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2009-10-06

排外主義自体が暴力だという言い方



言論の自由市場に参入する前にボコって排除しようなんて、排外主義以上に恐ろしい発想だと俺は思う。差別問題以外のあらゆるトピックで相手方の恣意的な排除が是認されてしまうからだ。それは、より凶悪な意味での排外主義と呼んでいいと思う。


思想それ自体を罰することは出来ない。技術的に可能でも。

直接的暴力は、行為であり、外形的にとらえることができます。ゆえに、いついかなるときに対抗暴力を発動させるのかのルールを、誤解の余地が比較的少ない形で規定することができます。これに対して、差別などの表象を通じた暴力は、そうした外形を捉えることが困難であり、取り締まられるべきではない他の表象と区別しがたい。だから、ヘイト・スピーチに対して強権を発動させることは難しい。そういう話です。つまり、これは純粋技術的な問題なのです

http://d.hatena.ne.jp/mojimoji/20091004/p1

言論と物理暴力が同じという前提がまず全く同意できない。

筋力ではなく理性で勝敗を決するという仕組みは、人類が長い犠牲の上に獲得した知恵だ。

また、排外主義規制されないのは技術的な問題ではない。実体的な問題だ。他者の権利を何ら侵害していないのに思想それ自体を理由に処罰する、なんてことは極めて不当とされているのです。人を犯す殺す埋めるといかに強く念じても、行動に移さない限り処罰されません。

  • 思想それ自体の優劣は自由な表現の場での対決にゆだねる
  • 規制は他者への権利侵害が相当具体的な場合にのみ許される

というのが近代法の基本的な姿勢だからです。



ある主張を主張の前に規制するということ


ある主張を最初から「暴力」と位置づけ「思想・信条」としての性質を一切無視するならば、排外主義の正当性を議論の俎上に上げることすら不可能となる。議論の場外で強度の不利益を受けるからだ。それは、大勢で殴る蹴るして主張を封じることと全く変わらない。



排外主義自体が暴力であるというけど、そもそも排外主義とは何か。世界共通、日本共通、学会共通の定義があるのか。法律の要件なのか。

定義次第では、

「既存コミュニティの安定を保ちたいから新入りを拒みたい」

とか、

「異文化との軋轢が不安

とか、ごく当然の懸念や保護に値する利益を主張しても排外主義レッテルを貼られかねない。

結果、殴る蹴るといった意味での暴力と同じ扱いを受けれ、暴行罪のように刑事罰という強度の規制が肯定される。

いわゆるネトウヨとか在特会の人たちにも、ネットのいい加減な情報不安を抱いてああいう行動に走ってる人が相当数いるでしょう。

この人たちは対話する価値もないアホで人権を享有するに足りない存在なのでしょうか?違うでしょう。

排外主義の表明に強度の規制を加えるならば、誤解によって過激化してる人たちを説得する機会すら無くなってしまう。懸念を正直に示すだけで暴力だと言われ、説得するまでもなく刑務所にぶち込まれることになる。刑務所に入れてから説得すればいいといなら話は別ですが、それどこの北朝鮮よって話になります。

ある主張を主張の前に規制するということは、対話のテーブルを粗大ゴミに出して金属バット振り回すようなもんだと俺は考えます。*1




排外主義者を説得するためのコスト

排外主義によって不安危険にさらされること、それを直接的暴力よりも小さなものとして見積もることそれ自体が、そのような不安危険にさらされている人たちに対する差別です。


小さいです。明らかに。民主主義社会を維持する上で不可避的に発生する軋轢として、是認してもらって然るべき小ささです。

排外主義者を説得するためのコスト、と言い換えてもいいでしょう。


まず、規制立法が議論されるときに対象者が反感なり恐怖を抱くのは当然です。

それでも、お互い不愉快になりながら議論を交わさなければいけません。

この不愉快さは、考えの違う人々が同じ社会で暮らすために呑まなければならないコストです。

もちろん、レイプ容認論者の男と否定論者の女性が直接対話とか無理ですよ。議論の正当性を論ずる場が維持できない程度の恐怖心を後者が抱きますから。でも、ネット経由なり匿名化すれば議論できるでしょう。排外主義だって、時と場所によって議論の場を設定する余地はいくらでもあるでしょう。

はてな界隈ではid:gingin1234っていう不愉快なまでにアホで無理解な排外主義者がいますが、こんな人だって問答無用刑務所にぶち込まずに対話でどうにかしたほうがいいんですよ。長い目で見て。




対話しよう

排外主義が悪いといえば悪いのですが、それを安易に暴力視して言論外での規制を是認するべきではありません。

音が大きいとか大勢で取り囲んで畏怖させるといった場合には前者が後者に近づくけど、そうでない限りは排外主義も反排外主義も同等に主張の機会を保障するべきです。

対話の余地の無い主張なんて無いんだから、平和に暮らしたいなら対話するべきです。*2

*1刑務所云々は大袈裟だという人もいるだろうけど、表現の場を規律する最後にして最強の規制法律であり刑務所なのだ。法適用の現場視野に入れない規制論なんて無意味だ。

*2:その対話のルールの最低限を定めたのが刑法等々の刑事法であって、明確な形でこれを破ったこないだのデモの連中はとりあえず被害者に詫びてこい。

自由の敵の敵自由の敵の敵 2009/10/10 17:05 あのう、「言葉の暴力」とか「ペンの暴力」という言葉を聞いたことがないんですか?
そういう「言論には言論で」とか言って、言論の自由の名の下にナチスの反ユダヤ宣伝を野放しにしたのがナチスをつけあがらせたんだという真剣な反省を、戦後の西側東側第三諸国関係なく世界各国が必死に共有して来たことがわかりませんか? ヘイトスピーチを刑事犯罪(政治犯罪ではない)化しているのはドイツに限らないんですよ。今年になってからもインドで、ムンバイ同時襲撃事件を口実にイスラム教徒全般に対するヘイトスピーチをやったとしてインディラ・ガンジー元首相の孫が逮捕されたばかりです。
戦前戦中ドイツでヘイトスピーチ満載の反ユダヤ新聞を出していた発行人は、それだけで(直接誰か殺した訳でも、殺害方針を決めた会議に出席したわけでもないのに)戦後「人道に反する罪」で絞首刑になりました。ルワンダ大虐殺でも、普段陽気な音楽番組を流していたラジオ局が、ことあるごとに憎悪を煽る文言を流していたことが問題になっています。
寛容は、不寛容にだけは寛容になってはいけないのです。自由の敵に自由なし。

UZIUZI 2009/10/13 20:13 >>自由の敵の敵
批判とヘイトスピーチの境目は誰がどの様に判断するの?
その明確な判断基準はあるの?

specspec 2009/10/14 00:34 人種差別撤廃条約第4条
(b)人種差別を助長し及び扇動する団体及び組織的宣伝活動その他のすべての宣伝活動を違法であるとして禁止するものとし、このような団体又は活動への参加が法律で処罰すべき犯罪であることを認めること。

となっています。日本は第4条(a)(b)は留保していますが、批准している国は多いし明確な判断基準は諸外国を見習って、決めればいいんじゃないでしょうか。
 直接殴ったりつかんだりしなくても、威力業務妨害罪・脅迫罪・侮辱罪・名誉毀損罪など現行法でも刑事犯罪で、明確に決められていますよ。
 そこまで行かなくても、最大でも勧告の公表程度しかない人権擁護法程度の法律は必要でしょう。

m0t10nm0t10n 2009/12/19 00:26 ここも終わったか

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これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学
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