2012.8.1 05:00

【末代までの教育論】五輪で金メダル獲っても噛むな

特集:
末代までの教育論 野々村直道(前開星高校野球部監督)

 「父上様母上様 三日とろろ美味しうございました。干し柿もちも美味しうございました」

 こう始まる遺書を残して円谷幸吉選手は自らの命を絶った。

 1964(昭和39)年の東京五輪。マラソン(当時は男子のみ)で銅メダルを獲得、日本中を沸かせた男である。

 国立競技場に、先頭のアベベに続いて入ってきた円谷選手はトラック内でドイツのヒートリーに抜かれ銅メダルに終わる。最後の最後に抜かれたが、彼は一度も後ろを振り向かなかった。父親から「男は後ろを振り向くな!!」と言われ続けてきたからだという。

 東京五輪最終日に展開されたこの劇的なドラマは、中学1年生であった私に鮮明な記憶として残っている。特別に華々しいパフォーマンスをすることもなく淡々と表彰台に登り、少し照れ臭そうに優しく手を挙げて大観衆に応えていた。開催国日本の陸上界唯一のメダルであった。

 そして、期待と重圧の中で迎えた4年後のメキシコ五輪、68(昭和43)年の新年に人生を終えた。享年27。遺書は兄姉や親戚の子どもたちに語りかけたあと次のように締めくくられる。

 「父上様母上様 幸吉はもうすっかり疲れ切ってしまって走れません。何卒お許し下さい。気が休まる事なく御苦労、御心配をお掛け致し申し訳ありません。幸吉は父母上様の側で暮しとうございました」

 彼が陸上自衛隊所属であり“国家の為”を強く意識していたとはいえ、この責任感と自尊心の美しさは何なのだろう。

 国を守るため毅然として死地に赴く特攻隊員と似たものを感じる。自殺と呼べば簡単だが、これは“走れない”ことで国家に迷惑をかけるという武士道の“恥”の概念からの「切腹」と同意である。

 ロンドン五輪が始まった。野々村から十箇条の応援メッセージを発信する。

 一、選手よ! 自分のためだけに闘うなかれ!

 二、国家の栄誉と誇りのために闘え!

 三、国に殉ずる覚悟で闘え!

 四、国を代表しているのなら国旗と国歌に真摯に向かえ!

 五、斉唱中に体をゆすったり首を回したりするなかれ!

 六、国旗国歌に敬意を示さぬ者は国民でもなく代表でもない!

 七、最高の栄誉である金メダルを獲ってもメダルを噛むなかれ!(メダルは名誉ある勲章)

 八、拳拳服膺(けんけんふくよう)して厳かに振る舞え!(こころの扱い方で物にも品格は生まれる)

 九、民族としてその精神性を世界に示せ!

 十、日本人として振る舞い世界にその格調を知らしめよ! (毎週水曜日掲載)

(紙面から)