映画「ひめゆりの塔」「七人の侍」などで知られる女優の津島恵子(つしま・けいこ、本名・森直子)さんが1日午前10時20分、胃がんのために都内の病院で死去していたことが3日、分かった。86歳だった。葬儀・告別式は、すでに近親者のみで行われた。長崎県で生まれ、1947年に銀幕デビュー。映画を中心に活躍、50年代後半からは活動の中心をテレビに移していたが、最近は表舞台から遠ざかっていた。
「戦後初のスター女優」として、映画の黄金期を支えた津島さんが、静かに逝った。2002年のNHK朝の連続テレビ小説「さくら」出演後、事実上の引退状態だったが、実は胃がんと向き合っていた。病魔と闘い続け、1日に死去。半世紀以上連れ添った元テレビ局勤務の夫・森伊千雄(もり・いちお)さんらの手で、すでに天国に送られた。
東洋音楽学校(現在の東京音大)を中退後、松竹の俳優養成所でダンス教師をしていた津島さんが、出身地の長崎・対馬から取った芸名でデビューしたのは、1947年の原節子主演の映画「安城家の舞踏会」。駅に立つ姿を名匠・吉村公三郎監督が見初め、新興成り金の令嬢役に抜てきしたことがきっかけとなったが、当初は女優業は“アルバイト感覚”だった。
当時、津島さんの夢は舞踏家。映画出演はそのために必要な資金を稼ぐ目的だった。心変わりをしたのは49年の「悲しき口笛」。美空ひばりさんと共演した同作が大ヒットして、女優の道を歩むことを決心した。
その後、松竹映画のいわゆる「大船調」のメロドラマのヒロインとして活躍。52年には小津安二郎監督の「お茶漬の味」にも出演するなど、大監督たちに愛されてトップ女優へ。人気のバロメーターであった雑誌「平凡」のスター人気投票では、鶴田浩二さんとともに51年から3年連続で第1位に輝いた。
53年には女優としてのステップアップを目指し、松竹所属ながら東映製作の映画「ひめゆりの塔」(今井正監督)に出演した。女学生の学徒隊を率いる教師を演じ、それまでの“箱入り娘”のイメージから脱却。さらに、翌54年の黒澤明監督の「七人の侍」では、男装の村娘・志乃役で、侍の一人・勝四郎(木村功さん)に思いを寄せる、情熱的な娘を熱演した。
57年に森さんと結婚。出産後は引退も考えたが、森さんの勧めにより、女優と母の“二足のわらじ”を履くことに。映画出演を続けながらも、テレビに活動をシフトした。最後に出演した「さくら」では、英語教師となる日系4世の主人公・さくら(高野志穂)の祖母を好演した。
津島さんを知る映画評論家・品田雄吉氏は「“戦後第1期”の娘役の代表格的な存在でした。親近感や庶民的な印象も与える一方で、清潔感漂う、さわやかで日本らしい理想の女性像を、多くの作品で具現化した、秀でた女優だったと思います」とコメント、津島さんの死を悼んだ。
◆津島 恵子(つしま・けいこ)本名・森直子。1926年2月7日、長崎県対馬市出身。東洋音楽学校(現・東京音大)中退後、松竹の俳優養成所でダンス教師になる。女優デビュー後の主な出演作品は映画「鬼火」「帰郷」「浮草日記」「ひめゆりの塔」「七人の侍」など。96年に日本映画批評家大賞のゴールデン・グローリー賞受賞。東宝副社長を務めた森岩雄さん(故人)は義父にあたる。
[2012/8/4-06:00 スポーツ報知]