており、逃げられないと思い詰めて犯行に及んだ」と述べた。検察側は控訴棄却を求めた。 松原被告は、弁護側の被告人質問で被害者への気持ちを尋ねられ「自分の愚かさや弱さを感じ、申し訳なさでいっぱいだ」と答えた。また「死刑が確定すれば他の被告の道も決まってしまうと弁護人に説得され、控訴に同意した。私だけなら素直に刑に服している」と述べた。 12月20日の第4回公判で、松原被告は共犯の池田薫被告も死刑判決を受けたことについて、「私自身の死刑より納得がいかない。池田(被告)との間に共謀はないし、池田も金をくれとは言っていない。死刑ありきの判決と思った」と述べた。首謀者とされる伊藤和史被告と犯行計画を相談したことについては、松原被告は「計画を綿密に練ろうという意思はなかった。伊藤(被告)から思いつきのように言われたことに答えたが、その後どうするか考えてなかった」と述べ、ずさんな計画だったと主張した。 2012年1月24日の弁論で、弁護側は男性らの日常的な暴力などから逃れるのが犯行動機だとし、「殺害に主眼があり、金銭奪取への関心は極めて薄く、純粋な強盗殺人罪とはいえない。被害者側の落ち度を量刑に考慮するべきだ」と訴えた。計画的犯行と認定した一審判決について、計画は事件の主導者とされる伊藤和史被告が男性らからの暴力などに耐えかねて思い付いたずさんなもので、殺害場所や殺害行為の分担など事前の協議はなく、「計画性、周到性を欠いていた」と主張。一審判決で松原被告の関与について「早期の段階から犯行に関与し、遂行に重要な地位、役割を占めている」とした点には、凶器のロープ、睡眠導入剤などは伊藤被告が準備したとし、「計画への関与の度合いは極めて低い」と強調した。そして「被告は終始、従属的な立場であり、裁判員裁判の結論だからという理由で尊重してはならない。無期懲役を科して生きて償い、被害者の冥福を祈る人生を与えてほしい」と述べて死刑回避を訴えた。また、「裁判員裁判は国民に死刑判断への加担を強いており違憲」とも訴えた。 判決で井上裁判長は、「裁判員制度は苦役に当たらず、死刑の判断を伴っていても違憲ではない」と弁護側の主張を退けた。そして、「殺害や遺体の処理方法に綿密な打ち合わせはなかった」とする一方、約1か月前から殺害計画を話し合い、事前に凶器のロープなどを用意したことを挙げ、「全体的に見れば一連の経緯は計画的」と認定。松原被告が現金の強奪を提案して殺害行為に加わり、実際に現金を奪った点を重視し、「冷酷、非情な犯行で、犯行の準備段階から関わるなど不可欠な役割を果たした。伊藤被告に従属的な立場だったことが刑事責任を減弱する理由にはならない」と指摘した。また、被害者親子からの束縛が事件につながった可能性に言及したが、「亡くなっても良い命などあるはずはなく、自己の利益を被害者の生命より優先させた短絡的な犯行だ」と非難。その上で、「3人の命を奪った結果の重大性は顕著で、原判決の量刑はやむを得ない。その一身をもって償うしかない」と結論づけた。 | |
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池田薫被告は2011年12月6日、長野地裁(高木順子裁判長)で求刑通り一審死刑判決。被告側控訴中。 伊藤和史被告は2011年12月27日、長野地裁(高木順子裁判長)で求刑通り死刑判決。被告側控訴中。 斎田秀樹被告は2012年3月27日、長野地裁(高木順子裁判長)で懲役28年判決(求刑無期懲役)。被告側控訴中。 裁判員裁判で死刑が言い渡された事件として、初めての控訴審判決となった。 |
| 奥本章寛 | |
| 22歳 | |
| 2010年3月1日 | |
| 殺人、死体遺棄 | |
| 宮崎家族3人殺害事件 | |
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宮崎市の建設会社員奥本章寛(あきひろ)被告は2010年3月1日午前5時ごろ、自宅で長男(当時6ヶ月)の首を絞め風呂でおぼれさせて殺害、妻(当時24)の首を包丁(刃体約18.2cm)で1回刺し、頭部をハンマー(全長約29cm)で数回殴って死亡させた後、義母(当時50)の頭部をハンマーで数回殴って死亡させた。出社して午後2時ごろまで働いた後はパチンコ店で過ごし、午後9時ごろ、自宅から約800m離れた自身が勤める建設会社の資材置き場に、長男の死体を埋めた。 奥本被告は出産費用、車のローンなどがあって生活が苦しく、生活費の一部は義母が出していた。出会い系サイトで知り合った女性とメールをするなど家庭を顧みない被告に対し、2月23日、妻が「いつでも離婚してあげる」とメール。義母からは「離婚するなら多額の慰謝料を求める」と言われたことが動機とされる。 帰宅後、奥本被告は「自宅で妻と義母が倒れている」と通報。駆けつけた宮崎県警宮崎北署の署員が義母と妻の遺体を発見した。長男の行方を捜査する一方で奥本被告から事情を聞いていたが、説明があいまいだったため追求したところ、「長男を埋めた」と供述。自供に基づいて遺体が発見されたことから2日、死体遺棄容疑で緊急逮捕した。23日、長男殺人容疑で再逮捕、4月13日に妻と義母の殺人容疑で再逮捕した。 | |
| 2010年12月7日 宮崎地裁 高原正良裁判長 死刑判決 | |
| 2012年3月22日 福岡高裁宮崎支部 榎本巧裁判長 控訴棄却 死刑判決支持 | |
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裁判員裁判。公判前整理手続きで焦点は量刑に絞られた。 2010年11月17日の初公判で奥本章寛被告は起訴内容を認めた。 冒頭陳述で検察側は、奥本被告は車のローンや育児費用などで生活が困窮し、義母からたびたび叱責を受けたことから憎悪の念を抱いて殺害を決意、妻や長男も疎ましく思い殺害したと指摘。「パチンコや出会い系サイトで知り合った女性と自由気ままに遊びたいという身勝手な動機から犯行に及んだ」と主張した。犯行後も、強盗犯による被害と見せ掛けて110番するなど偽装工作をしたとして「計画的で悪質。遺族の処罰感情は非常に厳しく、極刑を望んでいる」とも述べた。 弁護側は「被告は明るくまじめな人だが、日ごろから義母に怒鳴られるなどして家に居場所がなかった」と説明。「離婚も考えたが、義母から高額な慰謝料を請求すると言われ、自由になるには3人を殺害しなければいけないと考えるようになった」などと訴えた。 11月25日の論告で検察側は「自由な生活をしたいという自分中心の身勝手な動機から3人の命を奪おうと決意した」と指摘。「わが子の死体をごみ置き場近くに埋めており、被告の冷酷さを抜きには語れない犯行。家族間の事件の中で最も悪質な部類だ」と非難した。その上で、最高裁が示した死刑適用の永山基準や、山口県光市の母子殺害事件の最高裁判決が、年齢などは死刑回避の決定的理由にならないと判示したことを挙げ「殺意は強固で計画的。3人もの人間を殺害した結果や刑事責任は誠に重大で、懲役刑では罪に見合わない。遺族感情も峻烈で極刑を望んでいる」と述べた。 判決は最高裁が1983年に示した死刑選択の基準「永山基準」に基づき死刑が許されるかを検討した。動機については「義母から説教を受けたことや家族を養う負担から、家族生活全般に鬱憤やストレスを募らせた。すべてから逃れて自由になりたいと考えて全員殺害を決意した」と認定。「極めて自己中心的で人命を軽視した。厳しい非難に値する」と指摘した。殺害状況は「強固な殺意が認められる」と判断。首を絞め、浴槽に沈めた長男の殺害状況や、土中に埋めた証拠隠滅について「生後5カ月のわが子への情愛は感じられない。無慈悲で悪質」と述べた。反省についても「表面的な言葉にとどまり、内省の深まりは乏しい」と言及した。そして「更生の可能性は否定できない」と一定程度は認めたが、「強い自己中心性や人命軽視の態度に照らせば、量刑で過大に評価できない」と退けた。義母とのトラブルや年齢など被告に有利なすべての事情について「動機や結果の重大性などと比較すると考慮すべき一事情にとどまる」と指摘し、「自己中心的、残虐な犯行で、3人の命が奪われた結果は重大。極刑を回避すべき決定的な事情とは認められない」と結論付けた。 2011年5月19日の控訴審初公判で、弁護側は控訴趣意書で一審同様「更生の可能性が十分にあり、無期懲役が相当」と主張。検察側は意見陳述書で「3人の命が奪われた結果の重大性や、証拠隠滅行為など対応の悪質性、遺族の厳しい処罰感情から極刑は免れない」と控訴棄却を求めた。 被告人質問もあり、奥本被告は動機について「一方的に文句を言う義母から逃れたかった」と語り、現在の心境を「取り返しのつかないことをした。今でも家族4人で笑っている光景を思い出す」などと述べた。 7月14日の第2回公判で結審する予定だったが、7月8日に弁護側は専門家に心理鑑定を依頼したことを明らかにした。福岡高裁宮崎支部は弁護側からの要請を受け、第2回公判の期日を11月10日に延期した。心理鑑定を依頼したことについて、弁護側は「動機に関する被告の供述はあいまい。精神的に追い詰められていたことを証明したい」と説明している。 臨床心理士2人による心理鑑定は7月から10月まで11回計33時間にわたり面接で行われ、結果は証拠として提出された。 11月10日の控訴審第2回公判では、被告の心理鑑定を行った臨床心理士が「追い込まれて意識や視野が狭まり、思考判断が衰えるようになった」などとする鑑定結果を明らかにした。奥本被告の犯行動機について臨床心理士は、義母の叱責に加えて、借金などの経済的問題や、管理された生活による睡眠不足に伴う疲労感の3点を、犯行の引き金として挙げた。さらに「追い込まれたことで、意識や視野が狭まり、思考判断が衰えるようになった。自分の身を守るため、殺すしかないという偏った選択肢に飛びつくしかなくなった」と述べた。殺害の矛先が義母だけでなく、母子にまで向けられた心理状態について、「義母と妻は一体で、母親のいない息子は考えられない。3人は一体と考えるようになり、追い込まれた末の行動だった」とした。弁護側が被告の性格や家庭環境、更生の可能性について尋ねると、臨床心理士は「気持ちが抑圧されても、小出しに感情を出すことが出来ず、積もり重なって爆発することがある。結婚後、子どもがすぐに生まれ、生活環境が急変し、湧き起こる問題にどこから対処していいのか分からなくなった。人格形成上も未成熟さが残り、犯行時の精神状態に大きな影響を及ぼした。反省は深まり、更生の可能性は高い」と主張した。同支部は鑑定結果を証拠採用した。 2012年1月19日の弁論で弁護側は、第2回公判で証拠採用された犯罪心理鑑定の結果を基に「原判決の犯行動機の認定は誤っている。自由のために邪魔だったからではなく、精神的に疲弊し、自己の存在を脅かされる状況から逃れるためだった。死刑を破棄しなければ著しく正義に反する」と主張。「反省が深まっており、更生可能性が十分にある」として、改めて死刑回避を求めた。検察側は「反省の深化はなく、更生可能性が極めて乏しい。3人の無抵抗な被害者の尊い命を無慈悲に奪った結果の重大性、遺族の峻烈な処罰感情などから、死刑をもって臨むほかないことは明白。一審判決に誤りはなく、死刑判決は維持されるべきである」として、控訴棄却を求めた。 判決は犯行の動機について、榎本裁判長は鑑定結果を踏まえ「義母から叱責を受けるなどして広い視野で物事を考えることができない状態になり、強い恐怖感から逃れようとした側面もあった」と認めたものの「自分一人が自由を手に入れようとした極めて身勝手で自己中心的な側面もある。妻や長男に落ち度はなく、理由なき殺人に匹敵するほどだ」と指摘して、弁護側の主張を退けた。そのうえで「義母の言動に殺される契機となる落ち度はなく、長男や妻の殺害は理由なき殺人にも匹敵する」と非難。「動機は身勝手で自己中心的。冷酷かつ残虐で刑事責任は極めて重大。被告の反省の深まりなどを考慮しても、一審判決の量刑を左右するほどの不合理な点はない」と断じた。 | |
| 田尻賢一 | |
| 32歳/39歳 | |
| 2004年3月13日/2011年2月23日 | |
| 強盗殺人、強盗殺人未遂、住居侵入、銃刀法違反 | |
| 宇土院長夫人強盗殺人事件/熊本夫婦殺傷事件 | |
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熊本市の会社員田尻賢一被告は、2004年3月13日昼、熊本県宇土市の医院長宅にぜんそくを装ってドアを開けさせ侵入し、妻(当時49)の頭や顔をスパナで殴るなどして殺害し、現金約18万3000円などを奪った。田尻被告と妻は面識がなかった。田尻被告はパチンコや風俗で借金を重ね、母に数回清算してもらったにもかかわらず、犯行当時は消費者金融に150万円以上の借金があった。 また田尻被告(事件当時は無職)は2011年2月23日午後6時10分頃、熊本市に住む会社役員の男性方(当時72)で、「車を家の壁にぶつけた」などとうそを言って男性の妻(当時65)に玄関のドアを開けさせ、妻の顔や首、背中などをバタフライナイフで刺して殺害。現金10万円や商品券2万円分を強奪した。さらに午後6時30分頃、帰宅した男性の胸や脇腹などを複数回刺して、全治1か月の重傷を負わせた。田尻被告は運送会社に勤務していた時、1年半前に男性方が新築したときに担当しており、裕福な家であると目を付けた。田尻被告は犯行直前、消費者金融に約250万円、親族に約225万円の借金があった。また妻とは別の女性と交際し、プレゼントなどを送りながら、金を持っていると嘘をついていた。 捜査本部は男性方の録画機能付きインターホンに移っていた映像や、犯人の足跡、血痕などから捜査していたが、田尻被告は新聞やテレビの報道を見て、逃げ切れないと思い、2月25日午後4時ごろ、田尻被告は家族に付き添われ、熊本東署に自首した。 その後、宇土市の現場付近で目撃された車と同じ緑色系の乗用車に田尻被告が当時乗っていたことが判明。二つの事件の手口が似ていることから、県警が田尻被告を追及したとこ3月23日になって殺害を認めた。24日、奪ったバッグの中にあった財布や事件時に身につけていたとみられる着衣の一部、鈍器が、田尻被告の供述通り熊本市富合町の山中から見つかったため、26日に再逮捕した。宇土市の事件は、2007年には、警察庁の懸賞金制度の対象事件として最高300万円の報奨金がかけられていた。 | |
| 2011年10月25日 熊本地裁 鈴木浩美裁判長 死刑判決 | |
| 2012年4月11日 福岡高裁 陶山博生裁判長 控訴棄却 死刑判決支持 | |
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裁判員裁判。起訴事実に争いはなく、宇土市の事件について自首が成立するかどうかが焦点となった。 2011年10月11日の初公判で、田尻被告は「間違いありません」と起訴内容を認めた。 検察側は冒頭陳述で「両事件とも凶器を準備し、下見をして被害者が1人の時を狙った。最初の事件の7年後、再び金品を奪って殺害した。犯行はそれぞれ悪質。7年間にわたり平然と生活し、熊本市の犯行に及んだ。両事件とも言い逃れができないと考えるまで自白しなかった」と指摘した。また、熊本市の事件について自首の成立を認めたが、宇土市の事件については「取り調べで初めて供述した」と述べ自首は成立しないと主張した。一方、弁護側は「強盗は計画的だったが、殺意の発生は偶発的なもの。当初から確定的な殺意があったわけではない」と主張。被害者から抵抗されたり、悲鳴を上げられたりしたことから、田尻被告が動転して殺害に及んだと訴えた。宇土市の事件についても「宇土市の事件は発生から7年が経過して迷宮入りし、検察官から提出された証拠を検討しても、被告の自首と協力なくして、事件の立証はできなかった。自首が認定されるべきことは当然」と自首の成立を主張し、情状酌量を求めた。 10月14日の第4回公判では、それぞれの事件の遺族が、いずれも極刑を訴えている。田尻被告は被告人質問で弁護人から「遺族が極刑を望んでいる」と伝えられると「当然だと思います」と述べた。 10月17日の論告で検察側は、宇土市の事件は取り調べ中に自白したもので、自首に当たらないと強調。永山基準に従って今回の事件を整理し、「2人の命を奪い、1人に重傷を負わせた被告を無期懲役にしたのでは、罪と刑罰の均衡を図ることができない。心理的抵抗を感じず、残虐極まりない犯行を繰り返しており、命をもって償いをさせるほかない」と結論づけた。一方、弁護側は最終弁論で「(自白は)犯人発覚前のもので、自首の成立が認定されるべきだ」と主張。公判では正直に喋って反省しているなどと主張し、有期懲役か無期懲役を求めた。 田尻被告は最終意見陳述で、声を震わせながら「何の罪もない人たち(実名)の命を奪って本当にすみませんでした」と、検察席と傍聴席の遺族らに向かって頭を下げた。 判決理由で鈴木裁判長は動機について、パチンコや風俗店で使った借金返済のため強盗殺人を繰り返しており「身勝手かつ短絡的」とし、凶器で顔を執拗(しつよう)に狙った手口も残虐と批判。そして、「犯行の経緯や動機に酌むべきところは全くなく、結果も深刻だ。最初の事件から7年後に同様の手口で再び犯行に及んでおり、罪責はまことに重大だ」と指摘。争点の自首について鈴木裁判長は「自発的に供述したとは到底言えない」として認めず、熊本市の事件での自首も「罪の意識からではなく、逃げ切れないと考えた経緯を考えれば過大に評価できない」と述べた。 11月1日、田尻賢一被告の弁護団は判決を不服として福岡高裁に控訴した。弁護団は、(1)熊本市の事件が自首とされながらも軽減対象にならなかった(2)宇土市の事件で主張していた自首が認められなかったことを指摘。「量刑は不当だ」としており、田尻被告は「判決に特に不満はないが、弁護人の方針なら受け入れます」と話したという。 2012年3月7日の控訴審初公判で、弁護側は、死刑制度の違憲性を訴えるとともに、自首が成立するなどとして改めて死刑回避を求めた。検察側は控訴棄却を求めた。田尻被告は被告人質問で遺族に謝罪し、被害者参加制度を利用した夫婦の長男が意見陳述して結審した。 判決で陶山博生裁判長は、自白について「詳細に供述し、事件解決に多大な寄与をした」と評価したが、「捜査官からの取り調べを受け、もうごまかせないと思って自白した。自発的申告とは言えず、約7年間もひた隠しにしており遅きに失する」と判断し、「極刑を回避する事情には当たらない」と指摘した。また、日本の絞首刑は残虐な刑で違憲とする弁護側主張に対しても「過去の判例から違憲ではない」と退けた。そのうえで、判決は、最高裁が1983年に示した死刑選択の基準「永山基準」に基づいて量刑を検討。「7年前の事件を自供したことからも反省の気持ちはうかがえるが、犯情の極めて悪い重大事件では反省などの情状が量刑に与える影響力はかなり小さい」と指摘し、「人命軽視の危険な性向は顕著で、矯正は極めて困難。死刑を回避すべき特段の事情はなく、極刑と判断した一審判決はやむをえない」と結論付けた。 | |
| 桑田一也 | |
| 43歳 | |
| 2005年10月26日/2010年2月23日 | |
| 強盗殺人、殺人、死体遺棄、詐欺、窃盗、有印私文書偽造・同行使 | |
| 交際女性・妻殺人事件 | |
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静岡県清水町のリフォーム業桑田一也被告は2005年10月26日、飲食店で働く不倫相手の女性(当時22)から借金約990万円を返済するように迫られたため、沼津市内の当時の自宅寝室で馬乗りになって首を絞めて殺害。翌日、御殿場市のATMで女性名義のキャッシュカードから現金355万2000円を引き出した。さらに女性の委任状を偽造して、11月7日頃、20006年2月1日頃には女性の口座からそれぞれ1003万7009円、1000万22円をだまし取った。遺体はシートにくるんで台所に放置し、1月ごろ、ドラム缶に遺体を入れ、友人が所有する市内の空き地に遺棄した。 女性の母親は2006年4月頃に連絡が途絶えたことから同年8月に捜索願を出していたが、手掛かりは全くつかめなかった。 桑田被告は2010年2月23日、清水町の自宅アパートで妻(当時25)の首を絞めて殺害した。3月2日、妻の遺体を、御殿場市にあり前妻が住む自宅の物置に遺棄した。御殿場市の自宅には桑田被告の前妻と子供が住んでいた。3月上旬に桑田被告は妻との離婚届けを提出、19日には妻の母親らと一緒に町役場で妻と子供(妻の連れ子)の転生届を提出した。 妻の行方が知れなかったことから、妻の母親が3月26日に家出人捜索願を提出。桑田被告は4月12日、別の詐欺容疑(備考参照)で逮捕された。御殿場市の家が競売で落札されたことから、前妻らが4月に転居。5月5日、物置を清掃していた作業員が妻の遺体を発見し、桑田被告は5月8日に死体遺棄容疑で逮捕された。その後29日に殺人容疑で再逮捕され起訴された。 報道で桑田被告のことを知った女性の母親は、娘が交際していたことを県警に相談したことから桑田被告を捜査。8月12日、沼津市の空き地で、ドラム缶に入った女性の遺体が見つかり、翌日に殺人容疑で再逮捕。強盗殺人容疑他で起訴された。死体遺棄については時効が成立している。 | |
| 2011年6月21日 静岡地裁沼津支部 片山隆夫裁判長 死刑判決 | |
| 2012年7月10日 東京高裁 山崎学裁判長 控訴棄却 死刑判決支持 | |
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裁判員裁判。起訴内容に争いはなく、強盗殺人事件の犯行意図などの情状面が争点となった。 2011年6月13日の初公判で、桑田一也被告は起訴事実を認めた。 検察側は冒頭陳述で、沼津市内のアパートで同居していた交際相手の女性から、勝手に引き出した現金990万円の返済を迫られた桑田被告が、「女性を殺せば警察に行くこともなく、返済も迫られない」と考え犯行に及んだと指摘女性の母親から送られてくるメールに返事を送るなどして生きているように装ったと悪質性を主張した。一方弁護側は、殺人の動機について、「(女性を)警察に行かせたくない」と強く思ったと説明。その後に得た金も「殺して手にしようと思っていたわけではない」と主張した。 14日の公判で検察側は、桑田被告が妻と生活費などをめぐって口論になり、妻が御殿場市に住む桑田被告の元妻に金を出してもらうと言い出したことから、桑田被告が別れ話を切り出したと指摘。「桑田被告は『妻がいなければ、元妻宅の家族を傷つけなくて済む』と考えた」と主張した。弁護側は、桑田被告が妻と結婚し、求めに応じて連れ子と養子縁組したが、桑田被告が要求に応じないと、妻が桑田被告の元妻宅に無言電話をかけるなどの嫌がらせをしたため、追いつめられた末の犯行だったと主張した。 15日の論告で検察側は、桑田被告が交際相手の女性の貯金約990万円を勝手に引き出した上、返済を免れようと殺害し、さらに女性の口座から約2360万円をだまし取ったと指摘。「被害者に多額の貯金があることを知った翌日に犯行に及ぶなど、動機は非人間的で身勝手。犯行は強固な殺意に基づき、冷酷かつ残虐だ。遺族も極刑を望んでいる」と述べた。弁護側は最終弁論で、桑田被告が借金を返さなかったため、女性に「警察に行って話す」と言われたことが動機だったとするなど、計画性を否定した。そして「いずれの殺害も家族を思いやり、追いつめられ犯行に及んだ。犯行に計画性がなく、殺害方法はことさら悪質ではない。生涯をかけて罪を償い、反省させるべきだ」と主張し、無期懲役にするよう求めた。 桑田被告は最終意見陳述で「どういう処罰で償ったことになるのか分からないが、死ぬことでそれがかなうなら、それが自分にふさわしいと思う」と述べ、傍聴席の遺族に向かい「本当に申し訳ありませんでした」と頭を下げた。 判決で片山裁判長は、弁護側が殺害動機について桑田被告が「御殿場に住む(元妻ら)家族を守るため」と主張したことについて、「いずれにしても身勝手極まりなく、経緯、動機に酌量の余地はない」と切り捨てた。桑田被告が殺害後に貯金を奪い取っていることや、生きているように偽装したメールを家族に送っていたことなどについて「良心の呵責は伺えず、生命軽視の態度には根深いものがある」とした。また「計画性は認められないが、馬乗りになって一定の時間にわたり首を絞める態様であることなどに照らすと、突発的であることを強調するのは相当ではない。被告の刑事責任に鑑(かんが)みると格別有利な事情とは言い難い」とした。そのうえで、最高裁が示した死刑選択基準(永山基準)に照らし、〈1〉殺害態様が残虐〈2〉犯行の罪質、結果が重大〈3〉動機が身勝手〈4〉殺害後の情状が非人道的〈5〉遺族の処罰感情がしゅん烈――などとし、「被告人に有利な一切の事情を考慮しても、量刑の均衡の見地からも一般予防の見地からも、極刑をもって望むほかない」と断罪、「被告人を死刑に処する」と述べた。 弁護人が即日控訴した。 2012年3月13日の控訴審初公判で、弁護側は事実誤認などを理由に死刑回避を求める控訴趣意書を提出した。検察側は答弁書で控訴棄却を求めた。弁護側が減刑を主張する証拠として、一審で採用されなかった被告の供述調書の一部、判決後に遺族に宛てた手紙などが採用された。 4月24日の第2回公判で、桑田被告は交際中だった女性の殺害について、「借金の返済を免れることが殺害理由ではない」と述べた。検察側から一審で強盗殺人の成立を認めていた点を指摘されると、「調書は警察から促されて作成された。一審判決前の妻と子どもとの面会をきっかけに、控訴審では真実を話そうと思った」と答えた。弁護側の被告の生い立ちや心理状態を調べる情状鑑定の請求は却下された。 6月7日に開かれた最終弁論で弁護側は、交際中の女性殺害について「一審の被告の供述は捜査機関による誘導だった。借金返済に窮して殺害したのではなく、不倫関係などが家族に発覚することを恐れての突発的な犯行」と主張。強盗殺人罪ではなく、殺人罪の成立を改めて訴え、極刑の回避を求めた。検察側は「結果的に債務の返済を免れ、殺害後も女性の預貯金を無断で使用している」と指摘。「殺害理由の供述の変化に合理性はなく、信用できない」と反論し、控訴棄却を求めた。 判決で山崎学裁判長は殺害動機について「警察に届け出ることを阻止するとともに、債務を免れる意思があった」と認定。「債務を免れる意思の方が劣っていても、強盗殺人罪の成立に支障を来さない」として、弁護側の主張を退けた。そして「好き勝手な女性関係を続け、都合が悪くなると邪魔者とみて殺害した」と指摘。「身勝手な動機で情け容赦なく2人の首を絞め続けており、冷酷、残虐な犯行だ。殺害後も女性の預貯金2千万円余りを引き出すなど強い非難に値する」と述べ、一審判決が重すぎるとは言えないと結論付けた。 | |
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当初2011年3月14日に地裁初公判が決定していたが、11日に発生した東日本大震災に伴う計画停電の影響で延期された。 桑田一也被告はほかに別の男と共謀して2010年3月5日、東京地検の職員を語り、沼津市内に住む女性(当時67)から保険料の名目で現金91万8000円をだまし取った。他にもう1名の男性と共謀し、女性から新たに500万円を引き出そうとしたが、女性が親族に相談するなどしたため、未遂に終わった。2010年9月21日、静岡地裁沼津支部で懲役3年、執行猶予4年(求刑懲役3年)の判決。岡田龍太郎裁判官は「被告はこれまで被害者から繰り返し高額の借り入れをするなど多大の援助を受けてきたのに、信用を悪用した」と指摘したが、「被害額を超える額が被害者に支払われている」として執行猶予を付けた。共犯男性も9月7日に同じ判決を受けている。 |