ネタつつき139 - プログラミングは理屈じゃない。
私は今までプログラミングを、あれこれと理屈で固めてした事がありません。文章を書く人が自然と言葉が出るように、プログラミングもコードが自然と出てきます。ブログで日記を書いている人が、あれこれ理屈を考えて書くでしょうか?多分、そんな事はないと思います。私もそれと同じで、プログラミングは理屈で固めてするものではなく、自分の意思そのものであり、自然と出てくるものです。
私の場合特にそれが顕著で、分析・設計・実装などといった区分すらありません。私にとっては並列でするものであり、お客様と会話するのと同時にプログラムが浮かび上がります。ただし、ここで浮かび上がってくるプログラムは、理想とするプログラミング言語のものであり、イメージに近いものです。これは自然に出来るものであり理屈ではありません。自然と出来るものなのに理屈はありません。
だからといって、プログラミングが文系かと言うとそうでもありません。脳全体を使っているので、あえていうならば情報系だと思います。自分の感覚で言うと、脳の情報処理そのものと言った方が近いと思います。従って、分類する事自体がナンセンスです。プログラミングはプログラミングなのです。
プログラミングをつきつめて考えると非常に興味深いです。何故ならば、自分のことながら、どうやってプログラミングしているのかよくわからないからです。文章を書くというのはあくまでも例えであり、文章を書くのと微妙に違うと思います。どちらかというと呼吸をするのと近い感覚です。不思議なのはプログラミング言語とあまり関係が無い点です。もちろん、書きなれていないプログラミング言語ではちょっと戸惑いますが、少し書けば直ぐに慣れてしまいます。どうやら私の頭の中には、プログラミング言語に依存しない別のイメージがあるようです。
このイメージもしくは思考パターンは、正確に言うと言葉ですらありません。絵と言葉の混在した情報の塊です。集合と近いかもしれません。しかし集合理論とはやはり違います。集合理論は興味深いのですが、何かが欠けています。私のイメージを正確に表す事が出来ません。どちらかというと、プログラムの方が近いです。でもまだ足りません。私のイメージを完全に投影できる、理想のプログラミング言語はまだ存在しません。
プログラミングが形成される過程はブラックボックスです。勝手に指先からプログラムが出てくる状態ですので、本人はいたって自然体です。こういうのを昔の人は体が覚えているというのでしょう。分野を問わず昔からそう言われているのですから、究極的には分野など関係がないのでしょう。
学問はあくまでもフォーマットです。全ての学問が向かうその先は、人間の思考そのものなのかもしれません。おそらく、どの専門分野も人間の限界を超える事はないでしょう。とするのならば、一つの技術を磨くという行為は、人の真理を追究する事を意味するのかもしれません。
私はまだまだ未熟者ですので、究極の答えにはたどり着いていません。プログラミングがいきつく先を見るために、私は人生という名の旅をしているのでしょう。長い旅の終わりに見られる風景が、どんなものなのか非常に楽しみです。長い旅の末に何を見るのか。それを夢見て今日も腕を磨いています。