さて、いよいよ佳境ですね。EURO2012。
iPhoneのアラームにヨーロッパのサッカー試合の時間が仕込んである私、昨日は早朝3:30に起きて
ポルトガルvsチェコ を観戦しましたよ。
何度もポストに嫌われたCロナウドのヘディング決勝点もリアルタイムで見ました。
世界で一番人気のある競技の決勝トーナメントで決めた世界有数のプレイヤー。
いったい世界で何億の人が見て喝采を送ったのでしょうかね。気の遠くなるような人数でしょう。
そして大地君が
私にとっては、同じように尊い快挙を成し遂げましたよ。
大地君のブログを貼らせてもらいますね。
=====
運動会が終わりました!
運動会は僕にとっては超大嫌いな行事です。
一年生はグラウンドにいるのも辛かった。
二年生はずっと先生の膝に座って抱っこ状態だった。初めて徒競走で完走した。
三年生は初めて友達と児童席に座って参加した。徒競走は友達が一緒で僕は走る練習や行進を真剣に練習した。
四年生の運動会は徒競走も運命走もビリ。僕は「体をつかう」ことを四年間、続けてきた。
この世に神様がいるなら…一等とは言わない。せめて六年間の運動会でビリ以外になってみたいと思って泣いた。
そして、今年は五回目の運動会だった。
僕は毎日のストレッチや腰割。それからお手伝い。目標は運動会でビリにならないことで休まずに続けた。
でも、五年生の運動会は半端なかった。今までは、心が運動会に耐えられなかった。
今年は心の心配なんかしている余裕はなかった。まじ、身体がしんどかった。
徒競走は別として…運命走は選択肢は四つ。でも選んで運がよければいいってもんじゃない。それぞれに課題がついていた。例えば、バスケはゴール。体操は前転か側転。出来なきゃ前には進めない。
そして、団体競技。一組六人がグループ。前の人の腰ベルトに掴まってイメージはヘビの皮むき。
繋がったままで仰向けに寝ます。そして順番に起き上がり今度は蛇のまま繋がって走ります。繋がったままで、友達をまたいで起き上がったり、走ったりで…僕は繋がっているのも辛い。
毎日、グラウンドの端っこで練習。支援級では特訓。ジャージは土と砂だらけ。
当然、家も汚れるわけで、母は何も知らないからプンプンしていたけど僕は知らんぷりぷり。
それから、よさこい。今年は一番は踊る。中腰でずっと腰割状態。さすがに太腿はプルプル。
練習でやり直し!とか、もう一回!と、言われるたびに、またまたプルプル。
二番と三番はピラミッド。リズムに合わせて波の様にピラミッドを一瞬で立てて、一瞬で潰す。それの繰り返し繰り返し。
当然ですが、友達よりもデカイ僕はピラミッドの底辺でやっぱりジャージはいつも土と砂だらけ。
地べたに寝たり起きたりの繰り返し。
正直、母が半端なく忙しくて愚痴を聞いてくれる人はいないし、宿題はあるし…身体は痛いし…それに疲れているし…人はこうやって疲労で過労死していくんだと思った。
それでも、運動会はやってきた。とりあえず過労死はしなかった。
僕はどうしてもビリだけは嫌だった。小さなお手伝いもこれも運動会のためだとしんどくても、運動会の前日も休まずに続けた。
洗濯物を畳みながら運命走の作戦を立てたりした。まともに走ってみんなに追いつくのは難しい。
僕は自分の強みを生かしたかった。
畳んだタオルでシミレーションなんかしてみたりした。
そして、本当に明日が運動会っていう日。僕は先生達にしつこく聞いた。
「明日は中止にならないかな」って。何十回、中止になっても次の週末には運動会をするらしい。
だから諦めることにした。体育の時間が永遠に運動会の練習なら本当に過労死するかもしれないし。
ストレスで別の病気になりそうだもんね。
五回目の運動会は始めての晴天でした。
どの競技も練習どおりにできました。
博士先生は母に「友達と同じことが同じように出来るようになったよ。その姿を見て欲しい。」と言ったそうでした。
僕は徒競走でなんと…四等でした。
そして、運命走は残念だけど運には恵まれなかった。僕の選んだものはハズレでした。
でも、すぐに当たりに走り、課題のバスケットのダンクシュートを決めて一等でした。
あんまり嬉しくてガッツポーズ。競技が終わって、児童席に戻ってすぐに栗林先生を探した。
五年間、ずっと僕と頑張ってきた先生に一等の紙を一番に見せたかった。一緒に喜びたかった。
栗林先生は喜んでくれた。でも、博士先生には叱られた。
「ビリだった人もいる。そういう人の気持ちを考えなさい。」ちょっと凹んだ。
でも、父は「お前は甲子園球児じゃないし、ましては横綱でもない。嬉しかったら喜んでいい。先生は仕事だから叱ったんだ。泣くほど嬉しい気持ちは隠せないんだ。それなら思い切り喜んだ方がいい。それでいいんだ。でも、先生にも叱られておけ。」と言った。やっぱり僕の親父は少しだけ言うことが面白い。
思い残すことはない。後悔が残らない運動会だった。
だから、翌日から六回目の運動会に向けてまた身体をしっかり動かしています。
運動会はあと一回。それにむけて身体は大事に動かしていこうと思う。
iPhoneのアラームにヨーロッパのサッカー試合の時間が仕込んである私、昨日は早朝3:30に起きて
ポルトガルvsチェコ を観戦しましたよ。
何度もポストに嫌われたCロナウドのヘディング決勝点もリアルタイムで見ました。
世界で一番人気のある競技の決勝トーナメントで決めた世界有数のプレイヤー。
いったい世界で何億の人が見て喝采を送ったのでしょうかね。気の遠くなるような人数でしょう。
そして大地君が
私にとっては、同じように尊い快挙を成し遂げましたよ。
大地君のブログを貼らせてもらいますね。
=====
運動会が終わりました!
運動会は僕にとっては超大嫌いな行事です。
一年生はグラウンドにいるのも辛かった。
二年生はずっと先生の膝に座って抱っこ状態だった。初めて徒競走で完走した。
三年生は初めて友達と児童席に座って参加した。徒競走は友達が一緒で僕は走る練習や行進を真剣に練習した。
四年生の運動会は徒競走も運命走もビリ。僕は「体をつかう」ことを四年間、続けてきた。
この世に神様がいるなら…一等とは言わない。せめて六年間の運動会でビリ以外になってみたいと思って泣いた。
そして、今年は五回目の運動会だった。
僕は毎日のストレッチや腰割。それからお手伝い。目標は運動会でビリにならないことで休まずに続けた。
でも、五年生の運動会は半端なかった。今までは、心が運動会に耐えられなかった。
今年は心の心配なんかしている余裕はなかった。まじ、身体がしんどかった。
徒競走は別として…運命走は選択肢は四つ。でも選んで運がよければいいってもんじゃない。それぞれに課題がついていた。例えば、バスケはゴール。体操は前転か側転。出来なきゃ前には進めない。
そして、団体競技。一組六人がグループ。前の人の腰ベルトに掴まってイメージはヘビの皮むき。
繋がったままで仰向けに寝ます。そして順番に起き上がり今度は蛇のまま繋がって走ります。繋がったままで、友達をまたいで起き上がったり、走ったりで…僕は繋がっているのも辛い。
毎日、グラウンドの端っこで練習。支援級では特訓。ジャージは土と砂だらけ。
当然、家も汚れるわけで、母は何も知らないからプンプンしていたけど僕は知らんぷりぷり。
それから、よさこい。今年は一番は踊る。中腰でずっと腰割状態。さすがに太腿はプルプル。
練習でやり直し!とか、もう一回!と、言われるたびに、またまたプルプル。
二番と三番はピラミッド。リズムに合わせて波の様にピラミッドを一瞬で立てて、一瞬で潰す。それの繰り返し繰り返し。
当然ですが、友達よりもデカイ僕はピラミッドの底辺でやっぱりジャージはいつも土と砂だらけ。
地べたに寝たり起きたりの繰り返し。
正直、母が半端なく忙しくて愚痴を聞いてくれる人はいないし、宿題はあるし…身体は痛いし…それに疲れているし…人はこうやって疲労で過労死していくんだと思った。
それでも、運動会はやってきた。とりあえず過労死はしなかった。
僕はどうしてもビリだけは嫌だった。小さなお手伝いもこれも運動会のためだとしんどくても、運動会の前日も休まずに続けた。
洗濯物を畳みながら運命走の作戦を立てたりした。まともに走ってみんなに追いつくのは難しい。
僕は自分の強みを生かしたかった。
畳んだタオルでシミレーションなんかしてみたりした。
そして、本当に明日が運動会っていう日。僕は先生達にしつこく聞いた。
「明日は中止にならないかな」って。何十回、中止になっても次の週末には運動会をするらしい。
だから諦めることにした。体育の時間が永遠に運動会の練習なら本当に過労死するかもしれないし。
ストレスで別の病気になりそうだもんね。
五回目の運動会は始めての晴天でした。
どの競技も練習どおりにできました。
博士先生は母に「友達と同じことが同じように出来るようになったよ。その姿を見て欲しい。」と言ったそうでした。
僕は徒競走でなんと…四等でした。
そして、運命走は残念だけど運には恵まれなかった。僕の選んだものはハズレでした。
でも、すぐに当たりに走り、課題のバスケットのダンクシュートを決めて一等でした。
あんまり嬉しくてガッツポーズ。競技が終わって、児童席に戻ってすぐに栗林先生を探した。
五年間、ずっと僕と頑張ってきた先生に一等の紙を一番に見せたかった。一緒に喜びたかった。
栗林先生は喜んでくれた。でも、博士先生には叱られた。
「ビリだった人もいる。そういう人の気持ちを考えなさい。」ちょっと凹んだ。
でも、父は「お前は甲子園球児じゃないし、ましては横綱でもない。嬉しかったら喜んでいい。先生は仕事だから叱ったんだ。泣くほど嬉しい気持ちは隠せないんだ。それなら思い切り喜んだ方がいい。それでいいんだ。でも、先生にも叱られておけ。」と言った。やっぱり僕の親父は少しだけ言うことが面白い。
思い残すことはない。後悔が残らない運動会だった。
だから、翌日から六回目の運動会に向けてまた身体をしっかり動かしています。
運動会はあと一回。それにむけて身体は大事に動かしていこうと思う。
成長した大地君のブログをとてもうれしく、楽しく読ませて頂きました。
家でまた本を読み返し、またこのブログを読み、ゆっくり考えたり、喜んだりしようと思います。先生、ご家族の皆さんも嬉しかったでしょうね。すごいなぁ。
嬉しくて涙が出ました。
大地君と同じ年の光は、まだ徒競走でビリしかとったことがありません。でも、秋にある今年の運動会では、他の順位になれるよう、毎日トレーニングを頑張っています。大地君の快挙は、彼の励みにもなると思います。
本当に素晴らしいお話をありがとうございました!
先日ね、ニキさんに「自閉っ子のモチベーション」について根掘り葉掘り聴きました。そしてやっぱり大地君の育てられ方ってよかったんだなあと思うようになりましたよ。
そのうち発表するから楽しみにしていてくださいね。
一緒に喜んでくれる仲間がいるのがうれしいです。ありがとうございます。
またお越しくださいませ。
先日は遠路お越しいただきありがとうございました。
ビリを脱出したいと大地君が言ってた時、私自身は順位じゃないよ、別にいいよ、と思いながら応援している気持ちでした。だって別にビリでも大地君は確実にステップアップしてるし。
でもこの成功が、自閉っ子のこびりつき脳にとっては、ひとつのプレゼントなのだと思います。大地君は自らそれを勝ち取ったのでしょう。
光君もモチベーションが素晴らしいお子さんですよね。焦る必要はないと思いますが、いつかいいニュースがあるといいですね。
またお越しくださいませ。