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それにしても、この日記のおとなりページってこうなのね?
2012-05-19-Sat 更新のお知らせ
2012-02-10-Fri タダでは起きない
2012-01-19-Thu 中島岳志『ヒンドゥー・ナショナリズム』
■[書籍] 中島岳志『ヒンドゥー・ナショナリズム』

中島岳志『ヒンドゥー・ナショナリズム 印パ緊張の背景』(中公新書ラクレ、2002年)は手堅い本である。
本書はヒンドゥー・ナショナリズム団体への参与観察を行った記録である。著者は社会科学の素養をじゅうぶんに活かしており、その分析はかなり行き届いている。
著者はあとがきで、大塚健洋『大川周明』(中公新書)を推薦しており、「私は約6年前、この本を読んで研究の面白さを知り、研究者になることを決めた」という意味のことを述べている。著者をしてそこまで言わしめる本とはどういうものなのか、がぜん興味が湧いて来るではないか。
ナショナリズムは毒にも薬にもなる、取扱い要注意のものである。本書に描き出されるヒンドゥー・ナショナリズム団体のありさまは、どうしても例の「新しい歴史教科書をつくる会」と二重写しになる。我々の問題を考える上で―むろん日本とインドでは諸条件が相当に異なるにせよ―参考になる一冊である。
なお著者には本書の続編ともいうべき『ナショナリズムと宗教 現代のヒンドゥー・ナショナリズム運動』(春風社、2005年)もあるようだ。
2012-01-03-Tue 衝撃のレポート
■[書籍] 衝撃のインド・レポート

山際素男『不可触民 もうひとつのインド』(三一書房、1981年)は衝撃的な本である。
堀田善衛の『インドで考えたこと』(と中根千枝『文明の顔・未開の顔』)に惹かれてインドに留学した筆者は、ある衝撃的な体験をする。(その内容は読者のために敢えて伏せることにする。ぜひとも原文に当たってほしい。)
筆者はその体験を無かったことにすることができなかった。そして筆者はインドの不可触民の置かれた状況を調べることにした。
本書で紹介されるエピソードは残酷きわまりない。こういうことが果たして地上でまかり通ってもいいのだろうか、といった事例が次々と出てくる。筆者が、どうかこのことを外の世界に伝えてくれと頼まれるくだりは、サバルタン・スタディーズの概念がどういった背景の中から生み出されたかを物語っている。
ところが、本書の読後感はふしぎと良いものである。というのもおそらく、人々が心から望む未来―人が人としての尊厳をもって生きられる社会―への希望と歩みがひしひしと伝わってくるからだ。
筆者は、いくつかの文献を推薦している。たとえば、不可触民のコミュニティーに入って共に働いた記録を元にした、
不可触民を扱った、
・H.R.アイザックス(著)我妻洋・佐々木譲(訳)『神の子ら』(新潮選書、1970年)
インディラ・ガンディー政権の崩壊〔1977年〕の時点でのインド社会のレポート
・David Selbourne(著)”An Eye to India” (Penguin Books)
などが挙げられている。
2011-12-04-Sun 堀田善衛『インドで考えたこと』
2011-11-23-Wed 統計学×まんが
2011-11-19-Sat 認識の股裂き
■[書籍] 岡田英弘『日本史の誕生』

古代史はよい。日本というアイデンティティーができたのは白村江の戦い以降のことだとか、邪馬台国の位置の推定だとか。とても面白く読めた。
しかし近現代史には問題がある。それも小学生にもわかるたぐいの。221ページより引用。
ようやく日清戦争の直後から、清は日本型近代化の直輸入に着手したが、その結果は、一九一一年の辛亥革命による清帝国の崩壊であった。〔…中華民国は〕共和国とは名ばかりの軍閥の割拠と内戦の連続で、日本と中国の関係が深くなればなるほど、中国の状況が日本の安全をおびやかす度合いが大きくなる。そこへロシア革命が起こって、共産主義の脅威が加わり、とどのつまり、日本は中国のおかげで国策を誤って、満州事変、支那事変、大東亜戦争と、どんどん深みにはまって、国を亡ぼしたのである。
(*太字、〔 〕内は引用者)
満州事変を起こしたのは誰か。石原莞爾であり板垣征四郎である。
支那事変のキッカケとなった廬溝橋事件だが、廬溝橋はどこにあるのか。北京郊外である。日本の国土ではない。
著者の論法は、車で人をひいておいて、そこを歩いていた方がけしからんというようなものであろう。
古代史における優れた着想と、同時代史におけるいかにも偏頗な言いぐさとが同居しているのは、近世以来のある種の日本知識人の伝統を思わせる。